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▼ 『男装してるつもりはないけど男の人に見られてた真選組狙撃手の可愛い女の子が土方十四郎に傷物(そこまででもない)にされて彼とこっそり組内恋愛する話』1

 桜吹雪舞う春の日。線引ルイはその日、とある宿屋の2階の部屋で、2時間にもわたってうつ伏せになり、じっと窓の外を睨んでいた。
 宿屋の斜め向かいのちりめん問屋、ルイが睨んでいるのは、その2階にある応接部屋だ。障子の開け放たれたその部屋は和室で、中央にはテーブルがひとつと、それに付随した座布団が4枚あるだけの部屋。あとから仕入れられた情報で知ったターゲットが来る時間まで、あと20分。

「線引さん、あんぱんと牛乳買ってきたよ。」

 ルイのいる部屋に入ってきて、小さな声で言ったのは山崎退。入隊した順と、部隊に属していない同士ということで、ルイの先輩にあたる人だ。ルイは応接部屋を睨んだままこくこくと頷いた。彼女は鼻まで隠れる丈の黒いインナーのズレを少し直し、スーと息を吸ってしっかり呼吸ができることを確認する。

「まだ現れない?」

 ルイは頷く。

「でももう少しで時間だね、沖田さんたちも店の裏に着いてたよ。」

 ルイは頷く。
 山崎はあとはルイに声をかけず、部屋の奥であんぱんの包みを開けた。ルイも自分の横に置かれたビニル袋から100mlサイズの牛乳パックを取り出し、ストローをさして飲む。

 斜め向かいの応接部屋に女中らしい人物が入ってきた。彼女は座布団をはたき、机や掛け軸が曲がっていないかを確認し、外にでる。

「来ました。」

 静かに告げたルイの言葉に、山崎はばっと反応した。彼は無線機を取り出し、仲間へ連絡を入れる。

「沖田さん、そろそろのようです。」
『了解。』

 無線機から返事が聞こえる。
 応接部屋からどやどやと男の声が聞こえて来た。今日のルイたちのターゲットだ。部屋に入ったのは2人の男。片方はちりめん問屋の主人で、もう片方は貿易商をしている裕福な男。彼らは机を挟んで向かい合い、わはは、と、何か楽しそうに笑っている。ルイはシャッター音がしない特製のカメラを構えて、2人の様子をそれに収める。
 そして彼らは、雑談をしながらも段々と目が笑わなくなった。真剣な表情だが、隣の部屋や下の部屋に「何か」を悟られないようにか、雰囲気は穏やかなものを装っている。貿易商の男が、和服の袖から、1つの小さなビニル袋を取り出した。中身は白い物質、ここからではよく見えないが、実物は粉……麻薬、である。

「出ました。」

 ルイは山崎にそう告げ、 傍にあった狙撃銃に手をかけた。愛銃「モシン・ナガン」ルイはそのスコープに目を当て、ためらいなく貿易商の男の手を撃った。
 バァン!と、景気のいい爆発音。と同時に、向かいの問屋の1階が騒がしくなる。真選組の討ち入りだ。貿易商の男は撃たれたから血を吹き出させ、悲鳴をあげながらその手を庇った。着物が赤く染まっていく。問屋の主人は目の前に置かれた麻薬を慌てて懐に仕舞い、目の前の男を無視して逃げようとする。彼は入り口から出ようとするが、下の階の騒ぎを聞きつけそれを断念。窓の欄干に手をかけた、窓から逃げる気か。
 もちろんルイはそんなことを許さない。バァンともう1発銃声。問屋の主人の二の腕から出血。彼は腕を押さえて部屋の中に倒れた。それと同時に真選組たちが2階の応接部屋になだれ込んだ。一番隊と二番隊が大勢でルイに撃たれた2人を取り押さえている。

「ヤクどこだ!」

 向かいでも聞こえる大声。ルイは山崎に、麻薬は問屋の旦那の懐にあることを伝える。山崎はそれをそのまま無線で伝えた。向こうの1人が乱暴に問屋の主人の着物をひん剥き、その腹から目的の物を奪い取った。そして取引をしていた2人は手錠と、沖田総悟の趣味で首輪を付けられた。沖田はルイと山崎にが居る向かいの宿屋に向かって手を振る。ルイと山崎も彼に手を振り返した。
 これにて一件落着。

「線引さんお疲れさま。」
「お疲れさまです、山崎さん。」

 2人はハイタッチをして宿屋を出た。

「お、来たな。ご苦労。」

 手綱を2本握り、すでに下僕とさせたのか犯人2人を犬歩きにさせている沖田。

「今日も景気のいい撃ちっぷりと命中具合だったなァ。」

 沖田からの褒め言葉に、ルイは、そんなことありませんと言うように首を横に振る。

「ヨッお疲れ。なぁ線引、今夜一杯どうだ?行ってみてぇキャバクラがあってな。」

 下僕2人の上に仁王立ちになって帰る沖田と入れ違いに、二番隊の隊員がルイに絡んだ。彼はルイの肩に腕を置き、小指を立てながら酒を飲むジェスチャーをする。ルイは先ほどと同じように首を横に振りながら、遠慮しますと両手を胸の前に出した。

「なんだよー相変わらず付き合い悪りぃなぁ!まぁそこが硬派で男らしくて格好いいけどよ。じゃあまた誘うわ。」

 とりあえずはっきり言っておかなければならないのは、ルイは男ではないということである。正真正銘、心も身体も女だ。真選組に入隊するときに書いた履歴書にも、しっかりと「女」の方に丸をつけたのだが、面接をしてくれた局長は、真選組だし履歴書を持って来るとしたらまず男だろうと思い込んでいたのか、そこは全く見なかったようだ。
 狙撃でうつ伏せになる時邪魔な胸はサラシでしっかり潰していて、銃を扱うために鍛えた腕はむきむきで、可愛い顔立ちは硝煙よけのための黒い服で鼻まで隠し、山崎と同じ長さの頭髪は邪魔なため1つに結び、そうしていると女性的要素が見当たらなくなってしまって、仕方ないといえば仕方ないのか。それに声は高いわけではないし、元々あまり喋らないし、で、さらに気付かれる要素が消えている。
 事務と食堂にはおばちゃんが15人がいるが、実動部隊に女性はいない。そんな男所帯ならば、女であるよりは色々とやりやすいのでルイは特に指摘しないでいる。いつか将来女なのかと問われれば、その通りだと、隠していたわけではないと本心から答えられるので、そこは気にしないでおく。
 パトロールカー1台に犯人が1人とその両脇に隊士が乗り、屯所へと帰っていく。ルイも山崎とパトカーに乗り込み、他の人に運転を任せて屯所へと帰った。

 パトカーに乗って15分、屯所に帰って来ると、局長の近藤勲が出迎えてくれた。彼は任務に出ていた隊士たちに労いの言葉をかけて回っている。沖田は再び2人の上に仁王立ちになって取調室へ向かう。ルイも証拠を収めた写真の現像のために、取調室へ向かった。

 取調室では、沖田が貿易商を、永倉が問屋の主人をそれぞれ取り調べていた。問屋の主人は麻薬を認めているが、貿易商は知らぬ存ぜぬあれは問屋の持ち物だの態度らしい。ルイは貿易商がいる取調室の隣の部屋に入り、マジックミラー越しに取調室の様子を除いた。貿易商の頭の上に火のついた低温ろうそくが据えられていたのは見なかったことにしよう。
 机の上のパソコンにカメラをつなぎ、写真をパソコンに移す。貿易商が白い粉の入った小袋を机の上に置いているシーンがしっかりと映されていた。これがあったところでなにか自白するかと言えば、むしろ沖田の拷問の方が効果的な気がするがこれも仕事だ。プリンターからA4サイズで出て来たその写真を手に、隣の取調室に移動する。
 コンコンとノックすると、中から沖田のドーゾの声。ルイは扉を開け、一礼。

