UvsT-宇佐見秋彦の憂鬱- まさかこんな日がくるなんて思わなかった。 「美咲、これ運んでくれるかい?」 「わかった。あ、兄チャン、 目玉焼き焦げるって!」 美咲を好きになる前。 その兄、高橋孝浩のことが俺はずっと好きだった。 メガネの奥で細められる穏やかな瞳。 その瞳に自分が1秒でも長く映っていればいいと 何度、今まで信じもしなかった神に祈ったか。 己の身を焦がすほどの想いを ずっとずっと内に秘めて耐えて… それなのに…今の俺は正直、孝浩が憎い。 『はい、宇佐見。』 『あ、秋彦?美咲いる?』 『美咲ならさっき大学へ行ったが。』 『なんだよ、アイツ。 かけ直してくるって言ったから待ってたのにさぁ。』 『あぁ、明日の件だがな孝浩…』 『よし決めた!』 『…なんだ急に。』 『今日、ウサギの家に泊めてくれよ。』 『は!?』 『そしたら美咲と長い時間一緒にいてやれるし、 ウサギには迷惑かけるけど1日だけだから、頼む!』 『いや、しかし…』 『ずっと美咲が家事しているんだろ? たまには休ませてやらないと可哀想だし。 今日は俺が晩飯作るよ。』 最終的に、美咲の家事疲れという点で 反論できなくなった俺は、孝浩の泊りを了承した。 以前の俺なら、孝浩がこの家に泊まって 食事を作ってくれるなんて夢のようだと思っただろう。 しかし、それはあくまで以前の俺。 今でも孝浩は大事な親友だが、 それ以上にかけがえのないものが俺にはすでにあるのだから。 「ウサギさん、ちょっと昨日から煙草の本数 多いんじゃない?もう朝飯だからそろそろ テーブルに座ってよね。」 くりくりと大きな目で俺を見ながらぶつくさ文句をいうただのガキ。 それが今なにより大事だと思うのだから我ながら笑えてくる。 好きで仕方なかった孝浩が憎いと思ってしまうのも、 その孝浩が極度の弟バカで、 昨日うちに来てからというもの美咲にべったりだから。 しまいに夜は一緒の部屋で眠ろうとする始末。 慌てて客間に孝浩を押し込んだが、その時の自分の顔は かなりやばかったと思う。 それが証拠に孝浩の顔にうっすら恐怖が浮かんでいた。 「ウサギさんてば!聞いてんの? ぼーっとしてるとピーマンつけ合わせにすっからな。」 「やめれ。」 ピーマンというワードに現実に引き戻されて、 手に持っていた煙草を灰皿に押し付けると俺はテーブルについた。 「よし、これで完成。」 「なんか懐かしいなぁ。兄チャンのご飯。」 「昨日も食べただろ?」 「んー、なんつーか朝はまた格別?みたいな。」 兄弟はキッチンで最後の皿を手に持ちながら微笑み合っている。 俺が踏み込めない、美咲と孝浩の2人だけの世界。 イライラ、ムカムカ。 そんな感情がこみ上げてくるのを抑え込む。 昔はこんな感情を消すのも得意だったはずだったのに、 今の俺は、美咲に関わることでの我慢がとても苦手だ。 「はい、ウサギさん。」 「あぁ。」 目の前に置かれた、孝浩が作った朝食プレート。 目玉焼きにウインナー、簡単なサラダが添えられている。 それは美咲が作る朝食によく似ていた。 それが、なぜか悔しくて…心を蝕む。 「じゃあ、食べようか。」 「うん!いただきまーす!」 「いただきます。」 「いただきます。」 孝浩の声で3人、手を合わせて食事を始める。 味噌汁に口をつけて、美咲より少し雑目の それでも限りなく近い味付けに複雑な気分になる。 「やっぱり兄チャンの味噌汁はうまいよ。」 「そうか?今だったらお前のほうが料理の腕は上だろ。」 「兄チャンに教えてもらったからだって!」 美咲の料理は、孝浩に教え込まれ、 俺と住むまでは孝浩のためだけに振る舞われてきたのだ。 「ウサギ?どうかしたか? あ、なんか苦手なもの入ってる?」 「いや、うまいよ。