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▼ 刀剣02


 ルイはさすがのわたしでも気付いてしまう、と考える。
 彼女は悟たちと柿を食べながらひとり逡巡していた。

 悟は間違いなく、ルイを「跡取り」にするつもりなのだろう。つまり、そう、彼はルイを次代の審神者にしようとしている、と思う。自分の天寿を知り、刀たちとこの本丸をどうするかと考えた時、政府からルイの存在を聞いたに違いない。
 米内先生に認められて、横須賀の「特別な鎮守府」で勤められることになったルイには、付喪神と交流をする才能がある。しかも悟と血の繋がりがある彼女は、審神者としての素質ある――のだろうか、悟の見立てでは。
 しかしルイは提督でもなければ、むしろ戦場に背を向けた臆病者。叔父の期待通りには行かないはずだ。

「ルイ、どうかのう。」

 柿の刺さった爪楊枝を手に、悟が笑う。よく熟して甘い柿だ。ルイは名前を呼ばれてやっと意識が戻った。その途端、口の中に入れていた柿がやっと甘い味を覚えさせてくれて、口の中や耳の下あたりがじわっと震えた。

「美味しい。すごいね、こんなに美味しい柿って食べたことない。」
「そうかそうか。」

 悟は目を細くして、皺を増やしながら笑った。

「僕たちでお世話してるんですよ。」

 秋田が信濃と小夜と顔を合わせて「ねー」と言いながら笑っている。曰く、僕たちと「いちにい」と「蜻蛉切さん」が作っている、とのこと。
 刀の付喪神たちは、神という割に人間くさい。艦娘たちもそうだったが、こちらはより一層人間としての生活を謳歌しているようだ。艦娘たちが住んでいたのは寮のようなもだったが、こちらはそれこそ家、だ。

「顕現したばかりの小夜が、買ってきた柿を大層喜んだもんじゃったから。」
「……うん。」

 悟が懐かしそうに言い、小夜が小さく頷く。

「それで木の苗を買ってきて埋めて。5年前からか……食べられる実をつけ始めたんじゃ。」
「とっても美味しい。」
「ルイにも、すぐに食べさせられてよかったよ。」
「ありがとうおじさん。とっても美味しい。」

 にっこりと笑う悟に、ルイはなんとなく胸が痛む。悟が病んでいるルイを心配しているのは確かなのだと思うが、そこには彼の思惑もある。はず。本心はルイを跡取りにできるかどうかの心配なのかもしれない。ルイはそう思うと、素直に喜べなくて、それが申し訳なかった。

 柿を食べていると、俄かに外が賑やかになった。外の気配を聞きつけるなり、秋田と信濃は「いちにいが帰ってきた!」と言って駆け出して行った。

「遠征のメンバーが帰ってきたみたいだね。」
「遠征ですか?」

 問いかけるルイに対して、清光が遠征について説明してくれた。簡単に言えば、偵察とちょっとした戦闘のことらしい。説明してもらっている最中、悟は柿の残りにラップをかけ、脚が悪いなりにいそいそと台所を出ていった。燭台切がその後を追っている。

「お手伝いも行こう、遠征の6振でうちの全員だよ。」
「遠征帰りで疲れているんじゃありませんか?」
「大丈夫大丈夫、あいつらそんなヤワじゃない。」
「清光がそう言うのなら。」

 石塔が対になって立つ門前に、6人の刀剣男士がいた。皆清々しい顔をしており、遠征の疲れを見せていない。これで24時間の任務に当たっていたと言うのだから、彼らの練度は相当のものなのだと思う。

「主!」

 全体的に紫色をした刀が悟に飛びつくようにして前に出る。

「長谷部、おかえり。どうじゃった。」

 長谷部と呼ばれた紫の男士は、悟の前で片膝をついている。どうだったかと聞かれると、今回の偵察の成果や遭遇した敵、見つけたもの、所感などを捲し立て始める。するとその横から、銀色の男士が出てきて「まずは小鳥が休める場所に行ってからにしよう」とやんわりと言う。他の4振は各々、鮭や酒やなにか農作物のようなものを持っていて、あれが『成果』なのだろうか、と、ルイは思った。
 いちにい、と呼ばれた水色の髪の男士は、秋田と信濃が両手をとり、3人仲良く中へ入って行く。お酒を持った大柄の男士2人もそれに続く。本人は小さいが背負った刀がとても大きい男士は、小夜から柿の話を聞いて一目散に台所へ向かっていた。

