trance | ナノ



 線引瑠良は、大学に通いながら舞台のアルバイトをしている、今年成人を迎えたただの一般人である。芝居の裏方が好きでやっているアルバイトだが、最近は野外イベントやライブなんかでもバイトをさせてもらっている。音響、とくに音声の仕事が主で、彼女は基本的にマイクを持ってその辺をウロウロしている。
 今日はエルドールという事務所の外注で、その事務所が経営しているアイドル養成学校のライブの音声のアルバイトをしに、小さな劇場に来ていた。

「瑠良さん、IBで準備ができた子がいるからマイクお願いします。」

 楽屋前廊下でピンマイクをカゴに入れてウロウロしていた瑠良を、エルドールのプロデューサー……朝比奈柚希が呼び止めた。

「はいっ、今行きます。」

 リハーサルを目前にし、瑠良はおじさん先輩……山下さんとともに、出演者にマイクをつけてまわるのに大忙しだ。今日の出演はアイチュウの3期生で、瑠良の持つカゴにはIBとFF用のピンマイクが入っている。
 柚希に呼ばれてIBの楽屋に入る。さすがインターナショナルボーイズ、と言ったところか、楽屋の中は国旗モチーフの衣装やグッズでなんだかカラフルだ。食の好みもさまざまらしく、お弁当の他に各々で用意したらしい軽食がテーブルに置かれていた。

「お疲れさまです、音響の線引です。ピンマイクをつけさせていただきます。」
「はーい!お願いしまーす!」

 1番に飛び出してきたのは、イギリス国旗が胸元にプリントされたポロシャツを着た、オレンジ色の髪の男の子だ。もらった資料で名前は完璧、レオン、だ、確か。

「レオンさんですね。」
「わ、オレの名前知ってるの?可愛いお姉さんに呼んでもらえて嬉しいなぁ。」
「ちゃんと覚えてきましたよー。じゃあ胸のボタンのとこにつけさせてもらいますね。」
「はーい!」

 なんだか軟派な人だなぁ、と思いながら、ポロシャツにピンを留める。レオンのジッと見つめる視線が気になった。女でこういう仕事をしていると、男の出演者にセクハラをされるのなんてよくあることだが、こんな若い子にナンパされるのは初めてだった。

「本番はネクタイにつけますからね。動きにくいなーとかあったら教えてください。」
「ありがとうございます!お姉さんのお名前は?」
「……線引瑠良です。よろしくお願いします。」
「瑠良さんね、よろしく!」

 それでも邪険にされるよりはいい。人懐っこい彼が1番に飛び出してくれてむしろありがたかった。

「次、ラビ君いけるかな?」
「うん。」

 白いワイシャツの裾がロシア国旗になっている長身の男の子……男の人と呼びたくなるのは、たしかラビと言ったか。瑠良は朝に見た資料の内容を反芻する。

「ラビさんですね。」
「うん。ワイシャツの合わせのところでいいかな?」
「はい、お願いします。」

 背の高い彼は、瑠良の目線に合わせて少しだけ膝を折ってくれた。瑠良はピンをひっかけ、ラビにポケットに機械を入れるようにお願いする。彼はわかったと快く引き受け、すぐに仕事は終わった。

「次は……えーと、リュカさん今あいてますか?」
「ああ。」

 青い髪のフランス人の男の子、リュカは部屋の隅でベースを撫でていた。残りの朝陽とノアはなにやら話し込んでいたので、リュカの方を先に呼ぶ。
 彼はベースを置いてすたすたと瑠良に寄る。黒いワイシャツに、胸のところにワンポイントのフランス国旗。フランス人の男の人というと、瑠良のイメージでは、華やかで女性が好き、なんてものがあるが、彼からはそういう雰囲気は感じられなかった。むしろドイツ人のような真面目さを感じる。
 外国人と交流することなんてほとんどない瑠良のステレオタイプなイメージで申し訳ない。

「ん。」

リュカは前の2人の様子を見ていたのか、すぐに瑠良が作業しやすいように顎を上げた。

「ありがとうございます。」

 黒いワイシャツの合わせのところでピンを留める。リュカは機械を受け取ると、それをポケットに突っ込んで、またすたすたと元の場所に帰っていった。
 その後、ノアと朝陽の話し合いを柚希に中断してもらってピンマイクをつけ、FFの3人にもつけ終わってひとまず任務完了した。あとはリハーサルが始まったら山下さんと共に、せっせとそれぞれのピンマイクの設定をするだけだ。

 客席1番後ろの音響ブースに山下さんと並んで座る。舞台にぞろぞろと出てきて立ち位置確認や振り確認をするアイチュウたちの声をモニターで確認しながら、それぞれの声に合わせてイコライザーをいじる。歌練習の前に間に合わせなければいけない。自分が仕事をしたIBとFFの様子が気になるので、彼らの声をヘッドフォンで聞きながら、そちらの方をチラチラ見てしまう。
 舞台下手でなにやらIBが……というかレオンとリュカが揉めている。瑠良は彼らのマイクに入る声をヘッドフォンで聴いてみた。

