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▼ 刀剣01

「ルイさん、おはよう。」

 障子の向こうで男の人の声がした。朝日が差して、障子に細長い人影が出来ている。声の主は燭台切光忠……ルイが初めて会った「男士」だ。

「おはようございます。」

 ルイは返事をしながら急いで寝間着を脱ぎ、白い軍服に着替えた。前の職場の制服だが、これくらいしかかしこまった服が無い。白い布地、ボタンや縁取りは金と黒。下は膝が少し隠れるくらいのスカート。黒いタイツを履いて準備は終わり。ルイは慌てて障子を開け、廊下にいた燭台切に頭を下げる。

「主が朝食を一緒にとりたいって。」
「はい。」

 じゃあ行こうか、と、燭台切は広間に向かう。ルイは燭台切の後を追って、まだまだ道のわからない縁側を歩いた。

 前の職場は西洋風の、日本では珍しい煉瓦造りの建物だった。この本丸は全て木で出来ている。材料が煉瓦と木は真反対くらい違うため、なんとなく落ち着かない。
 燭台切は広間の前で止まり、障子を開けてルイに入るよう促した。ルイは軽く会釈をして、開けられた戸から中に入った。

「おはよう、ルイ。」
「おはようございます、悟おじさん。」

 悟おじさん。ルイの叔父・線引悟は、優しく垂れた目元と、灰色いゴワゴワした頭髪を後ろに軽く撫で付けた髪型が特徴の、80歳近い老人である。痩せてはいるが、昔はさぞ筋骨隆々だったろうと思わせられるような骨の太さと肩幅が着流しの上からでも分かる。ルイの遠い日の思い出に、たしかに見たことのある風貌の男だと思った。昨日、20年ぶりほどに見た叔父は、たしかに自分の叔父だった。

「座って座って。」

 広間の中央には、同じ形をした座卓が縦長に4つくっつけられた長い机がある。その上には質素な朝食。悟は上座に座っており、角を挟んだ左右には空いた座布団が1つずつ置かれている。その座布団の隣からは、男士たちが座っていた。所々空きが見えるのは、仕事中だからなのか、まだ寝ているからなのか。隙間があるのは席が決まっているからなのだろうか。
 ルイが部屋に入ると、男士たちは一斉にルイを見た。ルイはビビって萎縮してしまった。悟に声を掛けられて直ぐに意識を取り戻しはしたが、まだ向けられ続けている視線に怯えてしまう。
 悟は角を挟んで自分の左隣にある空いた座布団を叩き、そこにルイを呼んだ。燭台切はその向かいにある空いた座布団に自発的に正座していた。

「さ、朝食にしようかのう。」

 悟が手を合わせる。男士たちも一緒に手を合わせ、いただきますの挨拶。
 各々が自分の時間に合わせて食事をしていた鎮守府の舎宅では見られなかった光景だ。ルイの知らない、軍の食事はこうだったかもしれないが。

 食器がかちゃかちゃとぶつかる音と、賑やかに話す声がたくさん重なり合っている。横目で確認したところ、ここには11名の男士が居た。まだ小さな男の子や、髭を生やした精悍な男性や、とにかくいろんな年齢層。最年長に見える男性……前髪が長く、襟足が金色をした無精髭の男性は、多分、30代中盤くらいだろうか。

「後で順を追って紹介するが、すぐに全員覚える必要はなかろう。焦ることはない。」

 ルイが男士たちを観察しているのに気付いた悟が、こっそりとルイに耳打ちをした。

「は、はい。」

 バレていたか、と、ルイは恥ずかしくなり、頬を赤くする。向かいに座っていた燭台切は悟の言葉が聞こえていたのか、静かに笑っていた。


 食事を終えた多くの男士は、各々ご馳走さまと言うと、自分の食器を持って広間を出て行った。食事終わりはそれぞれらしい。中には食べ終わっても出て行かず、他の男士との会話に残る者もいる。ルイも美味しかったはずだが緊張で味を覚えられなかった食事を終えて、1人ご馳走さまでしたと手を合わせた。向かいの燭台切がお粗末さまでしたと返事をする。どうやら彼が作った朝食らしい。

