私の中のあなた


夏の終わりに婚約者が死んだ。
彼女は生死に密接に関わる仕事をしていたので、もしもの時は覚悟しておいて欲しいと常々言われていた。それでも私は彼女を愛していたし、覚悟なんてこれっぽっちもしていなかったけれど、それ故に理解のある優しい恋人として彼女に接し続けることが出来たのだ。それでもその死を、想像してみなかった訳ではない。それは無意味な夢想。宝くじを買ってもいないのに三億円当たったらどうするか悩んでみる様な一人遊び。空想の中の彼女の死は、どれも派手で華々しかった。彼女という英雄の名は様々なメディアを通じて民衆の心に刻まれる筈だった。実際、そうやって神格化された審神者は一人や二人ではない。しかし現実は妄想のどれとも異なっていた。
彼女は自殺だったという。
「急に呼び出したりして申し訳ない」
頭を下げる私に彼はどこか人を食ったような笑みを見せた。初対面だが、友和の欠片も無い表情だと思った。
「別に…」
彼は刀剣男士と聞いて思い描く荘厳さからかけ離れた格好をしていた。白と紫のジャージ姿。ただし、ここが昼下がりの公園であることを考慮すれば、スーツ姿の私よりもこの場に相応しい装いであると言えるだろう。実際、何か気に喰わないことがあればジョギングでも続けるふりをして去っていかれてしまうのではないかと、私は密かに懸念した。
「主がいなくなって、暇ですから」
私からの不安げな視線を受けて、男は皮肉を添えた。最近の国宝は嫌味の一つも言うらしい。へし切長谷部は長く彼女の近侍を務めていた刀だという。審神者から特に寵愛を受けて傍近くに侍る刀を近侍と呼ぶことを、私はこの数週間のうちに知った。
「彼女の死の真相が知りたいんだ…!」
自分でも驚くほど感情的になってしまった。対する長谷部は醒めた様子でこちらの挙動を観察している。長い脚を組み替える仕草はどう贔屓目に見ても人間のそれだった。
「真相ねぇ…」
挙式の日取りこそ決まっていなかったとはいえ、互いの両親に挨拶は済ませていたし、新居の準備も進めていた。マリッジブルーはよく聞く言葉だし、気丈な性質だったとはいえ彼女が全く無縁だったとまでは自惚れない。もしかしたら私の知らないところで苦悩していたのかもしれないが、今となっては知る由もない。しかしながら、彼女が自ら命を絶つほどに思いつめていたようには、私にはどうしても思えないのだった。結婚が嫌だったのなら、そう言ってくれればいいだけのことだし、結婚後も審神者業を続けることについては私が折れるかたちですでに結論が出ていた。それなのに何故、自殺なんだ。自暴自棄になった私が職を辞し、彼女の死について調べ始めるようになるのに、そう時間はかからなかった。
「それで、俺に何を語らせようっていうんです?」
政府の役人たちは、度々訪れる私に辟易したのだろう。彼女の使役していた刀剣男士の一振りと対面できるよう、便宜を図ってくれた。それが現在目の前でせせら嗤っている長谷部だったという訳だ。何度も繰り返し礼を言う私に、役人は苦笑して「まぁ、遺留品みたいなものだしな」と呟いた。そう、どんなに人によく似ていても、彼等は決して人間ではない。私は今から日本刀と真面目な話をしようとしている。さぞや滑稽な様だろう。
「お望みなら、主が俺をどう扱ったか教えてあげましょうか?」
刀剣男士が法的に人間として見做されない証拠に、彼等の証言は調書に載らない。例えば、彼等が審神者の指示で殺人に及んだとしても、それによって廃棄されることはあっても逮捕されることはないのだ。ナイフが人を刺した時に、ナイフそのものの言い分を聞こうとする警察官がいれば会ってみたいものである。そんな輩は警察署ではなく、病院にいるだろうが。
「どんな声で俺を誘って、どんな風に俺の下で喘いだか…」
更に厄介なことに、彼等は恣意的でなく嘘を吐く。九十九神というものの特性上、主に都合の良いように物事を改竄して理解するのだ。
「……ッ」
彼女に限って、と。思わない訳ではなかったが、審神者と刀剣男士の色恋沙汰はドラマなどでは鉄板のネタである。今日まで婚約者が自分を裏切っていたかもしれない等と考えたことも無かったくせに、可能性をチラつかされれば途端に動揺する。先程からこちらを小馬鹿にしきった態度が鼻につくが、長谷部は随分と整った顔立ちをしていて、スタイルも良い。ありえなくはないかもしれないと思った瞬間には、私は長谷部の胸倉に掴みかかっていた。
「この程度の安い嘘も見抜けないのに、真相を知りたい…ときたもんだ」
私の蛮行が余程面白かったらしく、長谷部は一頻り声を上げて嗤った。相手が妖怪で、露骨な挑発を受けたとはいえ、流石に非礼が過ぎただろう。手を離して項垂れた私を、粘着質な声が追ってくる。
「貴方の望む真相って、一体どんなものなんです?」
まるで、そんなものは存在しないとでも言いたげな弾む口調。
「彼女が自殺なんてする筈がないんだ…」
秋風が冷たい。彼女がいた季節から、気が滅入るほどに遠くにきたものだ。凛とした人だった。けれど薄情な私には、記憶の中にいる美しい面影が本当に彼女なのか、己に都合のいい幻覚でしかないのか、突き詰めることもできないのだった。
「あの日、」
私の葛藤に何を見たのか、長谷部は唐突に語り始めた。
或いは、騙り始めた。

あの日、主が死んだ日。
朝から突き抜けるような快晴だったけれども、俺の気分は重かった。前夜に無理矢理呑まされた酒がまだ残っていたのかもしれない。主の結婚を祝うという名目で催された宴は、結局早々になんでもない飲み会と化していた。二日酔いに関してはどの刀も似たようなものだったらしく、昼日中だというのに、本丸は静まり返っていた。
「おはようこざいます、主」
主は縁側に座って、どうやら庭の向日葵を見ていたようだ。一昨日くらいまでは咲き誇っていた筈なのに、今は萎れて頭を垂らしている。朽ちていくのを待つばかりのその姿が、主の眼にはどう映っていたのか。
「あら、長谷部」
柔らかな微笑。作り物みたいに澄んだ空。嗄れた花弁に残された鮮黄。それ等すべてを眩しく目蓋に焼き付けながら、俺は今の主が、よく晴れた日に死にたいと口癖のように言っていたことを思い出した。

「ひ、人殺し!」
懺悔というにはあまりにも淡々とした刀の独白を、遮るように私は叫んでいた。真偽を吟味するような心の余裕は失われていた。今はただ、人の貌をした眼前の化け物が恐ろしい。
「俺は刀ですよ?」
呆れたように長谷部は嗤う。口述に淀みはなかった。おそらく、彼はあらゆる相手に向かってこの話をしてきたのだろう。彼が人間じゃないことを理由に、公の記録に残ることがなかっただけで。
「主命を果たしたまでのことです」
誇らしげにそう言って、主を斬った、或いはそうだと思い込んでいる、美しい刀はそれっきり黙り込んだ。



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