デススト | ナノ
 Distortion _ 05 /

 こんなにシャワーがありがたかったことが今まであったろうか。いや、ない。――いや、何度もあったと思う、その度に「今までで1番のシャワーだ」と叫んでいた。緊張が解けるようなお湯の暖かさに涙が出そうになった。
 セオはレイク・ノットシティ南配送センターのプライベート・ルームで一夜を明かした。あまり寝心地の良くないベッドで背中が痛んだが、今日ばかりは文句を言っていられない。周囲を警戒せず、脚を伸ばして眠れるありがたさが今一番大切だ。

 早朝に起きて、持ってきた携帯食料で腹を膨れさせ、くつろぐ時間は取らずに再び出発だ。セオは車庫に入れたトラックとリフトに乗って、配送センターに出る。レイク代表に、レイク・ノットシティ宛の荷物があったら無理のない範囲で持ってきてほしいと頼まれているので、配送端末にアクセスする。

「おはよう、フェレ。」

 この時間だから無人だろうと思っていたが、想像していた女性の合成音声ではなく、男性の声だった。ホログラムに現れたのは、トーマス・サザーランド代表。何度かホログラム同士で会ったことがある。

「サザーランドさん!おはようございます、朝早いですね……?」
「眠れなかったんだ。」

 ホログラムのサザーランド代表が目をこする。ついでに大きなあくび。

「なにかありましたか?」
「西の方でカイラル濃度が上がっているんだ、異常なくらいに。何かの前触れかと不安で、一晩中見張っていた。」
「西で……。」
「それに、昨夜は予報にはなかったのに突然時雨が降った。」
「その所為で地獄を見ました。」
「ああ、そうだったな。帰りも気を付けてくれ。国道復旧は我々にとってとてもありがたい、しかし君のような技術者を失えはしない。」
「わたしはただの事務員です。」
「いいや、そう思っているのは君だけだ。また旧式のコンピュータが見つかったら解析を頼むよ。」
「……ありがとうございます。いつでも言ってください。」
「それじゃあ、寝られるか分からないけど横になるよ。」

 サザーランド代表は大きくあくびをして、ホログラムの範囲外に出て行った。セオは依頼一覧を確認する。依頼の中で、トラックに乗せることが出来て、且つ高度な運搬技術が必要なさそうな依頼をいくつか受けることにした。
 配送センターを出る。空は青空。昨日の時雨は嘘のようだ。帰りの道路に雨予報は出ていないから、気を付けるべきはミュールだけだ。そのミュールも、国道が出来たお蔭で対処が楽になった。もちろんミュールに追い回されることはあるが、彼らが使う車両に比べたらセオのトラックはずっと速いからほとんど問題ない。道が良ければ電撃槍を投げられても、大抵は逃げ切れる。ミュールの縄張りに入ったら、法廷最高速度で走ればまず問題ない。なのでセオは車内に音楽をかけながら、悠々とした帰路を行く。逆さの虹や黒い筋が見えるたびにドキリとしたが、それらは少し遠くのものだから恐れることはない。国道を走ればバッテリーの心配はいらないから、最初から飛ばして走った。予定よりも少し早く到着できそうだ。
 2人2組のポーターを何組か見かけた。彼らは杖をもって草原を歩いていて、彼らの歩く姿はなんだかのどかで、セオは遠くから「いいね」を押した。姿はのどかでも、彼らは自分の脚で一歩一歩苦労しながら進んでいる。彼らにも国道を使ってほしい。国道はできても、車両を持つポーターは少ない。国道が出来上がったら、次は車両の普及だな、とセオは意気込んだ。
 クラフトマンのシェルターを左に、エンジニアのシェルターを右に見て進み、セオは気を引き締める。ここからレイク・ノットシティまでの間はミュールの縄張りだ。この間システム・サーバーを奪われた時の記憶がよみがえって、背中がひやっとした気がした。
 セオは思い切りアクセルを踏んで、自分とトラックが出せる一番のスピードを出した。先に続く国道と、遠くに見えるレイク・ノットシティの姿を睨む。

 正直言うと拍子抜けした。ミュールの姿が全く見えなかったのだ。彼らの1日の行動スケジュールは知らないが、集まって何か会議でもしていたのだろうか。近くにも遠くにもその姿はなかった。ありがたいけれど逆に不安になる。どこかで待ち伏せをしているのではないか。
 しかしそんなこともなく。空の半分が橙色で、もう半分が紺色になるころ、セオは無事レイク・ノットシティに帰ってきた。しかし、彼女は敷地内に入る前にトラックを停める。外は暗いが人の姿が見えた。敷地に入るスロープの端に胡坐をかいている――ピーター・アングレールだ。セオはサイドウインドウを開けて叫ぶ。

