trance | ナノ



Blooming Feeling ... 06


「誰かにつけられているな。」
「やっぱり……?」
「気付いていたか?」
「敵意のある視線ならわたしも分かる。」

 進行を初めて3時間ほど、まだ午前の半ばくらい。砂漠の、砂の波打った山の向こうに、よくない気のようなものを感じる。誰かが居る気がする。レースの道中とはいえ無法地帯だ、何が居てもおかしくはない。係員の乗る馬車も気球も近くに居ない今、何かがこちらを狙っているのだろうか。

「……蛮族?」
「オレの命をねらっているのかもな。」
「えっ、どうして?」
「優勝候補が1人減れば、その分自分の順位が上がる、なんて。」
「ああ……。」

 ディエゴはゆっくりシルバーバレットの足を止める。セオもそれに並んだ。2人は後ろを見る。砂山の向こうから、ゆっくりと人影が現れた。セオ達が立ち止っていることに気づいていないらしい。頭だけが完全に見えた。男だった、ハンチングを被っていて、顔立ちはとてもいかつい。男はセオ達が自分を見詰めているのに気付く、すると懐から刃渡り30cmはありそうな大きなナイフを取り出した。

「殺す気らしい。」
「あの人イギリスの競馬場で見たことがある。」
「いたか?あんな奴。」

 王者には全く興味のない相手だったようだ。ディエゴは、逃げるぞ、と一言小さな声で言い、シルバーバレットに鞭を入れた。セオも慌てて後を追う。

「イギリスの奴ならオレより速いわけがない。ここじゃあ分が悪い、撒くぞ。」
「え!?」

 ディエゴはどんどんスピードを上げる。男を振り切る気だ。しかしセオはそれについていけない、この暑さの下ではラームの最大限の力は出せないのだ。一馬身、二馬身と間が空く、それにつれて後ろの男が近づいてくる。彼は優勝候補のディエゴだけを狙うだろうか。いや、一緒に居るセオも狙って当然だ。目撃者でもあるし、1人でも多く減れば減るほど彼には都合が良いのだから。
 セオは振り返ったまま考える、さあどうすればいいんだ。どうせ振り切っても命は狙われ続けるのではないか。今は無理でも、野営中や街の宿で……なんて、ディエゴを手にかけるチャンスはどこにでも転がっている。いくら彼がイギリス競馬界の貴公子でも、自分を殺しにかかってくる相手に対しても強くいられるのだろうか。もしディエゴの中で"能力"が目醒めているなら話は別だが、逃げるという選択肢を選んだのでそれは考えにくい。

 セオには、ディエゴに降りかかる火の粉の全てを取り除かなければならないという使命があった。

 誰かに言われたわけではない、ただセオ自身が自分の中でずっと決めていること。彼を守らなければいけない。"前"のようにみすみす彼の死を受け入れるだけの運命なんて嫌だ。だからセオは振り返る。ディエゴはどんどん遠くなり、男はどんどん近くなる。

「んのアマアアア!!」

 男が叫ぶ。思い出した、確かこの男はグローレンスと言っただろうか。ディエゴが出ている大会の、3、4位あたりに時々名前があるのを見る。よく見ると、顔も写真で見たことがあるような気がする。相手を殺して自分の順位を上げようなんて、そんなことを考えているから強くなれないままなんじゃあないか、なんてセオは思う。

「セオ!?」

 グローレンスの叫びは砂に吸い込まれるだけではなく、ディエゴの耳にも届いたようだ。彼は手綱を勢いよく引いてシルバーバレットを止め、後ろを振り返る。遠くにセオが止まっているのが見えた。
 構ってられないぞ、と朝に言っていたわりに、振り返って停まってくれるだなんて、やっぱり優しいなあ、と、セオは感動した。