「線引……あぁ、写真ですかィ、どーもどーも。」

 写真を渡して再び一礼。沖田はルイが返事をしないのはいつものことと分かっているので、手をヒラヒラと振ってもういいぞと示した。ルイはちらっと貿易商の手を見る。ルイが風穴を開けたその手には包帯がぐるぐると巻かれていた。じんわりと赤い色が中で広がっているのかわかる。こちらも仕事なので仕方ないとは思いつつも、その傷口が気になってしまう。
 隣の部屋に戻ったルイはそのまま取り調べを眺める。明らかに「取引をしています」のワンシーンを切り取られた写真は効力があったらしく、貿易商は口を一文字に閉じて俯く。焦りの色が見られた。
なかなか口を割らない貿易商、ひどいことをしたくてウズウズしている沖田。沖田が先に動かないようルイは祈るばかりだ。そうしていると部屋のドアがゆっくりと開いた、誰だろうと思って横を見る。

「よォ、線引か。」

 真選組副局長、土方十四郎、である。

「土方副長、お疲れさまです。」
「どうだ、拷問……いや、取り調べは。」

 拷問と言い切りつつも言い直す土方。彼はタバコに火を付け、フーと息を吐く。

「取引の証拠写真を見せられてすこし動揺しているようです。」
「見たところ、あとひと押し、って感じだな。」
「沖田さんがおイタをする前に自白してくれるといいのですが。」

 土方と一緒にいるときのルイは饒舌である。

「お、喋り始めたな。」
『あの薬は……取引先の天人から横流しして貰ったやつでなぁ……問屋の旦那が薬に興味あるってんで、持ってきてやったのよ……。初犯ですからすこーしお情けを……。』
『なーに言ってんだ、今まで何度取引してるかなぁ、こっちはキチンと押さえてんだぜィ。』

 沖田が今までの取引の写真を机に広げた。山崎が偵察して色々なところで撮ったものだ。店の裏、飲み屋、キャバクラ、公園、など、計10枚。

『嘘吐きやしたね?』

 背筋が寒くなる笑みを浮かべる沖田。

『今の自供で充分でさァ。……記録係、記録取っとけ。天人の話は明日朝一でな。』
「……次は話に出た天人しょっぴかなきゃいけないですねぇ。」
「だなァ。ま、それは明日以降の話だ。線引、お前もさっさと休めよ。」
「はい、ありがとうございます。」

 土方は取り調べが終わったのを確認して去って行った。彼が出て行ったあと、ルイは両膝に手をつきガクッとうなだれる。緊張した、とても緊張した。

 なんて言ったって土方十四郎という男は、ルイが真選組に入って一目惚れした人である。

 それは局長に自己紹介の場を設けてもらい、全隊士の前で挨拶をしたときの話だ。
 ルイの就職初日、朝から庭にずらりと並んだ黒服の隊士たち。その威圧と空気に飲まれそうになり、胃液がせり上がってくるのを感じたルイは、今のように両膝に手をつき俯いてしまった。そんな彼女の隣にいた土方が、大丈夫か?と、声をかけてくれた。大丈夫です、と言いながら見上げた時に交わったその目に一瞬で堕ちた。鋭い切れ長の目元に、瞳孔が開いてるとも言えるような真剣な目。
 一目惚れなんて恋に変わることはないと高を括るルイだったが、その後土方を見つけ、何かをしている様子を見るたびに、どんどん深みに嵌っていくのが分かった。局長と冗談を言い合い笑うその表情も、沖田にいじられ怒るその単純さも、仕事を頑張ったルイを褒めてくれるその言葉も、マヨネーズを盲信しているその舌のおかしさも、何もかもがルイを沼に落としていた。

 狭い空間に一緒にいることができて嬉しかった反面、緊張のあまりぶっ倒れるのではないかという心配があったが、それは杞憂に終わって良かった。ルイが土方といると比較的饒舌になるのは、そういった理由によるものである。

「お。残ってやしたか。……って、大丈夫ですかィ!?」

 そんな瀕死のルイの元にやってきたのは沖田だった。彼は入ってすぐ目の前でぐったりしているルイに慌てて、その背中をさすった。

「……平気です……お疲れさまです。」
「お、喋った。疲れてんだったら早く休め休め。」
「はい、すみません、お先します。」
「おう。また天人しょっぴくとき頼みますわァ。」

 ルイはペコと頭を下げて先に部屋を出る。窓のない取り調べ棟では分からなかったが、外に出るとすでに陽は落ちていて、とっぷり夜の景色だった。涼しい風がマスクを通り抜けルイの頬を掠める。
 見張り台では寝ずの番が辺りを警戒し、門前でも見回り当番が懐中電灯を手にゆっくりと歩いている。時計を確認するとすでに9時を回っていた。食堂はとうに閉まっている。集中していて今まで気付かなかったが、今やっと自分のお腹が空いているのが分かった。自分でご飯を作る元気もないし、近くのコンビニに行こう。




 コンビニから帰ってくると、こんな時間だというのに屯所の門前がにわかに騒がしかった。何があったのかと小走りで近づくと、どうやら酔っ払って帰ってきた隊士たちが門番に絡んでいるだけのようだ。

「おい、酔っ払い過ぎだぞ。」

 門番2人が酔った隊士の2人の体を支え敷地内に入れてやっている。酔っているのは二番隊の隊士で、片方は日中ルイにキャバクラに誘った男だ。

「おぁー線引じゃねーか!ちょっと飲み直し付き合ってくれやー。」

 ふらついたついでに後ろが見えたキャバクラに誘ってきた男は、帰ってきたルイを視界に入れて、元気を取り戻したようだ。顔が真っ赤で、近づいていないのに酒臭いのが伝わってくるようである。
 お腹が空いているし元々お酒は控えめな彼女はフルフルと首を横に振る。

「可愛い子にお酌して欲しぃんだよーなぁ俺たちの部屋きてくれや。」
「線引狙ったってどうしようもないだろ。」

 門番が男の背をさすってやりながら諌めてくれる、

「でもよーこいつなぁ女みてぇにメチャクチャ可愛い顔してんだぜ、飯食うとき見たことがあってよ。こいつが男だろぉと関係ねぇって思うぜ。俺ぁ仕事続きで色々溜まってんだ、相手してくれよ、ルイちゃあんよ。」

 男は門番を振り切り、ルイにずずっと顔を寄せた。予想通り大変酒臭い。しかもこれはまずい、ナニの相手をさせられるか明白である。ついて行ったら直ぐにいろんなことがバレてまずいことになる。ルイはゆっくりと後退する、距離を詰めようとする男は門番に押さえられているために動けない。

「い、いやです……。」

 絞り出されたのは緊張で上ずった声。その声を聞いて男はまたニンマリと笑う。

「あぁ、可愛い声。いやです、だなんて、そそるなぁ……もっとイヤイヤ言わせてェ。」

 心から気持ち悪いと思ったので、ルイは無視して横をすり抜けた。が、門番を振り切り男は後ろからルイに抱きつく。

「ヒッ……!」

 サラシで潰した胸は男の胸板のようになっているとはいえ、触られるとゾワゾワと気持ち悪く感じるものがある。引いた悲鳴をあげると男はまた嬉しいように笑った。胸を触る手がゆっくりと首に上がり頬に触り、マスクにかかった。

「やめろっ!」

 ルイはその場でジャンプ。彼女の頭が男の顎に当たり脳を震わせた。男は手を離し後ろによろめいたところを、門番2人に取り押さえられた。

「強姦は斬首だ、おい、土方さん呼んでこい。」
「い、いいです!土方さんには言わないでください!今日だけは何もなかったことにします、今後こんなことがあったらわたし自ら首をこいつで撃ち抜きます。」

