第1幕『純情世界への旅立ち』 ここは穏やかな風が吹き、 緑と花々の色彩が美しいあるお庭です。 その庭の中でも、一際目立つ大きな木の下で、 ある兄弟が揃って本を読んでおりました。 「ミサキ、きちんと読み終わったかい?」 そう声をかけたのは、 眼鏡をかけた優しげな風貌の兄・タカヒロです。 そしてミサキと呼ばれたのが 活字を見ると眠くなってしまう病気と 格闘中の可愛らしい男の子でした。 「…はっ!また活字に負けてしまった!」 「ミサキはほんとに本が苦手だねぇ。」 ついよだれを垂らして眠ってしまっていた弟を タカヒロは仕方ないなといった表情で見つめます。 「だってさー、読んでも全然意味わかんないし。 なんでこんなもの読めるのか逆に不思議。」 「世の中のほとんどの人はちゃんと読めるんだけどね。」 「いーの。俺の世界には文字なんて必要ないんだ! 文字なんてなくたって会話すればいいんだから。」 ミサキは座っていた木の根から立ち上がり、 踊る様に兄に告げます。 「兄チャン、俺の世界はね! 空想でたくさんきらめていてるんだよ!」 「はは、そうだね。 でももう少し勉強をしないと将来困ってしまうぞ?」 「大丈夫!その時がくればちゃんとやるから。」 そういって、ミサキは元気よく駆け出します。 目指すはお気に入りの泉のそば。 しかし、その途中で木陰にぐいっと その身を引っ張り込まれてしまいました。 「え!?」 ミサキは驚いて、自分を引き留めた人物を見上げます。 「あ、あんた誰?」 「俺はウサギだ。」 ウサギ、そう名乗った人物の頭上には 確かに長い耳が生えていました。 しかし、それ以外はどう見ても人間です。 しっかりと仕立てのいい服を着込み、 片目にはモノクル、その首からは 大きな懐中時計をぶらさげています。 「う、ウサギってあんた人間じゃんか。」 「いいや、俺はウサギだ。 頭に立派な耳が生えているだろう。」 「確かに耳はあるけどさ…」 やたら高慢な態度のウサギは ミサキをじっと見つめてきます。 その視線に耐え切れず、ミサキはついに 自分から問いただしました。 「そ、それでウサギが俺に何の用だよ。」 「一目惚れ。」 「は!?」 いきなりのわけのわからない発言に ミサキはパニックを起こします。 「それで、お前を俺の世界に連れて行きたい。」 「ちょ、ちょっと待ってよ! 何わけわかんないこといってんだよ。」 「わけわかんないことはない。 俺がお前を好きになった。だから俺の世界へ 連れて行く。それだけの話だ。」 「それがわけわかんないっつってんだ!」 ミサキは言葉がかみ合っていないと諦め、 掴まれた腕を振りほどいて 兄のいる木の下へ戻ろうとします。 「お前はさっき言ったな? 自分の世界は空想で煌めいていると。」 「な、なに盗み聞きして…」 「本当に空想で煌めいている世界を 見たいとは思わないか?」 自分の恥ずかしい発言を聞かれたことに ミサキは顔を赤くしますが、 ウサギはいたって真面目な顔で言葉を続けます。 「あべこべで、おかしなことが当たり前な世界。 けれど生きるものすべてが純情で煌めいている。 それをその目で見てみたいとは思わないか?」 「…。」 そんな絵空事、きっと嘘に決まっています。 けれど、本を読んだり、勉強をしたり そんな退屈な毎日に飽き飽きしているのは事実です。 「そ、そりゃちょっとは興味あるけどさ。」 「なら俺を追いかけて来い。」 それだけ言い放つと、ウサギは勢いよく駆け出しました。 「ちょ、待てって…!おい!」 戸惑うミサキに構うことなく ウサギはどんどん遠くへ行ってしまいます。 「なんなんだよ、あいつ。」 正直にいって怪しさは満点です。 もしかしたら新手の人攫いかもしれません。 けれど、ミサキは先ほどのウサギの 真剣な眼差しが妙に心に残っています。 「ちょっとだけなら…いいかな? 危なくなったらすぐ戻ればいいし。」 そう自分を納得させて、 ミサキはついにウサギを追いかけ始めました。 少し走ったところで、ウサギが 洞穴のようなところに入っていくのが見えます。 「あんな穴あったかな?」 見覚えの無い洞穴を不思議に思いつつも、 ミサキも後を追って中に入りました。 「うわっ、せま…よくあいつ こんなとこ通れたな。」 さきほどのウサギはミサキより遥かに 身長も高く、身体も大きかったのに こんな小さな穴を通ったのかとミサキは驚きます。 そしてそんなことを思いつつ手探りで 進んでいると、ふいに手元の感覚がなくなりました。 「え?」 気付いたときには身体に浮遊感。 「うわあああああああ!!!!!」 ミサキは洞穴の奥にあった穴の中に 吸い込まれるように落下していったのです。 第2幕→ [戻る] |