『オレの方があってる!』
『オレだ!ここの振りは右からだってさっき決めただろー!』

 振り付けのことで揉めているらしい。

『大体レオンの振りは合ってない!もっと周りを見ろ!』
『リュカだってちゃんと笑顔になれよ!』

 レオンがリュカの頬を引っ張っている。リュカはレオンの指につままれて口角が無理やり上げられていた、少し痛そうだ。リュカがレオンから離れようと一歩下がる、と、後ろにArsの黒い髪の子がいて、リュカは彼の背中にどんとぶつかってしまった。その衝撃でリュカのポケットからピンマイクの機械が落ちた。ケーブルが引っ張られてピンが外れ、マイクも下に落ちる。瑠良の耳にザザッという痛い音が届いた。がちゃんと小さな音を立てて落ちたピンマイクのセット、電池入れの蓋が外れ、中身が出てしまっている。

「瑠良ちゃん行ってきて!」
「はいっ!」

 山下さんに言われるのと同時に、瑠良は慌てて舞台へ走る。レオンはびっくりした顔のまま固まり、リュカは慌ててピンマイクを拾い上げていた。

「リュカさん!機械、足に落としてませんか?大丈夫ですか?」
「あ、あぁ。オレは大丈夫だ。すまない、機械を壊してしまった……。」
「電池入れの蓋が外れただけです、機械に悪いところはないと思いますよ。」

 瑠良はリュカから機械を受け取り、電池と蓋をはめ直した。電源ランプは正常についたし、マイクも普通に使える。機械は無事だしリュカに怪我はないしで問題なしだ。

「はい、全然悪いところはありません。リュカさんもお怪我がなくてよかったです。レオンさんも。

「ごめんね、瑠良さん……。」
「悪かった。」
「舞台上にはいろんなものがあって危ないですからね、ちょっと気をつけてみてくれると嬉しいです。」
「はーい。」
「わかった。」

 じゃあマイクつけ直しますね、と、瑠良は、リュカに不安や罪悪感を感じさせないように笑顔を向ける。彼の赤い目と視線があったのでニコッと微笑んでみた。
すると。

「……う!」

 リュカが短く声を上げた。顔がゆっくりと赤くなり、瞳孔が開く。耳まで赤くなっている。
 この反応がなにを示しているか瑠良にはわかる。彼女だって人並みに恋愛経験はあるから疎いつもりはない。

 ……惚れられたか?
 なんて、自意識過剰に思った。が、あながち間違っていないようでこわい。

「どうしました?」

 とりあえず聞いてみる。リュカはなんでもないと言ってそっぽを向いてしまったが、その態度がもはや正解を与えてくれているような気がする。一目惚れでもされてしまっただろうか。いやきっとこれは、自分の失態を恥じて頬を染めているだけだ、きっとそうだ。そう思おう。そう思った方が平和だ。
 リュカとレオンの一件で舞台に気合が入ったらしく、出演者もスタッフも滞りなくリハーサルを終えた。まあ良かった、のだろうか。



 中高生から20代くらいの女性、そして男性も少し混ざった客席は大熱狂のうちにライブは終わった。アイドルの途中とはいっても、ファンはたくさんいるし、歌も踊りも申し分ないものだ、と、瑠良は思った。ファンサービスも十分で、ファンたちは黄色い声をやめなかった。
 瑠良も山下さんもほとんど座りっぱなしだったが、目も耳もはなせない緊張で気疲れした。本番を終えバラし作業に入り、2人は急いで楽屋に向かう。マイクを回収しなければ。

 楽屋前廊下の折りたたみ式テーブルの上にピンマイクがズラッと並べて置かれている。ありがたい、と、瑠良は先輩と目を見合わせる。

「マイク、全員ぶん置いておきましたよ!」

 忙しそうにしている柚希が声をかけてくれた。彼女が集めていてくれたようだ。瑠良たちは礼を述べてありがたいと言いながらマイクを回収する。

「あ、あの。」

 柚希と入れ違いに誰かがやってきて、瑠良の背中に声をかけた。

「はい?」

 瑠良は気の抜けた返事をして振り返る。と、そこにいたのは、青い髪のフランス人……リュカ、だ。今いろんな意味で気になる人物。彼はまたほのかに頬を赤らめている。瑠良は彼が何を言いだすのかはらはらしてしまう。

「その……マイク、大丈夫だったか?」
「大丈夫でしたよ。本番中、おかしなところはありませんでしたし、まだちゃんと使えます。」
「そうか、それなら良かった。」

 リュカはそれだけ言って速歩きで去っていった。先輩も瑠良自身もキョトンとしてしまう。自分が落としてしまったマイクを気にするなんて偉い子だ、と思っておこう。

 バラしを一通り終え、音響の2人はここで解散になった。山下さんは機材を戻しに会社へ戻るが、瑠良はこのまま直帰だ。守衛さんに挨拶をして関係者出入り口から外に出る。
と。

