▼ 刀剣05
パッと目が覚めた瞬間、気を失うちょっと前までの出来事がまるで走馬灯のように脳裏を駆け抜けていった。布団に入った記憶がない。勢いよく起き上がる。土に汚れた制服を着ている。髪の毛はぼさぼさだ。うっすらと、どうやってこうなったのか思い出した。やってきた敵をなんとか退いて、これからどうすればいいんだと一瞬思ったことだけは覚えている。あの後自分は倒れたのだろう。
そうだ、本丸の中に時間遡行軍がやってきて、おじさんが力を枯渇させて、わたしが急いで審神者を引き継いだのだった――。
「審神者になったんだった!」
立ちあがろうとすると自分が想像以上に疲弊していることに気づいた。身体がだるい、腕に力が入らない。肩こりや腰痛もあってなんだか急に歳をとったような気がする。
「主、お目覚めですか?」
部屋の外から人の声がした。朝日が障子に当たって誰かが立っているシルエットが分かる。その大きさからみても、声からしても長谷部だ。
「はい、おはようございます。」
言いながらおはようは少し違ったなと思うルイ。長谷部が入ってもよいですかと問うのでハイと答える。なんとなく遠慮してるようにゆっくりと襖が開き、長谷部は少しだけ部屋に入って正座をする。そしてしばらく動く様子がなかったので、ルイは長谷部に「どうぞ」と声をかける。それに反応して長谷部は枕元までやってきた。
「体調はいかがですか。」
「微妙ですけど大丈夫です。」
「万全になるまでお休みください。」
「……そうしたいところですけど、何があったか教えてくれませんか?この感じですと大丈夫にはなってるようです……よね。」
「はい、結界にも異常はありません。ある……先代は、こんのすけが呼んだ政府の職員が連れて行き、現在は入院中です。容体は悪くないそうです。」
「そうですか、おじさんも無事なら重畳です。」
本当によかった。悟は今までのように霊力を消費する必要がなくなったので、回復するのは容易らしい。はやくお見舞いに行きたい。
しかし今の話で一つ気になることが増えた。
「無理におじさんのことを先代って呼ばなくても。主と呼んでいいのではないですか?」
「しかし主はすでに主ですから……。」
そう言って長谷部はルイを指5本で指す。
「わたしに対して不義理かと思っているなら、そんなことはないでしょう。」
「しかし……。」
「貴方たちにとって『男士である自分の主』が誰かと言われたら、それは顕現を果たしたきっかけのおじさんでしょう。それが急に、一日二日前にやってきたポッと出の女が主になったと言われても、受け入れられるものではありません。」
長谷部は返事ができないでいる。図星なのだろう。悟への忠誠心があり、悟の意志でルイを主と見ている。悟を通してルイを主としているなら、ルイを主と呼ぶのは苦しさ半分のはず。
「殿様であろうと藩主であろうと、いずれは代替わりします。家臣は、代替わりしたからと言って先代も次代も同じように大事にするでしょう。追腹だって後々禁止になった。きっと貴方たちの方がわかっているはずです。」
一気に話して息切れがした。エネルギーが足りていないようですぐに疲れてしまう。
「わたしのことを主と呼んでくださっても大丈夫ですけど、おじさんのことも主と呼んでください。」
――やはり、一度記憶を失うのは必要な通過儀礼なのかもしれない。以前の主のことを一旦リセットして、忠誠心の行き場を一つにする、なんて。いや、そうだとしたら刀であった時の記憶もはっきりしているのは大変であろうに。いやいや、それは彼らのアイデンティティーの確立のために大切だ、失礼なことを考えてしまった。悟のことも、そういった主人たちのように大切な人の一人として覚えていてくれたら、それで十分だ。
「難しい問題ですね。……いや、難しくはないはずです、わたしはしっかり責務を果たして、長谷部…………さん……たちに助けてもらう。」
「主……。」
「みんなでおじさんのお見舞い予定を組んでおいてください。面会できるようになったら会いに行きましょう。」
「主命、とあらば。」
「ええ、命令です。」
「ではそのように。」
「ありがとうございます。わたしはもう少し休みます……。」
「お食事は?」
「お腹は空いているけど、食べる元気がないので次起きた時に食べます。起きたらコンちゃんにお願いするので、長谷部……さんは下がっていて大丈夫ですよ。」
「……はい。」
彼はまだ言いたいことがあるようだったが、ルイが下がってよいと言うのを命令と取ったらしく下がっていった。
長谷部が廊下を歩いて去っていく音がする。ルイは再び仰向けになって天井を見る。一日ちょっとおじさんを見ていたぐらいではこれから何をすればいいかなど分からない。ただし幸いにも自分よりずっと物事を分かっている刀たちがいる。彼らもルイを主と呼ぶであろうが、ルイからすれば神であり先輩でもある彼らの方がずっと主だ。
「コンちゃんいますか?」
宙に向かって呼びかける。しばらくして廊下の方からトットッと軽やかな足音が聞こえてきた。こんのすけは器用に前脚を使って襖を開けた。
「お呼びですか?お加減はいかがですか?」
「まだちょっとだるいです。もう一度眠りますけど、起きたら男士たちの手入れの仕方を教えてください。」
「分かりました。ではそれと一緒に端末の使い方と日課と月課と出陣の方法と他所との演練についてと遠征と本丸の防備と――。」
ルイはごめんと言いながら布団をかぶった。
