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心配なんてしていない


 セオの属する大学院で考古学を研究する院生は、彼女の他に男性が3人いる。大学自体は大きいのだが、この分野は人気がないのか、毎年大学院に進む人は少ない。そのお蔭で院生は、1人につき1人の教授につくことができるのだが。
 研究室が違えば研究するジャンルも少しずつ違うので、自然と院生同士が顔を合わせる機会は少なくなる。・・・のだが。

「ねえセオくん、君の所の教授はまだ帰ってこないの?」
「・・・来月帰ってくるって前に言っていますよね。」

 何故だかやたらとセオに絡んでくる男がいる。名をエリオットと言った。セオにしてみればただの同期、しかしエリオットにはセオが特別の存在に見えているらしい。大学時代からなにかとアプローチされている。

「ああ、そうだったね。1人で調書作りは大変だろうし手伝おうか?」
「いいえ、1人で十分です。」

 いつも手伝いを申し出てくれたり、荷物を代わりに運んでくれたり。賢いセオだが存外に色恋には鈍いので、そんなエリオットの行動はただの優しさにしか映っていなかったので悲しい。

「そんなにわたしは頼りなさそうに見えるんでしょうか?」

 つーん、と、セオはそっぽを向く。

「ぼ、僕は君の役に立ちたいだけだよ!」
「・・・エリオットさんは優しいですね。」
「君だけにね。」

 セオが機嫌を悪くしたようなので、エリオットは慌てて弁解する。そんな焦った様子がおかしくて、セオは少しだけ笑った。こんなにアピールしているのになぁ、とエリオットはつぶやく。SBRレース前のセオだったら何の事と訊いていただろうが、そっち方面にも成長した彼女は、彼が自分に好意を寄せていてくれることには気づけた。エリオットの行動が全て善意によるものだと思っていた時期が長かったので、鈍かった自分をほんの少しだけ反省する。しかし応える気持ちはない。

「では研究室に戻るので。」
「一緒に行っていいかい?」

 邪魔はしないから、と言われてもセオは困る。人の作業を邪魔するために研究室に来られるのは当たり前に迷惑だが、邪魔にもならなければ薬にもならないのが居ても困る。それならまだ石膏像を置いておきたい。なんて彼女はとても失礼な事を考えた。
 それに教授が留守で研究室に1人で居られる今は、いつディエゴが来てもおかしくないこともある。ディエゴに知らない男と一緒に居るのを見られて変に疑われたくない。

「1人で作業したいんです。」
「・・・そんなに言うなら仕方ないか。」

 セオが意外とスッパリ断ってくるのでエリオットは驚く。今まではちょっと押せば直ぐに受け入れてくれたので。あのレースがセオを変えたのだなあと彼は何故かしんみりした。セオについていけないのは残念だが、あまりグイグイ行っても嫌がられるだけなのでエリオットは大人しく引く。

「じゃあまたね、今度お昼ご飯一緒に食べよう。」
「そのうち。」

 セオはひらひらと手を振って研究室に戻る。優しくしてくれるエリオットには悪いのだが、それに応える気は全くないので、はやく心が誰かに移ってくれないかなあと思うばかりだ。邪魔をされたわけではないが、なんとなくエリオットに触発されて、今日はもっと調書に向き合おうと決めた。

 研究室に鍵はかけていない。入口の周りも遺物の入った段ボールやら木箱だらけで、どうみても倉庫にしか見えないのでわざわざ中を物色する奴なんていないだろう、と教授は考えているから基本的に施錠しない。
 消しておいたはずの電気がついている。珍しくお客さんかと思い、ちょっと背伸びをして部屋の中を見回すと、見なれた金髪が椅子に座っていた。ディエゴはその辺に積んであった分厚い文献をつまらなそうに読んでいる。

「来ていたんですね。」

 セオはエリオットを連れてこなくてよかったと安心する。もちろんやましいことなどないが、さっきも思ったとおり、変に疑われたくなかったから。

「雪解け水でコースがぐちゃぐちゃだったんだ。」

 外で練習が出来ないならとこっちに来たらしい。ディエゴは分厚い本を元の位置に戻し、手軽そうな考古学雑誌を手に取った。

「練習はおやすみで?」
「自主的にな。・・・ん。」

 ふいにディエゴが鼻をひくつかせる。セオには特段気になる匂いはしないが、スケアリー・モンスターズの能力で五感が鋭くなった彼には分かるものなのだろうか。クンクン、と、周囲の匂いを嗅ぎながらディエゴが辿り着いたのはセオの元だった。彼女の肩口に鼻を寄せて、集中的に匂いを嗅ぐ。

