trance | ナノ



 閉店一時間前の喫茶店は閑散としていて――というか、瑠良と須田以外に客はおらず、静かな空間がより静まり返っている気がした。

 騒動が終わった夜、島の喫茶店、である。
 今晩はフレンチトーストを食べられることになった。あの後河南は刑事三人に捕らえられ、今は収容施設に収容されている。刑事一人が河南の見張りに付き、残りの二人は所長と河南が秘書をしていた都議会議員への事情説明に回っている。瑠良は大泣きはしたものの、メンタルに不具合は無かったため、そのまま部屋に帰ることを許された。――とはいえ、泣きながらフレンチトーストを頬張る彼女はいたって普通にはみえないが。

「美味しいですか。」

 テーブルをはさんで向かいに座る須田が問う。瑠良はウンウンとうなずいた。急いで直された化粧があっても、頬の赤らみは隠せていない。目も同様に赤かった。

「はい。」

 ふわっふわのフレンチトーストを飲み込み、瑠良は返事をする。

「とても美味しいです。はちみつと甘くない生クリーム……分厚くて食べ応えがあって、贅沢すぎます。」
「そうでしょう。」

 須田も同じフレンチトーストを注文しているのだが、彼の方は減りが遅い。それもそのはず、須田は瑠良が食べているのをじっと見ているだけなのだ。

「あんまり見ないでいただけますか。」
「いいじゃないですか、減るものでもあるまいし。」
「……いまどきそんな文句使う人いませんよ。」
「私がいます。」

 ああ言えばこう言う。瑠良の頭にそんな言葉が浮かんだが、奢ってもらっている手前強く言えない。失態も泣いてる姿も見せてしまったから、今更ご飯を食べている姿ぐらい痛くない、なんて、彼女は自分に言い聞かせて、温かいフレンチトーストの切れ端を頬張る。

 父が追う組織は壊滅し、自分を狙うストーカーは捕まった。瑠良にはもう心配することはない。最初は、孤島での生活は不便だろうから、次の人事で本社に戻してもらうよう願い出るつもりであったが、今はその気が失せている。ここの生活は存外楽しい。しがらみが少なくのびのびと仕事ができる。所長は優しくて話が分かるし島民は皆親切だ。須田は曲者だが、察しが良くて親切で、話すのは楽しい。

「言い返してこないんですか?」
「助けに来てくださった方に口応えなんて。」
「少々とげのある言い方ですが……まあ良いでしょう。」

 『奢ってくれた人』と言わなかったのは瑠良なりの気遣いだが、言い方が良くなかったのでプラマイゼロだった。

「で、この騒動は、完結でいいんですよね?」

 須田はテーブルに肘をついて問う。

「はい。これで終わりです。ストーカー犯は捕まり、あれが居た組織は父たちが解体しましたから。」
「本当にですね?他に抱えている問題はありませんか?」
「ありません。」
「嘘は許しませんよ。」
「ありませんってば。またこういうことはあるかもしれませんけれど。」
「大変ですね、警察の子どもは。」
「本当はちゃんとわたしも母も、どこの誰か分からないように隠されてるんですよ。父は相手が恐い人たちですから。でも今回は災難でした。」
「あの騒動を『災難』で片付けられる図太さは見習いたいものです。」

 褒められているんだよな?と、瑠良は疑問に思って首をかしげる。すると須田は瑠良の疑問を察したのか「褒めてますよ」と付け足した。その付け足しが嘘っぽい。

「本当はすごく怖くて嫌な思いをしたのにあまり深刻に思えていないのは、自分から遠ざけているだけの逃避行動です。」
「まあ、そうでしょう。」
「でも怖かったのは事実なので……来ていただけで、ほんとうによかったです。」

 あの場には頼りになる刑事もいたが、知っている人がいたお蔭で感情を露わにできた。刑事だけだったら、大丈夫ですといって、吐き出したいものを全部飲み込んだままだっただろう。
 瑠良はフレンチトーストの最後のひとかけに、余った生クリームを全部乗せて大口を開ける。ぱくりと食べて、唇を巻き込んでから紙ナプキンで口の周りを拭いた。ごちそうさまでしたと手を合わせて頭を下げると、須田も軽く頭を下げた。そして彼はやっと本格的に食べ始める。