「あれが最近のうちの遠征部隊。」
「なんだか強そうな刀がたくさんです。」
「そ、みんな強いんだよ。もちろん俺も負けてないけど。」
「清光も遠征に行くんですか?」
「前は結構行ってたけど、今は主のそばにいたいからさー。」
「そうでしたか。」

 清光は一通り話したあと、チラリとルイを見た。

「俺、主のこと忘れたくないんだよね。」
「……は、はい。」

 それは多大なる含みの込められた言葉だった。ルイには清光の真意がわからなかった。




 やってきたのは、朝食を食べた広間だった。座卓は取り払われ、この本丸にいる刀剣男士の人数分の座布団が敷かれている。上座には椅子に座った悟。座布団についているのは遠征から帰ってきた6振りと清光、燭台切、同田貫の合計9振だけだ。全員に声がかけられたのではないようで、近くにいた男士が集まっている、という感じだ。ルイは悟の横、下手側に座らせられた。
 長谷部と呼ばれた刀が巻物を広げ、改めて戦果を述べる。悟はそれを聞いてウンウンと頷き、6振に労いの言葉をかけた。続けて、明日からの遠征の計画を説明。聞いていると、遠征のスパンはかなり短いことが分かった。1日遠征に出かけて、翌日か翌々日には次の遠征に行く。休んでいる暇はほとんどないように思えた。
 
「して、前に言っとった儂の姪がきたからの、紹介しよう。ほれ、ルイ。」

 話半分にぼんやりしかけたところで話を振られたルイは、慌てて背筋を正した。一度手をついて礼をしてから名乗る。

「線引ルイと言います。よろしくお願いします。」

 よろしく、と口々に返事があった。

「こっちは一期一振、太郎太刀、蛍丸、山鳥毛、次郎太刀、へし切り長谷部じゃ。お前たち、ルイは当分ここで暮らすから、色々面倒を見てあげなさい。あぁ、ルイも、お互いにの。」

 悟はほとんど一息に6振を紹介した。名前を呼ばれた男士は頭を下げるなりの反応をしていたので、誰が誰だかその時は分かったが、多分この会合が終わった後には――うん、曖昧になっていそうだ。秋田と信濃が言う「いちにい」なる男士が、明るい水色の頭髪をした一期一振なのはしっかり分かった。

 会合を終えると悟は、遠征組の手入れをしよう、と言って去っていった。遠征に行っていた6振と、近侍の燭台切、主人について行きたい清光が連なって去っていく。
 部屋に残された同田貫が座布団を片づけ始めたので、ルイはそれを手伝うことにした。17振ぶんの使い込まれた座布団だ。青地に銀色の糸で装飾がある、高そうなもの。高そうだが少しくったりしている。どれが誰の物という区別はなさそうである。同田貫はそれをぎゅむと掴み、部屋の隅に重ねていく。

「同田貫正国さん。」

 同田貫正国は少し近寄りがたい雰囲気を感じつつも、今後もお世話になることを考えると、物怖じせず声をかけた方がよさそうな相手だ。第一印象が大事、というやつだ。

「なんだ?……の前に、長えよ、同田貫でいい。」
「同田貫。」
「おう、なんだ。」
「遠征って、結構頻繁にやるんですか?」

 それに、2人で作業をするのに会話がないのもつまらない。ルイは同田貫正国――同田貫に先程の会合での話を持ちかけてみる。

「ああ。まあな。前はそうでもなかったけど、今は結界が弱まってるからよ。」
「結界が弱まってる?」
「ん。見てわかるだろ、主の力がだんだん弱まってるから、結界が揺らいでんだ。だから出陣より遠征を増やして、本丸に危険がないか見回ってる。遠征つっても、近所や隣り合った時代を歩いて回ることも多い。」
「……おじさんの力が。」

 たしかに、本丸を守る何かがあって、それがここを守っている感覚はある。ここに来た時、その結界を超えた時にそんなことを思った。ルイは素人だから、それが結界だったかどうかはあやふやだ。

「お前、ここに来たってことはそれなりに力があるんだろ。助けてやってくれ。つーか、そのために来たんじゃないのかよ?」
「やっぱり、そういうことだったんでしょうか。」

