trance | ナノ



 だいたい二週に一度、本社からの使送が来る。本社からこの施設に届けられるものがごそっと段ボールに入れられて、船着場から施設まで代車に乗せて運ばれる。
 今回の使送は荷物が多いから船着場まで手伝いに来て欲しい、と事前に要請があった。瑠良は船が着く時間に合わせて船着場にやってきて、遠くから近づいてくる船を眺めていた。
 あれに乗って自分もこの島にやってきた。この異動が所謂「島流し」でないことは分かっている。本社から離れたって出世ルートに影響がないはず。この施設に異動させることは、ある意味社員を試しているのだと思う。この地でやり遂げることができれば、精神的な成長が見込めるだろうから。――それに瑠良には、この島に異動になるれっきとした理由があるし。
 快晴の海。空のすっきりした青と、海の深く落ち着いた青が美しい。瑠良はSABOTを取り出して、向こうから来る船の写真を撮った。

 船はゆっくりと着港し、船員が船着場と船をロープで結び、大きな鉄板を陸に渡す。本社の人や相談員らしい人などが数名降りてきた後、お目当の台車を押した社員が出てきた。

「こんにちは、お疲れさまです。」
「こんにちは。すみません、ありがとうございます。」

 よく本部で見かけた、総務の若い男性だった。彼は瑠良の顔を見るなり、ちょっとキョトンとして、そういえば線引さんがこっちに来たんでしたね、と言う。

「離島生活は慣れましたか?」
「はい、ここは時間の流れがゆっくりで楽しいです。」
「それは……ええと、退屈ということですか?」
「いえいえ!退屈とは違います、なんというか……のんびりできる……みたいな。」
「あぁ、分かります。」
「それです。」

 そんな話をしながら施設に戻る。総務の男は空気清浄機を持ち、瑠良は様々な書類が入った段ボールを乗せた台車を押し。
 詰所に戻ってくると、看守たちが総務の男の持っている段ボールに気付いてなんだなんだと寄ってきたが、それが空気清浄機だと分かると早々に解散した。
 須田だけは目を輝かせていて、瑠良のデスクに置かれたその段ボールを嬉しそうに撫でている。

「ついに届きましたね。」
「ありがとうございます、線引さん。私が設置してもいいですか?」
「ぜひお願いします。」

 空気清浄機は須田に頼んで、瑠良は総務の男と一緒に段ボールの中身を確認する。本社に届いていた個人宛の手紙や通知、所長のハンコが必要な稟議書など、労働組合からの案内――などなど。総務の男は所長のハンコが必要な書類一式を持って所長室へ行った。瑠良は個人宛のものを届けて回る。
 須田はひとつ、失敗をしたな、と、思った。空気清浄機の設置を買って出たら、瑠良が「わたしがやります」と遠慮して言って二人での作業になるだろう予想していた。しかしそれに反して、瑠良はためらう様子もなく直ぐ手放してきた。考えてみれば、使送が来ているからそっちを優先するのは当たり前であるし、空気清浄機の導入を頼んだのは自分なのだから当然だ。須田はなんとなく腑に落ちないでいたが、箱の中身を見て途端に満足した。

 瑠良にもお届け物がいくつかあった。前の同僚からの励ましのお菓子、なにかの通知、どこからかは分からないけど来た封書。通知はなんてことのない給料明細だった。もう一つの封書は、裏面に聞いたことのない弁護士事務所の住所と名前が書かれている。厚みのある封筒で、中に何が入っているか予想がつかない。名前も知らない弁護士事務所からなにが届いたというのだろう。ペーパーナイフで封を切ると、そこには画用紙より少し薄いくらいの便箋のようなものが二つ折りにされているものと、写真が入るサイズの封筒が入っていた。写真サイズの封筒が厚みを持っている。
 二つ折りにされた便箋を開く。書き出しは、拝啓、線引瑠良様――

「……!!!」

 読み進めることができなかった。目も当てられない。内容は吃驚では済まなかった。セクハラどころではない猥言が所狭しと、自分に向けて書かれていた。瑠良は反射的に便箋を折り戻し、それを手の中でグシャと潰した。
 ――線引瑠良さんあなたの――を――することを思うと夜も眠れません。毎晩一人――して――。
 目に入った言葉を思い出して気持ち悪くなった。封筒の中もロクな物でないに決まっている。サイズからして写真だろうから、もしかしたら盗撮写真か。もしこれを送ってきた人間の身体の写真でも入っていたら卒倒する。しかし確認しないわけにもいかない。瑠良は糊付けされた封をそっと開ける。ああ、中身はやはり写真だ。写っている髪の色から自分の写真だと判る。写真は20枚ほどだろうか。フィルムカメラで撮って現像したタイプの写真で、右下に撮影日が記されている。
 一枚目は通勤時のもので、本社に向かう自分の姿。二、三枚目は同じ時間の別アングル。四枚目から八枚目は社内で仕事をしているところ。ローアングルから撮られているあたり、こっそり撮ったのがよく判る。九枚目からは別の日の仕事帰り。駅のデパートに寄って店を見て回っている自分。そして十五枚目は――。