「主もお終いにしますか?」
「すまないの。」

 悟の食器には、ご飯とおかずが少しだけ残っていた。彼は、全部食べきれなかったことを心から申し訳なく思い、深く頭を下げている。

「頑張って食べてくれているのは分かるから、気にしないで。」
「ありがとう。今日も美味かった。」
「うん。」

 燭台切はお盆に自分の分と悟の分、ルイの分の食器を載せて、広間を出て行った。

「さぁて、仕事の時間だ。書かんといけないものが溜まっておって……ルイ、手伝いを頼む。」
「はい。」
「あんまり気を張った返事をせんでくれ、もっと幼かった時のように。」

 悟は困ったように笑った。

「幼かった時……。」
「片手で足りるくらいしか会ったことはないがの、ルイ、あんたは儂の姪だ。もっとフレンドリィーにしてくれんか?」
「えーと、うん。分かった……フレンドリーに……悟おじちゃん。」
「ん。」

 他の叔父をそう呼んでいたように、おじちゃん、と呼ぶと、悟は満足そうに皺を深くして微笑み、広間を出て行った。
 ルイは少し拍子抜けする。仕事で呼ばれたから、もっと形式的に接しなければいけないのかと思っていた。審神者なんていうから、もっと堅苦しいものかと思っていた。それが、叔父は思った以上に柔和で、男士たちも家にいるかのようなくつろぎ具合だ。いや、ここは男士たちにとっては家であったか。前の職場……鎮守府は、ここと同じような働きを持っていたが、軍という物の性質上、きっちりしなければいけない場所だった。それと比べると、この平々凡々にも思える柔らかな空間は、ずっと塞ぎ込んでいたルイには、羽を伸ばすには願っても無い場所に思えた。

 悟の部屋は広間の隣にあった。広間にあったものと同じ座卓が床の間の前に置かれており、その上には大量の書類が積まれていた。悟が向かったのは、壁にくっつけられた、椅子に座って使う洋風の勉強机。キャスター付きの椅子が備え付けられていて、その椅子の下には畳を傷つけないためにか、ベニヤ板が敷かれていた。そこだけが他の場所から浮いて現代風である。悟はキャスター付きの椅子に座ると、背もたれに体重をかけて上を向いた。

「はあ、最近一気に歳を取ったような気がする。」
「つらいの?」
「何をするにも、自分が思っている3倍の体力を使う。物を書くのも、捺印も、本を読むのも。」
「それでわたしが呼ばれたのね。」
「ああ。」

 机の上には横に長い和紙と、硯のセットが置かれている。和紙にはなにかが書きかけられていたが、ルイは中身を読むのはよくない、と、目をそちらには向けないようにした。悟は筆をとり、硯の墨の上で優しく寝かせる。

「1日目で緊張しているだろうから、まずは書類の整理を頼もうかの。」

 悟は座卓を筆で指した。大量の書類、それのことを指しているらしい。

「『時の政府』『他の本丸』『そのほか』で3つに分けてほしい。」
「わかった。」

 瑠良は座卓につき、さっそく書類を一枚取ってみる。……美濃国本丸審神者・線引悟様、時の政府担当者……内容は先日『時間遡行軍』が出現した年代と場所について、そしてそれの対応にあたった審神者からの報告。次の書類も、その次の書類も同じ内容だ。文書の発行された日付を見ると、2週間にいっぺんくらいは報告書が出されていることが分かった。結構な頻度で時間遡行軍が現れているらしい。
 瑠良が居た鎮守府も、それくらいの頻度で海底から浮上するものがあった。どこも人ならざるものと戦う人々は忙しいらしい。