 土方の名前を出され、ルイは慌てる。こんな痴態を彼の耳に入れたくなかった。だから彼女は隊服の後ろに隠していたサプレッサー……音と光を抑制する筒を付けた拳銃をとりだし、男の顎下に突きつけた。そして顎からずらして空に向かい一発撃つ。パスン!音の抑制された弾は軽い音とともに男の耳の横をズバッとすり抜けた。
 男の酔いは一気にひいて、彼はその場に尻餅をついた。ルイは拳銃を仕舞い、慌ててその場を離れた。




 翌日。あまりよく眠れなかったルイは、目の下を少し青くして食堂にやってきた。
 ルイは先輩である山崎を見つけて一礼。昨晩のあの男も門番も近くにいないことを確認して、山崎の向かいに腰を下ろす。

「もしかして疲れ取れてない?目の下にクマができてるけど……。」

 自分も昨日はしんどかったよ、と、ルイを気遣ってくれる山崎。

「夜更かししてしまっただけです。先輩もお疲れさまです。」

 和食定食を食べるために下されたマスク、ルイの声をマスクなしで聞くのはいつぶりだろうか、と、山崎は1人感動した。

「今日は非番だったよね、ゆっくり羽を伸ばしてきなよ。」
「はい。」
「おい山崎、今日のことだけどよ……?……あ?あぁ、線引か。」

 ゆっくり羽を伸ばしたいところに背後から聞こえてきた声にルイの身体は硬直する。

「ど、どうしました?」
「お前、口んとこの布ないと誰か分かんねェな。」

 ルイにとって種々の根源、土方だ。彼はマスクなしのルイが珍しい、と、座っているルイにわざわざ視線を合わせるようにかがみ、目線を合わせた。もうルイには爆発する未来しかない。頭の中で地雷原を走り抜ける自分が爆風に飛ばされている。

「なるほど、いつだったか近藤さんが言ってた通りだな。可愛い顔してんじゃねえか。今度女装して潜入捜査頼むわ。」
「副長、線引さん困ってますよ……。」

 可愛いって言われた……ルイの脳内で土方の「可愛い」が反響する。地雷原が一気に様変わりし、一面花畑になった。
 ……いや、浮かれてはいけない。ルイは首を振って自発的に現実に戻ってくる。自分は男だと思われているから可愛いと言われたのだ。これがもし女扱いされていたなら、そうは言われなかっただろう。男としては可愛い、しかし女としてはそうでもない、きっとそうだ。そう思うとゆっくりと平常心に戻ってきた。

「あー……悪かった。可愛いなんて言われたくなかったよな、すまん。」
「いえ……大丈夫です……。」

 むしろ嬉しかったですありがとうございます!ルイは花畑の中心で叫ぶ。

「それより、潜入捜査、やるなら、ぜひ任せてください。いつでも行きます、から……。」

 可愛いと言ってくれるのなら、役に立てるのなら、土方の頼みなら、なんでも聞くぞ。

「おう、そん時は任せた。ああ、それでな山崎……」

 土方の意識が山崎に向いたところで、ルイは急いで残りのご飯をかきこみ、席を立った。返却口に盆ごと食器を置き、ごちそうさまでした、と手を合わせる。厨房からはおばちゃんたちのお粗末様でしたの声が聞こえた。
 逃げるようにして食堂から出て真っ直ぐに部屋へ戻る。ドキドキと音を立てる胸をおさえ、まだ敷きっぱなしの布団にダイブした。

「可愛いって言ってくださった……。」

 故郷で母親や兄姉くらいにしか言われなかったその言葉。昨晩のあの男に言われたそれはすっかり頭から飛んでいた。『初めて男の人に可愛いって言われた、しかも大好きな人に』。女を押し殺した生活が1年経とうとして、久しぶりに感じた女の子である自分。幸せすぎて、頭の中が甘いシロップで満たされたような気分だ。
 布団をかぶってごろんごろんとのたうちまわる。やがて気持ちが落ち着くと、勢いよく起き上がってその勢いのまま着替えに移る。朝アイロンをかけたばかりの真っ白いYシャツに腕を通し、休みの日用の浅葱色のストールを口元に巻きつける。下は隊服の黒いスラックス。
 障子をスパンと勢いよく開けると、部屋にはさんさんと陽光が降り注いだ。さっきまで潜っていた布団と敷布団を陽の当たるところに動かして、天日干しと畳が焼けるのを防ぐのを同時に行う。

「ああっ生きててよかったっ……。」

 周りに人がいないのを確認して、中庭に向かって声を漏らす。

「可愛いって言ってくださった……あんなに顔近かったの初めて……ああーっ好きです……もう……。」

 顔を両手で押さえてきゃーと言ってみる。
 元々ルイは寡黙なわけではない。人並みにおしゃべりをする朗らかな女性なのだ。だから1人になればこうやってよく喋るし、土方の前では、線引ルイは寡黙だと聞いているんだがと彼に不思議に思わせるほどに口を開いている。

 今日の予定は本屋に行くことだけ。あとは銃の手入れに当てるつもりだ。
 ルイは狙撃の腕を買われて真選組に入った。しかし身を置いているうちに、自分も剣を扱えたほうが圧倒的に良いことに気づき、こっそりと剣について勉強をしている。勉強が好きで、勉強をするために故郷を捨ててきた彼女は、本を読むことも勉強をすることも大好きだ。

 もう街の本屋は開いている時間だ、ルイは財布をモシン・ナガンの入ったカバンに突っ込んで背負い、屯所を後にした。
 平日の朝というだけあって、街は仕事に行く人ばかりで店の物色のために立ち止まる人は少ない。速歩きな人たちの邪魔をしないよう、通りの端を店に沿うようにして歩く。チラチラと通り過ぎる店の中を覗く、女性ものの着物屋、美容室、雑貨屋、帯専門店、喫茶店……可愛い店が立ち並び、ルイは目的地と違うと思いながらも、自分の歩みがゆっくりになるのを自覚した。
 ここのホットケーキ美味しいんだよなぁ、なんて思いながら通り過ぎる喫茶店。中の客と目が合い、気まずい気持ちを覚えながら通り過ぎ…………ようとしたのだが。

「あ。」

 立ち止まる。目が合った店の中の男も手が止まった。
 フワフワの白髪は見覚えがある。あれは確か万事屋の坂田銀時と言ったか。土方があの人について面倒くせぇヤツと言及していたのを思い出す。気付くとルイは店の中に入っていて、その坂田銀時なる男にペコとお辞儀をしていた。

「どうも……えーと、何さんでしたっけ。」

 よそよそしい坂田の反応も当たり前だ、こうして直接話したことはないのだから。土方や沖田を通して近くに寄ったことはあるが、なにぶん普段は無口なルイ、坂田と話したことなどない。
 礼儀と思ってルイは口元のストールを外す。

「真選組狙撃手の線引ルイです。いつも挨拶をせずに無口で失礼な態度をとり申し訳ありません。」
「あ、どーも丁寧に……俺は万事屋の坂田銀時っつーんだけど……知ってるよな。」
「はい、存じ上げております。いつも沖田や土方が御無礼を、」
「いいよいいよそういう堅苦しいの!見てわかる通り銀さん今美味しいパフェ楽しんでるんだから。ルイちゃん非番なの?それならそこ座ってほら!」

 坂田は店内で自分が悪目立ちしていることに気づき、慌ててルイを向かいの席に座るよう腕を引っ張った。ルイは引かれるがまま座る。一連の話を聞いていたらしい店員はビクビクしながら水をくれた。

「ホットケーキひとつお願いします。」

 朝食を取ったばかりだかデザートは別腹だ。せっかくなので好物を食べていこう。

「坂田さん、甘いものお好きなんですね。」
「そう、俺甘いもん大好きなのよ……でも糖尿病予備軍って言われちゃって週一のパフェを楽しみに、大事に大事にしていてね……あ、気軽に銀さんって呼んでくれていーよ。」
「銀時さん。」
「銀さんでいいって言ってんのに。」

 なるほど甘いものが好きだと言ったその言葉の通り、一口一口を大層美味しそうに幸せそうに味わっている。顔を合わせる時は大抵なにか事件が起きているから、こうしてのんびりと幸せそうな坂田……銀時を見ることができるとは思わなかった。

「……見られてると食べにくいんですけど?ルイちゃん俺に惚れちゃった?」
「いえ……。」
「あ、そう。」

 そう言えばこの男は、自分を女扱いしているな、と、気付く。ちゃん付けであるとか、惚れちゃったか、なんて問いであるとか。屯所にいるときとほぼ同じ格好で気付かれると静かにびっくりする反面、いやそれが当たり前で気付かないあの人たちが特殊なのだと思わせられる。

「お待たせしました。」

 銀時がパフェを食べるところを凝視していると、やがてホットケーキが運ばれてきた。焼きたてほやほやの湯気が上がっていて、乗せられたバターがじんわり溶けている。ルイは一緒に運ばれてきたシロップを全体にかけ、さっそくいただきますの挨拶。

「んーおいしい。」
「美味しそうだねぇ、俺もちょっと欲しいなぁ。」
「食べます?はいどうぞ。」

 美味しいものは分け合わないと、と、ルイはホットケーキを一口大に切って銀時の口の前に差し出す。彼は一瞬表情を強張らせたが、すぐに差し出されたホットケーキに食いついた。
 「あーん」なんて恋人同士がやるようなこと、と、彼は思ったのだが、ルイからすればパフェを食べるためにスプーンを持っている銀時に、それでホットケーキをすくわせるような手間のかかることをさせたくなかっただけだ。特に他意はない。

「ホントだ、美味しいなこれ。」
「ですよねですよね、ここのホットケーキ大好きなんですよー。」
「なぁんだ、真選組居る女だからどんなおっかねーヤツかと思ってたが、普通に女の子なんだな。」
「普通に女の子ですよ。周りはわたしが女だって気づいてないみたいですけど。」
「え、気付いてないの?」
「一緒に風呂入ろうとかキャバクラ行こうとか誘われるレベルです。まぁ皆さん真選組は男しかいないって思ってるようですから、灯台下暗しになってるんじゃないですかね?」
「はー、こんないい子なのにねぇ、気付かないなんてねぇ。」

 ルイはすぐにホットケーキを平らげた。そして銀時が手洗いに立った隙に伝票をさらって会計を済ませてしまう。彼が戻ってきた時にはルイは席に戻っていて、注ぎ足して貰った水を飲んでいた。

「あれ、俺の伝票どこいった?」
「一緒に済ませちゃいました。」
「え?あぁごめんね、いくらだった?」
「いつもうちの人たちがご迷惑かけてますし、いいですよ。」
「何言ってんの!女の子にお金払わせたなんて男としてねぇ!」
「じゃあ今度何か奢ってください、それでチャラにしましょ。」
「……まったく……。」

 2人は店員にご馳走様でしたと挨拶をして外に出た。今日非番なんでしょ、どっか買い物なの?と銀時は歯の間に挟まったコーンフレークを爪楊枝でいじりながらルイに問う。本屋に行ったり屯所に戻って鍛錬したり、とあんまり面白くない返事をしたルイだったが、銀時は本屋ならついて行こうかな、と、話を合わせてくれる。
 喫茶店の隣の隣の本屋に入る2人。ルイはまっすぐ目当ての棚に向かった。前から目をつけていた本がある。天然理心流という流派に関する本だ。近藤や土方が身につけている剣の流派なので、まずこの辺から剣の道に入ろうと思う。
 パフェのお礼にそれ買ってやるよなんて言われたら申し訳ないので、こっそりレジに通して本を買った。そして銀時はどこに行ったかと店内を見渡す。彼は雑誌コーナーの中でも一番奥の、いかがわしいタイプの雑誌が並べられた辺りをウロウロしていた。これは声をかけてはいけないやつだとルイは察する。
その後少しして、銀時は店の入り口付近にいるルイの手にこの店の紙袋があることに気づき、ヤベ、と、漏らして彼女に駆け寄った。

「悪い、待たせたか。」
「いえいえ、今買い終わったところです。なにか気になる本でもありましたか?」

 知らないふうを装い意地悪なぶつけてみる。予想通り銀時は、いかがわしいコーナーを見ていたなんて言えず、ルイの頭上あたりに視線を泳がせた。

「りょ、料理の本とか?」
「料理なさるんですね。」
「そうそうそう、あとは、ええと、スイーツの本……とか?自分でも作ってみたくて?」

 予想以上に挙動不審な返答をするものだから、ルイは面白くなって吹き出してしまった。

「なんか、焦らせてしまったみたいですみません。」
「ん?なにもやましいことはないから大丈夫だけど?」

 白々しく口笛を吹く銀時が面白かった。
 街での用事を終えたルイは銀時に別れを告げ、真選組屯所に帰った。今日は特別大きな事件もなく、待機中の隊士たちは溜まった事務仕事を片付けたり、鍛錬に励んだりしている。
 まっすぐ部屋に戻って、さっそく買った本を開いてみる。日に当てっぱなしの布団にうつ伏せに倒れ、枕を顎の下に置いた。廊下から丸見えではあるが、長屋の一番端で廊下もここで終わっている場所だ、まず用事がない限り誰もこないし、ルイに用事があるのは普段山崎くらいなのであまり気にしない。
 そのまま日が暮れるまで、彼女はじっくり本に向き合っていた。




 夜8時、食堂まで本を持ち込み、読みながら食事という行儀の悪いことをしたルイは、人の少なくなった食堂に残って続きを読みふけっていた。

「線引、少しいいか?」

 気を緩ませ切っていて人の気配に気づけなかった彼女は、かけられた声にビクッと反応して声をあげた。

「土方さん、沖田さん。」
「お、喋りやしたね。」

 沖田が興味津々にルイの顔を覗いた。

「何かありましたか?」
「明日、貿易商に麻薬を与えた天人をひっ捕らえに行く、お前も来い。」
「山崎さんは?」
「あいつは別の任務がある、悪いがお前1人だ。」
「分かりました。」
「それでだなー……。」

 何か言いかけて、口を開けたまま喋るのをやめる土方。食堂だからと火をつけていないくわえ煙草を上下に揺らし、なにか言葉を探している風に目を泳がせている。

「明日天人が来るのがキャバクラで、アンタには女装して店員のフリして近づいて欲しいんでさぁ。」

 話が進まないのを見兼ねて沖田が代わりに口を開いた。土方は慌てて、ちょ、待て、などと言って沖田の口を止めようとしたが、はっきり最後まで言われてしまう。
 女装、今朝話題に上がったばかりの話だ。早速誘いに来てくれたのだと分かったルイは嬉しくなって勢いよく立ち上がる。

「やります、任せてください。」
「ほらよぉだからもっと遠回しに言えと……え?」
「女装、お願いしてくださったのは今朝の土方副長じゃないですか。それに朝の時点でわたしはやりますと申し上げてますからね。」

 女装なんてお願い、男の矜持というものがあるからやすやすとは引き受けてくれないだろうと土方は思っていたらしい。もちろんルイは可愛いと言ってくれた手前、断ることなどない。

