trance | ナノ



 この島――というか、この収容施設の来客は少なくない。多くは収容者の関係者で、他にも営業、癒者、そして視察なんて用事でやってくる人もいる。瑠良は事務員だが来客対応をしない。お茶出しが必要な客があっても、お茶は大抵看守が用意する。女だからと言う理由でお茶出しに呼び出されないのはありがたい。ここには長らく女性がいなかったから、下っ端の看守がお茶出しは自分の仕事だと自覚しているらしい。ただ、瑠良はどちらかと言うとお茶出しを苦と思わないので、呼ばれるのが絶対に嫌とまでは言わない。お茶出しのついでに給湯室で休憩したり、客用のいいお茶を自分に二番煎じできたりと、悪いことばかりではないと思っている。

 月曜日の朝、である。
 朝礼で所長が今週の予定を確認した。金曜日には都議会議員が十数名、収容施設や島の視察をしに来るのだそうだ。所長が案内をするらしいが、そのお供に須田が指名されていた。菅田はわかりましたと素直に答えていたが、内心はとても面倒臭く思っているのだろうな、と瑠良は思った。

「まったく、どうしてわたしがお偉い議員様たちの案内なんてしなければならないんですか。」

 そう思ったのは正解だったと分かったのは直ぐだった。須田は朝礼が終わるなり、今日の仕事を始めようとしている瑠良に寄ってきてそう言った。

「看守さんたちをまとめている立場ですから、所長が須田さんを指名するのも頷けます。」
「隣の総務課長を連れて行けばいいじゃないですか。」
「おじさん二人より若い人がいた方が楽しいのかもです。」
「それ、若い女性だったらの話でしょう。議会議員なんてどう考えてもおじさんばかりで、私が行ったところで喜ばれます?」
「……わたしは行きませんからね。」

 パソコンでメールを確認しながら話を聞いていた瑠良は、ふいに不穏な空気を悟って須田を睨んだ。代わりに女である自分が行ってくれと暗に言われているのかもしれない。瑠良だってそんな面倒ごとは嫌である。

「何言ってるんですか!線引さんをそんな危険な場所に放り込むわけないでしょう!」

 しかし何故か怒られた。須田にその気は無かったようである。それなら良い。瑠良は所長の愚痴を言い続ける須田の話を半分聞きながら、夜のうちに届いていたメールの確認を続けた。特別重要なメールはない。本社からの連絡と、あとは取引をしている企業からのセールスだけだった。

「線引くーん。」

 須田看守の愚痴の内容が所長から所長のもつ高級ワインの話(気になるから見えるところに置いておかないでほしいとのこと)に変わった頃、所長が瑠良を呼んだ。所長室の入り口のドアは開いておらず、ドア越しにうっすらと聞こえた。瑠良は「はーい」と愛想良く返事をすると、須田を放って所長室に入った。

「金曜日の件なんだが……。」

 所長は新聞を読みながら言う。所長の傍らには新聞が5冊積み重なっていた。瑠良の脳裏に面倒なことを頼まれるのではないかという恐れがよぎる。

「議員さんたち用に、雑貨屋で何かお茶菓子でも買ってきておいてくれんかね。」

 が、それは瑠良の杞憂に終わった。なんてことはないおつかいだ。

「お茶菓子ですね、分かりました。お出しするのはコーヒーとお茶どちらにしますか?」
「コーヒーだとミルクやら砂糖やらと面倒だろう、お茶でいいよ。」
「お気遣い嬉しいです、ありがとうございます!」
「そうしたら、和菓子系で頼むよ。」
「はいっ!」

 今の瑠良を看守たちが見たら、十人が十人首を傾げるだろう、と、所長室から漏れる声を聞いて須田は思った。
 瑠良はニコニコで所長室から出てデスクに戻ると、声にならないように大きなため息をついた。須田はそれを見てこっそり笑った。猫を被った姿でもなく、冷静を装った姿でもない、ああいう気を抜いた姿を見たことがあるのはこの島で自分だけなのだと思うと、妙な優越感があった。