 書類を重ねていく。やはり政府からの通知が一番多い。時々、他の本丸からも、こんなことがありました……などという、書類というよりはお手紙のようなものがあった。その他に分類されるものは今の所無い。
 瑠良はちらりと悟を見る。彼は筆を手に持ちながら、こっくりこっくりと舟を漕いでいる。筆先の墨は既に乾いているようだ。この部屋の障子戸は下半分が透明なガラスでできていて、日光が悟の足元を照らしていた。とても暖かそうで、寝てしまうのも無理はないと思う。
 審神者だなんていうから、米内先生のように、寡黙気味で重厚な人かと思えば、この叔父はどこにでもいる老人のようで。こうしていると特別な力を持った人のようには思えなかった。

 報告書類に目を通しながら仕分けをしていると、書類の山が半分ほどになったところで、外からゴーンという低い鐘の音が響いてきた。それと同時に、部屋の障子戸の外から声がした。

「主、いる?」

 つんけんしたイメージを受ける声だった。

「あ……あぁ、清光か。おるぞ。」

 自分を呼ぶ声で悟は目を覚ました。彼はゆっくりと伸びをしながら、欠伸混じりに、入りなさい、と言う。障子戸を素早く開けて入ってきたのは、身だしなみを綺麗に整えた、一瞬女性かとも思うような男の子……だった。声のイメージの通り、彼は小さな口をヘの字にしていて、瑠良を見定めるように正座をしている膝から頭髪まで舐めるように見た。そして、フーン、と、一言だけ。彼の御眼鏡には適っていないようである。

「主、この人が?」
「ああ。儂の姪の瑠良じゃ。」
「へー……。」

 艶のある黒髪に、指先まで行き届いた美意識の男の子。対して瑠良は、浜風にさらされてぼさぼさしている髪に、周りが男性だらけだった故に適当になった化粧。男の子に嘆息されても仕方ない。自分の身だしなみについて特別心配することは今までなかったが、急に至らない点が多く見えてきたような気がして恥ずかしい。

「言われてみれば、主に似てるかも。目の形が同じじゃない?わー髪の毛ボッサボサだけどどうして?」
「前の仕事が港だったので……潮風で傷んで……。」
「あー、そういえば『船の世界』から来たんだったね。」
「です。」
「あとで本丸の案内してあげる。広いけど平たいから覚えやすいと思うよ。刀も多くないから覚えるのは難しくないし。」
「ありがとうございます!」

 朝、沢山の男士たちを見てすこしたじろいだが、思えば大勢いる艦娘たちはすぐ覚えられた。だからきっと男士たちもすぐ覚えられるはずだ。

「清光、儂に何か用だったかの。」
「鐘が鳴ったよ、お昼ご飯の準備はできてる。あと、小さいのたちが柿を採ってて、主と3時のおやつに食べたいんだって。食べられそう?」
「柿か。昼を少なめにすればみんなと食べられる。」
「わかった、ご飯少なくって燭台切に言っておく。」

 加州清光は、じゃあ先に行ってるね、と言って出て行った。
 瑠良は考える、そうか、今ここは秋なのか。実際の月日と四季が一致しない場合があるというのは「提督の部屋」と同じようだ。
 悟はぐんと伸びをして、ゆっくり立ち上がった。お昼の時間だから行こう、と誘ってくれたので、瑠良も立ち上がって悟の後を追った。

 昼食は朝と同じ広間ではなく、台所でとるようだ。台所のテーブルには朝よりも少ない箸の数。椅子には小さい子が3人座っていて、仲良さそうにお喋りをしている。

「それぞれ仕事を持っているから、昼はバラバラにとるんじゃ。」

 悟が教えてくれる。彼は台所に入って1番近い場所の椅子に座り、部屋を見渡した。瑠良もその隣に座り、ちらりと小さい子たちを見た。

「小夜、この取り皿も並べてくれるかい。」

 燭台切が呼びかけると、小夜、と呼ばれた青い男の子は、取り皿を受け取って立ち上がり、自分の顎と同じ高さのテーブルに取り皿を置いて回った。 

「主、先に食ってるぜ。」
「いっぱい食べなさい、同田貫。」

 黒くて凄みのある人が悟に声をかけた。同田貫、と呼ばれた彼は、昼食に一番乗りしていたのだろう、もう食事を終えるところだった。
 小夜は悟に取り皿を渡して頭を撫でられている。彼は続いて瑠良の所に来たので、瑠良は、ありがとう、と感謝を述べた。小夜は顔を赤くして去っていく。