 同田貫はルイが療養ではなく、悟の補助として来たと思っているらしい。いや、悟から聞いていたのかもしれない。そうなると、ルイの疑問は少しばかり確証に近くなる。悟は、自分の力の弱まりを察して、後継としてルイを呼んだのだ――。
 そんなルイの心中などつゆ知らず、同田貫は座布団を片づけ終えて、部屋を箒で掃き始めた。開け放たれた縁側から外にチリを追い出している。庭でのんびり地面をつついていた雀が、「人」の気配を察知して、散り散りに逃げて行った。

「そういうこと?」
「わたしを助手……のようなものとして呼んだのだなあと。」
「そうでもなきゃ、外から呼んだ人間を長居させたりしねえよ。」
「わたしは家族ですし、療養という目的で呼ばれた……と思っていました。」
「家族でもフツーは泊まらせたりしねえ。どこの本丸でもそうだ。『神』に近すぎると普通の人間は参っちまう。だれかヒトを住まわせるとしたら、そいつは将来審神者になる人間だ。」

 至極当然そうに言う同田貫を見て、ルイは自分の考えが正しい方にあると感じる。やはり悟は、自分を跡取りにしようとしている――。

「でも、おじさんはそんな話……。」
「それこそ、お前に療養の必要があったから話せなかったんだろ。お前は自分でも分かってないかもしれないが、それなりに霊力がある。船の奴らに関わることができる、しかも主の血縁者だから最適だ。ただしお前自身がなろうとするか、気持ちの問題は別。」
「休ませながら、審神者の仕事を覚えさせていく……。」
「働かざるもの食うべからず、だろ。俺たちは戦う、お前はヒトとして俺たちのことを勉強する。」

 同田貫の話しぶりからして、彼も本当のことは知らないようだ。ただ、この世界での慣習や彼の考えを聞くと、同田貫の予想もルイの想像も間違いではないように思う。
 となると次に心配なのは、実際に、悟に審神者業を引き継いでほしい、と言われたらどうするべきかというところだ。最善策はルイが悟の仕事を継ぐことで間違いない。ルイにはその才能があると思われている、なら継いで問題はない。問題はただ一つ、ルイが「なる」と言えるかどうかだ。

「わたしは……成れると思いますか?」
「知るか、ンなこと。俺に、来て一日のお前の何が分かるって。」
「……そうですよね。」

 それもそうである。
 ルイは悟に審神者を継いでくれと言われる場面を想像してみた。真剣な悟の顔は、直ぐに頭に浮かんだ。少しだけ考えて見るが、想像でも分かりましたと言い切れない。

 だってルイは船を沈めた。
 大切な仲間を戦果のためにとみすみす見殺しにしたのだから。しかも、提督でもなんでもない、ただの秘書だったのに。

 ルイが押し黙ったのを見た同田貫だったが、特別声をかけることはしなかった。面倒な空気を察知したのだろう。ルイにはそれがありがたかった。同田貫はチリを全て庭に落とし切ると、縁側に座って大きく伸びをした。彼は両手を後ろについて、青空を見上げている。

「どうして隠さず考えを言ってくれたんですか?」
「隠したってどうにもならないだろ。言ったところでお前を不安にさせるだけだったけどな。」
「同田貫の考え通りではない事を……その、祈ります。」
「まあ、ただの予想だ。間違いねえとは思うが。」
「それ、追い討ちって言うんですよ。」
「刀だからなあ。」

 不安が募る一方、早いうちに覚悟が出来るのは良かったとも思う。跡を継いでくれ、と言われた時にどうしようか、時間をかけて考えていきたい。任せてください、と返事が出来るように。







 鍛錬に行くと言って道場に向かった同田貫と別れて、ルイは悟の部屋に向かった。悟はもしかしたら、まだ手入れの作業をしているかもしれない。しかしルイは手入れをする部屋の場所を覚えていない。なので、悟の部屋に戻って、午前中の作業の続きをすることにした。
 悟の部屋に戻ると一番に、仕分け前の書類の山が大きくなっていることに気付いた。わずかな違いだったら違和感なく仕事に戻れたろうが、明らかに量が増えている。洋風の薄くて白い紙の封書ではなく、和紙のもの。午後の郵便が届いたのだろう。ルイは座布団の上に正座して、再び書簡や書類に目を落とした。

