真夜中の思考と悪夢 男2人でも十分な広さのベッド。 さっきまで乱れていたシーツを取り換えて、 今はさらりと肌心地がよくなった場所で眠る恋人を見つめながら、 そっと名前を呼んでみる。 「吉野…」 しかし、疲れ果てた恋人はぴくりとも動かずに眠りこけている。 その寝顔は幸せそうで、そっと手を伸ばす。 頬に触れると、少しだけ身悶えるけど やはり起きる気配はない。 このまま抱き寄せても起きないだろうか…? 甘ったるい空気を極度に苦手とする吉野は 俺の腕の中で眠るなんてことは滅多にしない。 特に情事の後は、暑いからくっつくなと文句をいうか さきに寝落ちてしまうかのどちらかだ。 起こさないように、そっと腕を回して そのやせ細った体を自分の体へと引き寄せる。 「また…痩せたな。」 売れっ子漫画家である吉野は修羅場を超えるたび その体についていたはずの肉をそぎ落としてしまう。 今回はいつも程ひどくないけれど それでも抱きしめた感触は心もとない。 寄せただけの体を少し力を入れて抱きしめた。 「ん…」 「!」 小さく声が漏れて、起こしたかと動きを止めれば 吉野のほうから、背中に手を回してきた。 俺にしがみつくような恰好。 「吉野…?」 「…すぴー。」 一瞬起きているのかと思ったが、そんなはずもなく 寝ぼけての行動だと理解する。 「起きてる時にそれくらい積極的だと嬉しいんだがな。」 1人ごちて、その俺より少し高い体温を味わう。 とくん…とくん… 吉野の規則的な鼓動が体を通して伝わってくる。 今、吉野がここに生きている証。 その音ほど俺を穏やかにする音は存在しない。 愛する者が今ここにいる奇跡。 それを俺は世界中の誰よりも感謝しているつもりだ。 柳瀬が俺の想いを吉野に告げたと勘違いし、 一方的に距離を取ろうとしたあの夏。 あの時、吉野が手を伸ばしてくれなかったら 俺は一体どうなっていたんだろう。 今まで、吉野への想いをひた隠しにして 冷静に生きてこられたのは、 幼馴染というポジションが約束されていたから。 この想いさえバレなければ、 例え吉野が俺を好きになることはなくても ずっとそばにいられると思っていたから。 でも、その幼馴染というポジション、 そして担当編集というポジション。 吉野に関わる全ての立ち位置を無くした俺が 一体どうなってしまうのか、自分でもわからなかった。 絶望。虚無。孤独。 そして決して消えることのない吉野への想い。 一生解放されることのない暗い檻を纏い 俺は歩き続けることができただろうか? 多分…それは無理だ。 愛しくて、会いたくて。 気が狂ってしまうかもしれない。 狂気に満ちた自分が何をしでかすかわからない。 あの日のように吉野を傷つけるかもしれない。 そうなるくらいなら…いっそ消えることを願うだろう。 吉野の幸せのためなら、自分の命なんていらないのだから。 「っ…ぅ…」 不意に腕の中の吉野が呻く。 無意識に力を強めてしまったのかと慌ててその体を離す。 触れ合っていた場所が急激に冷えた。 しかし、体を開放しても吉野はうなされたように 身悶えて、苦しそうな顔をする。 さっきまでの幸せそうな顔はすっかり消えていた。 悪夢でも見ているのだろうか。 起こすべきか迷っていたがあまりにも苦しそうな様子に 俺は力を入れて吉野の細い肩を揺さぶる。 「吉野っ、おい吉野!」 「っ……はぁ…はぁ…」 俺の声に覚醒した吉野は目を見開いて荒い呼吸を繰り返す。 「大丈夫か?ずいぶんうなされてたぞ。」 「ト、リ…」 尋ねる俺の顔を凝視して… 吉野はいきなり俺を押し倒しそうな勢いで飛びついてきた。 「吉野!?」 どうにか後ろに倒れこむのは免れたが、 尋常じゃないその様子に俺は狼狽える。 しかしもっと狼狽えているのは吉野のほうだった。 「夢…夢だったんだ…」 「夢?やっぱり何か悪い夢でも見たのか?」 とりあえず吉野が落ち着くように背中を撫でる。 悪夢のせいなのか、その背中は汗でしっとりと濡れていた。 「トリが…掴めないんだ…」 「俺が?」 まだ混乱しているのか、 きつく俺にしがみついたまま吉野が話し始める。 「お前が…俺を好きっていった日。あの河原…」 「!」 「お前が俺から離れようとして、手…掴んだはずなのに 夢の中じゃ何度手を伸ばしても掴めなくてっ…」 しがみつく腕の力が強くなる。 俺の存在を確かめるように何度も何度も。 