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世界に君はただ一人


 教会裏に、ぽつぽつと血の跡。それはまっすぐ、シェルターのある場所まで続いていた。ジョニィとの戦いで傷ついたディエゴが、セオをその血でシェルターまで連れてきてくれているようだ。
 悲しみで、涙で、前が見えない。尊敬していた大好きだった人はもうこの世にいない。身体を引きちぎられ死んでしまった。ディエゴは死んだ、それを現実だと受け止めた瞬間に、セオは身体を支えていた糸が全て切れてしまったかのように脱力し、そして大いに嘆いた。
 しかし彼女にはやらなければならないことがひとつ、残っている。斃さなくてはいけない、ディエゴと同じ姿形をした偽物を。

 あまりにも簡素な入り口のドアは木製、ぎぃと音を立てて扉は開いた。らせん状の階段はひんやりとしていて、いやなくらいに静かだ。階段を降り切ると、そこに、格納されていく遺体と、それを見守るディエゴの姿があった。

「・・・セオか?」

 振り返る男、その姿かたち、声、視線、そのすべてが、ディエゴ・ブランドーだった。セオは涙が溢れそうになるのを我慢して、手袋で目をおさえた。また生きてる姿をこの目に映したかった、それが今かなった、幸せな気持ちが溢れ出す。

「会いに来てくれたのか。」
「・・・一目、あなたに、会いたかったんです。」
「一目?そんなこと・・・これからはずっと一緒にいられるじゃあないか。」

 ディエゴはセオの手を取って階段に腰掛けた。セオは手を引かれてその隣に座る。見れば見るほど、ディエゴ本物だ。そのしぐさも話し方も、どれをとっても本物に変わりない。それでも異世界から来たと判っているからなのか、セオはこの世界のディエゴに対するような強い恋慕は抱かない。こぼれた幸福感はすっと収まる。

「こうしてゴールできた、なぁ、これでずっと一緒にいられるな。」

 うっとりとした瞳、まるで恋をしている乙女のような。細められた目が心なしか潤んでいるようにも見える。
 掴まれた手は離されない。体温が上がっているのかディエゴの手は暖かく、普段ならば心地よいと思えるのだろう、普段ならば。
 これは本物のディエゴではない、そういう感覚がセオを支配している。この目の前にいる彼は、セオにとって本当に自分を見つめて欲しい人ではないのだ。なのにこのディエゴは、目の前にいるセオを唯一無二の存在のように見ている。セオにはそれが悲しい、この世界のディエゴももしかしたら、自分でなくても良いのではないか、なんて考えてしまうから。

「ちがいます・・・あなたのセオはわたしではない・・・。大統領から聞いているんですよね?」
「ああ、聞いているさ、異界のセオ。しかしオレにはもう君だけだ。」

 ディエゴに頬を掴まれキスをされる。う、とセオが唸ると、その唇を親指でなぞられた。

「あっちのセオにはもう会えない、世界を跨いでしまっただけなら戻れば会えるだろうがそうじゃあない。もういないんだ。」
「いない?」
「レース中に落馬して、周りの馬に巻き込まれて死んだんだ。あっけなかった、隣の馬がぶつかった衝撃で落馬したと聞いた。」
「死んだ・・・!?」

 自分が死んだと言われるとは思ってもみなかった。このディエゴの世界にいる自分はもういないのか。そういう世界があるとしてもおかしくはないのだが心底驚いた。
 ディエゴはセオを離さない。自分よりも小さいセオの身体を丸め込み、一生逃がさないという風だ。

「この世界の大統領が来た時はもう何もかもがどうでもよかった・・・しかし、この世界には生きた君がいると教えてくれた、オレにはそれだけで世界を超える意味があった。君が死んでから世界は灰色で、権力にも金にも心を揺さぶられることは無かった。・・・このオレがだ、おかしいと思うだろ?」
「で、でも、わたしは、あなたにとっては本物ではなくて、」
「生きる世界は違っても、君はセオ・フロレアールだ。精神はひとつ、同じ存在であるとオレは思う。」