ほんとお前は相変わらず料理がうまいな。」 問いかけられて、不自然にならないように笑みを浮かべて 食事を進めていく。そんなに浮かない顔をしていただろうか。 そんな俺を美咲が心配そうに見つめてくる。 またいらぬ心配をしているのだろうか。 大丈夫、お前は何も悪くないから。 だけど、今日1日。 美咲と孝浩が仲よさそうに過ごす姿を俺は見ていられるだろうか。 自分の心の狭さは理解している。 本来なら美咲に近づくヤツは徹底的に排除したい。 けれど、孝浩は俺の親友で、美咲のたった1人の兄弟なのだ。 むやみに引き離すことは美咲を傷つけることになる。 そんなことはしたくない。 俺にとってなにより大事な美咲だから… 「そうだ、孝浩。悪いが今日は美咲と2人で行ってくれるか。」 俺が自然と切り出した言葉に、孝浩と美咲は目を丸くする。 「どうしたんだ急に…?」 孝浩が驚いたように訪ねてくる。 「いや、昨日の夜、担当から緊急で連絡がきてな、 急ぎでやってほしい仕事があると言われたんだ。」 「え…でも電話なんて昨日は…」 「メールで来たんだよ。というわけで俺は家から出られそうにない。 悪いが2人で出かけてきてくれ。」 そういった俺に、孝浩はそうなのかといいつつ少し嬉しそうで 美咲は…どこか困惑したような、悲しそうな顔で俺を見る。 「じゃあ、ごちそうさま。 今から仕事部屋にこもるから。片づけだけ頼むな。」 そういって、美咲の頭をぽんっと撫でて階段へ向かう。 今、美咲の顔をこれ以上見ていたら我慢できなくなる。 「ウサギさんっ…」 すがるような美咲の声を振り切って仕事部屋へ入る。 これでいいんだと、自分に言い聞かせて。 本当は仕事なんて来ていない。 次に一番早い締切もまだまだ余裕があった。 でも、俺以外に笑顔を向ける美咲なんて見ていられない。 それがたとえ、孝浩でも。 苦しくて、悲しくて…耐えられない。 扉の向こうからは、美咲と孝浩の話す声がする。 何を言っているかは聞き取れないけど 今日出かける場所の相談でもしているんだろう。 30分くらいして、玄関のドアが閉まる音が聞こえる。 2人が出かけて行ったと思うと、どっと体の力が抜けて行った。 「これで…よかったんだ。」 美咲がいなくなるわけじゃない。 夕方、遅くても夜には戻ってきて、 ウサギさん、とあの軽やかな声を聴かせてくれる。 だから、今は耐えよう。 胸の痛みを耐えることなんて息をするのと同じだった。 だから、できる。 「よし。」 とりあえず、飲み損ねた食後のコーヒーを淹れようと 部屋のドアを開けて、俺は固まった。 「やっぱりな。」 ドアを開いた先の廊下。 そこには腕組みをした不機嫌そうな美咲が立っていた。 「お前…なんで…孝浩と出かけたんじゃ。」 不覚にも間抜けな声が出てしまう。 それほど目の前の光景が信じられない。 「ウサギさんの嘘なんて俺にはすぐわかんだよ。」 美咲は少し怒ったように俺にいう。 いや、怒っているというよりは拗ねている、に近い。 「仕事なんかはいってないくせに。 あんなミエミエの嘘つかれたら…行けるかよ。」 「美咲…」 「昨日!約束しただろ!一緒に過ごすって… 何勝手に俺との約束破ろうとしてんだよ。バカウサギ。」 「あ…」 『美咲、明日は俺といてくれる?』 『…しかたねぇから…いてやってもいい。』 わざとらしく、仕方ないって顔を作っていた 美咲の顔がよみがえってくる。 「そりゃ、兄チャンと出かけるのも楽しいけどさ、 俺は…その…」 さっきまでの勢いはどこへやら。 顔を真っ赤にしてうつむいた美咲はそれ以上言わない。 「みさ…」 再度、声をかけようとしたところで 俺の携帯がメールの着信をつげてくる。 取り出すと差出人は孝浩だった。 『ウサギ、どうやら俺の完敗みたいだ。 美咲に断られちゃったよ。 