「アングレールさん!」

 アングレールは片手を挙げて立ち上がる。セオはトラックを脇に寄せて降りた。昨日ぶりのアングレールは、両手を広げてセオを迎えた。セオはそれを見て立ち止まるが、アングレールは止まらず彼女をハグした。

「あぁ、帰ってきたな。俺のお蔭で。」
「アングレールさんのお蔭で帰ってきました。」

 彼は猫かなにか動物を可愛がるようにセオの頭を抱え、ヨシヨシと後頭部を撫でる。彼の頬がセオの額を行ったり来たりして、とてもくすぐったかった。やめてくださいと控えめに言うが話してもらえない。命の恩人と言ってもいい人なので強く抵抗できなかった。

「愛しいセオがミュールに襲われるのは見ていられない。もう襲われないように『片づけておいた』から心配しなくていい。」

 セオの照れはその言葉でなりを潜めた。すっと顔の血が下がるのを感じる。片づけた、と、その言葉の意味はすぐに分かった。彼女は真顔になってアングレールを見上げた。アングレールの顔は傍にあった。

「片づけた、って、まさか……。」
「思った通りだろうな。」
「そんな、あの場所を座礁地帯にする気ですか!?」
「お前は言った、俺のことを『ディメンス』だと思っていたと。」

 アングレールは右手の人差し指を自分の顔の前に持ってくる。

「想像通りだ。だから簡単なことだ。しかし今回、対消滅は得られるかもしれない副産物でしかない。元々人が通らない場所だからな。じゃあどうしてって?セオ、君のためだ。」

 その指先がセオへ向く。アングレールは嘘を言ってはいないだろう。本心を知ることなど出来ないが、アングレールの目は真っ直ぐセオを見ていて、どこか優しげに感じる部分がある。純粋に、彼女のためにの行いだったのだ。
 だからと言って寛容になれるわけはない。ミュールがネクローシスし、あの一体が座礁地帯になるのは困る。対消滅が起こるのはもっと困る。距離があるからレイク・ノットシティは巻き込まれる可能性が低いが、エンジニアのシェルターは間違いなく巻き添えになる。
 そして、アングレールの行いが本当にセオのためだというなら猶やっかいだ。

「わたしのために人が死んで……わたしのために人を殺したって……。」

 彼女の脳内に「君のため」というアングレールの言葉が反響し続ける。それは「自分のせい」と言葉を変え、セオの脳に染み込んだ。自分がいるせいで人が死んだ、それも、大勢の。自分を襲ったことのあるミュールといえども、喜べる事ではない。

「な、なんでそんなことしたんですか。」

 別の答えが欲しくて、セオはアングレールに問うた。

「大荷物を抱えたセオ。ミュールに襲われない確率は100パーセントか?」

 セオの心が軽くなる答えは得られなかった。それどころか、殺人なんて最低な行いに別の理由がなかったことにがっかりした自分に幻滅した。何か他に理由があれば、「それなら良かった」と言って殺人を許したのだろうか。

「納得したか?セオ。」

 アングレールはセオの心情が手に取るように分かっていただろう。だからわざとらしく「セオ」と名前を呼んだのだろう。

 頭がパンクしそうだ。昨日は時雨で、今日は殺人。世の中のことは全部自分を中心に回っているような錯覚がした。セオはアングレールの行いを恨み、きつく睨んだ。しかしアングレールにはどこ吹く風。

「1人で運びきれないから、全員放置してある。まだ間に合うかもな。」

 はっとしてセオはアングレールから離れた。そうだ、まだ間に合う、ここで打ちひしがれている場合じゃない。早く戻って皆に知らせなければ。セオは再びトラックに乗り込もうとしたが、片手をアングレールに掴まれた。そして後ろに引っ張られ、そのまますっぽりと彼の腕の中におさまる。見上げるとアングレールの顔。目の縁取りが涙で溶けて、黒い筋が少し垂れていた。

「ピーター・アングレールが犯人だと言うなよ?俺にはやるべきことがあるんだ。……誰かに言えば、分かるからな。セオ、大切な家と家族をBTの巣窟にされたくないだろう。」
「いやだ……。」
「良い子だ。」

 アングレールはセオを解放した。セオは呆然としている。脳は働いていないのに、手足だけが勝手にトラックに滑り込んでいた。彼女が運転席に座るのを確認すると、アングレールは消えた。セオはほとんど無意識のままハンドルを持ち直し、そしてレイク・ノットシティの配送センターへと走った。
 坂道を下る。セオはトラックを停めて飛び降り、配送端末からレイク代表を呼んだ。