「服も髪も化粧も完璧に仕上げますから、任せてください。頑張ります。」
「な、なんだ、乗り気かよ……。」
「土方副長のような硬派な方が可愛いと言ってくださいましたからね。ならば相手がわたしのストーカーと化すような美女にならねばなりません。」
「なにもそこまで。」
「キャバクラってことは夜ですかね?でも昼からその店に言って色々作戦立てなきゃですよね?朝からしっかり女になって来るんで大船に乗ったつもりでいてください。」
「今日の線引はよく喋りやすねぇ、こんなに喋ってるの初めてじゃねぇか。」
「張り切ってますからね、わたし。」

 そういうことで、明日は天人が来るというキャバクラに昼から伺うことになった。ルイは自室に置いてある着物と化粧道具に思いを馳せる。1年近くまともに使っていないから、化粧の仕方も曖昧になっている気がする。あとで化粧品を買い換えてネットで今風の彩り方を確認しておこう。




 そして翌日、ルイは1時間早く起きて三面鏡の前に座り、できる限り自分を可愛く変身させていた。いつもより肌の色がよくなるよう、明るめの下地を塗り、その上にしっかりとシェーディング、ストロビング。パウダーを薄めにはたき、眉と目尻は庇護欲を煽るようにタレ気味に。口はあざとくならないよう薄めの色で。着物は普段のイメージにはないであろう明るい橙色にして、帯は赤にしてみる。髪はおろしておく。これで純朴そうな町娘になれたか。
 いつもの10倍着飾っているが、もとはこんな感じが自分の基本なので、ルイは特段恥ずかしがることなく部屋を出る。みんな、背中に背負っているモシン・ナガンで自分だと気づいてくれるだろう。
 食堂に向かう廊下ですれ違う隊士たちは、ことごとくルイを避け、そして彼女をジロジロと見た。あれは誰だ?あの銃は線引か?線引?女装……?などなど、ヒソヒソ話が聞こえてくる。不審者だと思って通報する者はいなかったが、このルイがルイであると認めたくないという人が多いのがわかる。
 食堂に入ってすぐのところに沖田が座っていた。和食定食のご飯茶碗を手に、おかずの鮭の身をほぐしている。

「おはようございます。」
「んーおはよ……うん?」

 沖田の箸から鮭の身が落ちる。

「誰でぃ。」

 よかった、ちゃんと変装できてる。と、その反応にルイは喜ぶ。

「線引です、今日はよろしくお願いします。」

 両手をへその下で揃え、ゆっくりと深く頭を下げる。

「土方さァーーーーン!」

 ツッコミ側の人の様な叫びをあげる沖田。ご飯茶碗が手から離れて、お盆の上に白いご飯が溢れている。なにかこわいものを見た様な顔と気迫は、意外と傷付いたのでやめて欲しい。

「なんだうるせェな……Gでもでたか?」
「GはGでもガールでさぁ。死ね土方見てくだせぇ!」
「あんだと!?」

 沖田にビシッと箸で指し示されるルイ。土方副長はなんて言ってくれるだろう、褒めてくれるか、可愛いって言ってくれるか、それとも趣味じゃないと一掃されるか。色んな期待と不安がルイの頭の中をかすめていく。ほぼ無意識に頭を下げて朝の挨拶。顔を上げたとき、土方は火のついていない煙草を床に落としていて、両目はくっきり丸く開かれルイを見つめていた。

「どうでしょうか。」

 着物の袖を掴んで腕を伸ばし、土方に見せる。土方はルイと沖田を交互に見る。沖田は土方に向かってウンウンと頷くばかり。

「線引、か?」
「線引です。」
「こりゃあ見違えた……可愛いじゃねえか。」
「可愛いですか!」

 予想しつつも予想外な答えにルイはふわっとと笑顔になる。着物の袖で口元を隠し、嬉しい嬉しいとにまにま笑い。

「本当に女みてぇになってるな、動きも。」

 そんな仕草が女性らしくて、よく研究できてるな、なんて褒める土方。そりゃあそうだ、女なのだから。
 元が男だから女装が上手くて可愛いと言われているのか、女なら好みのタイプだから可愛いと言われているのか、今はそんなことどうだってよかった。土方の後ろの方で、あれ線引だってよ、なんて騒いでる外野もどうでもいい。

「胸もよくできてる。」

 そして不用意に女性の(男性だと思われているが)その胸を正面から触る土方。フニ、と、なんとも言えない、彼も今までに経験したことのある柔らかさ、葛餅のような感触。

「アッ土方さんセクハラですかぃ!?強姦は斬首ですぜ!!」

 それをみて活き活きと目を輝かせる沖田。何が起こったのか一瞬では処理ができず固まるルイ。

「はぁ!?何言ってやがる!どこが強姦だ!」

 セクハラの方を否定しないのは如何なものか。

「にしても、手ぬぐい詰めてんじゃねぇのか。それ何入ってんだ?良い大きさだなぁ。」

 彼は本物の胸を触っても、ルイは男性という先入観を忘れない。ルイの胸を両手で横から挟み、やっぱり良い大きさだなんて言っている。これにはさすがに耐えられない、ルイは一歩大きく下がり、土方の手から逃れた。

「い、いろいろ……。」

 何が入っているかと言えば今までに溜め込んだ脂肪である。さすがに今性別をはっきりさせれば、女性の胸を触ったということで土方の顔に泥を塗ることになる。なにも言えないので、両手で顔を覆って羞恥を発散させるべく目をぎゅっとつぶった。

「ほらー土方さんがセクハラするから線引泣いちゃったじゃねぇですかー。先生ぇー!土方君が線引さんのおっぱい触りましたー!」
「うるせぇ!」
「せんせぇ……土方君が……。」
「線引ものってんじゃねえ!」

「なんだ、どうしたトシ、総悟。……誰だぁ線引泣かせたのは!」

 騒ぎを聞きつけた近藤がノリノリでやってくる。彼は泣き真似をしたルイとその正面にいる土方を交互に見て、腕をこまねく。

「土方君でーす、土方君が線引さんのおっぱい触ってましたー。」
「なにィ!トシ!ルイちゃんは女の子なんだぞ!そんなことしちゃいかん!」
「近藤さんものってくんな!」
「オールイちゃん怖かったねぇよしよし。」

 近藤はそう言いながら、未だ赤面を隠すために顔を覆っているルイを優しく抱きしめてぽんぽんと背を叩く。土方はこっちの方がセクハラくせえ、と反論した。

「うむ、確かに柔らかい。」

 近藤が言う柔らかいというのは胸ではないので安心してほしい。彼は腕の中にいるルイが女性特有の柔らかさであることに感動しているようだ。

「局長、恥ずかしいので放してください。」
「シャベッタアアアアー!」
「……懐かしいですね、そのネタ。」

 それぞれ中途半端にしていた朝食に戻る。ルイは昨日土方が言っていた通り山崎が任務でいなかったので、そのまま沖田の向かいに座って彼と同じ和食定食を頼んだ。
 今となってはやはり視線が気になる。ご飯に集中していても、四方からくる視線は敵意はないがルイを不快に思わせる。一昨日の夜の酔っ払いとの出来事があるから尚更、自分を意識している好奇の目が気になってしまう。ここまで効果があるとは思わなかった。こっそり風俗通いしている者もいるが、基本的に女に飢えている隊士達。その中にこの格好を晒したのは失敗だったかもしれない。

 食事を終えて、そそくさと部屋に戻る。土方が、朝食を終えたら出発すると言っていたから、歯を磨いて口紅を直し、また直ぐに部屋を出た。
 門前には、パトカーの運転席でアイマスクをしている沖田と、門番となにか楽しそうに話しをしている近藤がいた。