遠くから「主」と呼ばれたのに気付いて目が覚めた。とりあえずハイと返事をする。俺だよ俺、と詐欺のような返事がくる。その間に目が醒めてきて上体を起こす。さっきより身体が軽い。
「俺だよ、加州清光。あと燭台切。」
「鍵は開いてます……。」
「主寝ぼけてる?襖に鍵はないでしょ。」
「ウウン……。」
部屋が暗いので電気をつけなければ。ベッド脇の壁にあるスイッチを探る――いやベッドではないし壁スイッチは近くにないんだった。それにドアではなくて襖だし。
清光が襖を開けたので廊下の明かりが入ってくる。眩しくなって目を細めて顔を上げる。清光と燭台切が顔を覗かせていた。
「晩ご飯の時間だから呼びにきたんだけど、食べられるかな?」
燭台切が問うた。
「いけます、いただきます。」
「あっちまでいける?」
「はい。」
「じゃあ広間で待ってるからね。加州君は主をお願い。」
「わかった。――てことだから、はやく着替えなよ。」
「はい。」
清光に「お手伝い」と呼ばれないのはなんとなく変な感じだ。清光は顔を引っ込めて襖を閉じた。ルイは布団から出て部屋の電気をつけ、今と同じ白い制服に着替える(同じものが何着もある)。審神者になったのだから、和装の方がいいのかもしれない。あとで袴を調達しよう。
着替えながら体調は良さそうだなと自分の身体に確認する。まだ本調子ではないけれど普段の生活は平気そうだ。
着替えて廊下に出る。清光が「大丈夫そうだね」というので他人から見てもルイは大丈夫そうなようだ。
広間に入る直前、急に緊張がやってきた。この先に、多分、この本丸の刀剣男士が全員いる。総勢17振。みんながこっちを向くと思うと卒倒してしまいそうになる。皆に説明のないまま代替わりして、急に主になった。清光のように望んでいてくれた男士もいれば、長谷部のように複雑に思う男士もいるだろう。緊張はするがちゃんと説明と挨拶をしなければ……。
という緊張もつゆ知らず。清光は襖を開けて「連れてきたよ」なんて言っている。開ける前から賑やかだった広間が一層沸いた。小さい子たちが駆け寄ってくる。
「主君!ご無事ですか!」
「大将ー心配したよ!」
「主ー!」
秋田、信濃、太鼓鐘そして小夜だ。彼らがワッと集まってくる後ろで、大人(と言ってよいのだろうか)たちが温かい目で見てくれている。受け入れられているのが分かる。上座近くにいる長谷部も先ほどよりすっきりした顔をしているように見える。
皆まだ食事に手をつけていなかったらしい。
「ほらほら、主もお腹空いてるんだから通してあげな。」
清光がそう言って短刀たちの前で手を振る。短刀たちは聞き分け良く「はーい」ち返事をして席に戻った。
悟のための上座――お誕生日席は空いている。そこはルイが座るべき場所というように、その左右は埋まっている。片方は燭台切、もう片方は今さっき座った清光。それぞれの隣には同田貫と小夜。顕現順だろうか。いや、同田貫の隣には長谷部がいるので少し違うか。
悟の席に座ってよいのだろうか。審神者なら座るべき場所、しかし審神者云々を抜いてもそこは悟のいるべき場所。座ってよいのだろうか……。
「ご飯よそうね。」
もたついていると燭台切が悟の席のご飯茶碗にご飯をよそい始めてしまった。席が確定してしまった。他に席が空いているわけでもないが。ルイは諦めて悟の席につく。使い古されヨタヨタになった座布団に正座する。
ルイの茶碗にご飯がよそわれると、男士たちも自分の茶碗をもって燭台切前に並んだ。そっと覗き見ると、料理からは熱々の湯気が立っているのが分かった。長く待たせていたわけではないようだ。ルイを起こしにいくタイミングで夕飯の支度を始めたのだろう。
ご飯をよそってもらった男士たちは席に戻って周りの人と話し始めたり、ルイの方を覗き見たりしている。ルイはまだ居辛い感じがして、燭台切の配膳に目をやった。
そこまで時間はかからずにご飯が行き渡り、さて夕飯が始まる。皆静かに「いただきます」待っている。そうだった、食事のあいさつは悟から始めていた。
「それじゃあ、改めて。悟おじさんの後を継いで審神者になりました。急にではありますが、今日からまたよろしくお願いします。」
緊張しても言葉が出てくるから自分を褒めてあげたい。ルイは簡潔に挨拶をして頭を下げた。刀剣男士たちからも「よろしくお願いします」「よろしく頼む」などと礼儀正しい合唱が返ってくる。その前後に主とか主殿とか、大将とか、あるじとか、小鳥とかさまざま呼称が付いてきた。
小鳥ってなんだ?
「温かいお夕飯の準備をありがとうございます。いただきます。」
いただきますも大合唱。そして食事が始まる。箸や茶碗が鳴り、楽しい談笑が絶えない。
今日の夕飯は鮭のボイル焼きがメインだ。嬉しくなって眺めていると燭台切が「時間がなかったから材料を切って詰めただけだよ」なんて照れ笑いで言ってくる。手抜きで恥ずかしいと言いたいのかもしれないが、充分手の込んだ料理だ。
「海のそばで働いていたから魚は大好きなんです。」
「よかった。」
「主って好きな食べ物何?」
反対側から清光が問う。
「だいたい何でも好きですよ。ただ、魚が出てきたら特に嬉しいです。」
「甘いものは?」
「大好きです。」
「よかったあーじゃあ今度あんみつ食べに行こうよ。万屋の近くにあるんだ、美味しいところ。」
「行きましょう。」
「こら、夕飯どきだよ。」
燭台切に諌められた清光がつまらなそうにはぁいと返事をしていた。