大事なもの1つだけ[3-SIDE 美咲-] 体中がまるで泥に沈んでいるような感覚だ。 すごく気分が悪い。 ゆっくり瞼を開いて、視界に映ったのは 見覚えのある部屋だった。 「あれ…?俺の…部屋?」 どうして俺は部屋にいるのか。 確か学校で女の子に呼び出されて… そこまで思い出して頭がずきずきと痛む。 そうだ。途中で変なクスリっぽい匂いがして そのまま意識を失ったんだ。 それなのにどうして俺は… 自分の部屋にいるんだろう。 あいつに連れてこられたとしたら 俺とウサギさんの家に不法侵入したってことで… 「そうだ…ウサギさんっ!!」 「宇佐見秋彦ならいないよ?」 俺ががばっと起き上がるのと同時に すぐ隣から声がした。 「だ、誰…?」 声はさっき俺を呼び出した女の子の声。 でもその見た目は完全に男だった。 「もう忘れちゃったの?ひどいな。」 「君…さっきの女の子?」 「一応ね、正体ばれないようにするのと 高橋君の警戒を解くのに女装しといたんだ。」 なかなか可愛かったでしょ?と 小首をかしげる仕草にぞっとする。 「な、んで…家に連れてきたんだよ。」 震える声で問いかける。 「家…?あぁ、家といえば家かな。僕と高橋君の。」 「ふざけんな!ここは俺とウサギさんのっ…」 「ほんとにそう思う?」 俺の怒声にのほほんとした声がかぶさる。 「まぁ、完璧に再現したから無理もないか。」 その言葉にはっとする。 慌てて起き上がって、クローゼットをあける。 そこには俺の服が入っていた。 いや、正確には俺が持っている服と同じ服があった。 「どうかな?全部揃ってると思うけど。」 あくまで穏やかな声に、背筋が凍りそうになる。 これは完全に異常だ。まるで… 「あのフリーライターみたい?」 「!?」 「ふふ、今回ある程度は似せてみたんだよね。 鈴木美咲と藤堂秋彦の物語に。」 「なん、で…それ…」 喉が干からびて声が出ない。 秋川弥生がウサギさんで、 俺とウサギさんがモデルになってることを 知ってる人は限られているはずだった。 そこまで調べたのか…? 「でもね、エンディングは別物だよ。 鈴木美咲は藤堂秋彦のもとに帰ることが出来るけど 高橋美咲は宇佐見秋彦のもとへは帰れないんだ。」 「ふ、ふざけんなよ!俺は帰る!」 あの物語みたいに、俺は両手足を縛られてるわけじゃない。 クスリのせいで少しはふらつくけど動けないほどじゃない。 立ち上がって、相手を警戒しながら じりじりと部屋の入り口へと足を進めていく。 しかし相手はそんな俺を気にするでもなく にこにこと微笑みながら告げてくる。 悪魔のささやきを。 「君が帰れば、これが世間に公表されるだけだからね。」 その手には学校でも見せられた、俺とウサギさんの写真。 「これが世間に公表されたら、彼の名前は 一気に地に堕ちるだろうね。 それでも高橋君は帰りたいのかな? 宇佐見秋彦という小説家を潰すことになっても。」 俺の足はそれきり動かなかった。 俺とウサギさんの関係がばれるのは…絶対にダメだ。 井坂さんやウサギ父に言われた言葉が蘇ってくる。 俺のせいでウサギさんに迷惑がかかる。 ダメだ、ダメだダメだ!!! 「…俺は、どうすればいい?」 「どうって、こうして僕のそばでずっといてくれたら それだけでいいんだよ? 僕を見つめて、僕を愛してくれればそれでいい。」 近づいてくるその男に本能的な恐怖を感じる。 でも、逃げられない。 逃げることが意味するのはウサギさんの破滅。 俺がウサギさんを守らなくちゃ。 だって…俺はあの人が好きだから。誰より大事だから。 「高橋君は、そんなに宇佐見秋彦が大事? 自分が知らない男に好き勝手犯されることになっても 守りたいくらい好きなの?」 その瞳は今までののほほんとした色とは姿を変えていた。 抑えきれない嫉妬と苛立ちの色。 怖い。 だけど、これだけは嘘はつけない。 「俺は…俺が好きなのは、今もこれからもずっと ウサギさんだけだ。俺の自由や体ならくれてやるよ。 でもお前が何をしようが俺の心だけは変えられない。 ウサギさんを好きって気持ちだけは絶対に無くさない!」 気を抜けば体全体が震え上がりそうだ。 ヘタしたらこのまま殺されるかもしれない。 でも…それでもいいと思った。 ウサギさんを好きな気持ちに嘘をついて 自分を守るためにへりくだるくらいなら…いっそ… 「どうして…どうして… あんな人が好きなの…美咲…」 けれど、暴力を覚悟していた俺に降り注いだのは 今にも消えてしまいそうな、涙交じりの声だった。 「僕はずっと美咲を思ってたよ? 小さい頃からずっとずっと美咲だけを好きだったんだ。」 「小さい…頃…?」 さっきまで、今にも俺をどうにかしようという 気配を纏っていた男は、まるで小さな子供のように呟く。 「美咲が僕を助けてくれたあの日からずっと。 僕は美咲だけが好きだった。」 「助けた…?俺が…?」 「…やっぱり覚えてないんだね。」 傷ついたような声。 なぜか恐怖よりも申し訳ないような、そんな気持ちになる。 「いいんだ。昔のことは。 今は…もう、高橋君は僕のものだもんね。」 そんな痛々しい気持ちを隠すように、 男の声は無機質なトーンへと変わっていく。 「高橋君だけが僕の幸福。大丈夫。 宇佐見秋彦のことなんて忘れてしまうくらい 僕がずっとずっと高橋君を愛してあげる。」 「っ…」 一瞬、垣間見えたとても人間らしい感情は消え去り、 その瞳にはほの暗さしか残っていない。 「まずは、どうしようかな。 その体に残ってる宇佐見秋彦の印を消そうか。」 すっと伸びてきた指が、俺の体をなぞる。 なぞられた下には、無数のウサギさんからの所有印。 「や、だっ…やめろ!」 消したくない。 もう2度とウサギさんに会えないのなら… せめて、ウサギさんの印を…熱を…俺から奪うな。 抵抗虚しく、覆いかぶさられるように ベッドに押し倒され、その手が服を脱がせにかかる。 「ごめんね…美咲。」 吹いたら消えそうな謝罪の言葉と共に その手が俺の素肌に重なった。 2← →4 [戻る] |