「いただきます。」

 悟が挨拶をする。瑠良も手を合わせた。

 審神者と男士は、限りなく平等な関係なのだろう、と、瑠良は思う。悟は付喪神に従う者ではあるが、彼らを人間となんら変わりないように扱う。また、男士たちも、自分に仕える人間として悟を扱うのでも、主人として恭しくするのでもなく、はたから見ればそれは「家族」のようであった。
 艦娘たちはどちらかというと「仕事仲間」とか「友達」と言うとマッチする関係性だから、この「家庭」とはちょっと違う。

「ご飯はみんなが作るんだね。」

 瑠良が悟に言う。艦娘たちは戦いがメインで、後の時間は訓練か自由行動のみ。身の回りのお世話は下女や下っ端の海軍兵がしているから、刀の神様たちが働いているのは変な感じだ。

「彼らが当番制でやっていての。」
「艦娘たちはご飯なしでも燃料が有ればよかったんだけど、みんなもそんなかんじじゃないの?」
「ああ。食事は必要ないが、顕現して食事という嗜みを覚えてしまったのじゃ。」
「そういや彼女たちもそうだったなあ。」

 燭台切ともう一人、背が高くて髪の長い男士が料理を終えて、流しの前で立ち話をしている。食事を終えた同田貫がそこへやってきて、自分の皿を洗う。彼は横から現れた小さい男の子の皿を受け取り、それも一緒に洗う。小さい男の子は何度も頭を下げて感謝し、同田貫が皿を洗うのを眺めた。

「最初は儂が作っておったが、それを見た燭台切や小夜が真似事を始めて、得意な面子が進んで代わってくれた。」
「家族だねえ。」
「ああ、第二の家族じゃ。」

 家族に会いたいと、何度思った?瑠良はそう問いたくなって、思いとどまって、唇をきゅっと噛んだ。





 軽めに昼食をとった悟は、台所から出て直ぐの縁側に座り込んだ。そこに小夜が2人ぶんのお茶を持ってやってきて、主の隣にちょんと正座をする。悟は庭を眺めながら小夜を撫で、声は出さずにあくびをした。

「ねえねえ、午後は仕事あるの?ないなら俺が本丸の案内したい。」

 瑠良は悟の後ろで、のんびり足を伸ばしていた。指先で畳を撫でながら庭を見る。小さな池があって、鮮やかな色の鯉が泳いでいるのが見えた。その鯉にご飯をあげているのだろう――傍らには、小さな籠を持った小さな男の子がいた。赤い色の髪が鮮やかで、どこか軍の制服を思わせるような服を着た男の子だった。
 そうして瑠良がぼんやりしているところに現れたのは加州清光だった。

「主!この『お手伝い』に本丸の案内してきていい?」

 彼は瑠良の手をとって、悟に問いかけた。お手伝い、という呼び方に少し驚いたが、彼の言う通りなのでなんとも言えない。

「頼んだ。瑠良、儂はいいから午後は清光にいろいろ見せてもらってきなさい。」
「うん。」
「よーし、そうと決まったらどこに行こうかな。お手伝いの部屋の近くから見てまわろ。」

 加州清光はとった瑠良の手を上に引っ張り、早く立ちなよ、と言いたげに急かした。瑠良はすっと立ち上がって、加州清光が引っ張る方向によたよたとついて行った。

 連れて行かれた先は瑠良の部屋だった。一晩居ただけで、周りに何があるか分からない部屋。加州清光はその部屋を見るなり「何もない」という感想をくれた。それもそうだ、瑠良の荷物は大きめのトランク2つだけ。服は海軍の制――今着ているものと同じのが2セット――と、私服がわずかに入っているだけ。日用品もいくらか入っていて、あとは本だ。本は提督として働くための指南書や海軍兵に関するもので、ここでは役に立たないだろう。
 トランクの他には今朝使った布団と座卓があるだけなので加州清光が「何もない」と言ったその通りである。