「……和菓子系……。」

 瑠良はそう呟いて頬杖をつく。食堂のおばさんに頼むか、雑貨屋で取り寄せてもらうか、どうしたものか。
 ――そんなことを悩んでいると、詰所の電話が鳴った、瑠良は反射的に受話器を取って名乗った。名乗りながらペンとメモ帳を自分の手元に寄せる。

『警察庁刑事局の線引です……瑠良か?』
「お父さん?」

 電話を寄越したのは父親だった。瑠良は、詰所にいる須田に自分の姿が見えないように頭を下げ、小さい声で返事をした。

『お前が出てくれてよかった、周りに職員がいるなら、返事は「はい」だけにしなさい。』
「はい。」
『……分かった。確認したいんだが、今週の金曜日、そっちに都議会議員の視察が行くな?』
「はい。」

 都議会議員の視察。今朝、所長と確認した今週の予定にある。父親が言うのはそれのことで間違い。

『やっぱりそうか。で、その視察に「河南丈」という人物が来るはずなんだが。』
「はい。」

 かなん、たける、瑠良はメモ帳にその名前をメモする。

『そいつが犯人だ。予想通りの組のやつだったよ。表では議員秘書をやっている麻薬のバイヤーだ。』
「……え。」
『予想が当たっていてまずはよかった。お前を嫌な目に合わせた奴が見つかって、しかも麻薬の取引の証拠が出たから、組自体を叩く理由も揃った。用意があるから、どうしてもそいつが島に行く日に組のアジトを叩くことになる。本当は今直ぐにでも飛び出したいんだがな。』
「……はい。」
『……河南がその島の視察についていくと名乗り出たと、言うことは、お前に何かしらの接触を図るに違いない。』
「……。」
『当日部下を数名送る。アジトを全て暴くまでは部下は動けない、河南を押さえるのは夕方になるかもしれない……それまで、無理はするな。』
「わかりました。ありがとうございます。」
『今は取り急ぎそれだけだ。また連絡する。』
「お気をつけて。」

 電話は父親の方から切られた。瑠良は神妙な顔をして自分の書いた「かなんたける」の字を見た。この名前の人物が、自分にも父親にも、ついでに言えば世間にも迷惑をかけた人なのか。瑠良はおもむろに立ち上がると、受付に置いてある来客予定簿を手に取った。事前連絡のあった来客の情報は全てここに載っている。名前、来訪予定日時、電話番号、来訪理由、など。その簿冊に、都議会議員による視察の依頼書が挟まっていた。その中には来訪者リストもある。かなんたけるの名前もあった。河南丈、35歳このリストの中では最年少だ所属は瑠良も知っている議員の元だった。ああ、こいつが

「お父様からお電話ですか。」

 受付に立つ瑠良に須田が声をかけた。

「はい。」
「なにやら神妙な話をされていましたが。」
「今度、わたしたちにストーカーをしていた男の所属している組を、叩きに行くと。」
「わたしたちではなく、わたし、でしょう。……良かったですね。」
「良かったです。」

 瑠良は意識して河南の話を隠した。「実行犯」がここに来ると知れば、須田のことだから心配をしてくれるに違いない。しかし瑠良は余計な心配をかけたく無かった。だから家宅捜査の話だけにした。

「……35人来るから……お菓子は37個かな……。」

 なぜ来訪者リストを見ているのかという疑問を残させないために呟いておく。これを見たのはあくまでも議員の人数を確認するためであり、河南の名前を探すためではないのだというフリをした。

「しかし浮かない顔ですね。」
「まだ捕まったわけではないですし、父の無事を願うと……。」
「ああ、たしかに。あまり思い悩まないでください。……そうだ、帰りに雑貨屋へ行きませんか。お茶菓子を選ぶお手伝いでもしますよ。」
「き、聞こえていたんですか。」

 お茶菓子の話は須田に聞こえていたらしい。扉が薄いから仕方ないにしても、瑠良はあの時の自分を振り返って赤面してしまった。

「ええ、明るくて可愛い線引君。」
「う……。」
「いつもああなら可愛いのに。」
「可愛いなんて、いいですよ、そんなお世辞。」
「お世辞で言うわけ無いじゃないですか。」
「過去に相当遊んでいた須田さんが仰ると、なんというか、純粋に捉えられません。」
「『相当遊んでいた』……。」
「わたしの憶測です。」

