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Blooming Feeling … 神様、あの人を創ったのは正解でした

(×「打ち破られたアトロポス」)


 砂漠の夜を思い出すような、冷たい風が吹くロンドンの冬の夜。ロンドン郊外の競馬場の、厩舎、である。
 土日……明日から2日間は、ロンドンでも大きい方に数えられる冬季競馬大会が開かれる。ディエゴはそのレースに参加するために、シルバー・バレットをこの厩舎に預けていた。

 彼は最近妙なものを見ていて、あまりレースに集中できていない。レースに集中したいから、と、恋人のセオとは1週間あっていないこともあって、なんだか今夜は気持ちが不安定な夜だ。

「ディエゴ、いる?」

 不安定すぎて、明日からのレースが上手くいきそうにない。だからディエゴはこの厩舎にセオを呼び出して、不安を解消させるために「対話」をお願いすることにした。
 ギギギ……と立て付けの悪いトタンの引き戸が少しだけ空いて、その隙間から待ち望んでいた人の声がした。

「ここにいる。」

 また少しだけ、ギギ、と、扉の開く音。外灯の明かりが厩舎に差し込んで、セオの背中を照らした。ディエゴはシルバー・バレットの前で木箱を椅子にして座り、その隣に同じ木箱を寄せる。わずかな外灯の明かりと、シルバー・バレットの横に吊るされたランタンの炎を頼りにしてセオはディエゴの隣に座り、首に巻いていたマフラーを外して膝の上に置いた。

「ごめんな、こんな所に呼び出して。」
「びっくりしたけどそれくらい重要なことかなって思ったよ。」
「よくわかってる。」
「長いこと一緒にいたからねえ。」

 セオは畳まれたマフラーの間に手を挟み、その中で両手をこすり合わせた。隙間風がひやりとする厩舎は、長くいるのには向いていない。ディエゴはどれくらいここにいたのだろうか、と、セオは考える。

「どれくらいここにいたの?」
「君に電話をしてから。」
「1時間も?そんなの風邪ひいちゃうでしょう!明日からレースなのに!」
「頭を冷やしたかったからよかったんだ。」
「頭どころじゃ無い!」

 質問をしてよかった。セオはマフラーをディエゴの膝の上に乗せると、彼の手をマフラーで丸めて包み、自分の手でプレスした。ディエゴはされるがまま、マフラーで動かせなくなった両手を見おろす。

「マフラーじゃ足りないから本部に行こうよ、そっちなら人がいるから暖かいでしょう。」
「人のいないところで話したかったんだ。すぐ終わるから聞いてくれ。」
「うん……?」

 前世から追いかけてきた大切な恋人がいつになく真面目な顔をするものだから、セオは思わず手を離して姿勢を正してしまった。ディエゴは一度セオから目をそらして、そっぽを向いて、何かを長考する。そして覚悟を決めたらしい彼は、またセオに向き直った。

「オレはジョニィと同じ屋敷に住んでいて、あいつに嫌がらせをしていた。……セオはそんなオレをみて『ジョナサンに嫌がらせするのは止めて』と言っていたな。」

 ディエゴは同意を求めてセオを見た。セオは何も言わなかった。ただ、聞いていた時と表情は一つも変わらず、じっとディエゴの瞳を見ていた。

「……3人とも同じ大学に進んで……オレはラグビーをやっていたんだな。」

 セオの目から滝のように涙が溢れていた。涙点からあふれている涙はとめどない。しかしセオは口を開かない。その唇をもごもごと動かし、何か言い足そうにはしているのだが。
 ディエゴはそれ以上何も言わず、セオの返事を待った。セオはなんとか口を開く。涙の線が細くなっていて、やっと少しだけ落ち着きを取り戻したようだ。

「思い出したの。」

 絞り出された問いかけに、ディエゴは首を縦に振った。セオはむせび、顔を下に向けて両手で目を押さえた。彼女に落ち着いて欲しくてディエゴはセオの背中をさするが、それもまた起爆剤。両腕を枕にし、セオは自分の膝を抱えて丸くなる。背中が嗚咽に合わせて上下していて、ディエゴは問いかけたことを少しばかり後悔した。
 厩舎のすみまで、セオの嗚咽とシルバー・バレットが草を食む音が行き届く。セオは数分してやっと落ち着いたところで、深呼吸をしてから顔を上げた。

「……そう、ディエゴは今と同じように両親と分かれて……ジョナサンの家の養子になったの。」
「ああ。」
「でもディオはジョナサンに意地悪なことをしてばかりで……当時ジョナサンは大切な親友だったから、わたしはディオに怒ったの。」
「その前に一発殴られたな。」
「それも覚えてるんだ。」