「興味があって来たんだけど、思った以上に殺風景だから逆に面白くなっちゃった。」
「そのうちちゃんとした部屋にしますから、その時また加州清光さんに評価してもらいますね。」

 散らかってる、と言われるよりはずっといい。加州清光は見ての通り容姿をしっかり整えるのが好きなようなので、部屋もきっときちんとしていて且つ調度品がいい味を出している部屋なのだと思う。
 加州清光は瑠良をみて目を見開いている。瑠良はそれに気付くと、己に無礼があったのではと不安になって肩をすぼめた。

「あ、ごめん、怒ってるんじゃないよ。俺のことは『清光』でいい。主もそう呼んでるし、お手伝いもそう呼んでよ。」
「わかりました、清光。」
「うん、いいね。」

 加州清光清光は満足そうに笑った。刀の名前事情はわからないが、加州清光と呼ばれるのは線引瑠良と呼ばれるようなものなのだろうか。悟も清光と呼んでいたし、加州と清光は苗字と名前のようである。

「隣に行こう、隣は主の寝室だよ。」

 悟は昨晩隣の部屋にいたのか。昨晩は疲れた瑠良を見た悟が「あれがお前の部屋だから、今晩はそこで休むと良い」と瑠良の部屋を見て言ったそれだけなので、悟の部屋がどこかは分からなかった。
 悟の部屋には様々なものが並んでいた。壁一面の本棚にはぎっしりと詰まった本。刀に関する本のほか、小説や洋書、古い和綴本など。本の重みで畳が少し沈んでいる。あとは座卓と勉強机、洋風のベッド。布団ではなくベッドなのは、寝起きがし易いようにするためかもしれない。日除けのためにかけられた藍色ののれんは、ここの誰かが染めたものだろうか。

「その隣は近侍の部屋。近侍は時々変わるから誰の部屋ってわけじゃないけど、最近はずっと燭台切のまんまだからあいつの部屋になってる。」

 清光は面白くなさそうに言った。

「ま、でも、主のことを一番分かってるのは俺だからね。一番最初にこの本丸に来たのは俺なんだから。」
「清光がおじさんの一番最初の刀だったんですか?」
「そう!一番最初の刀!最初からずーっと主と一緒!主が初めて鍛刀したのは同田貫正国で、2振り目が燭台切光忠。次に小夜左文字、山伏国広、三日月宗近。」

 知らない名前の中に聞き覚えのある名前があった。同田貫と小夜はさっき台所にいた人だ。燭台切は瑠良を迎えに横須賀まで来た人で――あとの2人は知らない。

「清光も他の皆さんも、長い間ずっとおじさんといるんですね。」
「そうだよ!主は自分の両親よりも、俺といる時間の方が長いって言ってた。」
「……おじさんは、失踪したことになっていますからね。」
「ああ、主が言ってたよ。」

 線引悟は家と刀工という仕事を捨てた一族の恥さらし――悟に対する周りの評価はそうだった。親戚が集まるときまってこの話題が出たから、瑠良は幼いながらに「叔父は家を捨てた人」と認識していた。瑠良が物心ついてすぐの頃は何度か会ったことがあったそうだが、その頃からもう家とは疎遠になっていて、瑠良がおじさんの名前を覚える前にはもう失踪していた。

「でも……こんな名誉な仕事をしていたんですね。」
「主、家族たちに見放されても審神者辞めなかったよ。この仕事が天職だって言ってた。」
「おじさんにはぴったりの仕事です。」
「それでもあんたを呼び寄せたのは、やっぱり思うところがあったのかな。」
「思うところ……。」

