trance | ナノ



... 1 3 ...


 基本的に、というか、夜しか外に出歩けないセオは、灯りの煌々とついた街しか知らない。ディオと共に街に出ては、一日の疲れを癒そうとお酒を飲む人の姿ばかりを見ている。

「どこかで飲んで行くか?」
「お酒を?」
「ああ。」

 いいよ、の返事を聞かずに、ディオは近くにあった酒場に入った。もう!と、セオは怒ったふりをする。ディオのこの強引な性格はわりとよく発揮される。セオが本気で嫌な時にはきちんと辞めてくれるのだが、どちらともつかない時は大体ディオの思い通りにされる。こんなところもセオは好きなので問題はないのだか。

「君と飲むのは初めてだな。」
「うん、外では飲まなかったからね。」
「家では?」
「お父さんと一緒に。大学入ってからはよく飲んでいたよ。」
「では大丈夫だな。」

 カイロに住む人の多くは、お酒を飲んではいけない宗教に属している。ここに居る人々はそれ以外の人か観光客か。きっと背信者も多くいるのだろう。どちらにせよいつも沢山の人がいる。しかしエジプトはビール発祥の地と言われている。きっといいお酒があるはずだ。
 のらりと現れた、イギリスの多くの店の店員と比べてフランクなウェイターが、2人に注文を取る。とりあえずビール、とセオが頼むと、ウェイターはまたのろのろと奥に戻っていった。

「気が楽に出来ていいね。」
「マナーもタブーも気にしなくていい、イギリスとは違う良さがあるだろう。」
「結構好き。」

 直ぐにビールジョッキになみなみと注がれた、色の濃い目なビールが運ばれてくる。セオは重いそれを軽々と持ち上げ、ディオに向けて掲げた。

「セオ、君との時を越えた再会に。」
「・・・今さら?せっかくだから未来に。」
「そうだな、では、おれ達の未来に、乾杯。」
「乾杯。」

 がつん、と強い音を立てて、ジョッキがぶつかる。中身が揺れて白い泡がこぼれる。ゆっくりと泡の滑るところに口を付け、セオはごくごくと2回喉を鳴らした。エールとは違う味わい、素直に美味しかった。ふへ、と息を抜き、唇に泡がついたかもしれないとハンカチで押さえる。ディオはひと飲みでもう半分を飲んでいた。おいしいね、と言うようにセオが笑いかけると、彼もにっと口角を上げた。

「美味いな。」
「美味しい。」
「・・・しかしこれだけでは足りんな。」

 まだジョッキは空ではないのに、ディオは足りないという。セオは何故と思ったが、聞かずとも答えが直ぐに分かった。彼に足りないのは他の飲みものだ。セオは慌てて周囲を見渡す、若い女性はいない。ほとんどが壮年の男性とあと少しは少し歳のいった女性。ホッとした。血液の調達に、誰かをナンパされに行かれては嫉妬の炎で焼け死んでしまうところだった。

「こんなところで吸血は・・・。」
「勘違いしないでくれ。」

 ディオは懐から深緑色の瓶を取り出した。なんと準備のよい男だろう。その中身は赤黒い。ワインと見せかけた血液だ。持ち込みを制されて店員に取られないかと思い、セオは隅に立つウェイターを見た。ウェイターはこちらを見たが、ディオがテーブルの上に置いた瓶については何も言ってこない。しかしだからと言って蓋を開けて、血液の匂いがこの酒場に漂うのはいただけない。アルコールの香りにまぎれ、あらゆる感覚が鈍っている酔っぱらい達には気づかれないかもしれないが、ここに何故血液があって、何故それを飲んでいるのかと聞かれるような事態に陥るのは非常にまずい。

「ここで飲むの?」
「だめか?」
「血だってばれた時がこわい。」
「・・・君が言うなら。」

 叱られた子供のように口をとがらせ、不満そうに答えるディオ。少年時代の彼を見ているようでなんとなく懐かしい。なんて、直接言ったら怒られる。彼は再び懐に瓶を滑り込ませて席を立った。外か手洗いか、どこか人気のない所を探しに行くと言い残し、彼は一旦いなくなる。
 一人残されたセオは一口またビールを飲み、なにか頼んでおこうかなとメニューに目を落とした。


 と、そのメニューに、すっと影が差した。見上げるとそこには、旅行者らしい男の2人組が。肌の色はよほど酔っているらしく真っ赤だが、地元の人のような日焼けはしていない。喉の奥から溢れて漂うアルコール臭がこちらまで届いた、セオは思わず鼻から吸う息を止める。

「お嬢さん、ひとり?」

 短い金髪の男が訪ねた。すらと背の高い彼はセオに覆いかぶさるように上体を屈め、彼女に顔を近づけた。う、と、セオは身体を反らせる。彼らは、ディオがいなくなったタイミングを見計らってやってきたのか、それともただ偶々なのかは分からないが、セオの返事を待たずに、ひとり?ねえひとりかな?と、しつこくまくし立てるように問う。

「つ、連れがいます。」
「嘘ォ、今逃げられてるの見たよ。」

 もう片方、背は低く小太りな方が驚いたように言う。ディオが去ったところは見られていたらしい。ならば、そのタイミングを見計らってきたタイプの人達だ。逃げられたわけではないのだが、ナンパを目的に近づいた彼らには、そう捉えられたのだろう。その方が彼らにはずっと都合が良い。酔っ払った頭で考えることなんて、単純で適当なのだろう。