ウサギさんの仕事が終わったら カップを買いに行きたいから 今日はでかけられないって。 いつのまにか俺よりウサギのほうが よっぽど美咲の近くにいたんだな。 家族以外に美咲があんなに真剣に なれる相手ができたことが 兄としては寂しい限りだけど やっぱり嬉しいと思うべきだよな。 急に泊りに行ったりして迷惑かけて すまなかったな。 ウサギに美咲がとられた気がして ちょっとだけ嫉妬したんだ。 美咲を待たせないように 仕事がんばれよ。それじゃ。』 「孝浩…」 「え…兄チャン?」 俯いていた美咲が兄の名前に反応する。 その様子に苦笑いがこぼれる。 嫉妬しているのは自分のほうばかりだと 思っていたけど、どうやら違うらしい。 「美咲、ありがとう。」 「な、なんだよ! あ゛!! 兄チャンがまた余計なこと言ったんだろ! ちょ、携帯見せやがれ!」 「だめだ。」 携帯を奪おうと、俺に向かってくる美咲を 思いきり抱きしめて腕の中に閉じ込める。 「なっ、離せよバカウサギ!」 「離さない…」 耳にそっと囁きこむと、嘘みたいに その体がふにゃりと力を失ってしまう。 「絶対離さない…美咲。」 「ば、か…そんな、耳元っ、しゃべんな…」 抵抗は口ばっかりで、その腕がしっかりと 背中に回されていることに笑みがこぼれる。 孝浩より俺を選んでくれたこと。 たったそれだけのことが さっきまで痛みに疼いていた胸を癒してくれる。 「好きだよ…美咲。」 「うるせっ…」 「好きだ…」 後頭部にそっと手を添えて、 文句を言い続けるそのさかしい唇をはむ。 甘く優しく。 離れるのを残念に思いながらも、 交わりをほどいて、美咲に問いかける。 「美咲の時間、俺にくれるんだろ?」 「…約束、したから…」 往生際が悪そうに、でもどこかその表情は 嬉しさを含んでいて、愛しさが増す。 「じゃあ、今日はずっと2人で一緒に過ごそう。」 「…ん。」 こくんと頷いた美咲をもう一度抱きしめて 頭を何度も何度も撫でる。 「美咲は何がしたい?」 「…買い物。カップ買いに行くんだろ。」 「そうだったな。」 俺と美咲が暮らす家のカップ。だから2人で選びに行こう。 「…ギ…んは…」 「ん?なんだ?」 不意に消えそうな声が耳に届いて、 俺は美咲の顔を不思議そうに眺める。 「ウサギさんは…なんかしたいことないの?」 「美咲…」 今にも火を噴きそうなほど、羞恥に染まった美咲は けなげに俺の希望も聞き入れようとする。 俺がお前に望むことなんて…わかっているはずなのに あえて聞くのは、美咲もそれを望んでいるから? 「俺は…美咲が欲しい。」 「…やっぱりかよ。エロウサギめ。」 悪態の声もどこか小さく響いて、 恨み言をつぶやくその唇すら愛しくなる。 「俺の願い、聞いてくれる?」 「…嫌っつったらやめんの?」 「やめないけど。」 「でしょうね。」 昨日の夜からろくに美咲に触れられていない体は どくどくと体の血を循環させて はやく美咲が欲しいと叫んでいる。 「仕事部屋はやだかんな…」 そう呟いた美咲を横抱きにして抱え上げると、 俺は仕事部屋を出て、寝室へ向かう。 いつもなら文句を吠える美咲も 何も言わずに、ただ落ちないようにと俺にしがみついていた。 その後、カップを買いに行けたかどうかは まぁ、話さなくてもわかるよな? *END* 110830 脱稿 【後書き】 ウサギさんVS孝浩、3部作これにて終了。 なんでしょうね、このgdgd感w こんなしおらしいウサギさんはウサギさんじゃありません← でも相手がもし孝浩なら、ウサギさんはやっぱり 強く出られないんじゃないかという妄想。 そしてウサギさんの嘘を見抜いて、ちゃんと家にいてくれる 良妻・美咲。もう結婚すればいい。 ←高橋孝浩の計略 [戻る] |