■ 07
トリオン体での生活に慣れてきたある日、迅からお呼びがかかった。ブルブルと震える携帯端末を見ると『迅先生』の文字がディスプレイに表示されていた。瑠良はその時丁度、大学の教室内で自習をしていたので、適当に人気の少ない廊下に出た。電話を取り上げると、元気か?と、明るい声がした。
「とっても元気です。」
「ならよかった。今夜空いてるか?頼みたいことがあるんだが。」
「今夜……何も予定はないです。」
「ちょーっと助けて欲しいんだけど、玉狛にいてくれないかな?」
「玉狛に?いるだけ……?いいですけど……何か視えたんですか?」
「ああ。遊真が狙われるんだ。」
「空閑君が?」
狙われている、と聞いて、瑠良の脳裏にいろんな人が浮かんだ。城戸司令、三輪やその隊員たち、風間――など。もしかして、上層部は空閑がネイバーだと知って、なにか動きを見せているのだろうか。
「城戸司令が、遊真の黒トリガーを狙っている。今晩精鋭たちを玉狛に寄越すようだ。」
「遊真くん黒トリガー使いなんですか!?」
「知らなかったか?」
「知らないです!知らないことだらけです!!」
携帯端末を耳につけたまま大声を出してしまった。あわてて周囲を見渡すが、周りには誰もいないようだ。
「ま、追って説明するよ。とにかく今晩、玉狛支部に居て警戒していて欲しいんだ。おれたちが取り逃がした奴が行く可能性もある。」
「俺たち……木崎さん達も?」
「ああ、レイジさん達と……あと嵐山隊に援軍を求めてる。」
「嵐山君も。」
嵐山の名前が出て一瞬どきっとしたが、今はそういう場合じゃないぞと自分に言い聞かせる。
「今晩は支部に宇佐美とお子様しかいないんだ、頼む。」
「木崎さんたちは?」
「本部の外だ、すぐ近くで警戒してもらう。建物に被害を与えて欲しくないからな。」
「なるほど。……わたしが迅さんのお願いを断るわけないじゃないですか!」
「そうか!いやぁ優しい弟子を持つといいね。じゃあ一晩頼む、お礼はちゃんとするから。」
「期待してますよう!でもいきなりわたしが行って怪しまれません?栞ちゃん達には内緒なんですよね。」
「宇佐美には事前に言っておくから大丈夫。悪いな、本部の人間に玉狛につくような真似させて。」
「嵐山君たちもいますし!」
「まあそうだな。よーしよかった、それじゃあ頼んだぞ。」
「はーい。」
じゃあな、と言って、迅は直ぐに電話を切った。瑠良は携帯端末から耳を放し、そのままメールアプリを開いく。良太から直前に送られてきた最新のメールを開いて返信ボタンを押し、内容を書き換えていく。
「……今夜は、玉狛支部に、行きます……迅さんに、用事を、頼まれました……夕飯は、用意しておきます……よし。」
用件だけを打ってメールを送信。さて、そうと決まったら早く夕飯を作って玉狛支部に行かなければ。
その日の夕方、である。瑠良は約束通り玉狛支部にやってきて、来客者用の入口のチャイムを鳴らした。
「はーい、あっ瑠良さん!待ってましたよ!」
直ぐスピーカーから聞こえてきた声は、宇佐美栞のものだった。そしてインターホンの反応とほとんど同時にドアが開く。現れたのは、小さな男の子――林藤陽太郎だ。急いで来てくれたのか、少しだけ息が上がっている。後ろからゆっくりと雷神丸も現れた。
「陽太郎君、こんばんは。」
「きたな、瑠良!まってたぞ!」
「お迎えありがとう、はいお土産。」
お土産、という言葉を聞いて、陽太郎は目の横にキラっとした星を出した。瑠良はドーナツの入った紙袋を陽太郎に渡す。
「さすが瑠良だな、わかってる!これはおれが美味しくいただくぞ。」
「みんなの分あるから、ちゃんと分けっこね。」
陽太郎は両手で紙袋を持って基地の奥に走って行った。喜んでくれてよかった、と、瑠良ははにかむ。みんなードーナツだぞー!と、陽太郎がはしゃぐ声が奥から聞こえた。
「こんばんはー。」
「あっ来た来た。瑠良さんいらっしゃい。」
二番目に出迎えてくれたのは宇佐美だった。彼女もメガネをきらんと光らせている。
「栞ちゃん久しぶり。なんだかんだで全然会ってなかったね。」
「瑠良さん大学上がって忙しそうにしてるんですもん。あっドーナツありがとうございます、早速いただきますね。」
瑠良はいつも座らせてもらっている場所に落ち着こうとソファに向かう。と、そこに見覚えのある二人がいるのに気づいた。
「あれ?」
「こ、こんばんは、線引さん。」
「どうも、せんびきさん。」
そこにいたのは三雲と空閑だった。三雲は会釈、空閑は手を挙げた。一瞬驚いたが、迅の要請が『空閑を守る事』だったので、二人がここにいても当然だった。
「二人ともこんばんは。まさかここで会うとは思わなかったよ。」
それでも、迅は瑠良が玉狛にやってきた理由を三雲と空閑には伝えていないだろうから「いるとは思わなかった」フリをして挨拶をした。
「おれ、ここでお世話になってるんだ。」