「ひっ……!!」

 だめだった、これには耐えられなかった。瑠良は手元を狂わせて写真の入った封筒を床に落とす。
 十五枚目は、自室の写真だった。自室で着替えをする自分が写っている。下着姿で、今まさに上を外そうとしている自分。十六枚目を確認するのが怖かった。多分、十五枚目の続きになっているのだろう。となると、その自分は全裸か――。
 瑠良は実家暮らしだった。家の二階の隅に部屋があり、大きな窓がついていた。レースのカーテンは常に閉めていたし、夜に帰ってくると必ず厚手の遮光カーテンも閉めていた。だからこの写真は偶々行って撮れる物ではない、と思いたい。カーテンをしっかり閉めきれなかった日に限って現れたのか、それとも何日か張っていたのか。どちらにしても気持ち悪い。しかしどこから撮っていたのだろうか、こんなものを。

「どうしました?」

 床に落とした封筒を睨んでいるところに須田が声をかけてきた。あれこれ考えていた瑠良はフッと意識を取り戻し、落とした封筒を慌てて拾い上げる。それをデスクの上に置き、上に他の種類数枚を載せて隠しておく。

「な、なにがですか?」
「悲鳴が聞こえたので、虫でも出たかと思って。」
「あ……いえ……ちょっと……はい。虫が……。」
「それはいけない。どこに行きました?」
「め、めをはなしたすきに……どこかいっちゃいました。」
「そうですか。また見つけたら教えてください。」
「はい……。」

 冷静さを失った瑠良はどうしようどうしようとあたふたして、一つやるべきことを思い出した。彼女は須田が離れたのを見計らって書類の下に隠した封筒を上着のポケットに詰めると、詰所を飛び出した。

 空気清浄機の設置に戻った須田は、瑠良が飛び出して行った扉を見つめ、フーンと鼻を鳴らす。瑠良が今までで一番動揺していたのが気になった。虫が苦手なのかと納得しかけたが、そうではないなと何かを察する。
 瑠良は「虫は目を離した隙にどこかへ行った」と言っていたが、悲鳴をあげてからずっと床から目を離していなかった。黒目はどこかへ行ったであろう虫を追うのではなく、床の一点をジッと見ていた。だから虫を見つけたとは言い切れない気がする。須田自身が「虫がいたか」と問うたから、その理由を借りて虫がいたと嘘をついたのではなかろうか。――一体、何のために。
 声をかけたときに慌てて隠していた、あの包みのようなものはなんだったのだろう。あれが動揺の理由で間違いない気がするが、あれが何かまでは分からない。タイミングから使送で届けられたものと見て間違いはないだろう。瑠良がああなるほど驚くものが、本社から届けられたというのか。自分の想像では補完しきれない何か――それが須田の好奇心をくすぐっていた。





「……お父さん、お仕事中にごめんなさい。」

 場所は変わって、総務課の建物、である。
 瑠良が飛び出してやってきたのは、総務課にある公衆電話だった。元々持っていたスマートフォンは回収されており、SABOTはSABOT同士でしか連絡が取れないため、電話をかけるとなると、島の中で唯一の公衆電話があるここに来る必要がある。直ぐ横に島民向け窓口があるためあまりプライベートな話はできないようになっている。島内の情報漏洩を防ぐためには大切な策だ。

『どうしたんだい?』

 瑠良はその公衆電話を使って、本州にいる父親のスマートフォンに電話をかけた。日中だが父親は大体いつでも電話に出られる。今もちょうど余裕があると言ってくれてよかった。

「あのね……今日、◯◯弁護士事務所っていうところから……その……。」
『うん?』

 話しながらさっきの写真を思い出して具合が悪くなる。絞り出すように、あのね、と繰り返す。父親は静かに聴いていてくれた。

「わ、わたし宛の……いやらしい手紙が……はいってて……写真なんかも……。」
『……ああ。』
「前の……あの人かもしれない。分かんないけど……弁護士とか……知らないから……。」
『筆跡は分かるか?』
「うん、手書きだった。でも……内容は……見られたくない……本当にいやだから……写真も全部は……。」

 「何かあったら報告しなさい」と、この島に来る前からずっと言われていた。実際、前に「何か」が起こったことがあるし、今もまさに起きてしまった。だからこうして報告をしている。のだが、内容が内容なもので、肉親に詳しく伝えたくない。言い淀んでいると、父親はそれを察して「分かった」と言ってくれた。