「手洗いに席を立っただけです。」
「フーン、そんなこと言って、本当は置いて行かれちゃってたりして。」
「彼はそういう人ではありませんので。」

 彼らが知りもしないディオの事を適当に言われてセオはムッと不機嫌になる。あからさまに眉間にしわが寄ったのを見て、男達は肩をすくめて顔を見合わせた。恐い恐い、なんて心にもないことをひそひそ言われる。それでも身を引く気は無いらしい、またずいと身を乗り出されてしまう。

「じゃあさあ、そいつが戻ってくる前にどっか行かない?」
「おれ達旅行中でさ、遊んでくれる人がいなくて退屈してたんだよね。」
「2人いれば会話でもなんでも出来るでしょう。」
「やだな、女の子が良いんだよ。分かるだろ?」

 商売女を見るような、相手を選定するような目が4つこちらに向く。セオはとても気に入らない。職業に貴賎はないが、セオは商売で身体を売るような、そういう仕事をする人を良く思わない。だから、そういう目で見られるのはとても不快だった。
 セオはゆっくり立ち上がる。何か言い返してやりたかったが言葉が見つからない。それに、ディオほどではないといっても、立ち上がってもなお見上げるような身長の2人に、しかも酔っぱらって大分こわい物知らずになっている奴らに、威圧が伝わるとは思えなかった。
 だから、彼女は拳を握る。

「ぐえっ!!!」

 とりあえず、先に声をかけて来た身長の高いほうの男の腹を殴っておいた。話し合いができないなら暴力で解決だ、こういう場所ではそれが一番楽。セオもビール一杯でわりと酔っていた。男は胃を圧迫されて、アルコールを吐き出しそうになる。口を両手で押さえて身を丸めた。しかし我慢しきれなかった彼の指と指の間から、透明な液体が漏れるのが見えた。

「このアマぁ!」

 もう片方の男がセオに拳を向ける。しかし遅い、セオはその腕を掴んで止めさせ、ぐるりと捻ってやった。男はぐるんと半回転し、背中を見せる。腕がおかしな方向にねじれ曲がり、痛い痛いと彼は嘆いた。声が大きくてうるさい、周りの客やウェイターがセオ達の騒ぎに気づいた。とりあえずそのうるさい背中を蹴っ飛ばし、しゃがんでいる男の方に飛ばした。二人はぶつかって倒れた。

「お、お客様、大丈夫ですか!」

 ウェイターが心配したのは、一般的には被害者になりやすい女性であるセオの方だった。スカートがめくれるのも気にせず蹴り飛ばした彼女の方を、男と女2対1の部の悪さで心配していた。実際に倒れているのはもちろん男の方であったが、ウェイターは気にしなかった。

「大丈夫です。失礼、お店の中で暴れてしまって。」
「い、いえ、大丈夫でしたら・・・その・・・。」

 心配したは良いが、何と返せばいいのか分からなくなったウェイターの歯切れは悪い。セオは以前ディオから預かっていたお金をテーブルの上に乗せ、ヘコと頭を下げる。居辛くなったのでさっさと出てしまおう。ビールは残っているがそれよりは逃げたい。

「セオ、どうした?」

 丁度ディオが戻ってきた。彼は立ち上がっているセオと、傍らに立つウェイターを不思議に思い問うた。

「あ・・・ごめんなさい、あの、やっちゃった。」

 やっちゃった、と言って指差すのは。倒れて伸びている男2人。ディオはそれで事が伝わったらしく、ああ、とだけ言って額を押さえた。大衆の前で何をしているのだと呆れている。

「暴力は辞めたんじゃあなかったのか。」
「今回はちょっとしたはずみで、ね。」
「軽はずみが過ぎる。」
「ごめんなさいって。ね、気まずいから帰ろう。」

 セオはディオの服を引っ張って出て行こうとした。ディオはジョッキに残ってるビールを飲み干し、仕方ないと言って一緒に店を出る。
 中での騒ぎなんて露知らず、店の外はいつも通りの賑やかさ。セオはため息をついて電柱に寄りかかった。

「顔が赤いぞ、セオ。ビール一杯でこれか・・・割と弱かったんだな。」
「んん、いつもと飲んでるものが違うから、だよ。」

 滑舌は悪く無いが、普段よりもゆっくりな喋り方。酔うと動作がゆっくりになるようだ。人を殴ったり吹っ飛ばす以外の動作は。アルコールでほんのり赤く蒸気しているセオの頬を、ディオの両手が包む。夜風は涼しいが、頬は心地よい暖かさだった。熱があるのではと疑うような温度。ずっと触っていたくなる。

「淑女が聞いて呆れるぞ。生まれ変わってもなお我慢出来ないのか、その手を出す性格は。」
「ディオくんが止めてくれなかったの。」
「くん、はいらない。」
「・・・『ぼくが止める』って言ってくれたよう。」
「100年も前のことを・・・。」

 凛とした態度はどこへ行ったのやら。セオは酔っ払って、すっかり腑抜けてしまった。家でよく飲んでいた、と言っていたから強いものだも踏んだのだが、逆に、弱いから家でしか飲まなかったのだ、ということにディオは今更気づいた。
 電柱に寄りかかっていたセオは1人で立ち、そして前に倒れるようにしてディオの胸の上に落ちた。ディオは彼女の頬に当てていたパッと手を離し、今度は支えるように抱きしめる。たった一杯で、酔って1人で立てなくなるくらいになったのかと呆れたが、そんな間違った考えは直ぐに吹っ飛んだ。

「ディオ・・・。」

 黒いインナーをぎゅっと握り、嬉しそうに自分の鳩尾に頬をすり寄せてくるセオ。ああ、自分からくっついてきてくれるのか、ディオは一気に幸福な気持ちに包まれた。酔っている故での行動、理性が薄れてより本能的な行動がこんなにもデレデレな態度なのはこの上なく嬉しかった。






×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -