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信じられるものが欲しい


 彼女の気持ちは一種の『吊り橋理論』だったのではないか、というのがディエゴの最近の悩みであった。レースの緊張した雰囲気と遺体を巡った争いの中、一番傍にいて緊張感を共有した自分を好きになったと勘違いしただけではないか。そんな熱に浮かされたセオがイギリスにもどってきて自分を捨てるのではないか。ディエゴはいつだったか、誰かに教えてもらった『吊り橋理論』というものを思い出して不安になった。
 もちろん彼自身の気持ちは吊り橋理論なんてものではない、ただただ純粋なセオへの愛だ。そして彼女もそういう気持ちを自分に持ち続けていてくれると信じている。こうして彼女の気持ちを疑う事自体も、信じることが出来ない自分を苦しめる。
 もやもやとした気持ちを打ち明ける事が出来ないでいるディエゴは、自分の女々しさにも悩んだ。

「コーヒーでいいですよね。」

 大学、セオの教授が使う研究室、である。街を歩けばファンがうるさく、かといってどちらの家に行く時間もないディエゴは、馬の練習の合間を縫って大学を訪ねるのが習慣になりつつあった。セオの教授・・・彼女曰く『探検家な教授』の研究室は、壁は四方を棚で囲まれ、そこに分厚い本や発掘した遺物やらを詰め込まれ、机の上にも本やら遺物やら、床にも段ボールで大量の発掘物やらなんやら・・・とにかく物の多い部屋だった。散らかっているとは言い切れず、人が通る道も物を書くスペースもあり、段ボールは整然とされている。ただとにかく物が多かった。
 この研究室を出入りするのは、最近ではセオのみで、探検家な教授はどこだかに探検中らしい。放っておいてもセオは自分でやりたいことを勝手にやるので、教授はセオがSBRレースに出る前から彼女を放任気味だったそうだ。

「オレが淹れるよ。」

 今日もディエゴは大学を訪ねた。セオの属していた考古学科は一般にも開放的だったので、彼は勝手に出入りをするのが簡単だった。セオの教授の研究室を訪ねると、教授が今どこにいるかを示す札は『探検中』とあったが、厚紙で簡易に作られたセオの物は『在室』になっていた。セオは作業の手を止めてディエゴの来訪をハグで迎え、ほぼ毎日顔を合わせられているのにもかかわらず、半年ぶりに再会したかのように喜んでくれた。
 そして今に至る。

「・・・じゃあ、お願いします。」

 自分用にブラックコーヒーと、セオ用に牛乳をたっぷり入れたカフェオレ。牛乳の量はセオの好みばっちり。レースを終えて約2週間、最中には知らなかった彼女の好きなものは段々覚えてきた。
 受け取ったカフェオレを美味しそうに飲むセオを見て、ディエゴは幸せな気持ちに浸る。1人の女の笑顔が見たいがために献身的な行動を取るようになるだなんて、レース前の自分には信じられないことだ。もちろんセオ以外の他人には利用価値があるかないかの判断基準しかないが。かろうじてブリュメールとジョニィ、ジャイロは特別視されている方ではある。

「調書の進み具合はどうだ?」

 書面にコーヒーを落とさないようにと、ディエゴは机の端にコーヒーを置いてセオに寄る。彼は普段は教授が使っているふかふかの回転いすに座って、セオに肩を寄せた。

「遺跡から出ていた遺物のリストは出来ました。あとはこれから考察したことを文章にして・・・。」

 レポート用紙には延々と、番号付けされた土器の破片の詳細が並べられている。セオの机の上にある段ボールに詰められた破片達だ。ディエゴからしてみればただの過去の遺物だが、セオ達考古学者達には大変貴重な物らしい。そこらへんに捨ててしまっても問題なく感じられるそれが、セオの興味を引くものだと思うだけで突然大切に感じられる。つくづく自分はセオに惚れこんでいるなぁと思った。

「まだかかりそうか?」
「・・・量的に一か月は必要そうです。」
「そんなにかかるのか・・・。」

 ディエゴは学校に通った事はなく、幼少の頃から馬一筋だったので、一つの論文を完成させる苦労には触れたことがない。セオの表情が暗くなる、かなり大変な作業らしい。聞いてはいけないことだったかと思い、申し訳ないという気持ちを込めて頭をなでる。

「・・・無理するなよ。」

 セオはその手にすがるようにディエゴにすり寄った。ああ、落ち着く、と、彼女はディエゴの胸に顔をうずめる。こういうスキンシップにも大分慣れてきたらしい。ディエゴはそんなセオを愛おしく思い抱きしめる。

「ディエゴさんがいるから大丈夫です。」

 にへ、と笑うセオ。そんな顔をされると身体中が暖かい気持ちに包まれて、悩みの全てが飛んでいくようだった。セオは自分を本当に好きでいてくれるかどうか、なんて、些細な問題である。セオはこうして自分のそばにいてくれ、レース中に見せてくれた笑顔は変わらない。『吊り橋理論』なんてものは、自分たちには関係のない話だった。

「疲れたらいつでも頼ってくれ、オレはセオのために飛んでくる。」
「えへへ、嬉しいです。しんどい時は助けてくださいね。」
「もちろん。」

 セオの肩を押さえ、頬にキスをする。するとセオもディエゴの頬にキスをし返した。
 こうやって研究室にまで遊びに来るのは迷惑だろうかと毎回思う。しかし本人は大丈夫だと言ってくれるし、なによりこうやって良い笑顔をむけられると、来てよかったと感じられる。
 セオが自分を、誰でもないこのディエゴ・ブランドーを想っていてくれるのは紛れもない事実で、これからもずっと変わることはありえない、と、ディエゴはそう信じる。その気持はセオと共有する時間が増えれば増えるほど、強く確固たるものに変えていくことができた。






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