「お帰りなさい、セオ。荷物の配送もあり――」
「ミュールが死んでいるんです!誰もいない!ネクローシスしてしまいます!!」

 レイク代表の言葉を遮り、セオは叫んだ。途端にレイク代表のおかえりの笑顔が消えた。彼は後ろに向かって叫ぶ。

「死体処理班を集めてください!ミュールが死んでいます!……セオ、何があったんですか。」
「ミュールの基地が静かで、荷物をもってるわたしを狙わなかったんです。見たらミュールがみんな倒れていた……。」

 セオは焦燥して、しかし冷静に言う。もっともらしい状況をでっち上げてレイクに伝えた。彼は今行くと言って通信を切った。それとほとんど同時に、配送センター中央のリフトが下がる。セオのトラックが地下に降りていって、代わりに死体処理班のトラックが、2台揃って狭そうに上がってきた。片方のトラックはレイク代表が運転していて、彼はセオに助手席に乗るよう言った。荷台には死体処理担当が2人ずつ乗っている。
 ミュールの基地までは片道30分ほどだ。日は既に落ちていて、肉眼ではミュールの状況を確認できない。レイク代表はうろつくミュールがいないのをオドラデクのセンサーで確認して、静かだ、と漏らした。国道をおりてミュールの基地に向かって走る。いつもなら絶対近づかないモスグリーンの大きなテント地帯。追いかけられて恐い思いをさせられた車両や、何度も殺されるかと思った電撃槍がある。レイク代表はオドラデクを展開させて、死体がどこにあるか確認した。

「15人だ。」
「そんなに……。」

 テントの横にトラックを停め、早速作業に移った。2人1組でミュールの死体を袋に詰め、トラックの荷台に乗せる。DOOMSである1人はミュールに触ってまわり、ネクローシスの具合を確認している。セオもレイク代表と組んで死体を集めて回った。

「死体の様子から見ても、死んだのは今朝から日中くらいだろう。」

 能力者の処理員が言う。

「では、遺体焼却所に行くまでの時間は十分ありますね。一度レイク・ノットに戻って、焼却所に行くのは明日の朝でも?」
「レイクさん、明日は雨の予報だ。ミドル・ノットの跡地や旧国道沿いの廃屋周辺はいつも時雨が降っているし、注意して進むなら早い方がいい。」
「……そうですね。」

 レイク代表は能力者の進言に納得し、このまま遺体焼却所に行くと決めた。焼却所に行くためには、確実に座礁地帯の横を通ることになる。その上明日が雨ならば、本当に危険だ。夜の暗さの方がまだマシである。レイク代表は配送に関する代表であって、この仕事は部門外。もちろんセオも。しかし2人はどうにかしないとと、最前線にいないではいられなかった。
 死体を全てトラックに乗せた。それらは全て首が切られており、失血死だった。彼女は死体を入れた袋に向かって十字を切った。どうか、神の国に行けますように。




「本当にありがとう、セオ。」

 トラックに乗り込み、遺体焼却所へ向かう。先を行くのは能力者の遺体処理班が運転するトラック。後続のこちらの運転はレイク代表が続けた。

「……いえ。」

 セオはなんと返せば良いかわからなかった。これは全部自分の所為だから。ミュールが命を奪われたのも、いつも忙しいレイク代表が長時間トラックを運転することになったのも。

「ミュールたちも、ディメンスと違って対消滅を恐れています。もし1人2人だったらいつものように彼らのうちで全て済んでいたでしょうが……全員、なんて。ディメンスの仕業なのでしょうか……。」
「……。」

 自分は判断を誤ったかも知れない。ここでアングレールの行いを隠さず暴露して、この先の脅威を取り除くべきだった。
それでもセオは――あの日のミドル・ノットシティの核爆発を思い出すと――弱い自分には、正直に話すことは出来なかった。アングレールが何をするかわからない。対消滅も怖い、核も、ここを狙う全ての可能性が怖い。ミドル・ノットシティのように奪われたくない。セオが1年間悔やんできた「他人を思えない自分勝手さ」が湧いて上がって止まらない。だからセオは折れた。自分でも正義が崩れ落ちたのを感じる。でも、今ここで正直に喋らないことが、セオにとっての正しいことだと信じている。
 アングレールとした絶滅の話を思い出した。彼によるレイク・ノットシティの危機をここで回避できたとして、ディメンスはいつかここを狙ったテロを起こすかもしれない。ならセオの行動は、絶滅を先延ばしにするだけの延命で、終着点は変わらないのではないか。

