trance | ナノ



Blooming Feeling … 19


「誰?」

 ソプラノボイスが石造りの部屋に響いた。
 セオは涙を拭って、声のした方を見る。声の主は麻布から起き上がったルーシー・スティーブンだ。彼女は今自分がいる場所、置かれている状況を確認すべく、黒目をキョロキョロ。両手で自分の腕をつかみ、身を守るように体を小さく丸めている。

「わたしはレースに参加したセオ・フロレアールと言います。ルーシー・スティールさん、遺体はそこにあります。……何があったか覚えていますか?」
「遺体……よかった……!機関車の中で、私は遺体に成り代わったんです……ディエゴ・ブランドーが私をここまで運んで、そして私の身体から遺体を引き抜いて……ディエゴ・ブランドーは?」
「安心してください、危ないものはもうありませんから。」
「そう……あなたが助けてくれたんですね。」
「そういうことになります。」

 セオはえへへと笑った。ルーシーはセオの表情を見て安心し、肩の力を抜いた。

「どうか早く遺体を安全な場所に隠してください。まだそれを狙っている人はいます。」
「そうします。本当にありがとうございます……。」
「わたしはレースに戻りますね。これから表彰式が始まります。」
「私もいかないと……スティーブと出席しなきゃ。」

 じゃあ先に行きます、と、セオは軽く会釈をして石造りの地下室を後にする。教会を出ると、ずっと向こうにあるニューヨーク市庁舎の方から狂乱じみた歓声が聞こえてきた。多分、表彰式が始まっているのだと思う。セオは疲れを思い出してどんどん重くなる足を引きずり、歓声の方へと向かった。
 一歩一歩進むごとに、ゆっくりとした走馬灯のようにレース中の出来事が思い返された。スタート地点でディエゴを見かけたこと、1st STAGEを終えてディエゴと初めて言葉を交わしたこと、一緒に走ったこと、敵を退けたこと……。
 本当に良かった、という感想しか浮かばない。それ以外言葉が無い。

 総合順位を発表するアナウンスが聞こえる。総合1位はディエゴ・ブランドーだ。表彰状やトロフィーを授与しているスティーブン・スティールとディエゴのやり取りも聞こえてくる。どうやらこの世界のディエゴが、表彰式に出席しているらしい。
 市庁舎前の公園は人、人、人。高さのある特設舞台のお蔭で、ブロードウェイからでも豆粒くらいの大きさのディエゴが見えた。セオは舞台横の関係者スペースを目指す。係員たちはセオの顔を見るなり、こっちに来てください、と、道を示してくれた。舞台横の仮設テントの下には、ニューヨーク市長やスポンサー企業のお偉いさんたちの席があって(彼らは今、舞台上手の長テーブルについて、大きな拍手を送っている)、その後ろには出場者用にパイプ椅子がずらっと並べられている。ゴールはしたが表彰対象ではない選手たちがそこに沢山座っていて、彼らも満足そうに拍手をしていた。セオもその末端に座り、ディエゴに拍手をした。ディエゴの表彰が終わり、続いて2位のポコロコ、3位のノリスケ・ヒガシカタと表彰状の授与が続く……彼らもレースを走り切って清々しい表情だ。

「フロレアール選手、今よろしいですか?」
「はい?」

 表彰の途中、係員が申し訳なさそうにセオに声をかけた。

「ジョニィ・ジョースター選手のことですが……彼は市庁舎の救護室に連れて行きました。単純骨折・複雑骨折・完全骨折・不全骨折・はく離骨折……いろんな骨の折れ方をしてますし、擦り傷切り傷刺し傷いろんな傷がありました。疲労も許容範囲を超えていて、気絶していてもおかしくない状況です。」
「あぁ……ジョナサンも無事なんですね……ありがとうございます。会いに行っても良いですか?」
「大丈夫ですが、強い衝撃は与えないでください。」

 係員に連れられて、セオはニューヨーク市庁舎に入った。中に入っても外の歓声が聞こえてきていて、窓口番をしている職員たちはソワソワと仕事が手につかず、窓の外を見ている者ばかりだ。
 ずらりと並んだ受付の奥に休憩室があった。扉にはスティールボールランレース選手救護室と書かれた張り紙があり、扉の前では、これまた看護師が外の様子を気にしている。室内にはパイプベッドが6つ。今回のために外から持ってこられたらしい。そのうち窓に枕側が隣接した2つが埋まっていて、左側にはジャイロ・ツェペリ、右側にはジョニィ・ジョースターがいた。ジャイロはいびきをかいて寝ている。ジョニィは目を開けて天井を見ているようだった。

「ジョニィ。」

 セオが声をかけると、ジョニィはパチパチと瞬きをしてから、黒目だけをセオの方に向けた。

「どうだった?」
「全てうまく行ったよ。遺体は何者のものにもならず、トリニティ教会のシェルターに仕舞われ、別世界のディエゴはわたしが元の世界に返した。ルーシー・スティールは目を覚まして、表彰式に行くと言っていた。」
「ありがとう、僕がやりたかったことが全部終わったんだね。」
「そういうことだね。」

 部屋の隅にあったスツールをジョニィのベッドサイドに滑らせる。セオはジャイロがいない側のベッドサイドに座り、ジョニィの顔をまじまじと見つめた。
 ディエゴにはディオの面影があったのだが、ジョニィはジョナサンとはだいぶかけ離れた様相をしている。細マッチョな体系であるとか、生意気そうなしかめっ面であるとか。髪の色も全然違うし、性格もジョナサンのように誠実そうではない。だけどこのジョニィがジョナサンなのは、なんというか……魂で分かる……気がする。ちょっと自信がない点については許してほしい。

