trance | ナノ



 出勤している看守の人数に比べて、詰所に残る看守の人数は少ない。必ず二人は残るようにしているそうだが、呼び出しがあると出ていかなくてはならなくて、タイミングに寄っては看守が留守になるタイミングが少なくない。そうすると瑠良は詰所の受付に行って、看守の代わりに受付業務をすることになる。
 受付業務をする、と言っても、面会の受付を通す権限はない。したがって相談員が面会の予定でやってきても、看守が戻ってくるまで相談員に待ってもらわなければいけなくなる。

「あれ?看守さん留守なんスか?」

 瑠良が留守番をしていると、早速相談員がやってきた。ちょっと軽そうな男性だ。

「はい、すぐ戻ると思いますので、少々お待ちください。」
「はーい。」

 相談員の男性は収容施設エントランスにある休憩スペースに戻っていく。休憩スペースには、職員しか使えない休憩スペース側と同じ会社の自動販売機が設置されている。看守はあっちの自動販売機を使うため、こっちは減りが遅い。相談員の男が長椅子に座ってSABOTをいじり始めたのを見計らい、瑠良は相談員名簿を開いた。バストアップの写真と簡単なプロフィール、担当している収容者の名前が書かれたファイルだ。なるほど、あの男性は想像していたより相談員歴が長かった。あの人あたりの良さは収容者に慕われそうである。

「お姉さん、新しい事務の人?」
「はい。」
「前のおにーちゃん辞めちゃったの?」
「異動で。」
「そっかー、優しい奴だったのになー。」

 この男性が担当しているのは男性三人――三人とも、軽度の薬物中毒者で前科持ち。はやく社会復帰できるといいな、と、瑠良は思った。
 前任者は一応休職扱いなので、辞めたのかという問いに対して「はい」と答えるべきではないなと思った。彼は本社にいた瑠良と交換で本社に行って休職しているので、異動と言って間違い無いだろう。

「あ、どうもお待たせしました。」

 会話が途切れたところに看守が戻ってきた。彼は相談員の男に頭を下げて横を通り、詰所に戻ると早速面会室の鍵を持って去っていった。

「いーえー。今日もお疲れ様です。」

 相談員の男と看守は面会室へ向かっていった。再びフロアが静かになる。瑠良は引き続き相談員の名簿をに目を落とす。男女比は5:5で、最年少は二十代後半、最年長は六十代。収容者も相談員も十人十色だ。
看守は似たようなガタイの男性ばかりなので、たまには女性と話がしたい。総務課に行ってあとで食堂のおばさんのところにでも行こうか。

 なんてことを考えていると、今度は女性がやってきた。さっき相談員名簿で見たばかりの顔だ。彼女はまっすぐ受付にやってきて、詰所の奥を覗く。

「すみません。今、看守さんたち留守にしてるんです。」
「あ……そうでしたか。」

 彼女は手に白い箱を持っていた。かすかに揚げ物の油の香りが漂ってきた。収容者への差し入れだろうか。差し入れの受付も瑠良には出来ないので申し訳ない。すんすんと鼻を鳴らすと、相談員の女性はそんな瑠良に気づいて、あ、と言う。

「須田さんに差し入れなんです。今日って須田さん出勤でしたよね?」
「須田さん……ええ、出勤です。今休憩中ですけど、呼べば戻ってくると思うので……少々お待ちください。」
「あ、休憩中にすみません……。」
「それは須田さんにおっしゃってください。」

 瑠良はSABOTを起動し、須田宛にメッセージを送る。「相談員さんが差し入れを持ってきました。戻ってきていただけますか?」送るとすぐに既読マークがついた。入力中のマークが動き、「了解しました、今行きます。」と返信が来た。

「須田さん、今来るそうです。」
「ありがとうございます。」

 隠れて相談員のファイルを読む。彼女は少し前に来たばかりで、担当している収容者は一人だけ。どちらかというと新人さんのようだ。彼女がなぜ須田に揚げ物を持ってきたのか理由は分からないが、邪推するのも悪いので考えないことにしようと思う。
 廊下の向こうから靴音が聞こえてきた。受付窓口から顔を出して廊下を見ると、悠々と歩いてくる須田の姿があった。

「須田さん、すみません。」
「いえいえ連絡ありがとうございます。」
「すみません……。頼まれていた『コシーニャ・カトゥピリ』です。」
「問題ありませんよ、楽しみにしてましたからね、その料理。」

