trance | ナノ



汚れた煤を払い落とすな


「承太郎君。」
「なんだ。」

 冬も厳しくなる2月のとある日、である。しんしんと雪が降り、珍しく積雪の多い空条邸周辺。雪が降ると外は曇り。日光の心配の少ないセオは喜んで、母屋へと向かう渡り廊下を走った。

「寒いから一緒に紅茶でもどうかなと思って。」

 アメリカの大学を受験する空条承太郎は、共通一次試験を放って毎日英語の勉強詰めである。エジプトへの旅の途中何かに目覚めたらしい彼は、カイロから帰って一週間身体を落ち着けた後、英語の問題集やアメリカの大学を受けるために必要な参考書を買いこんでいた。日常会話の英語なら、ジョセフやホリィから習っているし、先の旅行では使っていた。しかし専門用語や研究に関する英語は身に着いていない。
 台所で昼食の余韻に浸りながら単語帳をめくっていた承太郎は、駆け込んできたセオをチラと一瞥してまた目を落とす。

「・・・いいぜ。」
「やったあ。」

 セオはいくらか使い慣れた台所に立ち、ティーポットを漁る。純日本風の家屋だが、ホリィやジョセフがいるのでわりと英米の文化も取り入れられている。セオには暮らしやすくて良い。
 茶葉をスプーンですくい、ポットにほいと投げ込む。ディオのところではほとんど全ての家事がテレンスの仕事だったので、久しぶりに自分に家事が戻ってきてくれて嬉しい。ちゃっちゃと用意された紅茶はアールグレイ。戸棚にあったのを適当に入れた。

「どうぞ。」
「ああ。」

 毎日検査と実験、自宅待機の繰り返しのセオには、本を読むか家事をするか、ホリィや承太郎、イギーと遊ぶくらいしかすることがない。することに制限が付きすぎている、不自由にも仕方ないなあと諦めがつく。
 昨日の夜焼いたマフィンを手に、セオはイギーを探す。イギー、と名前を呼ぶと、廊下からてっててってと軽やかな足音。イギーは丁寧にふすまを開いて入り、セオの手にあるマフィンに咬みついて奪うと、さっさといなくなってしまった。愛想は無いが撫でると大人しいので可愛げはある。

 なんだか平和だなぁ、と、セオは思った。それは承太郎も同じだったようで、彼は退屈とも疲れともまた違う溜め息を一つ。ロングブレス。彼はガラス戸の向こうに降っている雪を眺めている。木枠の周囲が白くくもっていて、なんとも冷たそうだ。ちらと承太郎の視線がセオに向いた気がするが、彼女は気にしない。部屋から持ってきた本のページをぱらぱらと無意味にめくり、そしてしおりの所で開く。
 現代思想とタイトルの付けられた本。セオが死んだ後に展開された思想をまとめた本だ。今の人達が何を行動の基準にしているのかを考えるのに役立ちそうだと思って読んでいる。


 穏やかに本を読んでいても、思い出すのは常にディオのこと。何をしていても彼のことばかり。そして、彼ならどう思うか、彼ならどう言うか、なんて、セオの行動の基準はディオが中心になって変わらないよう。本を読んでいると、まるで視界の端のどこかに彼がいるのではとさえ思ってしまう。
 心穏やかに、そんな心地でいるのに、こうして一度でも敵と思った人々とのんびりひとつ屋根の下、だなんて。



「なあ。」
「ん?」

 珍しく承太郎から話しかけられたので、思わず返事の声が大きくなる。彼はその反応に対して、やれやれと帽子を深く被ってみせた。ただ声が大きくなっただけなのに呆れているのか。部屋の中なのに学帽はとっていない、流石に学ランは脱いで半纏を羽織っているのに。

「お前、ここでこんなにしていて良いのか?」

 まっすぐに、心の真ん中を貫くような問いだった。

「こんなに、って?」

 穏やかに口元を緩めていたセオの全身に力が入る。本のページをめくる手が妙に緊張して、本の表紙と数ページを親指と人差し指で潰した。
 問いの意味は分かる、だからこんなに身体が強張るのだ。そして承太郎にそれが伝わっているのも分かる。彼はいつもと変わらない無表情だが、真剣さと疑う心がいつもより強く見える。

「良いと思っていると・・・思う?」

 自分でも意地の悪い問いかけを投げ返したものだと思う。試すように、罪を問うように訊き返した。

 ディオそのものは罪悪の塊のような存在だが、セオにとってはかけがえのない拠り所だった。それを奪った承太郎にも、少なからず罪はある、と、承太郎自身は心のどこかで思っているようだ。だから彼はセオを自分の家に置くことに反対しなかったし、こうやってちょっとした誘いには断らず乗っている。それで彼女は満足なのか、承太郎には分からない。いや、満足なはずがない、最高の幸せを奪われ、こうやって見知らぬ土地で見知らぬ人びとと暮らす、それのどこが満足につながろうか。

「承太郎君は気にしなくていいよ、そんなこと。」
「だがな、」
「わたしはディオのことを忘れる気はない、今の状況の全てを許容できる日は来ない。だから気にしなくていい。気にするだけ無駄だよ、無駄無駄。」

 空になったティーカップ二つ。セオはソーサーにティースプーンを乗せて、そのセットを流しに置いた。自然と承太郎に背を向ける格好になる。悲しい顔をしていると思われただろうか。全てを受け入れているわけではないが、割り切っていない訳でもない。気にしなくてくれていいよと言ったのは本心だ。
 承太郎の表情は変わらず無。それでも何か良くない気持ちに心は苛まれているのだろうか。

「・・・英語の勉強しよう、今日は一日付き合っていられるよ。」

 英語で育ったセオは承太郎の手伝いをするのが楽しい、これも本心。知り合いではない、家族でもない、しかし姉弟のようにテーブルをはさんで座り、一つの参考書を眺めるのも悪くない。誰かと一緒に本を読むのは好きになりつつある、まるで視界の端のどこかに彼がいるのではとさえ思えてしまうから。





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