『宛名だけでも筆跡が分かればいい。写真も見せられるやつだけ貰う。次の休みに島に行く申請をするから、その時渡してくれ。』
「……うん、ごめん、お願い。」
『危険なことが有ったら、迷わず周りを頼れ。』
「うん。」
『私たちは近くにいられないんだからな。』
「わかってるよ……。」

 もし仕事に戻れないようなら無理はするな、と父親は言ってくれたが、今日は使送が来ているので休んでいられない。瑠良は無断で詰所を出てきてしまったのを反省しながら、急いで詰所に戻った。




 総務の男性は総務課への使送に行っており、すでに詰所にはいなかった。所長も総務の男性について行って留守にしており、詰所には須田しか残っていない。彼はさっそく空気清浄機を起動させて、その空気を堪能していた。普通に使っても静音なので音が小さいところがいい。完全な静音ではなく、静かな詰所にコー……という音が控えめに聞こえるのはむしろ、ちょっとした雑音がないと妙に緊張してしまう瑠良には丁度良かった。
 須田は青ざめた顔で戻ってきた瑠良に何か声をかけるわけでもなく、ただ静かにデスクワークをしていた。傍らにある高そうなカップにはコーヒーが入っていて、瑠良の鼻に香りが少し届いていた。瑠良は放っておいてもらえて安心したような、むしろちょっとでも声をかけてもらえた方が気を遣われてる感が無くてありがたかったような、複雑でわがままな気持ちだった。
 やり場に困った例の封筒は机の引き出しの一番奥に閉まって、鍵をかけた。帰りに持って帰ることを忘れないようにしよう。

 使送が来た所為、いや、お蔭、で仕事が増えた。総務の男性が帰る夕方の船までに処理をして渡さなければいけないものもある。なのであまりくよくよしていられない。
 回議されてきた書類とパソコン上の財務会計システムを見比べ、内容を確認する。パソコンをじっと眺めていると――いけない――視界が滲んできた。――いけないと思って下を向くと頬を涙が伝った。それが引き金になって、抑えていたものがどっと溢れる感覚が走った。瑠良はポケットからハンカチを取り出すと、それを目頭にあてて俯く。角度的に須田からは見えていない筈だ。下を向いていると通りの良くなった鼻から鼻水が流れてしまう。デスクに置いてあったボックスティッシュからティッシュペーパーを一枚引き抜き、鼻にあてて鼻水が流れるのを我慢する。困ったことにこれが収まるまで我慢する他ないが、いつ収まるかは分からない。化粧は落ちているだろうし、眼球は赤く血走っているだろう、見なくたって分かるし見たくない。机の中に使い捨てマスクがあるから、この後はそれを使って凌ぐことにしよう。
 五分ほど黙って下を向いていると、何も解決はしていないが涙は止まった。鼻は詰まって調子が悪くなった。ハンカチで目頭をぐいぐいと抑えて顔をあげる、と、

「ヒャッ。」

 そこに、須田の顔があった。瑠良は吃驚してキャスター付きの椅子ごと後退して須田と距離をとる。須田はキョトンとしている。

「悩み事があるなら、抱えていないで相談してください。仕事の悩みですか?何か面倒な頼まれごとでもしましたか。」

 須田はそう問いながら、給湯室に置いてあった瑠良のマグカップを差し出してきた。コーヒーの香りがする。彼は瑠良のデスクにあるコースターにマグカップを置くと、その横に角砂糖の入った小瓶と、粉末ミルクのスティックを置いた。

「急に震え始めたと思ったら……驚きましたよ。いいところのコーヒーなので美味しいと思いますよ。」

 彼はいつの間にコーヒーを用意していたのだろう。瑠良が気付かないうちに給湯室へ行っていたのは間違いない。すると瑠良はその物音にも気づかないくらい凹んでいたという事になる。その事実にまた打ちのめされたような気がした。須田は給湯室に盆を戻すと、そのまま自分のデスクに戻っていった。瑠良がちらりと覗き見をした彼は、空気清浄機の取扱説明書を読んでいた。

「ありがとうございます……。」

 ひどい顔をしているだろうから目は合わせられないけれど、お礼はしておかなければ。瑠良がよわよわしくお礼を述べると、須田は目を大きくしてこれまた驚いている。
 粉末ミルクをたっぷり入れ、角砂糖を二つ落とす。一緒に置いてもらったティースプーンでかき混ぜると、コーヒーは優しくまろやかな色に変化した。それを見ているとまた涙がでてきた。何がつらいというわけではない、単純に涙腺がズタボロになっている所為で、ちょっとした振動ですぐ泣いてしまうだけだ。

「……おいしいです……。」
「それは重畳です。」

 瑠良は自分の方を向いている須田に気付かないふりをしながら、マグカップに口を付けたままマウスを握り直した。





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