「な、なにか気になりますか?」

 自分の体臭には気をつけているつもりだが、セオにはわからない匂いがディエゴにはわかるのだろうか。顔を離したディエゴは、眉間にシワを寄せてあからさまに不快だという表情をした。

「・・・男物の香水の香りだ。」
「男物の・・・?」
「誰か若い男だな、この香りは。同じ大学の奴か?おじさんの着ける匂いではないな。」
「あ。」

 そういえばエリオットは香水を着けていた気がする。会うといつも、ふわっと一瞬良い香りがするのだ。たしか今日もそうだった。話しているうちにその香りが移ったのだろう。

「同期の男の人です。同じ学科なのでたまに話をするんですけど、今日もここに来る前に会って。」
「それでこの匂いか。・・・不愉快だな。」
 

 ムッとしながらディエゴは乱暴にセオの首をこすった。彼はセオから他の男の匂いがする事にかなりむかついていた。セオは痛いですと抵抗するも、力でかなわない。服の上から肩も擦られる、皮が伸びそうだ。一通り首から肩を擦ると、ディエゴは再びその辺の匂いを嗅いだ。香水の匂いが消えたので満足して鼻を鳴らす。

「嫉妬してくれたんですか?」
「・・・まあ。」

 ディエゴはやかんに水を入れて火にかける。どうしたのかと問うと、まだほんのり残っている香水の匂いが嫌だからコーヒーで消してやりたいのだと言った。ちょっといらいらしている彼がなんとなく可愛い。

「そうして想われるのも嬉しいですね。」
「・・・オレは勘弁して欲しいけどな。で、その男とは仲がいいのか?」
「同期なので、わりと。なんだかんだと絡まれるんです。」
「・・・ふうん。」

 ふいに、コンコンとノックの音がした。訪問者なんて珍しいと思いながら、セオは返事をする。ディエゴをどうしようと一瞬考えたが、居て悪いことも無いので気にしないことにした。

「セオくん!教授が美味しいコーヒーをくれたんだ!一緒にどうだい!」

 入ってきたのはある意味話題の中心であるエリオットだ。あぁ、と、セオは肩をがっくり落とす。エリオットは手に銀色のパッケージのコーヒー豆を持っていて、じゃじゃんとセオに見せつけた。そしてコーヒーを淹れようとした彼は、流し台に居るディエゴを見つけて吃驚する。

「誰だ!?セオくんの部屋で何をしている!」
「貴様こそ誰だ。」
「ディエゴさん喧嘩腰はだめです。」
「セオくん!!」
「この方はディエゴ・ブランドーと言います。」

 イギリス人でディエゴ・ブランドーの名前を知らない者はほとんどいない。エリオットも知っている人物で、彼はまさか目の前にいるわけが無い名前に心底驚く。言われてみれば新聞の写真でよく見かける顔だ。
 ディエゴは再び鼻をひくつかせる、先ほどセオから感じ取った匂いが強くなった。セオの言っていた同期はこの男だと察する。

「何故ここに?セオくんとは・・・ああ、SBRレースだな。そこで知り合って優しいセオくんに付け入っているというわけか。」
「当たらずといえども遠からずだな。」

 エリオットはぴりぴりとした空気で威嚇する。好意を寄せている女性の研究室に知らない男がいる、という状況が耐えがたい。ディエゴはディエゴで、普段はセオ1人で居る研究室に堂々と入ってくる男、という存在が耐えがたい。

「付け入られているわけではないですよ、来たいと言うので呼んでいるだけです。」
「・・・僕はだめなのに!」
「そうですねえ・・・。」
「コーヒーは置いていけ、今度オレとセオで飲む。」
「ディエゴ・ブランドー!?どうして君が決めるんだ!」
「恋人だから、だな。それに限る。」
「恋人だと!!??セオ君の?恋人だと・・・?どういうことだ、セオくん!」
「わたしの恋人のディエゴ・ブランドー選手です。」
「なんだってええ!!」

 セオの告白にエリオットは何度目か分からない驚き。彼は嘘だと言ってくれと呻いたが、生憎嘘ではないので撤回できない。ディエゴは目障りな男が現実を突き付けられて愕然としているので優越感に浸っている。彼は、そう言う事だ、と言ってセオの肩を抱く。セオも満更でもなさそうにディエゴに頭をもたれかけさせたので、ついにエリオットは現実から目を背けられなくなった。

「認めない、僕は認めないからな!!!」

 負け犬の遠吠えだ。エリオットは戦いに敗れた悪役よろしく叫びながら研究室を飛び出していった。コーヒーはそのまま持ち帰った。

「あの男には注意しろと言いたいところだが、ショックで立ち直れないかもしれないな。」
「・・・そうですねえ。」






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