「あれ、リュカさん?」

 外には、壁に背中を預けて、誰かを待っている風なリュカの姿があった。彼は変装用のメガネとニット帽を身につけていて、舞台の華やかさとはまた違うんだ格好良さを醸し出している。

「みなさんを待ってるんですか?」

 IBは5人でルームシェアをしているグループだ、皆と一緒に帰ろうとしているのだろう。そう思って声をかけたが、リュカはふるふると首を横に振った。

「瑠良さんを。」

 彼の顔はまだ赤い。つられて瑠良も赤面してしまう。わたしを待っていたってなんだ、何か用事か、その赤い顔はなんだ、と、脳みそがフル回転しているのがわかる。

「な、なにか用事がありました?」

 返事はなく、言葉を探すように目線を彷徨わせるリュカ。特に用事がないなら帰りますよと普段の瑠良なら言っていたかもしれないが、このどこか頑張っている姿を見てしまうと、彼を放置しておけない気持ちになる。

「もう遅いですし、途中まで一緒に帰りますか?」
「……いいのか?」
「いいですよ。リュカさんたちが住んでるお家ってどっち方向ですか?」

 リュカがあっちと指差したのは、瑠良が使っている駅の方向だ、とてもちょうどいい。

「同じ方向です、よかった。さ、早く帰りましょう。」
「ああ。」

 ファンに見つかったり、スキャンダルされたりしないか心配だ。リュカはニット帽で髪をしっかり隠しているし、瞳の色も眼鏡越しには分からなくなってるから、リュカがリュカだとは気付かれにくいだろう、と、思いたい。隣に立っている彼はスラッと背が高く、顔も整っている。モデルという仕事に手を伸ばしても十分やっていけそうだな、なんて瑠良は思った。
 歩いている最中リュカは無言で、瑠良はどうにも居辛くて仕方ない。何故自分は今日知り合ったばかりのアイドル(……の卵)と一緒に帰っているんだ?改めて考えてみてもよく分からない。
 多分好かれている、のだと思う。リハーサル時の態度であるとか、わざわざいちスタッフである瑠良を待っていたところであるとか、そんなことから推測する。少なくとも普通よりは上の良い感情を抱かれているはず。

「今日のライブ、お客さん大盛り上がりでしたね。」
「ああ。」
「コールアンドレスポンスもばっちりでしたね。」
「ああ。」
「見ていて気持ちが良かったです。」
「それは良かった。」

話が続かない。
 返事が短く、その返事に困る。無理に話さない方がいいのだろうか。ライブの様子を見て、硬派で真面目なキャラクターだと思った通り、普段もそういう感じか。これがスタンダードだから、向こうは気まずさなんて感じていないのだろうか。

「深海マーメイドっていい曲ですね、聴いていて優しい気持ちになります。」
「ありがとう、あの曲は特に思い入れが強いから嬉しい。」

 リュカはふっと笑顔になってくれた。本当に嬉しそうに笑っているものだから、言ってみて良かったなと瑠良は思う。

「作詞作曲はリュカさんなんですよね?目も耳も離せなくなるような素敵な曲ばかりでした。」

 ファンになっちゃいました、と、瑠良は微笑む。するとリュカはオーバーヒートしたように、顔から煙が出てしまうのではの思うくらいに顔を熱くさせる。
 しかしそれ以上話すことがなくて、また瑠良は黙り込んでしまう。一緒に帰ろうなんて誘っておきながら、何も気の利いたことが出来ずにいる自分が情けない。なんて、思い込みすぎだろうか。
 そうしているうちに、瑠良が電車に乗る駅の近くまで来てしまった。

「どうした?」

 何も言えずに立ち止まった瑠良に、リュカも立ち止まって問う。

「わたし、ここの駅から電車に乗るので……。」
「そうか、オレはあっちだからここでお別れだな。」
「ええ、お疲れ様でした。」
「……待ってくれ。」

 気まずい気持ちからはやく抜け出したくて、瑠良はリュカに背を向けたが、リュカはそんな瑠良を呼び止める。瑠良はぴくっと固まってから振り返り、どうしました?と問うた。

「また会えるか。」
「……う。」

 その顔をやめてくれ!瑠良は心の中で叫んだ。その、子犬のような、託児所においていかれる子どものような、その切なそうな表情は、女心に……というか、母性にくるものがある。この人はわたしのことが好きなのではないかと勘違いしてしまう。いや、勘違いではない、と、瑠良は思う。

「……エルドールさんにお仕事を頼まれたのは初めてですけど、またご縁があったらいいなと思ってますよ。」

 5秒くらい頭の中をフル回転させて、脳内だけ30分くらい時間がたったような気分になって搾り出した答えは、なんてことのない社交辞令でしかなかった。質問の本意が見えないうちは、これくらいしか返す言葉がない。のに……だから、その、切なそうな表情をやめてくれ!
 もっと他に無いのかと不満そうな表情で訴えてくるリュカには応えられず、瑠良は、それではと言って立ち去ってしまう。もっとうまい返しがあったはずだ。彼女の頭の中は後悔と反省でいっぱいだった。





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