「貴様あ!」
「ごめんなさい!」

 セオは右手のグローブを外し、それを左手にぐるぐると三重に巻いた。
 男はナイフを逆手に持ち、セオにブッ刺すという意志をありありと見せながら手を振り上げる。セオはグローブを巻いた左手を顔の前に出す。男はナイフを振り下ろす、セオの胸真ん中、心臓を狙っていた。セオはナイフの刃をつかむように左手を広げ、そのまま刃を掴んだ。革製のグローブに刃が食い込む。肉には届かない。グローレンスがウッと唸る、両手でナイフを押し込むがセオは平気な顔。男相手でも耐えている。
 セオは刃を掴んだままラームから飛び降りる。グローレンスもセオに引っ張られ、一緒に落馬した。彼は砂の上に尻餅をついた。セオはその上に馬乗りになる。

「アトロポス!」

 神話の女神の名前を叫ぶ。セオの背後に、女性型のロボットのような影が現れた。頭に月桂樹の冠をつけた、ギリシア神話に出てきそうな服装をしたロボットだ。
 セオは空いている右手でグローレンスの無防備な首を掴んだ。喉仏を押し、左右のリンパ節を潰すように。

「ぐぁっ……!」

 グローレンスは片手でセオの手首を掴み、振りほどこうとする。しかしセオはどんなに掴まれようと離さない。

「ディオを殺そうなんて許さない……絶対に許さない……!」
「ぐ……う……。」
「少しでも殺意を持っているなら生かしてはおけないの!」

 ディエゴが駆け寄る、彼はじたばたと暴れているグローレンスの脛の上に乗った。グローレンスは苦しそうにもがき続けるが、ディエゴもセオも離さない。
 グローレンスが暴れるのを押さえつけるセオの手のひらがほのかに光った。すると、グローレンスの首から顔から、段々と水気が失われていく。窓辺に置いている植物に水をやらず、放っておいた時のように。しわしわと音がする。唇も頭髪も潤いを無くしていく。まだそんな歳でもないのに、一気に歳を取ったようにも見える。

「なんだこれは……?」
「ふんっ……手袋が無駄になったな。」

 グローレンスが動かなくなった。かすかに息はあるようだが、抵抗する力は皆無になった。少しだけ力を抜いて、もう反発してこないことを確認してセオとディエゴはグローレンスから離れた。
 ディエゴが不思議そうにセオを見詰める。それもそうだ、目の前でこんなとんでもない事態が起きたのだから。しかも直接の犯人はセオ以外の何者でもない。

「何を……何をしたんだ……?」
「何を……って、この人は砂漠で干からびて死ぬ運命だっただけだよ、気にしないで。」
「気にするな?目の前でこんなことをやられてか!一体なんなんだあんたは!?」

 ディエゴはセオと距離を開ける。しっかり警戒されてしまった。悲しい気持ちもわずかにしたが、しかしセオは気にしない、これが使命なのだから。それにディエゴなら、近いうちに同じように目覚めてくれるはず。

「ディオ、わたしは貴方を殺したくないだけなの、今度こそ、絶対に。」
「今度こそ?なんなんだいつも、わけの分からないことばかり。」
「今は分からなくてもいい。いつか分かるかもしれないし、……分からないならそのままでもいい。」

 より一層わけがわからない、という顔をされるが、セオはそれ以上何も言わなかった。
 このまま死ぬだけのグローレンスは放っておいて大丈夫。ただ、グローブを片方ダメにしてしまったので、2ndSTAGEのゴールかどこかで新しい物を用意しなければならない。グローブに刺さったナイフを抜き取り、グローレンスの横に落とす。さくっと砂の上に立ったナイフは墓標代わりにでもなればいい。

「行こう。質問は受け付けないよ。」
「……。」

 セオは疑心をたっぷり含んだ視線を浴びる。それでも殺人に近いような行為自体をディエゴに咎められないならそれでいい。セオは知っている、ディエゴは自分の邪魔をする者は誰であっても排除することに躊躇いを持たないことを。
 だってディオがそうだったから。






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