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3.激励


 準備は上々。セオもラームも体調万全、天気も良し、最高の出発日和だ。

 レースの出発地点付近はそれはもうお祭り騒ぎだった。スタートラインの周りには高く長く続く観覧席、その周りは出店やらなんやらでごちゃごちゃしていた。選手のそれぞれの控えポイントはそれに比べていくらか落ち着いた雰囲気ではあったが、遠くからのお祭りの音はよく届いていた。

「セオ、過酷な日々が続くだろう、私から誘ったことでこういうのもあれだが、頑張ってゴールしてくれ。しかしもしもの時は……体験記のことは大切だが、もちろん私も会社もお前の命を第一に思っている。だから、危険だと感じたらリタイアも厭わずしてくれ。」
「何回もききましたよ、大丈夫です。楽しんできますから。」
「本当に、ゆっくりでも構わないからな。のんびりと楽しい旅行にしてくれ。」

 じわりじわりと、ブリュメールの目が濡れる。目じりからぽつぽつと涙がこぼれた。泣かないでください、と言いながらセオは、彼の頬に白いハンカチをあてた。

「……すまないな、めそめそして。お前は強い子だ、良いレースになることをずっと願っているよ。」
「ありがとうございます、お父さん。」

 ブリュメールは黒いボックスケースをセオに差し出した。体験記を書くに当たって、添付する写真を撮るためのカメラが入っている。セオは両手でそっと受け取り、肩から斜めにかけた。早速カメラを取り出し、泣いている父親の写真を撮る。

「こら、私の顔なんて記事に使えないぞ。」
「分かってますって。」
「十分なフィルムは入れておいたが、もし足りなかったら買い足しは頼んだぞ。」
「はいはい。」
「はいは一回、だ。」
「はい。」
「……じゃあ、マスコミ席に行くな。」
「はい、わたしも……自分の待機位置に行きます。」

 セオはカメラをしまい、ブリュメールに向かって両手を差し出す。ブリュメールは黙ってその両腕の下に自身の腕を差し込み、ぎゅうと抱きしめた。

「行ってきます、また、レースが終わったら。……冬に。」
「行ってらっしゃい、セオ。記事も手紙も、いつでも待ってるからな。」
「……それじゃあ。」

 傍に立つラームの手綱を引く。アウトドア用品を少しだけ積んだラームは、ひひん、と鼻を震わせると、セオの引く方に足を向けた。
一度だけブリュメールへ振り返る。浅く頭を下げて、セオは再び前を向いた。






 4000人近い参加者が、スタート地点にずらりと集まる。セオは比較的中央前の方だ。早速ラームに跨り、周囲の様子をカメラに収める。パフォーマンスをする吹奏楽団、沸き立つ観客、真剣な表情をした出場者、そして呑気に足元の砂地で草を探しているラーム。彼はセオの緊張なんてどこ吹く風だった。もともと遠出するのが好きらしいラームは、一日に長い距離を走るのは得意で、今回のレースは楽しんでくれるだろうと思う。

「がんばろうね。」

 ふさふさな背中をそっと撫でる。ラームは顔をこちらに向けた。
 スタートまであと5分、セオは改めて地図を見る。チェックポイントまでの最短距離よりは、道の安全性を優先して走る予定だ。レースの上位を狙うわけではない、あくまで趣味の延長であることをセオは忘れてはいけないのだ。ただ、最初のスプリントコースはいくらか上を狙ってみたい。
 改めて周りを見ると、多くは男性である。強そうなのは馬だけではなく、乗り手の鍛え上げた筋肉はかなり役に立ちそうなきがしてくる。こういう人々はほとんどが上位入賞を目指しているのだろう。……レースが始まったら、早めに王道から外れよう。
 セオは長い髪を一つに縛り、くるくると丸めると帽子の中に仕舞った。スピードを出すと、髪の毛はばさばさと舞い上がって邪魔になってしまう。






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