 明日は本土に戻って事情聴取を受けなければならない。父親に会って報告をして、父親からも話を聞いて。実家でゆっくり過ごして、日曜日の午前中には帰ってこようと思う。忙しい週末になりそうだ。
 いつも通りの日々が戻ってくる。収容施設での仕事は退屈ではない。毎日同じことの繰り返しに見えて、相談員やお客さん、時々収容者のトラブル――様々変化がある。瑠良も看守もタイムテーブルに則った行動をしているが、時間が無いわけではなくむしろ時間の流れはゆっくりに思える。

「ごちそうさまでした。」

 須田も完食。喫茶店のマスターは、須田のあいさつを聞いてお皿を下げると、代わりに二人分のコーヒーを置いていった。
 最近、喫茶店のマスターはひげを生やし始めた。急に落ち着きのある大人の雰囲気が増した気がする。瑠良が去っていくマスターの後ろ姿を見送ると、須田が「気になりますか?」と訊いてきた。ひげが生えたと思いまして、と瑠良が答えると、それだけですかと須田は重ねて問う。それだけなのでそうですと瑠良は答えて、コーヒーをそのまま頂いた。
 あとは他愛ない話を――須田の愚痴を聞くだけだった。彼の今日の頑張りを聞き、それに瑠良がお疲れさまでしたと答える。須田には精神的に助けてもらってばかりだから、今日は彼をたたせなくては。

 帰りは送る、と須田は申し出た。断っても断らなくても帰る方向が同じなので、須田は瑠良の返事を聞かずに歩き始めてしまった。一緒に帰る、か、送る、かで何か差があるとは思えないが、昔プレイボーイだったらしい須田の性分なのかもしれない。
 この島は星が綺麗だ。街灯にいくらかかき消されてしまっているはずなのだが、それでも満天の星である。

「転ばないでくださいね。」

 上を向いて歩く瑠良に須田が声をかける。

「今日は月が綺麗ですねえ。」
「あなたも綺麗ですよ。」
「ありがとうございます。」
「照れてみせたらもっと良いと思うんですけど。」
「……えへへ。」

 クールなフリをしても褒められたら照れるのだ。瑠良は素直に口元を緩ませて、それを隠すように両手で口を覆った。ニコニコな目元は隠せていない。

「あなたって本当に可愛いですよね。」
「騙されませんよ。」
「騙してませんよ、なんですか騙すって。」
「そうやって何人騙してきたんですか。」
「今は騙してません、事実です。」
「たちが悪いですそういうの。」
「あなたは私をなんだと思っているんですか。」

 近付きすぎると危ない人ですけど、とは言えず、瑠良は口を噤む。代わりになんでしょうねーと言ってごまかしたがうまくいかなかった。須田は立ち止まり、瑠良を見る。瑠良は須田が止まったのに気づいて足を止めて振り向いた。須田は瑠良を見つめる。瑠良は須田を見つめ返した。

「本気になりそうだ、と言ったらどうしますか?」

 須田はそう言い、瑠良の返事を待つ。いつもは上がっている口角が今だけは下がっていた。これは真面目な顔だ、付き合いの短い瑠良にも分かる。瑠良は須田の目を見たまま動けなくなって十秒ほど固まり、そして恥ずかしくなって目を反らした。須田が「なんて、冗談ですよ」と言ってくれないか願ってしまったが、それは叶わなかった。

「あなたのその一生懸命なところが可愛くて仕方ないんですよ。」
「か、かわいいって……そんな、可愛い要素、ないと思いますけど。」
「全部良いですよ。社内恋愛はもうしないつもりでしたが、あなたを私のものにしたい。」
「う……うう……わ、わたしは……あの……!」
「その様子、脈ありという事でよろしいでしょうか。」

 瑠良は顔を真っ赤にさせる。須田がゆっくり近づいてくるのに合わせて瑠良は後退りをした。そしてついに距離を詰められると、彼女は脱兎の如く駆け出して、そのまま社員寮へ飛び込んで行ってしまった。
 残された須田はいじわるく笑うと、面白い人だ、と言って、自分も社員寮へ帰っていった。





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