「すみません、遅くなりました。」
「おぉ、ルイちゃん。大丈夫だ。」

 近藤の隣でへこと頭を下げるルイ。何を思ったか近藤はその頭を撫でる。まるで父親のような動作。

「デートの待ち合わせみたいだなぁ!」

 そして彼は豪快に笑った。なるほど確かに、遅れてきた彼女とそれを待っていた彼氏というシチュエーションか。そんな話をしていると突然近藤が消えた。何があったとキョロキョロするルイ。近藤はその足元に倒れていた。彼が押さえている部分とアイマスクを外した沖田から事態の全容が明らかになる、パトカーの運転席から沖田が金的をしたようだ。

「悪ィ、遅くなった。」

 最後にやってきたのは土方。こういう時は大体一番乗りの彼が珍しい。

「全然待ってませんよ。」
「ンなこと言って、慣れない格好で朝から疲れちまってないか?」
「平気です、おめかしするのちょっと楽しかったですし。」
「相変わらず可愛いなぁ、男にしておくのが勿体ねぇ。」
「そ、その言葉が勿体無いです。」

 それって女の子として可愛いって意味ですかー!!ルイは心の中で叫び、表情に出ないよう頑張って唇を噛む。

「女装とは関係ないがお前の目がいい。明るく澄んでいて、故郷の風景を思い出す。」
「目、ですか。」

 土方の鋭い目がルイの目を射抜く。真正面から見つめられるのには耐えられないはずなのに、今は目が離せなかった。その目に映る自分すら見えそうなくらい、周りの景色がぼやけてくる。

「はやく乗ってくだせぇ、約束の時間に遅れちまいます。」

 ルイが1人で作り出した空気に飲まれて思いの丈全て伝えてしまいそうになったところに、車内から沖田が声をかけてきた。今ばっかりはありがとうと言いたい、いつも邪魔だと思っていて悪かった。

「乗れよ。」

 土方が後部座席の扉を開けてくれる。これって完全にデートみたいなアレなのでは?エスコートされてます的なことなのか?ルイは車に乗る動作1つなのに何故かためらいが出てしまい、パトカーと土方を交互に見てもたついてしまう。すると土方はルイの手を取って引っ張り、無理やり車に乗せた。強引にされてもときめいてしまうから、ルイは自分の浅ましさが恨めしくもあり単純で悪くない。土方は扉を閉めて、自分は助手席に行く。やっと近藤が目を覚まして、彼も慌てて車に乗った。

 捜査協力をお願いしたキャバクラの名前は「下女喫茶」というらしい。お客様を主人として下女になりきったキャバ嬢たちがご奉仕をするという……話を聞きながら近藤以外の3人が心を1つにして思ったのだが、それはキャバクラではなくメイド喫茶なのではないか?しかし立派な屋敷の門をイメージした表口には、キャバクラを彷彿とさせるネオンライトの看板がかかっている。

「すみませーんお邪魔しまーす。」

 近藤が裏口のドアを叩くと、すぐに中から初老の女性が出てきた。

「あらぁよくいらっしゃいました。今日はよろしくお願いします。」
「こちらこそ。」

 薄い銀色にも見える真っ白な頭髪を後ろで団子にした、美しい女性だ。化粧ではなく元の肌の色から白いことがわかるし、目鼻立ちがはっきりしていて、今でもとてもモテるんだろうなぁ、と、ルイはしみじみ思った。

「いやあね、私たちも迷惑してるんです。店の中で薬のやりとりをしてるのを見てしまって。ここは健全なお店ですからね、後ろ暗いことなんて嫌なのよ。」
「心中お察し致します。で、今日その運び屋がここに来るんですね?」
「ええ。席の予約をしていったから間違いないわ。で、そこのお姉さんがその人たちの相手をするのね?」

 女性はルイはに優しく微笑みかける。ルイもつられてはにかんだ。

「真選組の隊士さんだそうだけれど、あなたは見た通り女性でいいのかしら?それとも女装?」
「線引ルイは女性ですのでご心配なく。」

 近藤が言い切る。土方と沖田はそっと、視線だけ近藤を見た。この局長ははっきりとルイは女だと言ったが、流れるように自然な嘘だ、と、2人は少し感心している様子。ここで男だと素直に言えば、少しやり難くなるかもしれない。女性の世界の中に男が1人で置いていかれるとなると、いくら寡黙で真面目なルイといえども、色々とやり辛くなるかもしれない。

「線引ルイです、よろしくお願いします。」
「あらー可愛いお嬢さんだこと!うちの子達に混ざっても違和感がないわ。夕方の開店時間までにお仕事覚えてもらわないとね。その前にお着替えもしましょう!……あ、忘れてました。私は似内百合です。百合姉さんって呼んでちょうだい。」
「はいっ、百合姉さん。」
「元気でいいわぁ!じゃあこっちにきて!……お兄さん方は潜伏中はそこの倉庫使ってちょうだい、お掃除はしてあるし、お茶とお菓子も置いておいたわ。なにかあったら私に言って。うちの子達には無闇に声をかけないでちょうだいね?」

 百合はルイと近藤たち3人とではだいぶ態度が変わる。男の人には厳しいタイプらしい。それとも、この3人が『お客様』ではないからだろうか。近藤たちは街の見回りに行くと言って、一旦出ていった。時間までここにいるのも長くてしんどいだろう。
 百合に連れられ店に出る。見た感じではカウンター席が10にボックス席が20ある、結構大きな店だ。開店は夕方からで、今は電気をつけても薄暗く静かな空気。これを着ておいで、と渡されたのは、薄い桃色の着物と黄色い帯、そしてフリルのついた白いエプロンだった。これが制服、らしい。百合に教えてもらって更衣室を借り、着物を全て着替える。桃色の着物は初めてだ、自分にはちょっと幼いか可愛すぎるか。しかし制服ならば拒否できない、さっさと着替えて姿見を覗く。自分には中々選べない色を身にまとった自分がいる。なんだか不思議な気分だった。しかし桃色と黄色、そして白いエプロンという組み合わせは可愛くて、女の子の可愛らしさが服のおかげで滲みでているような気がした。

「あらーっ!似合うわぁ!ねえ、真選組って兼業は無理なのかしら?うちで働いて欲しいわぁ。」
「えへへ、ありがとうございます。お仕事の方教えていただけますか?」
「そうね、こっちに来てちょうだい。本当はうちの子たちが教えた方がいいかと思ったんだけど、みんなお昼は疲れて寝ちゃってるからねぇ。」
「やっぱり夜が忙しいお仕事ですか?昼夜逆転しちゃいそうです。」
「えぇ、逆に夜しかお仕事はないわ。私はママだからいいけれど、売れっ子ちゃんは開店から閉店までずっとお酌、なんてこともあるのよぉ。」
「わぁ、忙しそう……。」
「あなたはターゲットさんのところに連れて行くから、他のお客様のことは考えなくていいからね。」
「ありがとうございます。」

 カウンターの奥にあるビールのサーバーや日本酒の種類、カクテルの種類なんかを見せてもらう。正直言って数が多すぎてわからない。ターゲットの天人がよく頼むものだけはなんとか頭にたたき込まなければ。

「荒海大吟醸、スペースいも焼酎、ファジーネーブル……。」
「それだけ覚えておけばまず大丈夫よ。」
「頑張ります。」
「一回休憩しましょう。」

 百合はお店で使う業務用のオレンジジュースと炭酸で、オレンジソーダを作ってくれた。無意識にオレンジを選んだらしく、作り終えてから、これで良かった?と彼女は訊く。オレンジは好物なのでむしろ嬉しい。百合も無意識に使うということはオレンジが好きなのかもしれない。彼女は自分もオレンジソーダを飲みながら、カウンター隅に置かれた新型の薄いテレビの電源を入れる。
 ちょうど昼過ぎのニュースが始まっていた。トップニュースは、宇宙産の麻薬を使って意識不明になった男性が病院に運ばれたというもの。ルイたちにとってもタイムリーな話題だ。