 セオは脱力して笑った。

「思い出してくれたんだね。」
「これがセオの言っていた前世だったって、直ぐに理解した。」
「いつ思い出したの?」
「……最近、じわじわと、だな。考え事をしながら心の中が空っぽになると、妙なものを見るんだ。実際には脳裏に浮かんだ風景でな。夜寝ればいつも同じ場所の夢を見るし。」
「そっかあ!」
「思い出せなくて悪かったな。セオのことが好きだって言ったのは、オレの方だったのに。」
「それもちゃんと思い出してくれたかー!」

 セオは背中を丸めて、また自分の膝を抱えた。今度は泣かない。彼女ディエゴが思い出してくれた記憶を、あの時のことだなぁ、と、想像してニマニマしている。ディエゴは涙が流れ終わって、カサカサになったセオの頬に親指を当てた。カサついた涙の線を辿って、悪かったな、と呟く。

「ただ、気になることがある。」
「なに?なんでも聞いて!」
「ええとな、そんなに楽しいアレじゃないぜ。……オレは吸血鬼になって、君を攫いに行った。ここまではいいか?」
「いいよ。」
「オレはジョニィ……ジョナサンとの戦いに君を巻き込んで……セオ、君の命を奪った。」
「……うん。」

 ウインドナイツロット、その外れの崖の上、であった。吸血鬼になったディオは、崖の上から、下にいるジョナサンを睨みつけていた。そんなディオの足元にはセオがいて、彼女はジョナサンに何かをしきりに叫んでいた。……ディエゴはその時のことを思い出し、落ち着かないように両手を組んだり離したりを繰り返している。

「オレは君を殺した。事実だな?」
「うん。」
「そこから先のことはまだ思い出せていない。が、なんだって君は自分を殺した奴を殺されそうになりながら守ったんだ?」
「そこから先が大切なんだけど……まだその大切な部分を思い出せていないみたい。」
「大切な部分?」

 セオは直ぐには返事をしなかった。彼女が何を考えていて、どうして答えを渋っているのか、ディエゴは目の前の彼女を見ながら一緒になって考える。彼女が今一生懸命物語を考えているわけではないのは分かるのだが、事実を話すために何を隠すつもりがあるのだろうか。ありのまま、起こった出来事を教えて欲しいのに。

「わたしが説明するより、やっぱり思い出して欲しいの。」
「断片を思い出して焦ってるんだよ、オレは。そう悠長にしていられない。オレが君のことで分からないことがあるのが耐えられない。」
「……。」
「なあ。」
「わたしだって、ディエゴがわたしのことで分からないことがあるなんて嫌だよ。」
「ならどうして話そうとしない?」
「わたしが教えるんじゃあなくて……思い出してもらうことが重要なの。だからお願い、わたしに訊かないで……。」

 痛切な嘆願だ。セオも自分と同じくらい一生懸命なのだと察すると、ディエゴはそれ以上セオを詰問できなかった。ディエゴは木箱に深く座りなおし、彼も背中を丸める。その目はシルバー・バレットを見上げていて、シルバー・バレットもディエゴを見ているようだった。

「思い出してくれたら、きっと分かってくれるよ。わたしがどうしてもディエゴを生かしたいと思っている理由。辛かったんだ、色々あって。」
「思い出せなくて、申し訳ない。君が1人で抱えていることを早くオレも知りたい。」
「……前のディオよりもずっと性格がいいのは確かだな。」
「なんだよ、それ。」

 ディエゴは笑ってセオの肩を叩いた。セオもいつもの調子でニヤニヤ笑いを浮かべている。ディエゴはそれを見て心の奥で安心し、自分の疑問は今だけは仕舞っておこうと決める。大切なのは自分で思い出すことなのだと脳みそに言い聞かせて。

「寒いな。宿舎に行こう。一緒に泊まっていくか?」
「そのつもりでいたから大丈夫だよ。」
「よかった。」

 膝の上にかけてもらっていたマフラーをセオの首に巻きつけ、緩く結ぶ。セオが嬉しそうに微笑んで見上げてくれるものだから、ディエゴはたまらなくなって抱きしめた。

「知ってた?わたしたちに子ども居たんだよ。」
「……その気があるのか?」
「いやー、まだ。」
「ま、近いうちにな。」
「そうだねえ。」

 2人でシルバー・バレットにおやすみを告げて厩舎を出た。ウインドナイツロットで見たような星空が広がっていて、ディエゴは無性に泣きたくなった。





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