「だとしたら、その脅威はレイク・ノットに近づいています。警備を強化しなければ。」

 レイク代表は自分に言い聞かせるように言った。
 クラフトマンのシェルターの横を通り遺体焼却所へ向かう。復旧された国道はここまでなので、あとは悪路が続く。セオの国道復旧計画は、まずサウス・ノットシティへ国道をつなぐものだったので、こちらには殆ど手をつけていない。せめて遺体処理所までは繋げておくべきだったかなと今更思っても遅かった。
 雨が降ってきた。この辺は常に雨が降っている。先を行くトラックには能力者がいるし、セオもそうであるし、どちらのトラックもBBも載せているから、対策は万全であると思いたい。

「つい昨日判明した事件もそうです。この間起こった配送システムのエラー……あれは仕組まれたものでした。ディメンスの1人が、サムに小型熱核爆弾を荷物と偽って預けていたんです。」
「核爆弾を!?」
「ええ。昨日の夕方、サウス・ノットに着いたサムとフラジャイルから連絡がありました。知らないうちにサウス・ノットシティに核爆弾が持ち込まれるところでした。」

 セオが国道復旧に出かけている間、そんな事件が判明してレイク・ノットはざわついていたらしい。レイク代表はそのことについて詳しく教えてくれた。先日、配送システムがなんらかの原因で、一時的に機能を停止したことがあった。それはセオも覚えている。サムはその時、配送センターの職員から直接1つの荷物を預かったと言う。その荷物はフラジャイル・エクスプレスからの配送依頼だったので、他の配送センターの担当がフラジャイルに確認をとった。するとフラジャイルは「そんな荷物は知らない」と言ったのだ。

「フラジャイルは言いました、ヒッグスの思惑だと。……ヒッグス・モナハン。フラジャイル曰く、ミドル・ノットを破滅させたのは、その人物。」
「ヒッグス……。」
「私たちは狙われている。」

 一番に、アングレールの件を正直に話さなくてよかった、と、セオは思った。ヒッグスというディメンスと、アングレールの脅威でレイク・ノットシティを疲弊させる羽目になるところだった。――というのは、セオが自分を肯定するための思い込み。そんな感覚を、セオ自身も自覚していた。ずるい自分がますます嫌になる。

 時雨の端っこを通って無事に遺体焼却所へ到着した。嫌な雰囲気が立ち込めている。セオはここに来るのが初めてだった。彼女の仕事ではあまり縁のない場所である。
 皆で死体袋を下ろし、焼却機に載せて全て稼働させる。いつも迷惑をかけられているミュールでも涙が出た。遺体処理班のメンバーにはもう慣れたことなのだろう、彼らは無表情でトラックに戻った。セオは涙が出るのを我慢せずに十字を切った。




 帰りの運転はセオに代わった。レイク代表は「眠るわけにはいきません」と言いながら入眠して、レイク・ノットシティの配送センターへと降る坂道までしっかり眠っていた。彼は本当に申し訳なさそうに謝ってくれたが、セオは1人で考え事をする時間がたくさん取れたのでむしろありがたかった。
 帰ってきたのは日付が変わる頃だったが、レイク代表はまだ眠れない。レイク代表たちの帰りを待っていたここのヘッドたちを集めて、緊急に会議を行うのだ。ミュールが全滅した原因を突き止めなければいけない。そうしなければここも危ないのだ。セオも出席したいと申し出たが、レイク代表に断られた。南配送センターまで「休み返上」で車を走らせ、そして遺体焼却所まで付き合ってくれたセオに、レイク代表は、休んで欲しいとお願いしたのだ。休み返上で、とレイク代表は言ってくれたが、国道復旧は仕事でなくセオの趣味である。だから問題ないと言いたかった。しかし、自分の身体と相談した結果、脳も身体も休みたいですと言っていたので、レイク代表の言葉に甘えることにした。

 日付を跨いだので2日ぶりの自室、である。
 セオは部屋に戻ると一番に風呂にお湯を溜めはじめた。寝る前に湯船に浸かってこの疲れを全て流し切りたい。荷物をテーブルの上に雑に載せて、パソコン前の座り心地のいいキャスター椅子に腰掛ける。はぁーと大きくため息をつきながら、パソコンを起動させる。風呂のお湯が溜まるまでに調べ物を済ませておこう。
 ブリッジズのサーバー全体に「ヒッグス」という人名で検索をかける。2件引っかかった、どちらも同じヒッグス・モナハンのものだ。片方はフラジャイル・エクスプレス所属のポーターとして、もう片方は要注意人物のディメンスとして。なるほど、ポーターからディメンスになったらしい。セオはまず、ディメンスとして登録されているヒッグスの情報にアクセスした。間も無く詳細情報と、それに続いて人物の写真画像が現れた。

 パソコンの画面に表示された画像を見て、セオは動けなくなった。やっとのことで気を取り戻した彼女は手錠端末を起動させる。アドレス帳に浮かんだ名前を選択して電話をかけたが、応答はなかった。







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