「転生郷、ねぇ。」

 百合が呟く。

「薬の名前、ご存知なんですか?」
「いえ、このニュースのは分からないわ。あなたたちが追ってる麻薬は『転生郷』って言うらしいの。お客さんが言ってたわぁ。快楽は大きいけど中毒性が高くて、精神がおかしくなるって。でもそれが良くて買ってくれる人がたくさんいるらしいの。」
「転生郷……。」

 テレビの中でイメージ映像で流れている。砂糖のような白い粉が上から降り落ちてきて、青い紙の上で円錐を作っている。

「麻薬なんて……。」

 眉と眉の間が狭くなってしまう。
 ルイは麻薬が憎くて仕方ない。麻薬は大切な師匠を奪った悪魔の道具だ。あんなもの、生産するやつも、売るやつも、喜んで使うやつも、みんな揃って精神をやられて死ねばいい、ルイはそう思っている。

「恐い顔になってるわぁ。この後笑顔で接客してもらうんだからね、お顔直して。」
「……はいっ。」

 百合に眉間を突かれ、現実に戻ってくる。そうだ、今は仕事に集中しなければ。それにこれがうまく行けば、憎い麻薬も売る人を摘発できるのだ。

 その後いくつかのカクテルの作り方を教えてもらい、実践しながら自分でも飲んでみた。百合の言う通りに作っても、自作だと脳が分かっているせいか、なんとなく美味しいと思えない。百合は上手にできていると褒めてくれるから、多分大丈夫なのだろう。
 お店の女の子たちの出勤時間になって、続々と今日出勤のお姉様方がやってきた。少女趣味向けの童顔の子や、クールビューティを名乗れる麗しい子など、様々なタイプのお姉様だ。一度店に顔を出した彼女たちは、更衣室で着替えて再び店に戻ってくる。それぞれのキャラクターに合わせてか、桃色以外にも薄い黄色や水色など、パステルカラーの様々な色の着物がある。
 ルイは「にわかが何してるんだ」といびられる未来を予想してビクビクしていたが、案外お姉様たちはルイに対して好意的で、むしろ仕事の話やこう言う客がいるから気をつけろという忠告など、色々なことを教えてくれた。

 開店時間になると同時に、お店は半分ほどが埋まった。その後も仕事帰りの人で客は途切れることはない。ルイはターゲットが来るまではカウンターの中のすみで、飲み物を作る百合の手伝いをした。カウンターのお客さんが時々話しかけて来るときは、適当に話を合わせて笑顔を見せておく。


 予約の入っていた19時を過ぎても、ターゲットはやってこない。ルイは焦りを感じながら時計を何度も見てしまう。幸いなことに客の方はそんなルイには気付いていない。

「ルイちゃん。私、お客さんに電話してみるわぁ。」
「……お願いします。」

 しかし百合にはしっかりバレていたようで、見兼ねた彼女は予約表を見ながらターゲットの携帯電話を掛けてくれた。……しかし、1分ほど待っても電話には出てくれない。
 もしかしたらバレたか、それで店に現れなかったのか。

「百合姉さん、ちょっと奥へ行ってきます。」
「はあい。」

 ルイは近藤たちが待機している倉庫へ走った。
 割と広い倉庫内では、どこか別のところから持ってきたらしいパイプ椅子と折りたたみ机で神妙な面持ちをしている3人がじっと黙って待っていた。空気が重い。

「局長。」
「……ルイちゃん、どうした?」
「ターゲットが現れません、それどころか、電話も、繋がらなくて……。」

 自分の失態かもしれない、そう思ったルイは、報告しながら泣きそうになってしまう。口と言葉が震えて、目の前が潤んで3人の姿が見えなくなる。

「なに……気づかれたか……?」

 土方が低い声で言い、舌打ちをする。彼の前で失敗をしたくなかった、それなのに此処一番の勝負で失敗をした。任せてくださいと豪語したにもかかわらず、だ。

「ルイちゃん、泣くな。君のせいじゃない。どこからも情報は漏れていないはずだ。向こうに何か、今日の会合をやめにしなければならない動きがあったんだろう。」

 近藤は懐から白い手ぬぐいを取り出し、ルイの目尻に当てた。ルイは今は断れなくて、受け取った手ぬぐいでそのまま目を押さえる。

「可愛い化粧も着物も台無しになってしまう。君のせいじゃないから顔をあげなさい。」
「局長……。」
「『馬子にも衣装』ってんですよね、こう言うの。」

 珍しく気を使ってくれているのか、沖田が冗談を言う。

「……そうだ、今回はうまくいかなかったが次は検挙する。だからメソメソ泣いてんじゃねェ。」

 土方はルイの目にある手ぬぐいを掴み、グリグリと彼女の眉間をつねった。

「はいっ。」
「男なら堂々と顔あげやがれ。」
「はいっ!……局長、手ぬぐいありがとうございます、洗ってお返しします。」
「あぁ。今日はルイちゃんがちゃんと女の子だってところ見られてよかったよ。」
「……きょくちょぉ……。」
「もう女装の話はいいだろ。また隊士どもが混乱するといけねぇ、さっさと着替えちまえ。」
「えー!俺お着物のルイちゃんとデートしたい!」
「近藤さんにはあの女がいるじゃねぇですか。男連れて歩いても楽しかありませんぜ?」
「さっきから君たちはルイちゃんに男男と失礼だな!」
「なんでこいつが女みたいに言って…………え?」

 土方が反論の途中で言葉に詰まった。彼はなにもおかしくなってないと言うような近藤の真っ直ぐな瞳と、近藤の横でべそべそしているルイを交互に見た。

 そう、近藤は1日の始めからおかしかった。ルイのことを「ルイちゃん」と女の子を呼ぶように呼んでいたが、それは周りにルイが女であると思わせるためだと思っていた。しかし考えてみると、車の中や今のような他に誰もいない空間でも、ルイちゃんと呼ぶのをやめていなかった。
 近藤は最初からルイを女だとして扱っていた。だからここに来た時も、百合に向かって「ルイは女だ」と、はっきり述べたのだ。
 近藤は知っていたのだ、ルイが女である、と。

「おめぇ……もしかして……。」

 土方は隊服の詰襟から見えている首から、頬から、耳から額から、下から順にゆっくりと赤く染めていく。彼の頭の中ではルイとの思い出が走馬灯のように蘇っていた。そういえば線引のことを共同の風呂場で見たことがない、トイレに入っている姿も見たことがない、裸も見たことはない、それってもしかして今までひた隠しにして来たってことなのか。いや、ならばどうして局長が知っているのだ、知っていたら隠していることにならないのでは……もしかして、隠していなかったのか?隠してはいなかったが、隊士イコール男であると言う我々の先入観が「線引ルイは男である」と言う真か偽かもわからない定義を生み出していたのか?……彼の思考はほぼ正解である。
 色々考えながらルイを見れば、そこにいる線引ルイは女以外の何者でもなく見えてしまう。
 沖田も珍しく硬直していた。彼の目はしきりにルイの頭のてっぺんからつま先までを行き来していて、そこにいる「男」の本当の性別を探っている。

「え、トシも総悟もルイちゃんが男の子だとか思ってた?それは失礼だよぉー。」

 知らなかったのー?と得意になる近藤、土方と沖田はその笑顔をぶっ飛ばしたい衝動にかられる。
 ルイはついにバレてしまったと、土方とは逆に顔を青くしていた。なぜこのタイミングで。それに近藤は最初から知っていたのか。それには気づかなかった。そしてそのことで、近藤は男にも女にも分け隔てなく接する優しい人なのだと気付く。気付くが、今じゃなければダメだったのか!?
 思い返せば近藤はルイを男だと言ったことはなかったし、特に今日は「いつもの姿に戻れてよかったね」なんて優しいオーラを放っていた。あぁ、知られていたことに気づかなかった、失態だ。