 しんみりしてしまったところで、清光はくるっとかかとで回って縁側を歩いて進んでしまう。瑠良は慌てて彼の後を追った。
 清光は庭を見ている。小さな男の子が数人で雪だるまを作っていた。瑠良はギョッとしてこの雪を見たが、それは普通に積もっている。

「この本丸、ついこの間まで冬だったんだよ。で、雪が積もりすぎたから秋に戻して、あれは残雪。」
「なるほど……。」

 清光は瑠良が疑問に思ったことを全部教えてくれた。本丸の四季は審神者の力である程度変えられるらしい。といっても、季節を少し進めるか、遅らせるか、と言った程度で、夏が急に冬になったりはしないとのこと。基本的は外の世界と合わせているらしい。清光は雪だるまを作っている小さい子たちに、こっちに来るよう叫んだ。小さい子たちが集まってくる。台所にいた小夜もいた。

「この人が前言ってた主の『姪』で『お手伝い』だよ。挨拶して。」
「線引瑠良です。よろしくお願いします。」
「俺は太鼓鐘貞宗!よろしくな!」
「僕は秋田藤四郎です、よろしくお願いします。」
「小夜左文字……よろしく……。」

 3人は頭を下げて、2人はニコニコの笑顔で顔を上げ、1人は恥ずかしそうにもじもじする。性格がよく分かるようで可愛い。

「信濃は?信濃に会えばうちの短刀全員紹介したことになるんだけど。」
「信濃君は鯉のご飯当番です。」

 秋田藤四郎が答えた。ああ、瑠良には覚えがある。池の鯉にご飯をあげていた赤い髪の男の子がいた。そういえば秋田藤四郎と同じ服を着た子だった。

「じゃあ信濃は後でかな。」
「道案内するなら俺たちも行く!」

 太鼓鐘貞宗が元気に手を挙げた。秋田藤四郎が僕もと手をあげる、小夜左文字はウンウンと頷いた。清光も瑠良ももちろんと言って歓迎し、旅の仲間が増えた。




 そこに広がっているのは畑だった。誰かが作業している――黒と金の髪をした人と、赤紫色の長髪の人、明るい青色の短髪の人だ。3人とも力仕事が得意そうな体格をしている。

「おーい、蜻蛉切、山伏、長曽袮ー。」

 清光が声をかけると、畑の3人が顔を上げてこちらを見た。

「主の『お手伝い』だよー後で挨拶してー。」

 3人は笑顔で手を振ってくれた。ゴム手袋をして土いじりをしている姿は、百姓そのもののようだった。それは素直に伝えたら嫌がられそうなので、心にしまっておくことにしよう。
 瑠良は「よろしくお願いしまーす」と遠くから声をかけて頭を下げた。短刀たちも横で頭を下げていて可愛い。

 畑の向こうには小川が流れている。小川沿いに水車小屋があって、水車がゆっくりと回っている。古屋の壁には同じ大きさに割られた薪が積まれている。その風景が、瑠良には懐かしい田舎の風景だった。横須賀の鎮守府は海岸沿いの都会の中にあるから、殆どが西洋化していた。レンガ製の建物、ガス灯、鉄製ホイールの馬車――ついこの間までいたのに、なんだかもう懐かしい。最後の期間はほぼ部屋に引きこもっていたから、あの風景を最後に目に焼き付けることができなかった。
 あの子と歩いた街のことを、いつか思い出せなくなる日が来るのだろうか。

「あっちに見えるのが馬小屋ね。」

 清光の声で現実に引っ張り戻された。瑠良はハッとして顔を上げ、清光が指差す方を見る。清光は頭にハテナを浮かべていた。

「どうしたの?」
「か……考え事をしていました。」
「具合悪いんじゃなかったらいいけど。」
「それは大丈夫です、とっても元気です。」
「そう?」

 鎮守府のことを思い出してほんのりとホームシックになってしまった。前の上司や、艦娘たちにもう一度会いたい。自分から拒絶してしまった艦娘に会いたいなど、エゴでしかないのに。