 心外だ、と言い返したいのに、心当たりが多すぎる須田には何も言えなかった。黙った須田を見た瑠良がなるほどという顔をしているのも、本当は不本意だ。

「線引さんは、遊び呆けていた男は好みではありませんか。」
「あんまり印象は良くありません。」
「それもそうですよね。」

 須田はなんとなく沈んだ声色だった。もしかしたら、歳を重ねた今、過去の行いを後悔することが多くなったのかも知れない。

「過去は変わりませんが、これからの行いは変えられます。」

 何と言えば正解なのかは分からない。しかし瑠良は無言でいるのは悪い気がして、昔映画かドラマか何かで聞いたことのあったような事を言ってみた。須田の様子は変わらなかった。




 終業時間。特段やるべきことのない瑠良は、今日も定時で帰ることにした。
 今日は一日中河南とお茶菓子のことで頭がいっぱいだった。向き合う問題として河南のことを考え、現実逃避にお茶菓子のことを考えていた。
 河南がこの島に来るのは、単に議員に付き添っての仕事の一環であろう、とは思う。しかし河南はやはり、瑠良がこの島に居ると知っているのではないか。犯人が議員秘書だと知って、本社で働く瑠良を盗撮できた理由が分かった。シーハイブは本社にも時折政治家がやってくる。それは都議会議員も国会議員も様々だ。きな臭い取引もしているのだろう。瑠良としては契約自体がクリーンに行われ、お金に後ろめたいことがなければ、そこに至るまでの見積合わせだとか入札辺りはどうなっていようと構わないのだが。話が逸れた。つまるところ、河南はシーハイブ本社にも入ることが出来ただろうから、そこで盗撮をしたとして。シーハイブとやりとりのある議員に付いているなら、「ここに座っていた女性は異動になったんですか?」くらい日常会話として出来てもおかしくない。もっと「組」として調査をされていたらそれはとても恐ろしいが。
 帰ろうとしているのに、脳内で自由に動き回る自分が、今日考え続けていたことの総まとめをし始めている。その所為で瑠良は立ってカバンを抱えたまま、「出勤ボード」の前で固まってしまった。ハッと気を取り直した彼女は、自分の名前が書いてある木札をひっくり返し、「退勤済み」にした。

 考え事をしながらやってきた雑貨屋。店主のおじさんが「いらっしゃい、線引さん。」と声をかけてくれた。考え事をしながらでも辿り着けたり、店主が名前を覚えてくれたり、自分もなんとなく馴染んできたんだな、と、瑠良は思った。

「ちょっと!!線引さん!!??」

 なんてしみじみしていると、雰囲気を壊す騒がしい声がした。

「一緒に行くと言いましたよね!?」

 ハイとは言っていないけれど、と瑠良は心の中で、やってきた須田に対して言う。

「すみません。」

 喉が謝罪に変換してくれてよかった。

「あなたは狙われている身なんですから、独りで行動しないでください。」
「この島なら大丈夫ですよ。」
「いいえ、何があるか分かりませんからね。せめて出来るだけ人の多い所を通って、人の多い所に居てください。」
 
 と言われはしたものの、この島に人の多い道などないのだが。時間帯によっては――出社退社と昼の時間には――外に人があふれるけれど。須田もそんなこと分かっているだろうに。

「気を付けます。」
「気を付けてください。」

 軽い説教が終わったので、瑠良は再び雑貨屋の食品コーナーに目を向けた。個包装の焼き菓子や、二口くらいで食べられるような羊羹がある。丁度お茶と一緒に出す用だ。緑茶と一緒に出すなら羊羹だろう。それに――年齢で判断するステレオタイプな考えになるが――議員は年齢的にお茶と羊羹で納得してくれそうだし。

「おじさん、すみません。」

 そうと決まれば、瑠良は外に候補を探すことはしなかった。

「この羊羹を、金曜日に40個、お客様用にいただきたいんですけど、注文できますか?」
「はいよ。」

 雑貨屋のおじさんは瑠良から羊羹を受け取ると、青いリングファイルを開いて中をペラペラとめくり始めた。すこし間の空いた瑠良は須田を見た。須田は穀物の棚にある「ヒエ」のパッケージを手に取って眺めていた。健康志向なのだろうか。

