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あとどれくらい


 セオの研究室、である。いつものように今日も、練習を終えたディエゴが競馬場から真っ直ぐセオの大学にやってきていた。ノックと、入るぞと言う一言。いつもなら中からセオのどうぞと言う返事が来るのだが、今日は無かった。手洗いにでも席を立っているのかもしれないと思い、遠慮なく部屋に入った。
 ディエゴの定位置となった、普段は探検家な教授が使っている椅子。そこに向かおうとしながらいつもセオが座っているスツールの方を見る。高く積み上げられた資料に隠れて外からは見えなかったが、テーブルに突っ伏して寝ているセオがいた。
 居たのか、と、ディエゴが小さく呟く。起こしてしまっては悪いので、自然に目覚めるまで放っておこう。しかし、彼が椅子に腰掛けた時に鳴ったキイという小さな音に、セオの耳がピクリと反応した。

「・・・ディエゴさん?」

 顔は上げないが、ちょっとだけ浮かせた目、前髪と腕の間から眠そうな瞳がディエゴを捉えた。わりとしょっちゅう「疲れた」と口にしているセオだが、今はその一言がなくても明らかに彼女が疲れているのが伝わってくる。会えて嬉しいの笑顔も、何か飲みますかの気遣いもない。珍しい。彼女は腕を枕にして、顔をディエゴの方に向けながらまた頭を下げる。

「どうした?」
「・・・なんでもないです。」

 なんでもないはず無いのは明らか。ディエゴはキャスターのついた椅子を転がし、セオの隣に持ってきて座った。彼女の髪を掻き分け、半分が腕に隠れた頬を触る。寝ていたから体温が高くなっていたのかもしれないが、いつもよりもほんのり熱い。風邪でも引いたのだろう。

「風邪か?」
「なんでもない、です。」
「返事になっていないぞ、無理しすぎたんじゃあないか?」
「そんなことない・・・。」
「まあいいからソファに行けよ。」

 ディエゴはセオの上体を起こさせた。ウーンと嫌そうにセオは唸る。それでも横になりたかったのか、自分でも脚をおぼつかせながらソファに向かった。仮眠用にと置いてある2人がけ用のソファ、セオはぐでんと横になり、ディエゴにかけられた毛布に大人しく収まった。

「色々と切羽詰まっているのは分かるが、自分の不調くらい察せないと一人前とは言えないぜ。」
「そうですね・・・ありがとうございます・・・。」
「いつからおかしかった?」
「朝から何と無く。」
「どうして家で寝ていなかったんだ。」

 そんなことを言われても、と、セオは不服そうに頬を膨らませる。しかし力が入らないのか、緩く結ばれた唇からはフーと空気が抜けてしぼんだ。彼女の顔は全体的に赤く、やはり熱があるようだった。試しにディエゴは額に手を当ててみたが、思ったとおりに熱がある。少し動いただけでもゼイゼイと荒くなった呼吸からしても、結構きついのだろう。

「ごめんなさい、今日、全然元気がなくて。」
「オレのことなんか気にするな、早く良くなってくれよ。君が弱っているとオレの心が落ち着けない。」
「・・・ふふ。」

 セオの微笑みは力なく、ディエゴを不安にさせているようだ。彼は居た堪れなくなって、額に乗せた手でそのまま優しく撫でる。セオは不安な顔を見せても直ぐに気丈に振舞ってくれるのだが、今日はいつまで待っても眉毛がハの字になったまま戻らない。

「風邪がうつります、帰った方が良いです。」
「風邪引きを残していけるか?家まで送っていく。」
「優しい。」
「いつもの事だろ。」

 得意げにニヤと笑うディエゴ。いつものように自信満々なその表情を見せてくれただけで、自分は迷惑をかけてばかりでもないのかとセオは心を撫で下ろすことができる。
 額に載せられた手に、セオも手を重ねる。熱のある自分より体温の低いディエゴの手はひんやりとしている。変温動物体温だからだろうか。氷のう要らずで乗り切れそうな気がする。しかしずっと看病のために付き添ってもらうわけにはいかない。やはり帰ったら氷枕を準備しなければ。
 そう思って、セオはふと考える。いったい後どれくらい、ディエゴと居られるのだろう。今は帰る家の別々な恋人同士だが、近い将来2人で暮らすようになる。そしてそれは死ぬまで続くのだ。死ぬまで、それは一体いつまでなのか。目先すぐか、他の人よりも少し早いか、平均的な長さか、或いは他の夫婦よりも長くか。タイムリミットが分からない。

「いつもの事、そうですね、いつもの・・・。わたしも、いつでも貴方のことを考えていますよ。」

 珍しく弱気を全面に出し、目の前にいる相手を思いやる余裕も無くしているセオは、そう口にした。再確認、自分はディエゴの事をいつでも考えているし、これからもずっとそう。いつか離れるかもしれない、死がその日をもたらす。後どれくらいかは分からない。分からなくても、いつでも一緒にいられたら、必要と思ってくれたなら。

「・・・どうした、急に?」
「死ぬまで一緒に居たい、それだけです。」

 セオの告白にディエゴは驚いたが、丸くされた目はすぐに閉じて、穏やかに笑う目元に変わる。彼女の、どこか違和感を覚えるような懇願も嬉しい。ディエゴは自分の手に重ねられたセオの手を取り、いつもよりも暖かいその手に唇を寄せた。






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