trance | ナノ



8.内なる感覚


 なにかとても良くないものを見た、セオは一瞬でそう思った。夕日が草原の向こうに沈みかける頃、街外れの一本道に、女の子が倒れている。しかもそれを3人の男の子が囲んでいて・・・セオは既視感を覚えた。女の子は傍らの泥水で口をそそぎ、3人の男の子はそれを見おろしていた。
 なんとその男の子のうちの1人はディオである。

「何をしているの!」

 セオは躊躇することなく事件に突っ込んで行った。目があったディオは、しまった、という顔をする。後ろの男の子2人は、この間この女の子をいじめていたうちの2人だった。その時点で現行犯だ、またこの女の子に何かをしでかしていたに違いない。

「ディオくん、どういうこと?」

 女の子を間近で見おろしていて、まるで主犯ですと体現しているようなディオにセオは問う。ディオは答えられなかった。セオの前でだけはなんとか猫を被っておかなければと思っていたのに、失態だ。

「こ、れは・・・。」

 今までの猫かぶりが今一気に崩れさる、ディオは言葉を詰まらせた。

「ディオはエリナの奴にキスをしたんだッ!」

その後ろで、片方の男の子が口を開いた。ディオは大きく舌打ちをする、ますます自分の立場を悪くする発言に苛立ちを隠せなかった。
 セオは全てを理解する。ディオが無理矢理女の子・・・エリナにキスをし、エリナはそれに対し深く傷つき、口を泥水でそそいで清めようとしたのだ、と。

「そういうことなの?ねえ。」
「ッああ!そうさ、このディオがその女の唇を奪ったッ!」
「された彼女が嫌がっているが?ねえディオくん、あなたは無理矢理この子の唇を奪ったのか?」
「・・・ッ。」
「女の子に対して紳士のやる行動じゃあないんじゃないか!」

 制御が外れていくように、段々とセオの言葉が汚くなる。それは誰が聞いても明らかな変化だった。ディオはその変わりように少したじろぐが、直ぐに余裕を見せるような笑みを浮かべてみせた。

「ふ・・・フフ・・・セオ、君も淑女の言動じゃないように感じるけどな・・・。ずっと猫を被っていたのかい?」
「いいんだよ、もう駄目なんだ、もう、気に食わない事があるとこうなんだ。しゃべり方なんて気にしない。」

 セオはしゃがんでエリナの手を取った。大丈夫?と声をかけて顔をのぞきこむ。エリナは泣いていた。目に浮かんだ涙が、泥で汚れた頬を流れてぐしゃぐしゃにしている。男の子が集まって女の子をいじめているなんて事実に、セオはもう許せないといった表情をした。睨まれるディオは、目の前にいるのがセオだとはにわかに信じられない。この間、頬に着いた血を優しく拭ってくれた少女とは思えないほどの、怒りを前面に出した顔。ここまで人は豹変するものなのか。
 拳を握るセオの行動に、ディオは反射しきれなかった。セオの拳がうなる、殴る、というよりは、ぶん殴る、という表現の方が合うだろう。鈍い音をさせて、セオの拳はディオの頬骨の下に食い込んだ。ぐは、と、ディオは血を吐く。喉の奥にまで衝撃が行ったらしい。そしてそのまま彼は倒れる。まさか殴られるとは思わなかったものだから、抵抗せずに重力に従って倒れた。

「・・・こ、このディオを殴り飛ばすだと・・・?」

 ディオは先日ジョナサンが言っていた事を理解した。セオのことを怒らせない方が良い、とは、まさにこのことを言っていたのだろう。そして彼は、先日のセオの事を思い出す。男の子3人を相手にかなり強気で、殴りかかろうとさえしていた。あのときは未遂に終わっていたが、ジョナサンが止めに入らずにいれば、今の自分の様になっていたのだろうと判った。

「貴様・・・ッ!」

 やられっぱなしなんてことは許されない。ディオは素早く立ち上がり、セオの服の襟を掴んだ、そして先ほどの彼女の様に拳を握る。が、ディオはそのまま動かなかった。ここで女を殴ってしまうのは自分のプライドが傷つく。それにここで拳を収めれば、自分はセオよりも理性的な行動ができると示せる。ディオはセオを押すようにして襟から手を離す。セオは未だディオを睨んだままだったが、それ以上手を出すことはなかった。
 もうセオが暴力をふるってこないと判ったディオは、取り巻きを連れてその場を去った。セオはその背中をじっと睨み続け、豆粒ほどになった頃にやっと肩の力を抜いた。

「・・・とんでもないことをしてしまった。」

 彼女の目から狂気にも似た怒りは消えていた。そして呟くのと同時にどっと後悔する。ああ、やってしまった、頑張って抑えていたのに、暴力に走ってしまった。セオは顔を両手で覆い隠してその場にしゃがんだ。消えてなくなりたい、こんな事人のする行動じゃない。それに比べてあのディオはどうだ、殴った相手がああではセオの心はズタボロにされるばかりだ。後で謝りに行かなければならない。

「あ、あの・・・。」

 そんなセオに、エリナは声をかける。ぽんと力弱く肩を叩かれ、セオはゆっくり顔を上げた。

「ありがとうございます・・・私のために・・・。」
「いいえ、やりすぎてしまった。ああ、どうしよう・・・。」
「そんなことないです、大丈夫・・・。」

 エリナは立ち上がってスカートをはたくと、セオの手を取って立ち上がらせた。エリナは素直に、セオの行動に感謝していた。自分の名誉のためにと拳をふるってくれたその姿は、たとえ自身が後悔するものであっても彼女にはありがたいものだ。
 しかしディオにキスをされたと言うショックは深く残っている。エリナはセオにもう一度ありがとうと伝えると、近くに落としていたバスケットを拾って走り去った。






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