「うん、これなら水曜日には届くよ。さっそく注文しておこう。」
「ありがとうございます。」

 すんなりと決まってよかった。店の物を物色していた須田には「もういいんですか。」と驚かれた。もう少し悩んだり、おじさんに相談したりしてもよかったのだが、店に並んでいるあの羊羹で充分だと思う。

「羊羹、少し余分に注文したので、後で一緒に食べましょう。」
「は……。」

 須田は息をのむ。何をそんなに驚くのか瑠良には分からない。瑠良が経費で自分のおやつを買ったことに怒っているわけではないと思う。

「金曜日、お疲れになるでしょうから。なにか『ご褒美』でもなければ張り合いがないのでは。」

 瑠良は適当に後付けの理由を考えて述べた。須田が相談員に情報を提供する代わりに、料理をご馳走になっているのを思い出す。仕事のストレスと等価交換の茶菓子だと思ってもらえればそれでいい。

「……そ、そういうことでしたら。」
「わたしに注文させておいて、わたしだけ食べられないのも癪ですからね。」
「そっちが本音ですか。」
「羊羹好きなんですよ。」

 おじさんが伝票を書き、瑠良はそれの写しを一枚受け取る。小さいサイズの高級羊羹四十個、そのうち二個は瑠良と須田のおやつ。

「予備で買っておいて、余ったら所長に『もらっていいですか』って訊いて、わたしが頂く算段です。内緒ですよ。」
「……ええ。」

 須田は何かに驚いていたのではない。ただ単に、瑠良の行いがひたすら可愛いために、なんと反応したらよいものかと困っていたのだ。
 男でも女でも、異性が見せる性格のギャップには弱い人間は多いだろう。真面目な瑠良が子供っぽく振る舞ったり、自分のためにちょっとした悪いことをする姿が、須田にはたまらなかったらしい。須田は一つ咳払いをして、今回だけですよ、と言う。瑠良はそれが可笑しかった。須田だって自分のために所長のワインをくすねたり、相談員から「袖の下」をもらったりしているのに。

「須田看守は線引さんのことがよほど大切なんだなぁ。」

 話を聞いていたおじさんが笑って言った。須田は固まり、瑠良はそんな須田を見た。たしかにこの人は気に掛けてくれる。同じ職場の人間として、大切にされている意識はある。瑠良はそんなことを思いながら須田を見て、彼がなんと反応してくれるかを楽しみに待った。

「そんなことありませんよ。」

 思ったより淡白な返答に瑠良は胸が痛んだ。須田は涼しい顔をしている。しかしそれはフリなのだと瑠良は思う思いたい。本人を目の前にして真顔で言う台詞ではないだろう、しかも少なからず心配をしている相手に。須田は返答に困った結果、無味過ぎる返事しかできなかったのだと思いたい。

「わたしのこと、大切だと思ってくださらないんですか。」

 真意がなんであれ、言われて傷付いた瑠良が存在するのは変わらない。瑠良はこう言って眉をハの字にした。須田の方は見ず、両手で握った伝票の写しを見つめる。
 そうして傷付いたの顔をしてみせると、須田は明らかに動揺した。

「いえ……いえ、そんなわけ。」
「でも即答してました。」
「急にあんなことを言われて、ど、動揺しただけです。」
「ではわたしのこと、本当は大切だと?」

 意地悪な質問をしてしまったな、と、瑠良は思った。

「……はい。」
「そうですか、嬉しい。」

 打って変わって素直な言葉が出てきたので、今度は瑠良が動揺した。動揺したが、それを隠して笑った。須田の返事が本心かどうかはやはり分からないけれど、大切だというニュアンスの返事が貰えて嬉しくないわけがない。瑠良は単純だった。
 おじさんが「はっはっは」と笑っている。須田は咳払いをして固まっている。妙な雰囲気になってしまった。おじさんはどうしてあんな質問をしたのだろう。下手すれば今後の仕事に支障が出るようなお節介に、瑠良は呆れて今やっとため息をついた。





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