■ 01
「お大事にどうぞ。」
薬剤師の優しい言葉すら恨めしく思えるほど心の狭くなっていた線引瑠良は、どうも、とだけ愛想の悪い返事をして薬局を出た。
ギブスと包帯で動かなくなった利き手を見ながら、瑠良は当分この手使えない生活について考える。――スプーンとフォークなら利き手でなくても大丈夫だろう。文字は書かずにパソコンを使えばよい。しかし大学の講義ではパソコンを使うわけにはいかない。レコーダーに音声を記録して、あとから書き起こせばよいか。そうすると講義に出席する意味が薄れてしまう――いや、教授の生の声を聞き、板書をこの目で見ることが大切なのだ――しかし詰まらなそうである――。
瑠良は一通り考え事をした後、はあ、と、ため息をついた。帰って今後のことを考えよう。
「線引?」
突然、後ろから声をかけられ、瑠良はびっくりして振り返る。そこにいたのはボーダーの仲間で大学の同級生である嵐山准だった。
「嵐山君。」
嵐山は目を大きく開いて、びっくりした顔をしている。大方、瑠良が大げさな溜息をつくので驚いているのだろう。
「……声をかけようとした途端にため息を吐かれて、俺のことがそんなに嫌なのかと思ったよ。」
「まさか、そんなこと!気付きすらしてませんでしたし!」
「よかった。」
にこっと笑う嵐山。彼は瑠良の腕を見て、その笑みを苦いものに変えた。
「その腕の所為か?」
「はい。午前中にネイバーにやられて。」
「……生身で?」
「一般人が巻き込まれていたので、トリオン体になるよりも先に身体が動いちゃって。あ、でもその人たちの無事が確認できて直ぐ換装しました!」
「ボーダーの鑑じゃないか。」
「ありがとうございます。」
失敗はしたが、その行為を褒められて悪い気はしない。嵐山は褒めるのが上手い。よくやった、と、素直な言葉と優しい笑顔をくれる。瑠良は沈んだ気持ちが上昇する感覚をおぼえた。
「腕、どれくらいで治るって?」
「骨が折れているので、1ヶ月は。」
「そうか……。ま、普段頑張ってる分、仕事が減って休みがもらえたと思えばな。」
「そう思っておきます!」
プラス思考になればいいのだ、嵐山のように明るくありたい。彼は明るくて褒めるのが上手で優しくて、将来ボーダー内理想の上司ランキング1位になるであろう。それに真面目にするところはきちんと締め、叱るときは叱る。そしてちょっとだけ天然が入っている。どうやったらこんな完璧な人間が生まれるのだろう。
「おっ!」
瑠良が嵐山の良さに惚れ惚れしていると、その嵐山が声をあげた。彼は歩道の向こうを見て、これまた嬉しそうに笑っている。
「嵐山さん!……と、線引さん!」
歩道を歩いこっちに向かってくる男の子2人がいる。声を上げたのは、メガネで三門市立中の制服の男の子だ。もう1人は同じ制服を着た、白髪で背の低い男の子。メガネの子は瑠良のことを知っているようだが、瑠良の方はこの子を知らない。嵐山と瑠良を知っているという事は、ボーダー隊員なのだろうとは思う。ギク、と、瑠良は緊張した。自分を知っている子を知らないなんて素直に言えない。見たこともない人だなんて更に言えない。正直言うとそうだとしても、直接言う勇気はない。
「三雲君、空閑君。こんにちは。」
「こ、こんにちは。」
「どうも。」
「こんにちは……。」
瑠良は3人に続いて挨拶をして頭を下げる。まだこの2人がどこの誰かは判らない。
「えっと、線引さん、初めまして。僕は三雲修です。C級隊員です。」
「三雲君……。線引瑠良です。」
三雲修、と名乗る男は、へこと頭を下げた。彼は瑠良と初対面であることを分かっていたのだ。お蔭で瑠良はきちんと挨拶をする機会をゲットできた。こんなことなら最初から初めましての挨拶をすればよかった。もう1人の男の子も名乗ってくれないかと思ってチラリと見るが、彼は「三の目」で3人を静観している。
「2人で買い物ですか?」
「偶々ここで会ったんだ。俺は勤務の帰りで、線引は病院の帰り。」
「骨折しちゃったんだ。」
「えっ!?あ、骨折ですか……?」
「うん。」
瑠良は怪我をした腕を持ち上げる。白い三角巾がゆらっと動いた。三雲は額から汗を垂らして瑠良の腕をじっくり見た。空閑も少し目を大きくして瑠良の腕を見ている。
「生身でネイバーと戦ったんだって。」
「ええっ、なんでそんな無茶を!」
「いやいや、戦ってませんよ!民間人が危なかったから飛び出しちゃって、それだけ。」
「それでも十分無茶ですよ……。」
「わたしもそう思う……。」
三雲と瑠良は2人でしょんぼりと肩を落とした。
「お前、強いのか?」
横から声をかけてきたのは、白髪で背の低い方の男の子だ。彼は瑠良を見上げ、首をちょっと傾けている。静観していた彼が話に入ってくるとは、強い人に興味があるのだろうか。
「線引さんはS級隊員、つまり黒トリガー使いなんだ。」
白髪の男の子に、三雲が横から言う。
「へー、迅さんと同じか。」
「迅さんみたいに強くはないけどね。黒トリガーを手に入れてぽんとS級に上がっただけで。」
「線引さんは強いですよ!」
「そんなことないって。本当に成り上がっただけだから。」
S級、と言われれば希少で珍しいが、瑠良は自分自身をそんな価値があるほど強いとは思っていない。実際、黒トリガーを手に入れたという理由だけでB級下位からS級に昇格しただけなのだから。
「いやいや、線引も十分強いぞ。血のにじむような特訓をしているからな。」
嵐山も三雲と一緒になって瑠良の実力を褒めた。瑠良はいよいよ申し訳なくなる。彼女はシュンと小さくなって、それほどでもないです、と、控えめに言った。
瑠良の持つ黒トリガーを使えるのは、彼女の他に誰もいなかった。数少ない黒トリガー――それに適応者が一人しかいない、となると、ボーダーの上層部は一刻も早く瑠良をS級に上げて、特別に特訓しなければいけないと行動に移ったのだ。
穴を埋めるように努力を続けて2年になるが、まだ自信につながるわけではない。
「……照れるのでやめてください。」
褒めてくれる人たちに対して本気でやめてくれとは言えないから、やんわりと拒否をしておく。
「改めて、わたしは線引瑠良、よろしくね。」
そいて瑠良は白髪の男の子に向かって手を差し出した。
「俺は空閑遊真だ。よろしくな、せんびきさん。」
空閑は瑠良の手を取る。瑠良は、「こいつは強い」と、空閑に勘違いされていないことを祈った。