「線引、あんた女なんですかぃ!?どこが!?」
「総悟!全部女の子でしょーが!」
「名前で気づいていただきたかったんですけど……これでいいです?」

 女だと分かってもらえるにはこれが一番かと、ルイは自分の着物の掛襟を掴んでぐっと広げる。下着が見えない程度に胸を谷間まで露出させ、そこにある胸が本物であることを示してみる。近藤が鼻血を吹いた。
 ルイの行為に土方は顔面蒼白した。彼が思い出しているのは、今朝触ったルイの、そこにある胸の感触。あれは詰めているものが良くて自然な触り心地だったのではない、彼……いや、彼女の、自前の胸、だったのだ。

「線引、あのな、俺は、セクハラではない、あれは、気づいてなかった、言い訳になる、しかし、しかも、不可抗力ではなく……自発的に……いや!違う、違うんだ線引、誤解しないでくれ、確かに自発的に触っていた。違う、そう言うつもりじゃなかった。嘘じゃない、可愛いと思った、それは間違いない。だがな、」
「トシ!落ち着け!」
「胸触って悪かった!!!!!」
「ひえっ大きい声で言わないでください!」
「土方さん斬首ですねィ!?」
「あれは不可抗力ですから!」

 混乱して目をぐるぐる回す土方は、ふらふらと千鳥足になった後その場に正座した。沖田がついに斬首かと刀に手を掛けると、近藤はさすがにそれを諌めた。
 そして土方はルイに土下座。

「あああっ土方さん!土方さんは悪くありません!わたしが性別を誤解されていると知っていながらも何も言わなかったのが悪いのですから!」

 ルイも土下座で返す。もう誰が悪くて何が悪いのかわからなくなって来た。逆に誰も悪くないのか。そうだ、悪いものなんてない、なにも悪くないのだ。
 はだけた胸元で土下座をするものだからルイの胸元が強調される。真正面から見た土方が鼻血を出して近藤に殴られた。

「それでも俺はとんでもないことをしてしまった!責任は取る!」
「責任ってなんですかぃ?土方さんまさか線引を嫁に取る気で!?」
「ああ!」
「「えっ!?」」

 ルイと沖田と近藤の声が重なった。今土方は大きな爆弾を落とした。各々それは聞き間違いだと思ってしまったが、お互いに見合わせた顔には皆「今のを聞いたか」と書かれていたので聞き間違いではないようだ。

「嫁入り前の娘に男だ男だ言って、挙句胸なんか触って傷物にしたとありゃあ、俺が責任を取るしかないだろ。いいな、線引。……いや、ルイ。」
「えっ!?ちょっと待ってくださいって、そんなの申し訳ないです、土方さんの人生ここで決めちゃわないでください!?わたしは大丈夫ですから!全然傷物になってないです!」
「いーやお前が良くても俺が良くねェ、いいから大人しく結婚しろ。」
「あああっ結婚とかそう言うこと言わないでください!土方さん格好いいんですから絆されますから!」

 本人が必要ないと言っているのに無理やり結婚の申し込みをするのも如何なものか。
 いや、こうは言っていてもルイはもちろん嬉しい。大好きな土方の方から結婚を迫って来ているのだから。しかしそこには愛であるとか心温まるものはない。責任感だけだ。そんな気持ちで言われても嬉しいとは言えないし、むしろ彼を縛ることになってしまうと苦しくなる。

「トシ!お前さん男ならルイちゃんを幸せにできるんだろうな!?」
「はあっ局長もなにをおっしゃっているんです!」
「しかしだ!副長なるものが色恋沙汰など隊士に示しが付かんからな!くれぐれも式までは内密にだ!」
「あァ、分かってる。」
「分かってるんです!?と、とにかくまずここを出ましょう。お着物を返して、百合姉さんに挨拶をしましょう!ここで騒ぐとお店の方の迷惑です!」
「あ、挨拶……そうだな、ルイ、お前生まれはどこだった?はやいうちに親御さんに挨拶しに行かねぇと……。」
「そ、そ、その挨拶じゃありません!なんか乗り気になってます!?ちょっと沖田さんニヤニヤするのやめてください!」
「線引がそんなに喋るやつだったとはなぁ。今日はおもしれーもんたくさん見れた。」

 逃した麻薬の密売人よりもまず解決しなければいけないことができてしまった。多分なにを言ってもこの3人を鎮めることはできない。ならばさっさと屯所に戻って引きこもる他ない。




 その後百合に別れを告げ、屯所に帰って来た。車の中は静かなものだった、気まずいまでに静かだった。ただ土方の視線だけはうるさくて、助手席に座っていた彼はちらちらと斜め後ろのルイを気にしていた。
 門前で近藤と土方、線引が降りる。沖田はパトカーを停めに1人車を走らせていった。門番2人が3人に深く礼をする。この2人もやはりルイの「女装」姿が珍しい、と、彼女を凝視している。
 土方はそれが気に入らないと言うように舌打ち。門番は萎縮してしまった。

 敷地内に入り、3人以外他に誰もいないことを確認すると、土方は後ろを歩くルイの腕を掴んで引っ張った。ルイはいきなりのことに抵抗できず、惹かれるまま一歩前によろけ、土方のすぐ隣に並んだ。

「おい、お前、俺がいいって言った時しか女物の服着んな。」
「え、それって休日の外出もですか?」
「たりめーだ。」
「でも、それだとお出かけするとき隊服に……。」
「なんでもだ!」
「土方くーん、男の嫉妬はみっともないぞー?」
「ばっ……近藤さん!」

 今のは土方の嫉妬心なるものだったらしい。ルイを見る門番の目が土方には耐えられなかったのだ。もうすっかり旦那気分になっているらしい。
 そういう独占欲とでもいうのだろうか、ルイはそれを土方から感じ取ってしまい、気が気でなかった。無理もない、さっきまで土方は責任感だけで嫁にもらうだの結婚だの言っていたと思っていたら、すっかり恋人面になっているのだから。
 これはもしかして、脈あり、というやつなのか?ルイは淡い期待を胸に抱かずにはいられない。

「とにかくだ!……百歩譲って休みに街行く時ぁ許してやる。が、だ、屯所内で女装……じゃない、女の着物はダメだ、ちゃんと隊服を着ろ。あとその、そ、……その、胸……は、必ず潰せ、いいな。」
「はい、頑張ります。……す、すみません、報告書は明日書きますので今日はもう休ませてください。」
「あ、あぁ。」
「ルイちゃん、今日は色々疲れたろう、早く休みなさい。」
「『ルイちゃん』も禁止だ。」
「えー。」
「えーじゃない!」

 土方の意識が近藤に向いたところで、ルイはこっそりと部屋に戻った。そしてすぐさま布団を引き、着物を脱いでハンガーにかける。白い襦袢だけになったルイは、寝巻きに着替えるのが面倒になったのでそのまま布団に潜った。
 朝から直前までに起きたことをひとつひとつ思い返してみる。朝一番で土方に可愛いって言われた、土方に目が綺麗だって言われた、土方にエスコートしてもらって車に乗った、土方に責任とるから結婚しろと言われた……。最後の2つの間にあった出来事が濃厚すぎる。もしかしたらこれらの出来事は夢なのではないか?実は疲れて車の中で寝てしまっていて、今はまだ朝で、これはその時に見た長編夢小説なのではないか。そう思いたくても土方に引っ張られた腕だとか、見つめられた熱視線だとか、胸を触られた時の手だとか、現実でしか味わえないものを思い出してしまう。あれは夢ではなかったはずだ。でも夢だと思った方が全てが丸く収まる気がする。こんな形で成就した自分の恋のことは一旦置いておこう。
 そうだ、わたしは蝶で、これは蝶が見ている夢なのだ。
 おやすみなさい!





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