 根本的に考え方が違う、セオは生きる世界によって精神も別の物だと思っているから。こうして自分のことを思ってくれるのは素直に嬉しい。しかし本当に欲しかったディエゴではないのだ、と、そう一度思うと考え方は改められない。
 このディエゴには悪いが、はやく斃さなくては。セオは胸元からそっとナイフを抜き取りった、ディエゴの顔はセオの肩を越えて背中にあるから見えていないだろう。

「・・・ディエゴさん・・・。」

 偽物をこうやって名前で呼びたくは無かった。セオは受け入れようとするようにディエゴの背中に手を回した。細いががっしりとした胴体、背中は広く手を回し切るのが精一杯。
 自分を受け入れてくれたと感じたのか、ディエゴの腕に力が入る。

「セオ・・・君だけがオレの全てだ。」

 レースの序盤を共に走り、一度道を分かれた後に知った悲劇。女一人でこのレースを無事に終えられるなんて、ほとんど考えられないことなのは確かだった。ディエゴはセオの死を知り、生きる意味を見失ってしまったのか。レース中独りで走り続けながら何を考えていたのだろう。そんな絶望の中に現れたこの世界のセオだ、彼には大きな救いだったのだろう。
 それでも、ごめんなさい、と、セオは心の中で呟く。そしてナイフを構えてディエゴの背中、に、

 ナイフを構える手を掴まれる。最初から気づいていたというような自然な動作だった。掴まれた手からナイフが引き抜かれてディエゴの手に渡る。

「君は、どうしてもこのオレが受け入れられないのか?」

 悲しい声だった、懇願のような、子供が親にすがるような。ディエゴは抜き取ったナイフを階段の下に捨てる。ガツン、ザリザリ、と、刃が落ちて少し滑る音。勝てないとセオは思った。それでもこのディエゴを受け入れる気にはなれない。どうすればいい、道が断たれてしまった。

「あなたじゃあない・・・んです、ごめんなさい、ディエゴさん・・・。」

 もういない方のディエゴへの謝罪。彼のためにやろうとしたことではなく、あくまで自分の意思での殺害計画だったのだが。もう一度会いたい、その気持ちからふと言葉が漏れる。目の前のディエゴを斃したところで、本当に会いたい人には会えっこないのに。

「君がそう思っていてもオレには君ひとりきりだ。だからな、」

 言いかけてディエゴはセオの顎をつかむ、そして、強引にキス。ぐっと唇を当てつけられ、呼吸をすることを許されない。セオは抵抗しようとしても、腕を取られ脚も抑え込まれ、頭も固定されている。どうにも出来ず、ただ強制的に受け取るだけ。段々涙が出てきた。セオの涙がディエゴの頬に移る、冷たいのに気づいた彼は片手でセオの頬をさすった。
 そっとディエゴが離れる、何分間唇をあわせていたのだろうと思う。彼は心底嬉しそうに、口元を緩ませている。瞳にはセオしか映っていない。

「セオ、君が何と言おうとオレは君を放すつもりはないぜ。一生、な。」

 肉食獣の目、このまま喰われて死んでしまいそうだ。
 自分の愛したディエゴを諦めきれない気持ちと、目の前のディエゴのせいで感覚の麻痺した頭で狂いそうだ。このディエゴはセオを失った所為でもう狂ってしまったのだろう。逃げられない、抵抗出来ない、落としたナイフはもう拾えない、しかし諦めきれない。そんな不安と不信でぐるぐるしているセオの表情すらもディエゴは幸福でいっぱいに見つめている。
 彼の鋭い爪が背中に突き刺さる、心の苦しみで傷の痛みが倍増する。逃げられない、そう察したセオはゆっくりと全身の力を抜き、ディエゴに寄りかかった。
 このまま2人で死んでもいい、ディエゴの言葉が岩壁に反響した。
















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『長編では割とあっさり世界ディエゴがやられてしまうのですが
もしもディエゴの方が上手かつヤンデレていたら…』
リクエストありがとうございました!






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