trance | ナノ



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 街の地理を大体把握したセオは、今晩は1人でカイロの街を歩いていた。勿論ディオには反対された。1人で街を歩く彼女自身が事件に巻き込まれないか心配であり、先日のように暴力沙汰にならないかの心配もあるとのこと。前者の方は人以上に強くそしてスタンドを持つ彼女においては心配いらないとは思うが。ついでに付け足しておくと、こうして1人立ちされるのはより強く束縛出来なくなるので、それも反対の理由である、らしい。
 麻布の外套を羽織ったセオは街に出てみたは良いが、1人で異境のお店に入る気になれず、結局は街をぷらぷらと歩くだけになっている。
 ぴかぴかと店内の明るい電器屋、マットの上に立つだけでセンサーが反応して開く。ガラスで出来た、店の中が透けて見える扉もセオの目には新しい。店の中に鎮座している物に気を取られて、セオは、店を見ていたにもかかわらず、中から出てくる人に気付かなかった。
 ドン、と、勢いよく誰かとぶつかる。向こうも外を見ていなかったらしく、全力同士でぶつかってしまった。ノー!と少し歳をとった男の人の声。がさと地面に落ちた紙袋から、買ったものなのか、なにか箱がこぼれ落ちた。パッケージにはカメラの写真がついている。

「ご、ごめんなさい、前、見ていなくて。」

 セオは素早く立ち上がり、ぶつかった男、老人に手を差し出す。彼はすまんのうと言いながらセオの手を取り、あまり力を入れないようにして立ち上がった。そして腰やひざに着いた土をはらい、落ちた紙袋と中身を拾い上げる。

「わしもすまんかった。いやあお嬢さん、どこも怪我しとらんかね?」
「わたしは大丈夫です、本当にごめんなさい。」

 手袋のはめられた老人の手が離れる。彼はセオを正面から捉えた。そして、その目はゆっくりと、大きく、開いていく。セオはどうしたのかと思ってン?と首を傾げる。自分には見覚えのない人だが、この人は自分を知っているのだろうか。とはいえこの時代に知り合いはほとんどいない。ああ、先日酒場での暴れっぷりを見られていたのかもしれない。

「ど、あの・・・どうしましたか?」
「君は・・・。」

 老人の瞳が、真剣なものに変わる。彼は懐から1枚の写真を取り出し、セオには見えないようにして目を通す。そしてスッとまた懐に仕舞った。ただ酒場で自分を見かけただけの人ではなさそうだ。だとしたら本当に身に覚えのない人物。

「セオ・フロレアール、かね?」

 的確に呼ばれたセオの名前。はいと返事をせずとも、ピクと揺れた彼女の肩はイエスと述べていた。やはりそうか、と、確信する老人。彼は長旅で汚れた、土煙に汚れたTシャツの襟首を掴む。そして、ぐいと引っ張り、鎖骨からその反対側の背中を露出させた。

「・・・ジョナサン?」

 セオの口からこぼれたのは親友の名前。老人の背中に、ジョナサンと同じ星型の痣があった。一度だけしか見たことがないが、脳裏に焼き付いて離れない不思議な跡、それが、なぜ、この老人にあるのか。100年の歳月が経ち、まさかジョナサンが生きているはずがない、吸血鬼とも違う、なら、何故。

「セオ・フロレアールで間違いないな。わしの名前はジョセフ・ジョースター。君の親友ジョナサン・ジョースターの孫じゃ。」
「ジョセフ、ジョースター・・・貴方が?ジョナサンの孫の、あの・・・。」

 ジョセフと名乗った老人は、襟首から手を離す。
 セオは全てつながった気がした。星型の痣があるのはジョナサンの孫だから。セオのことがセオ・フロレアールだと彼が気付いたのは、ディオと同じく赤い瞳からだろう。どこかからか自分の情報が漏れたのだろうか。そしてきっと彼が持っているカメラは、ディオが言っていた念写の能力に使うためのもの。

「そうじゃ。セオ・フロレアール、わしは君をエリナおばあちゃんが持っていた写真で知った。ジョナサン・ジョースターと撮っていた家族写真じゃよ。」
「ああ・・・あの、ジョナサン達と撮った、あれですね、分かります、その写真。」

 ジョセフの目は真剣。真っ直ぐとセオに向き合うその視線は、まるでジョナサンに見つめられているようだった。懐かしい気分になった。

「なんだか、意識の無かった100年間を除いたら、ちょっと前の事なのに、とても懐かしい気分。ああ、ジョナサン・・・エリナの名前も懐かしい。」
「君はなぜ、DIOの元に居るんじゃ?全ての元凶である奴をなぜ慕うんじゃ?」
「わたしは・・・。」

 主語を述べただけで止まるセオの言葉。ジョセフはじっとその言葉の続きを待つが、彼女の口はそこで閉じられた。一文字になる唇。
 ジョセフ・ジョースターがここに居る、ということは、決戦の時が近いこととイコールになる。ジョセフかディオか、どちらかが勝利し、どちらかが敗北する。目の前に居るこの老人は、セオにとって、大切な人を奪うかもしれない敵なのだ。よく見れば面影の感じられる懐かしい形をした目だが、ずっとは見つめられない。
 セオはハッとした、自分はここでジョセフと話していられない。彼は何も非になるところがない。しかし、セオの心は後ろめたい気持ちでいっぱいになった。ディオを通しての彼との確執は大きい。

「わ、わたし、帰らないと。」
「そうはさせん、君が彼をどう思っていようと、悲しいことじゃが我々には奴を斃さなくてはならん理由がある。館まで案内してくれんか。」
「・・・無理に決まっています。」

 踵を返したセオの手をジョセフが握った。ぎり、と、きつくセオの手首に食い込む指からは、彼の信念が伝わってくる。強力なスタンド使い達を乗り越えてここまで来た彼の気持ちは分かる。分かるのだが、セオにも引けない理由があるのだ。彼の為に自分の幸せを捨てられるほど、自分は優しく、人を思いやれる心は無い。

「ごめんなさい、わたしには出来ません。」

 この手を振り切って逃げても、彼は追いかけてくる。そうしてディオを発見し、決着をつけようとしてしまう。このカイロにいる時点でその未来は変えようがないもの。しかしセオ自身の所為でそれが早まってはいけない。

「アトロポス!」

 セオは自分につく女神の名を叫んだ。ふわっ、と、彼女の後ろにカーテンのようなスカートがひらめく。スタンド使いのジョセフにももちろんその姿は見えていた。

「スタンド・・・!」

 ジョセフがセオから離れようと手を離す。しかしセオのスタンドは、対象と接触していなければ効果が表れない。だから間を取ろうとするジョセフの腕を、今度はこちらから掴みかえした。彼の二の腕の筋肉が、ピクと力を入れる。

「お願いだから、放っておいてください・・・。」

 セオの手のひらが暑くなる。ジョセフは振り切って逃げようとしたが、そんな力はすっと抜けていった。じわじわと、彼の顔の皺が深くなっていく。セオが掴んでいる二の腕はゆっくりと細くなっていき、反発する力が弱まった。今までの人のように明らかな死因が現れない。

「もしかしてあなた・・・老衰・・・なんですか・・・。」

 問うてもジョセフに分かるはずもなく、スタンド能力自体も。腰が曲がって背の低くなった彼は、聞こえの悪くなった耳をセオの方に向ける。
 セオは彼に死なれる前に手を離して逃げた。ジョセフが元の年齢に戻るまでの時間のうちに出来るだけ遠くへ逃げなくては。振り返らず遠くへ、街の反対側へ。





 喉の奥がヒューと鳴ったのを感じて、一旦脚を止める。駆け足のまま振り返り、ジョセフがいないことを確認して止まった。沢山走っても全くつかれていない、しかも心臓の動きも普段通り。ただ少し喉が渇いただけ。吸血鬼の底抜けな体力を実感した。

 セオは狭い路地に入り、ゴミ袋の山の陰に隠れて座り込む。走った疲れは全くないが、ゆっくりと心臓の動きが早くなっていくのを感じた。それに合わせて、彼女の気持ちも切羽詰まっていく。この短時間の出来事が、彼女を絶望の淵に立たせた。

「老衰死・・・って・・・ことなの・・・?」

 致命傷が出ず、ただ老いていったジョセフ。観たことのないパターンだった。あれはきっと手を離さなければ、寿命で死んでいたのだろう。そして、"天寿を全うする"ということは、つまり、ディオとの戦いを生き延びるということである。勝つか、引き分けるか、逃げのびるか、穏便にすむか。結果は分からなくとも、ジョセフが生き残る、という結果が見えた。彼の生存は、ディオにとって吉なのか凶なのか。

「う・・・うう・・・。」

 セオは頭を抱えて低く唸った。混乱や後悔や焦りや、様々な感情が入り交ざって止まらない。

「いっそ、あの時、あのまま、」

 そこまで言いかけて、セオは自分が恐ろしいことを考えたと気付いて口を閉じた。あの弱々しくなった老人なら、最後まで抵抗をせずに、早まった死を受け取ってくれただろう。そうすれば、ディオが脅威に感じるものはいなくなったのかもしれない。しかし、さっきそうだと気付いても、セオには出来なかっただろう。
 セオはゆっくり立ち上がる。帰らなくては。帰ってディオに今起きたことを伝えなければならない。まずは何よりも、ディオに会いたい。





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