 須田は相談員から白い箱を受け取ると、それを窓口のテーブルに置いて早速蓋を開けた。とたんに油とチーズの香りが辺りに広がった。食欲に大打撃だった。須田は雫形をしたそれを一つ取って口に運ぶ。サク、と、いい音がした。
 どうやらこのコシ……なんとかは、須田が相談員に頼んで食堂で作ってきてもらったものらしい。相談員は料理のお礼に、担当している収容者の情報をもらっている。頭の良い取引だ。

「線引さんも食べますか?」
「いえ、わたしは。何もお礼になるものなどありませんから。」
「空気清浄機のお礼にどうぞ。」
「……。」

 本当はすごく食べてみたい。しかしがっつく姿は見せたくない。しかし食べたい。しかし――

「……いただきます。」
「はい。素直が一番です。」

 ちょっと恥ずかしい。瑠良は須田と相談員に勧められるままコシーニャを一ついただいた。サクサクで、ジャガイモとチーズの組み合わせに油物という罪の味がした。

「とても美味しいです。」
「ねえ、美味しいですよね!さすがです、相談員さん。」
「作ったのは食堂のおばさんですから……。」
「あなたにお願いして正解でした。また何か分かったら頼みます。」

 爽やかに笑う須田はどこか意地悪な雰囲気を纏っている。相談員もそれを察したのか、お手柔らかにお願いします、と言って去って行った。

「ふう、いいお酒のツマミが手に入りました。今日の晩酌が楽しみです。」
「取引が上手なんですね。」
「ずる賢いと幻滅しました?」
「まさか、上手いなと思いまして。」

 須田は処世術に長けた人だなと思う。普段の所長とのやりとりを見ていても思うし、瑠良に空気清浄機を「買わせた」ことをとってもそうだ。情報は貴重な財産であるから、それを使って料理を作ってきてもらうなんて、本当に上手いと感心する。

「楽をするためなら努力を惜しみませんから、私は。」

 それは結果として楽になっているのだろうか。余計な力を使ってはいないか。須田の計算なら結果として楽になっているのだろうが、瑠良はいらぬ努力をまでして楽をする気もないので理解しきれなかった。――いや、いらぬ努力などと言っては悪い。反省しよう。

「これはビールか……赤ワインでも良いですね。線引さん、お酒は?」
「飲めます。楽しめるかどうかは別ですが。」
「今夜、晩酌にお付き合いいただけませんか?」
「ご相伴に預からせてください。」
「よし。冷蔵庫に所長のワインがあるのでそれを頂きましょう。終業後仮眠室に来てください。」
「所長の……。」

 それは飲んではいけないのでは?そう問おうとしたところで、須田はコシーニャを持って行ってしまった。





 頂いてばかりでは悪いので、瑠良は終業時間を迎えるとすぐに退勤し、雑貨屋で少し高いビーフジャーキーと鮭とばを買った。それを持って収容施設に戻り、周りに見られないよう気を付けて仮眠室に入る。須田は先に来ており、電子レンジで温め直したコシーニャの香りをツマミに赤ワインを飲んでいた。プラスチック製の小さな使い捨てコップが瑠良のぶんも用意されている。

「お疲れさまです。」
「線引さんもお疲れさまです。お先にいただいてますよ。」

 瑠良はローテーブルの上に雑貨屋の紙袋を置き、中からビーフジャーキーと鮭とばを取り出す。須田の目が輝いた気がした。

「コシー……ニャ?とワインのお礼です。少しばかりですけれど。」
「充分なくらいです。これはお酒が進みますね。」

 職場でワインを飲むなどいかがなものか。しかし須田はこれを恒常的にやっているのだろう。本社なら絶対に反省文ものだが、ここでは許されている――というか、誰かがやっていても咎めないのだろう。所長が冷蔵庫に赤ワインを入れっぱなしにしているのが良い証拠だ。
 須田は瑠良用の使い捨てコップに赤ワインを注ぎ、自分のコップを瑠良に向けた。瑠良は須田のコップに飲み口を合わせて叩き、改めてお疲れさまですと言って会釈をする。

「こっちも食べてください。」

 須田がコシーニャを勧めてくれる。瑠良は早速一ついただいた。やはり美味しい。赤ワインが進む。ワインも上等なものなのだろう。生憎瑠良にはワインの良し悪しが分からないが、この口当たりの滑らかさから良いものであるのが分かった。

「美味しいです。」
「ビーフジャーキーもいいですね。フー……今日一日頑張った甲斐がありました。」
「日中、何かあったんですか?今日は詰所勤務とうかがってましたが、長い間留守にしていましたね。」
「ええ……この施設、ご覧の通りとても古いのですが、今日は収容者の部屋にあるシャワーが壊れてしまいまして。温度調節が出来なくなっていたんですよ。私にも直し方が分からなくて……。」
「それは困りましたね、明日業者に電話しておきます。」
「覚えていたらお願いします。」
「さすがに記憶をなくす程飲みませんよ。」