「離れんなって叫んでも…お前どんどん遠くに行って… 暗闇の中に…消えてった。」 「吉野…」 こんなことがあるんだろうか。 俺があの日、吉野が手を伸ばさなかったらと考え、 吉野はあの日、俺の手を掴めなかった夢を見た。 「トリ…ここにいるよな?」 子供のような不安げな声。 「今、これも夢で…起きて…トリがいなかったら… 俺、俺…どうしたらいい!?」 「吉野、大丈夫。夢じゃない。俺はここにいるから。」 強張る体を抱きしめて、自分の存在を伝える。 吉野に対して効果があるかどうかわからないけれど その頭を自分の左胸に押し付けて、どくりどくりと動く心音を聞かせる。 吉野はただ黙ってそれを聴いている。 そしてしばらくそのままでいると小さな寝息が聞こえてきた。 「吉野…寝たのか?」 その問いにも返事はなく、眠ってしまったことが確定した。 いつのまにか自分も肩に力が入っていたようで、 おおきく息を吐いて緊張を解す。 ひとまずベッドに寝かせようと、吉野の体を倒すが その腕がしっかりと俺に巻き付いて離れなかった。 「仕方ないな…」 結局、吉野を抱え込んだまま再び横になり、 心配と思考で披露した俺も、そのまま眠りに落ちていった。 「ぎゃあああああ!!!」 朝の光がカーテンの隙間から差し込むのとほぼ同時。 俺の腕の中にいた吉野の絶叫で最悪の目覚めを迎える。 「うるさい…」 「う、うるさいじゃねえよ!何お前俺抱えて寝てんだ! 誰がそんなことしていいって言った!」 「お前が抱きついて離れなかったんだろうが。」 大音量でわめきたてる吉野に頭を抱えながら イラッとして答える。 「はぁ!?俺から抱きつくわけないだろ! 大体お前がむちゃくちゃするから俺は今の今まで ぐっすり眠ってたんだ!だとしたら起きてたお前が 俺を抱え込んだに違いない!」 「…は?」 今の言葉にひっかかりを覚えて俺は吉野を凝視する。 「な、なんだよ!」 「お前…まさか昨夜の事覚えてないのか?」 「昨夜?何の話だよ。」 「夢でうなされたって…」 「なにそれ?」 俺は思わず唖然とする。あれだけパニック起こして まったく覚えてないのかこいつは。 「トリが夢でも見たんじゃねぇの?」 そう言われてしまえばそうなのかもしれない。 吉野の態度を見ているとそう思ってしまう。 元来、俺に吉野の嘘など通用しないから 今は本気で言っているのだとわかる。 「夢…だったのか?」 しかし、ではなぜ吉野は自分の腕の中にいたのか。 そこまで考えて背中に走る小さな痛みに気づく。 昨夜、眠る前まではなかったものがそこにある。 何度か覚えのある痛みに、俺はやはり 昨夜のことが夢ではないことを確信した。 「じゃあ吉野。この爪痕をつけたのは誰だ?」 そういって俺は吉野に背中を向ける。 瞬間、吉野が息をのむ音が聞こえてきた。 「なっ…」 「お前がおれにしがみついたときに爪立てたんだろ。」 「そ、そんな…」 「まぁあの状態では無理もないが。」 そうつぶやいた俺に、吉野が慌てて回り込んでくる。 「あ、あの状態ってどんなだよ!」 「…俺の口から言わせるつもりか?」 「!?」 あえて、含みを持たせた言い方をしてやる。 すると途端にその顔は真っ青になる。 「お、俺どうなってたんだ!? 全然思い出せねー!!!」 頭を抱えて叫んでいる吉野にばれないように小さく笑う。 覚えていないのは正直ショックだが、 あんな風に取り乱す吉野はあまり見たくない。 それに、不安になっているのは俺だけじゃないんだと お前の夢が教えてくれたから。 夢は深層心理の現れ。 お前が俺と離れたくないって思ってくれてると 俺は思っていいんだよな。 「なぁトリぃ…」 「さて、朝食の支度でもするか。」 「無視すんな!」 憤慨する吉野に背を向けて寝室を後にする。 その後、そのことを内緒にしていたため、 考え込んだ吉野は38度の知恵熱を出してぶっ倒れ 次に控えていた仕事が遅れて自分が頭を抱えることになるとは 今の俺は知る由もなかった。 *END* 110909 脱稿 【後書き】 ネガトリチアなお話でした。 以心伝心で、トリが不安になっていたのが 眠ってる千秋にも伝わって夢に見ちゃったっていうね。 無意識に不安を共有して、そして互いにその不安を 埋めあえばいいよ!トリチアめ!← トリの背中の爪痕とか想像するとちょっとエロいな(黙れ [戻る] |