「Dioのところに行かなくて良いのか?今表彰されたんだろ、1位で。」

 唇を尖らせるジョニィ。自分は失格なのにディエゴが優勝しているのが釈然としないらしい。彼は当然知っている、表彰されているディエゴは、1位でFinal STAGEを走りきったディエゴではないことを。

「表彰式が終わったら会いに行くからいいの。……わたしとジョニィとディエゴ以外の世の中の人全員にとって、ディエゴはあの人1人だけなんだから、こうなっても仕方ないでしょう。」
「……そうなんだけどさあ!」
「興奮すると傷に響くの。」

 声を荒げるために腹筋に力を入れたのが失敗だったようで、ジョニィは腹が痛いと涙目になりながらもらした。レース中はアドレナリンが放出されすぎて痛みなどどうってこと無かったかもしれないが、今はふつうに痛いものは痛い。それはセオも同じことで、筋繊維に負荷をかけすぎたせいで、今までの筋肉痛が全部一気に来たように思えるくらい身体中が痛い。

「ジャイロさんはどうしたの?」

 セオはジョニィの隣のベッドで寝ているジャイロに目を向けた。ジャイロはその長髪をぐしゃぐしゃに散らして、顔色の良くない状態で眠っている。セオとジョニィが普通くらいの声量で話していても、起きる様子はない。

「別の世界のディエゴに、腹に穴を開けられたんだ。」
「別の世界のって、わたしがさっき帰してきた?」
「そう。あいつが機関車から飛び降りたところに、僕たちは居合わせたんだけど……ジャイロが鉄球で攻撃しようとしたら、次の瞬間にはジャイロが腹から出血して。後から気づいたんだ、時を止めてやったんだって。それがあって、僕はディエゴの得体の知れない攻撃に警戒しながらあそこまで行けたんだけどさ。」
「……そうだったの。」
「機関車に拉致されてたスティール氏がジャイロを見つけて、ここまで連れてきてくれたんだ。お蔭でジャイロは失血死せずに済んだ。本当に良かったよ。」
「良かった。」
「ほんとーにそう思ってる?大好きなDioのライバルが減らなくて残念とか思ってない?」
「ほんとーに思ってるよ!わたしはジョナサンもジョナサンの友達も生きてて良かったって思ってる!」
「ふーん?」

 ジョニィはいじわるで、セオの知るジョナサンとは似ても似つかない。ディエゴは吸血鬼にならなかっただけのそのままのディオだと思うのだが。家庭環境が変わると、同じ人でもこうも変わるんだなとセオは思った。

「……ごめんねジョナサン。」
「え、急になんだよ。」

 謝罪の言葉が、ごく自然に口から漏れた。急に真面目になって謝るセオにジョニィは吃驚している、というか怪しんでいる。

「あなたは大切な親友なのに、どうしても怖くて近づけなかった。もしディオに何かあったらと思ったら……。」
「親友?」
「なんでもない!」

 セオは顔の前で両手を振った。ちょっと話しすぎてしまった。
 ジョニィもまたディエゴのように何も覚えていないし、まだ接触したばかりだからか、今のディエゴのように薄っすらと何かしらの違和感も覚えていない。

「わたしが謝罪したかっただけ!……これを機会にわたしとも仲良くしてよ。」

 振った片手をそのまま、布団から出ていたジョニィの手に近づけた。

「ええと……こちらこそよろしく。」

 ジョニィはまだ不安そうにセオの手を取った。久しぶりに生身の手同士の握手。ジョニィの手は暖かたかった。セオが上下に手を振ると、ジョニィはされるがままに手を振った。

「ジョニィはレースが終わった後はどうするの?イギリスに行く?」
「うー……ん、そうだな。イギリスに帰るつもり。セオは?イギリス出身なんだろ?」
「わたしもイギリスに帰るよ。……ディエゴと一緒にね!」
「またDioだ。」
「しょうがないでしょう。それに、ジョニィだってジャイロとずっと一緒。今だって。」
「……まぁ……そうだけどさぁ……。」
「曖昧だなぁ。」

 救護室のドアがコンコンと叩かれ、救護係らしい男の人が入ってきた。セオはジョニィの手を離し、布団を持ち上げて中に仕舞うよう促す。救護係はジョニィとジャイロの様子を目視し、まだ目を覚ましていないジャイロの方に近寄った。

「巡視の時間だね、わたし戻るよ。」
「あぁ……うん。」
「イギリスに戻ったらファンレター書くね。そうしたら返事か電話を頂戴。また会う予定を立てようよ。ディエゴも一緒にさ。」
「……Dioは……まぁ……。……わかった。また一緒にレースに出るようになるんだ、歩み寄りも必要だよな。」

 セオは救護係に会釈し、お邪魔しましたと伝えて部屋を出た。
 表彰式の歓声が、ドア1枚くぐっただけでぐっと近くなった。窓の外には色とりどりの紙吹雪。職員たちは皆、窓に集まってそれをいる。アナウンス、歓声、拍手、吹奏楽……これをここで観ている人たちは、1人残らず幸せなんだろう。
 セオもとても幸せだ。ずっと願っていたジョナサンとディオの和解が、もうすぐ叶う気がする。そうすれば全て安泰、苦心の日々はもうすぐ終わる。






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