 そこからは須田の愚痴大会になった。瑠良が話したがる様子を見せなかったために、須田の愚痴は止まらなかった。
 初めは所長の愚痴。仕事はできるし頼りになるが、呑気でマイペース過ぎるために巻き込まれるのは迷惑だと。こっちの予定も聞かずに突然の思いつきで業務を任せてきたり、総務課の偉い人を交えた飲み会に呼びつけたり。評価を落としたくないから仕事も飲み会もこなすが、本当は控えてほしいとのこと。
 続いて部下の愚痴。日誌の字が下手すぎて読めない。誰かに読んでもらう書類くらい丁寧な字で書いてくれ、自分だけが読むメモではないのだということ。しかも提出書類は誤字だらけで突き返さなければいけない部下が多い、きちんと推敲してから提出してほしい、ということ。飲み残しをいつまでもデスクに置かれると虫が来るからやめてほしい、使った清掃道具は道具の手入れもしてからロッカーに戻して欲しい、などなど――。
 須田の愚痴は止まるところを知らない。瑠良は「大変でしたね」「心中お察しします」「わたしもそう思います」という数種類の相槌を打ちながら、須田の苦労について思いを馳せていた。看守たちをまとめる立場にある須田は、自分のように損得勘定が上手いタイプではあるが、周りに扱いにくい人が多いため苦労の塊となっている。普段から彼を労る態度を見せた方が吉だな、と、瑠良は思った。

 須田は口も手も同じくらい動かしており、瑠良が買ってきたツマミもコシーニャも直ぐに底をついた。次の一個を、と手を伸ばした須田がそこに何もないことに気付いて、申し訳なさそうにため息をつく。

「すみません、面白くない愚痴ばかりで。」
「言って少しでも楽になるんでしたら、いくらでも聞きます。」
「あなたは天使ですか。」
「天使の基準が甘すぎます。」

 瑠良もワインとコシーニャを楽しめたし、色んな話を聞けたので言うことなしだ。

「結構飲んでいたようですけど、大丈夫そうですね。」
「はい。」

 空き箱やゴミを雑貨屋の紙袋に詰めてゴミ箱に投げる。二人で空にしてしまった赤ワインの瓶は、須田が自分の部屋で処分するからと持ってくれた。

「さて、帰りますか。お付き合いくださりありがとうございます。」
「ありがとうございました。」

 瑠良は鞄を持って立ち上がり、大きく背伸びをしようとした。――が、

「うあ。」

 思っていたより酔いが回っていたようだ。足元がふらつき、瑠良は慌てて壁に手をつく。壁についた手に額を当てて自分の様子を顧みる。頭の中がぐるぐると回っていて平衡感覚が薄れているのがわかった。

「あー……。すみません、酔いました。」
「見ればわかります。休憩して行きますか?」
「いえ、部屋に戻って寝たいです。壁伝いに歩けば平気なので。」
「無理しないでください。」

 自分の酔いを自覚すると歩くのはいくらか楽になった。瑠良は鞄を背負って両手をフリーにさせて、危険がないように気を付けて歩く。須田はそれを静かに見守った。

 顔色が変わらないから余計に心配だ、と須田は密かに思う。自分よりずっと下にある女性の顔は、酔って一度足元がふらついたというのに冷静だ。彼女は酔っても感情の起伏に変化はなく、しらふでいる時と変わらなく見える。今回赤ワインを飲もうと誘ったのは、その冷静な画面が剥がれないかと期待してのことだったが、失敗に終わったようだ。冷静なフリをしているだけでではない、と今も思っているが、この鉄仮面は攻略が難航しそうだ。
 帰る場所は同じ社員寮。二人は並んで街灯の並ぶ大通りを歩いて寮に戻り、その一階で分かれた。瑠良は直ぐエレベーターに乗り込み、須田は一階の自販機でミネラルウォーターを買う。
 瑠良の様子からして、部屋の前まで送った方が良かろうと須田は思ったが、酔っている彼女一緒にいるところを見られるのもあまりよろしくない。自分のためにも、相手のためにも。自分はともかく瑠良は「彼氏持ち」で通っているし。須田は念のため、エレベーターを瑠良の部屋があるフロアでも止め、廊下を見、瑠良が落ちていないことを確認すると、ほっと胸を撫で下ろして自室へ帰った。





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