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... 交わらないランゲージ ...




 イギリス国内で大きなレースが開かれる競馬場、使い慣れたその厩舎、である。今日のレースも警戒すべき選手がおらず優勝をおさめたディエゴは、少々退屈そうに帰る準備をしていた。
 この後は夕方からレースの祝賀会がある。半分は自分のためにで、残りの半分は他の選手達のために開かれる。ディエゴは優勝者として参加してスピーチをしなければならない。のだが、どうも面倒だ。参加し慣れたパーティに使い褪せた礼の言葉、今日はあまり乗り気ではなかった。称賛と羨望の眼差しを一身に浴びるのは大好きだ、人の上に立って先導したり行動を統制するようなこともだ。自分がちょっと礼にと頭を下げただけで拍手が来る感覚は、一度味わったら忘れられない。
 ちょっとシャンパンでも引っ掛ければ気分も乗ってくるだろうから、重い腰を上げて行くことにしよう。表に車がいるはずだから、会場までは難無い。ヘルメットや大切な馬具をまとめて背負い、ディエゴは更衣室を出た。

 と、そこに、1人の女性が通りかかる。

「あ、ディエゴさん。」

 この競馬場の経営者の娘だった。ディエゴよりも2つ下で、最低限の教育を受けた後に、父親を手伝ってここで働いている健気な女性。彼女はマイクケーブルを巻いたものを腕に引っ掛け、マイクスタンドとマイク本体を抱えていた。撤収の作業中だったのか。

「やあセオさん、今日もありがとう。」

 立派なトラックを走らせてもらった礼、殆ど社交辞令のようなものだ。人当たりの良い笑みを浮かべて、不快な気持ちをさせないように務める。ただ少し、頬が引きつった感じがした。珍しく、というか、他の誰に対してもなかなかないことだが、このセオ・フロレアールの前では、腹黒いディエゴ・ブランドーも緊張をする。ディエゴにとってセオは、そこら辺を歩けば黄色い声を上げる女共とは違って見えるのだ。特別な存在、端的に言えばそれに尽きる。何てこと無い日常会話でも声が震えそうになるなんて、自分は腑抜けになっているものだとディエゴは自分に対して呆れた。

「今日のレースも素敵でしたよ!さっそうと駆け抜ける美しいフォームに惚れ惚れしました!」

 セオはパッと笑顔になって、いつもより大きい声で言った。ディエゴは思わず、グ、と、口を閉じてしまう。訊きなれた言葉だ、おめでとうも格好良かったも浴びせられ飽きている。何てこと無い賛辞なのに、彼女が言うと、どうしてもこうやって胸に甘く刺さってしまうのか。

「・・・ありがとう。」

 お礼の言葉しか出てこなかった。もっと何か、彼女のために特別なセリフでも出てくればよかったのだが。セオの笑顔にあてられて、思わずそっぽを向いてしまう。照れ隠しにヘルメットを被り、ついつい早歩きでその場を去った。もう少し、立ち止まって、何気ない会話でも出来ればよかったのに。
 社交辞令、と決めつけては彼女に失礼だが、そんな挨拶もセオがすれば特別になる。改めて気付かされたが今はもう遅かった。この後の祝賀会でも会えるだろう、その時は気が利いた言い振りの一つでもできれば。


















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凍夜さんに捧げます





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