■ -3

 冬の終わり、冷たい風に枯れ木が揺れるある日、だった。
 普段はメールで用事を済ませるお父さんから突然電話がかかってきた。
 由良が死んだ。お父さんはそれだけ言うと、あとは黙ってしまった。携帯電話の向こうでマイク部分が吹かれる音だけが聞こえてくる。頭が真っ白になった、由良が死んだ、頭の中で繰り返される。

「うそ……。」

 わたしはそ頑張って喉を動かした。嘘じゃない。お父さんはそう言って、電話を誰かに代わった。

「瑠良君?」

 代わった相手は忍田本部長だった。本部長はお父さんに代わって、これから現場に来てほしい、と、場所の住所をゆっくりと教えてくれた。
 働かない頭で覚えた住所の場所に、足が動く。ここからそう遠くはない、警戒区域と通常の居住区域との境だった。近付くにつれて沢山の人のざわめきが聞こえて来た。わたしは脚が早くなる。黄色と黒の虎テープが道路の端から端に貼ってある。虎テープの内にも外にも人、わたしは沢山の人を押しのけた。虎テープのそばに、多分ボーダーだと思われる男の人が立っていた。彼はわたしの顔を見て、直ぐに中に入るよう促した。
 お父さんがいる、お母さんも。忍田本部長も、あと、A級隊員の人と、S級隊員の人。

「瑠良!」

 お父さんが叫ぶ。わたしはお父さんをすり抜けて、崩れた石塀とビルの壁が山になった現場に立つ。道路に白いテープで小さな丸が作られている。その外側に小さな血痕、彫刻刀でちょっと切っちゃったんじゃないか、くらいの。

「お姉ちゃんが……。」
「由良が、生身で……人を助けたんだ。近界民が警戒区域の外に出て、近くにいた由良が、換装する前に……近界民が崩したビルに下敷きになろうとした人を助けたんだ。」

 お姉ちゃんの亡骸はない、だからなんとも信じがたい話だった。

「お姉ちゃんは?」
「いない。替わったんだ。」

 替わった、その言葉でわたしには分かった。お姉ちゃんは黒トリガーになったんだ。だから小さな血痕と、地面に貼られた小さな白テープの丸だけなんだ。
 お父さんがわたしの背中を優しく撫でる、お父さんは泣いているようだった。わたしもつられて涙が出た、それでもお姉ちゃんが死んだなんて、まだ信じられない話だった。





 遺体がないから火葬はしなかった。お姉ちゃんの黒トリガーと生きていた時大切にしていた熊のぬいぐるみを壇にあげたお葬式を、家族とボーダーの偉い人たちだけで行った。死んだお姉ちゃんの顔は見ていない、だから3日経っても実感が湧かなくて、ただただ泣いているお母さんと、最低限しか喋らないお父さんの気を心配するだけの日々だった。
 それでも、お姉ちゃんの大切にしていたぬいぐるみをお墓に入れた時には、やっと全てを受け入れられた気がして、一日中止まらない涙でぼろぼろになった。




 わたしは修了式まで学校を休み、ずっと家に引きこもっていた。部屋から出てテレビを見ていると、毎日のようにワイドショーではお姉ちゃんのことが取り上げられていた。市民を守ったボーダー隊員。生身で飛び出した落ち度。助けられた人たちの、換装を待っていたら私たちは助からなかっただろうという感謝の言葉。死人を出してしまったボーダーへの非難。本当は観たくはないはずなのにわたしは1人で無心にそれを観ていた。
 お姉ちゃんは立派だった、ボーダー隊員として、近界民から市民を守ったのは、本当に誇るべき行動だ。しかしその名誉を受け取ることができないお姉ちゃんは、本当に惜しいことをしたと思う。死ねば本人にはなにも残らない、どんな立派なことをしても。

 お父さんはボーダーのメディア対策室で働いている。お姉ちゃんのことで毎日テレビ局やら新聞社やらの記者がきて、それだけでも過労死しそうになっている。しかも問いただしにきているのは、仕事でよく付き合いのある人たち。彼らはみんはお父さんの心なんて無視しているらしい。テレビを見て入ればわかる。父親はボーダー職員で、無くした娘はボーダー隊員。かっこうのえじきだ。もちろんわたしにも話が聞きたいと、家に電話が来た。お母さんはそんな電話や訪問者に気が狂いそうになり、お父さんに言われて実家に帰っている。

 春休みの課題を届けてくれた担任の先生くらいとしか話をしていなかった春休み、ある日、忍田本部長から電話がかかってきた。話したいことがある、とだけで内容は伝えられなかった。行かなければ、と、無理をしてやってきた本部。周りの隊員の目が痛かった。

「忍田本部長、線引です。」
「ああ、よく来てくれた。」

 本部の会議室である。ずらりと偉い人達が並んでいる。電話をくれた忍田本部長、お父さんの上司の根付さん、鬼怒田本部開発室長、怖い顔の城戸司令官。あとは分からない人が数名。緊張で口元が引きつった、こんなに偉い人達の視線を受けていては泣きそうだ。
 
「辛い思いをさせてしまった。すまなかった。」

 一番に出たのは、本部長の謝罪。

「……姉が自分で決めてやったことです。」
「我々の指導の結果だ。」
「ボーダーのせいじゃないです。ちゃんと換装してから救助しましょうって指示でも、姉は動いたと思います。」

 わたしは頑張って笑った。誰のせいでもないと思っているのは本当だ。ボーダーに悪いところはない、教育の仕方とかそういうのが悪いんじゃない。本部長はそんなわたしの気持ちを汲み取ってくれたのか、ありがとう、と言って、本題の「物」を差し出した。机の上に置かれた、一本の細長い黒いもの。
 これは、お姉ちゃんだ。

「お姉ちゃん。」
「ああ、これは由良君だ。ずっと君に見せられなくてすまないことをした。」

 手にとってみて、というように、本部長が促す。わたしはその黒いトリガーを手にとった。これがお姉ちゃんなのか。無機質なただの棒である。
 わたしは鞘に収まった小刀のような黒トリガーを発動させた。光と共に大きなブレードが伸びる。わたしの背の丈の半分くらいの、大きな剣だ。太さは弧月2本分くらい、だろうか。

「……やはり!」

 本部長が声を上げた。他のメンバーもざわついていた。
 若干ズシリとくる重さの剣は片手では扱えない。切っ先を床につけて、自分には似合わない大剣を見つめる。

「きみに見せる前にA級隊員数名に持たせてみたのだが、誰も発動できなかった。やはり線引由良は妹であるきみにしか使えないようだな。」

 城戸司令官が言う。家族であるわたしより先に何人もこれを使っているとあっては、なかなか許しがたいことではあるが、今はそれどころではない。
 この黒トリガーは、わたしにしか、使えない。

「早急に訓練してS級に上げる必要があるようだ。」
「S級に!?そんな、わたしはまだB級に上がったばっかりで、弧月のポイントもまだ……。」
「待っていられるか。」

 司令官の目がわたしを貫いた。有無は言わせない目だった。
 ギャラリーが騒ぐ。根付さんが、まさか君がねえ、というのが聞こえた。わたしだってまさかと思う。お姉ちゃんが死んでわたしがS級に上げさせられるなんて。こんなまだ、ヒヨッ子が。

「忍田本部長。」
「はい。……瑠良君、そのトリガーの性能を見たい。訓練室に行こう。」

 わたしは驚きで返事ができなかったが、本部長はすっと立ち上がって部屋を出て行くので、それに釣られるように足を動かした。偉い人達の視線が痛かった。


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