「迅さんが連れてきたのよ、ここにいれば安全だってね。」
「本部の方たちから?」
「そうそう。」
今まさにその本部の人たちがここを狙いに来ているのだろう。しかしそんな危機を知らない二人はゆったりしきっている、この状況は迅の狙っている状態だろうから重畳だ。
「それにしても残念、もうちょっと早ければレイジさんたちに会えたのに。」
「久しぶりにお話したかったなー。」
陽太郎がキッチンから人数分のお皿を運んできた。彼はみんなの前にお皿を並べて、そして待ってましたとばかりにドーナツの入った紙袋を開ける。チョコレートがけ、ストロベリーチョコがけ、生クリーム入り……など、様々な種類が二個ずつ、計12個が並んでいた。おおっ、と、陽太郎と空閑が声を上げる。
「空閑君はドーナツ好き?」
「初めて見たぞ。」
「甘くて美味しいよ、どれでも好きなもの食べてね。」
陽太郎が一番に、生クリーム入りを取った。続いて空閑も陽太郎と同じものを取る。続いて宇佐美と三雲も好きなものを取った。全員が選んだところで、瑠良も一個いただく。
どうやら迅から宇佐美には、「瑠良が迅に用事があるから玉狛に来る」という表向きの理由で話が通っているらしい。迅さんは何時に帰ってくるか聞いてないけど、ゆっくりして行ってねと、宇佐美に言われた。
今頃どこかで迅や玉狛隊、嵐山隊は、空閑を狙っている隊員と顔を合わせているのだろうか。隊員同士の戦闘は禁止なのだが、迅の言い方からすると、戦闘は避けられないと分かっているようすだった。のんびりドーナツを食べている場合なのかどうか判断しかねる。しかしここにいることが迅からのお願いだから、他に何も出来ない。なんだかドーナツの味がしない気がする。
「美味しいな、ドーナツ。」
空閑が目を輝かせている。彼は断面を見、上にかかっているチョコレートを見、そして残りを食べ終え、紙袋の中を覗く。ドーナツはすでに5個消費されており、残りの7個のうち5個は残りの玉狛のメンバーに残す必要上がる。となると、二個は宙に浮くので、興味があるなら空閑が食べてもいいだろう。
「あと一個食べてもいいよ。」
「いいのか!」
「うん。他の味のも食べて。」
「おれも!」
「陽太郎君は我慢。あと一個は三雲君のだよ。ゲストに多くあげるのが基本。」
「うー……!」
「ぼ、僕はいいので……陽太郎食べて。」
「いいのか!」
「三雲君は大人だねえ。」
半分、こうなることは予想していたけれども。三雲が残りのドーナツを譲るので、陽太郎は嬉々としてもう一つを選んだ。ご飯の後にドーナツを二個も食べてしまって、胃は限界ではなかろうか。もう少し軽いものを持ってくればよかったかな、と、瑠良はちょっとだけ後悔した。
「瑠良さんは最近どう?」
宇佐美が問う。
「あんまり変わったことはないよ。ノーマルトリガーで任務して訓練して、時々黒トリガーの練習をするくらい。」
「黒トリガーは任務に使わないんですか?」
三雲が少し控えめに伺う。
「あれは『いざという時』にとって置いてあるんだ。この間のラッドの件もあるけど、近界にばれないように隠してあるの。」
「へえ……!」
「空閑君の黒トリガーは?」
「おれのも使わないようにしてる。ボーダーの人間以外がトリガーを使ったら、ボーダーに取られるかもしれないって。」
「あー……たしかにね。お互い苦労するね。」
「まあね。」
使わないでいられるならそれで済むのだが、黒トリガーを使うことが今の瑠良の存在意義と言っても過言ではない。
空閑の黒トリガーのことはとても気になるが、どこまで踏み込んで良いものか距離感を掴むのにまだ時間が必要だ。空閑はフランクに物を言えるタイプに見えるが、黒トリガーはその性質上、誰かしら人が一人死んでいる。それが空閑に関係する誰なのか、訊いてもいいのか――。このことに関しては、空閑が自発的に教えてくれるのを待つ方が良いだろう。瑠良も出来れば、あまり訊かれたくない事ではあるので。
「さ、食べ終わったら勉強会だよ。ノーマルトリガーについて教えるから。」
ドーナツを食べ終えた宇佐美がぱんと手を叩いた。空閑と三雲は揃ってハイと返事をした。
「じゃあわたしはちょっと外に出ようかな。屋上行ってもいい?」
「え、寒いですよ?」
「大丈夫大丈夫、久しぶりに来たし、屋上から街が見たいなって。」
「うーん……鍵開いてますから、そのまま上がれます。」
「ありがとう。」
せっかくだから一緒に勉強会しましょうよ〜と服の裾を引っ張る宇佐美に、ごめんね、と、言って瑠良は部屋を出た。
屋上に出る扉を開ける。ひゅう、と、冬の冷たい風が瑠良の全身にぶつかってきた。コートをきているとはいえ、やはり寒い。本部の方角に行って街を見た。静かなものだ、どこかで戦闘が起きているかもとは思わせない静けさだった。
(倉庫にあった時代なぜかここに千佳ちゃんと玉狛第一がいませんでした。なんで?なんでか分かりませんが、書き直しでもそのままにしています。)