 集中したくても集中できない。ルイの頭の中は自分の将来のことでいっぱいだ。

「おじさんから直接聞いたわけでもないこと、あれこれ考えるのも不毛なんだよねえ……。」

 不安なら訊けばいい。そして白黒はっきりさせれば軽くなれるのに。それが出来ないのは答えを聞いた時に自分がどう反応するか自分でも予想できないからだ。
「後継にしようとしている」とはっきり言われた時、もし少しでも躊躇う様子を見せたら、悟おじさんはどう思うだろうか。がっかりするだろうか、見放すだろうか。そんな反応をされるのが怖くて訊けないのもある。

 はー……と、何度目になるか分からないため息をついていると、どこからか鈴の音が聞こえてきた。ジャラジャラと大量の鈴がぶつかっているような音だ。神社なんかで聞くような音の気がする。
 それに釣られるように、廊下がドタドタと騒がしくなる。男士たちが鈴の鳴る方に走っていっているのだ。あれは呼び出し用の音なのだろう。ルイも一旦手を止めてそちらに向かうことにした。


 縁側に燭台切とへし切り長谷部、そして悟が立っている。前庭にはこの本丸にいる男士たちが一通り揃っていて(総数がまだ把握できていないが、多分一通りだろう)、悟の方を見上げている。
 ルイが縁側を伝ってやってくると、悟はルイに燭台切の隣にいるようジェスチャーをしてみせた。

「政府さんからお達しじゃ。突然時間遡行軍が現れたようだから遠征して偵察して来いとな。」
「主の遠征、政府からの指示の分は免除されてたんじゃないの?」

 巻物を見ながら言う悟に、燭台切が問う。

「他の本丸も手一杯らしくての。今回は申し訳ないとあちらさんも謝っとった。」

 悟は遠征に行く男士の名を呼ぶ。隊長に小夜左文字、続いて山伏国広、三日月宗近、同田貫正国、蜻蛉切そして信濃藤四郎。呼ばれた男士たちは誇らしそうに返事をして前に出た。特に同田貫は待ってましたと言わんばかりに、叫び声にも似たような返事だった。

 ああ、あんなに小さくても戦う子らなのだ。
 ルイは改めて現実を思い知らされた。一番小さな小夜左文字が隊長なんて重荷を背負っている。小さな信濃だってそうだ。
 彼らに「彼女たち」の影が重なって見えた。ルイは慌てて目を擦り、幻影であってくれと祈りながら目を上げる。当然、そこにいるのは彼女たちなどではない。

「偵察とのことじゃが、そこまで力のある遡行軍ではないとも聞いている。無理のない範囲で撃退も頼んだ。小夜たちなら明日の朝には帰ってこられるじゃろ。無理はせずにな。お守りは持ったかの。」
「もちろん。」

 小夜が返事をして、首からかけられたお守りを見せる。他の5人も同じようにお守りを首からかけていた。お揃いのお守りだ、悟からの贈り物なのだろう。
 そして6振は「いってきます」と挨拶をし、前庭から外に出る鳥居をくぐる。鳥居をくぐるときに、静かな水面へ手をつけた時のような波紋が広がっていた。鳥居の向こうに6振の姿はなく、もう「別の世界」に行ったのだと分かる。
 残された男士たちは各々手を振ったり激励の言葉をかけていたりした。特に弟の出立を見届ける一期一振は、同じ藤四郎である秋田の手を握って、最後まで信濃に達者でと声をかけていた。他のメンバーを見る限り、危険な遠征ではないのだろうと思うが、多分一期一振は毎回こうなのだろう。

 出発を見届けて、男士たちは各々の仕事に戻っていく。最後に悟と燭台切、へし切り長谷部が残った。悟はルイを見ている。何か用事があるのか、と、ルイは悟に近寄った。

「もう察してはいると思うが。」

 悟がそのように言うものだから、ルイは思わず身構える。聞きたかったけど聞きたくなかったことが口にされる、そんな気配があった。
 燭台切はいつも通りうっすらと笑みをたたえた口元をしているが本心はわからない、へし切り長谷部は少しだけ顔が青いような気がした。

「わしはもう長くない。だからルイにここを継いで貰いたいと思っておる。」
「……なんとなくだけど、そうだと思ってたよ。」

 思っていたより決断の時は早かったようだ。
 悟は縁側に座って、ルイにも隣に座るよう、床を叩いて促す。ルイはそれに釣られて隣に座る。燭台切はその隣にあぐらをかいたが、へし切長谷部は悟の隣に立ったままだ。

「わしら人間には命に限りがある。近いうち、わしにはその限りが来る。ここまで生きれば分かる。しかしそうしたらこの本丸をどうするか……考えた時に、時の政府から君の噂を聞いたよ。」

 悟は薄いタブレット端末を取り出して操作をする。そうして画面に映されたのは、ルイの「履歴書」であった。

「それ……。」

 それにはルイが横須賀鎮守府で働いていたことが記されている。ルイ自身が書いた履歴書ではなく、時の政府とやらで用意されたもののようだ。

××××年4月1日 日本国海軍入隊
××××年4月1日 横須賀鎮守府着任
        米内××提督付補佐
××××年×月×日 退任

筋力 A
体力 A+
精神力 C
俊敏性 B
知力 A
知識 B
霊力 A+

……
…………

「全時間軸を通して審神者は5人、本丸は5ヶ所と決まっておる。審神者の誰かに不幸があれば、後継者を選ばねばならん。その辺りは時の政府が探しておる。霊力があり、刀に精通しており、ほかいくつか条件が揃った時、最も力のある年齢の時のその者を勧誘しに行く。」
「それで今回選ばれたのが『いまこの時』のわたしだった?霊力は……あるのかもしれないけど、わたしは刀なんて、海軍で使っていたサーベルくらいしかわからない。」
「もう一つ条件がある。現役の審神者の血縁者であれば尚良い……というの。」
「血縁者であれば?」
「以前別の本丸で、審神者が病に倒れて退役しなければならなくなった時、後任にその審神者の息子が選ばれた。長く続く刀工の家系だったんじゃ。刀剣男士は契約していた審神者がいなくなれば、霊力の『ぱす』が切れて自然と刀解される。そうして、記憶を無くして新たな刀としてどこかの本丸に顕現する。しかしその本丸では……不思議なことに刀解は起こらなかった。」

 悟の言葉を一言一句聞き逃さないように耳と脳をフル活用させる。ルイは言葉に集中するあまり、視界がぼやけてきていた。

「審神者の任を解かれるのと、刀解が起こるのは同時じゃ。死ぬ瞬間ではなく、政府から正式に任が解かれる時。『契約が切れた』と言えば分かりやすかろう。しかし、親子二代の審神者の間ではそれが起きなかった。……政府はこれを『血の契約』とした。つまり、審神者と刀剣男士の契約は、血に刻まれているのだと。だからほとんど同じ血が流れる親子間での引き継ぎでは、刀解が起きなかった。そうされた。」
「だからわたしを後任として、この本丸と男士たちを継続させたい。」
「そうじゃ、まったくもってその通り。」

 清光が言っていた言葉が脳裏をよぎる。

 ――俺、主のこと忘れたくないんだよね。

 こういうことだったのか。刀解されて、悟おじさんを忘れたくなどない……だからルイが引き継いで欲しい。含みのある言い方のその本意がよく分かった。付喪神たちと言えど悟と共に戦い生きてきた、その記憶を失いたくないのだ。

「今回のようなわしとルイの関係……叔父と姪で『血の契約』が繋がっているかどうかは分からん。政府も実験したいのじゃろう。刀解がなければ代替わりはずっと楽になる。わしの不調を知った政府は、頑張って跡取りを探したそうな。……こうして審神者になった時点で子孫がいるなど中々ない。以前の親子刀工が稀有だったのじゃ。」
「実験かあ……まあ、そうだよね、不確かなことだもんな。でももしうまく行かなかったら?彼らが刀解されて、また一からやるとしたら……わたしには何の力もない。」
「うまくいくと思っておる。」
「なにか理由があるの?」

 政府が実験と言うならば、うまくいく確証はないのだと思う。あったって100%ではない、なぜなら初の試みだから。だが悟はうまくいくと思っている。ルイにはそれが謎だった。
 悟はへし切長谷部を見て頷いた。へし切長谷部は未だに顔が青かったが、なにかを肯定するようにウンと頷いた。

「長谷部が、おまえさんからはわしと同じ気配を感じると言っておった。」
「同じ気配がするから、大丈夫?」
「まぁ彼も勘のようなものじゃろうが、一目見た時にルイ、おまえさんなら大丈夫だと思ったそうな。」
「そうなんですか?」

 ルイはへし切長谷部に問う。へし切長谷部は再びウンと頷いた。

「顔色悪いですけど大丈夫ですか。」

 へし切長谷部は頷く。
 ルイは不安になって燭台切を見た。

「彼は主が旅立つ日が来るのを恐れているだけだよ、彼は主が大好きだからね。もちろん僕も。」
「…………うう。」

 そりゃあそうだ。大事な主が死んだ後の話をされて平常心でいられない気持ちはとてもわかる。思わずルイは唸った。

「それとあと、新しい主にどう接すればいいか考えあぐねてる、ってところかな。」
「まだ引き継ぐなんて言ってませんよ。」

 ルイは言って後悔した。悟や男士たちの前で言うべき言葉でなかった。建前でも、引き継ぐ気があるよう振る舞うべきだった――弱っている悟おじさんの心労を増やしたくなかった。ルイはハッとして悟を見た。その行動も良くなかったと直後に反省した。しかし悟は笑っていた。

「おまえさんに何があったかは分かっておる、その上で、わしが同じような仕事を頼みたくて呼んだ。いわば『えご』というもんじゃ。だが……おまえさんがここを継いでくれるなら、わしは安心して旅立つことができる。」
「……そんなこと言わないでください。」
「まあ、まあ。すぐのことではなかろう、まだまだ終活の時間はある。わしは今後もおまえさんを審神者にするつもりでおるからな。もし駄目だと思ったら、その時ははっきり言うといい。それまでは悩んでおれ。」

 また返事につまった。選択までの時間は長いかも知れない、その間に過去と向き合い、折り合いをつけることができたら……ルイは自分が審神者になることが最善だと理解している。理解しているが納得はまだできない。悟おじさんと男士たち、政府、引いては世界のために最善で、ルイにとっても船たちとの暮らしを経験して力を活かせるならば、天職ともいえよう。ただ天職だと思えるまで、まだ時間が必要なだけだ。

「わしは部屋に戻って休むが、ルイはゆっくり来るといい。書類が増えてすまんの。」

 悟はそう言ってゆっくり立ち上がると、腰を曲げてよたよたと立ち去った。その後ろ姿はなんとも言えないものだった。

 ルイは縁側に座ったまま当分動けそうになかった。隣を見ると、いくらか顔色が良くなったへし切長谷部とルイを見守っている燭台切がいた。

「へし切長谷部さん、顔色が良くなりましたね。」
「……はい、見苦しい姿をお見せして申し訳ございません。」
「いやいや、つらい時は我慢しない方がいいですよ。無理すると碌なことがありませんから。……へし切長谷部さんは悟おじさんが大事なんですね……。」
「俺のことは長谷部と呼んでいただければ。」
「長谷部さん。」
「長谷部。」
「長谷部……さん。」
「長谷部と。」
「………………長谷部。」
「はい。」
「……さん。」
「…………。」

 ルイは困って燭台切を見た。

「長谷部君は長谷部君だよ。」
「長谷部君……。」
「はい、それでも。」
「いやそれなら長谷部と呼びます。」
「ありがとうございます。」
「長谷部はわたしが審神者になっても良いと思いますか?」
「ええ、もちろん。あなたは主が選んだ方。」

 長谷部の顔色が良くなった。むしろ目が輝いている。大好きな主の話が出来て嬉しいのだろうか。しかしルイはいささか不安だ。自分が審神者になっても良いのは、今の主が選んだからと思われているなら、ルイ自身を見てはくれていないのかも知れない。このまま自分が継いで、将来悟が――旅立ってしまった時に不安だ。

「それにあなた自身、力も優しさもある方だ。主からあなたの話をうかがったとき、あなたこそ後継にふさわしいと思った。それに遠征から戻って来て他の刀剣たちに聞いたら、誰もがあなたを良い人だと言う。」

 その不安はすぐに半分ほど払拭された。まさにルイが欲しかった言葉だった。

「僕も同感だな、君は自分で思っているより良い人……適任者だと思うよ。不安に思うのはみんなそうさ。主も最初はそんな感じだった。」
「悟おじさんも?」
「選ばれて来たは良いけど、右も左も分からないし、周りの審神者が立派で気圧されてた感じかな。」
「俺が顕現した頃にはそんな影もなかったけどな。」
「だからみんな、最初はそういうものなんだよ。主から直接習う時間がある分、君はすぐ独り立ちできると思う。」
「そう……ですか……。」

 主が大好きな長谷部と、始めの頃から悟を見ている燭台切が言うなら、そうなのだろう。今はこれ以上聞くことはないかも知れない。あとは、今の話を受けて今後どう思えるようになるか、自分の心境の変化に頼るしかなかろう。






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