 本丸の構造は難しくなかった。大きな平屋で、庭も広いが、目的の場所が分からなくても歩いていればいつか辿り着きそうだ、というのが印象だ。
 清光と瑠良、そして短刀たちは台所近くの縁側に戻る。変わらず悟がのんびりしていて、その傍には2人の男の人がいた。片方は瑠良にも分かる、赤い髪の子――信濃藤四郎だ。もう1人は全体的に青くて綺麗な人だった。

「おお、主のお手伝いか。」

 青くて綺麗な人が綺麗に微笑んだ。

「線引瑠良です、よろしくお願いします。」
「瑠良。俺は三日月宗近だ、よろしく頼む。」
「三日月さん。」
「俺は信濃藤四郎!秘蔵っ子だよ、よろしく!」
「信濃……君。よろしくお願いします。」
「全部見てこれたかの?」

 ニコニコしてくれている2人を見て満足そうな悟が瑠良に訊く。瑠良はみてこられたよと答え、三日月宗近の隣に腰を下ろした。清光は悟の隣に、短刀たちは信濃の周りに座る。

「だいたいはね。留守にしてる刀は追々かな。」

 清光が悟に報告した。
 そうか、と、瑠良は1人考える。刀剣男士も戦いに身を投じるのだ。当たり前なのに何故か再確認したくなった。のんびりとここに暮らす彼らも戦う男士だ、小さくて守ってあげたくなるような男の子も、常に綺麗でいようと気を使う男の子も。
 ああ――"彼女"もそうだった。歌と踊りが好きで、可愛くありたいと言っていたあの子も――。

「……瑠良様、どうしたんですか?」

 ハッ、と、瑠良の意識が急浮上した。秋田がこちらを覗き込んでいる。瑠良は無意識に手を伸ばし、彼の前髪をゆるく撫でた。秋田は目を細めてされるがままにしている。

「な……なにも……。」

 こういう状態を「過去に囚われている」というのだろう。悟は瑠良の気分が晴れるようにとここに呼んだのだろうが、艦娘たちと同じ存在がいるここでは、むしろ色んなことを思い出してしまう。――つまり、「忘れろ」ではなく「克服しろ」と悟は暗に言いたいのだ、と、瑠良は考えた。悟は聡明な人だ、無意味無闇なことはしないはず。

「そうだ、今日のおやつは柿ですよ!」

 撫でられていた秋田が思い出したように言う。彼の目はきらきらと輝いていた。

「そうじゃ、そうじゃ。柿を食べるために昼飯を少なくしたんじゃ。」

 悟は待ち遠しそうに言って立ち上がった。アイテテテ、と、腰を押さえて背伸びをする姿がなんとも言えない「おじいちゃん感」で溢れている。悟が台所に向かうと、短刀たちはアヒルの子どものように悟について行った。三日月宗近は愉快そうに笑ってその後をついて行く。

「……賑やかでいいところでしょう。」

 他に誰もいなくなった縁側で清光が言った。

「え?」
「主、俺にこっそり教えてくれたんだ、お手伝いのこと。」
「わたしのこと?」
「向こうで……鎮守府で嫌なことがあって、仕事ができなくなったんでしょ。何があったか知らないけど、ここは悪い場所じゃないから。俺が保証する。」
「……ありがとうございます。でも、鎮守府も悪い場所ではなかったんです。ただ、わたしが失敗をしただけで……。」
「なら、こっちで挽回すればいい。」

 清光は自信満々に言った。彼にとって失敗とは、取り返して帳消しにすれば文句はないことのようだ。

「……。」
「あんま思い詰めないでよ、見てるこっちも沈むんだから。」
「あぁ……はい、気を付けます……。」
「気を付けてどうこうできるもんじゃ無さそうだけどね。」
「よく分かっていらっしゃる。」

 まーね、なんて言って、清光も台所へと去っていった。残されたルイは池の水を一瞥してから、そのあとを追った。





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