デススト | ナノ
 Distortion _ 02 /

 土日関係なくシフトで仕事をしているサウス・ノットシティの職員にとって、花の金曜日、という文化は身近なものではない。しかし週末が公休日になると、金曜日がより一層楽しみになるのは皆そうだった。今週は土日が休みのセオももちろん。

 セオが働くラボのエンジニアたちは『自動配送システム』の実装に向けて研究を進めている。サム・"ポーター"・ブリッジズのもたらしたカイラル通信がこれを実現に繋げてくれそうだ。自動配送が可能になれば、時雨がひどい場所や、人の立ち入りが困難な場所にも手が届くようになる。人と人との繋がりを強めるために機械を発明する――新しい風が吹いている。
 二足歩行の、人間の腰くらいの大きさの自動配送ロボがラボを右往左往したり、廊下を歩いたりする。通りがかった別室のエンジニアたちが、自動配送ロボに手を振った。ロボットが見ている映像はラボ内の端末装置で確認できる。端末のディスプレイには手を振るエンジニアの姿が映っていた。動作も頑丈さも今出せる力の1番を搭載したロボットだ。あとはこれに、修理中のシステム・サーバーに入っているデータを入力すれば完成だ。
 サーバーは現在、エンジニアと呼ばれるプレッパーに修理してもらっている最中である。サーバーに不具合が見つかったとき、カイラル通信で繋がったばかりのエンジニアから「それなら直せる」と頼もしい申し出があった。研究員たちはカイラル通信に感謝した。エンジニアが近辺に住んでいるのは知っていたが、こうして簡単にコミュニケーションが取れるようになったのは、なんといってもカイラル通信のおかげなのだ。直してもらったサーバーは、月曜日に研究員数人がセオの運転で取りに行くことになっていた。

 ところでセオは毎日ソワソワと落ち着かない日々を過ごしている。どれもこれも、明日、土曜日に待ち構えているアングレールとの用事の所為だ。初めてブリッジズ外で出来た知り合い、しかも異性、そんなもの緊張しないわけがない。
 セオは生まれた時から地下暮らしだった。産まれたのは当時母親が暮らしていたセントラル・ノットシティ。そこで教育を受けながら育ち、母親が勤めていることもあって、何の迷いもなくブリッジズに就職した。そして第1次遠征の後発部隊としてセントラル・ノットシティを旅立ち、このレイク・ノットシティに腰を下ろした。セオの知る世界は広く見えて狭い。この目でアメリカ大陸の自然の一部を見てきたが、人間関係は本当に狭い。ブリッジズ外に知り合いなんていないし、ブリッジズ内でも交友関係は広くなかったし。ただ、今のアメリカではそういう人がほとんどだと思う。ブリッジズのメンバーならまだ同じ職員が大勢いるが、プレッパーズとなると人と関わることはほとんどないだろう。セオが決して珍しくない自分の現状について交友関係が狭い、と言うのは、母親から聞いていた旧世界のアメリカの話と比較しているからだ。旧世界のアメリカでは、学校や職場、街の色んなところで色んな人が知り合ったらしい。友達とオンラインでやりとりをして、直接会って、休みの日は遊んで。楽しそうだな、と思う反面、今よりも交友関係が広がったらストレスになりそうだとセオは思う。自分には現状が1番だ。
 と、常々思っていたけれど、セオは今回の出会いについて、上手く言い表せないわくわくとした期待感を抱いているのも事実で。セオはこの日何度も、研究員たちに「なにかあったか?」と問われることになった。




 翌日。
 アングレールからメッセージが入っていた。セオが起きる2時間も前に受信していた。

『セオ・フェレさん

 おはようございます
 10時頃にレイク・ノットシティを訪ねます。
 上で待っていてください。(:-D)

 ピーター・アングレール』

 セオはベッドから起き上がる前にメッセージの返信をする。朝の挨拶と、分かりましたという旨を入力して送信。約束の時間までまだまだあるが、落ち着かないので出かける準備を済ませてしまおう。

 9時50分。カイラル通信で手に入った、グラウンド・ゼロ以東の3年分のニュースを眺めていたセオは、約束の時間が差し迫っていたことに気づき、慌ててパソコンの電源を落とした。
 部屋の近くにある職員用リフトに乗って地上へ出る。中と外を分ける分厚く頑丈な扉、その横の管理パネルに手錠端末をかざすと、「いってらっしゃい」という音声がして扉が開錠した。見た目に反して押すと軽い扉を開け、外へ出る。今日はこの間と違って、雲間に青空が見える。配送センターの壁に沿って正面へ出ると、歩道と車道を分けるコンクリート製の分離帯に座っている人影が見えた。黒いフード被っているあの人はアングレールだろう。

「アングレールさん。」

 声は周囲のコンクリートに少しだけ反響した。振り返った男は確かにピーター・アングレールで、彼はセオを見つけるとニヤッといじわるそうな笑みを浮かべた。

「ああ、セオ。待ち遠しかった。」

 彼は立ちあがって両手を広げる。黒いグローブの掌がセオを向いた。身に付けている黒い雨具は先日会った時とは違うものだと思う。晴れているのにフードを被っているのはいかがなものかと思うが、踏み込みたくないので触れないでおこう。彼の胸元にはあの日と同じBBが装着されている。ケースはシャットアウトされていて、中は見えない。
 セオは広げられた手を不審に思い、アングレールの腕が届く範囲外で止まる。するとアングレールは一歩踏み出して、両手でセオの頬を挟んだ。ギュッと押し付けられた両手はゴム製のグローブの所為で摩擦があり、頬がグニグニとこねられる。アングレールは楽しそうだ。

「や、や、や。」

 やめてください、と言おうとしたが「め」から先が言えない。

「どうした?なにか言いたいのか?」

 メールの文面からは想像もつかないような意地悪を言うアングレール。これが初対面だったら「人違いでした」と言ってこの場を去っていたところだ。本当に二重人格なのではなかろうか。
 セオは自分の手でアングレールの手をどかしながら、やめてください〜と控えめに抵抗した。アングレールはそれにもまた満足そうに鼻を鳴らし、再び分離帯のコンクリの上に腰掛けた。彼は自分の隣を指差し、セオを呼ぶ。さっきのことがあるからあまり近付きたくないので、セオは人が2人分座れるスペースを開けて腰掛けた。が、その抵抗は、アングレールが距離をつめたことによって無になる。

「あの日はありがとう。」

 アングレールが言った。彼は背を丸めていて、セオを下から見上げるような格好をしていた。上目がちに控えめに言われ、セオは一瞬にして毒気を抜かれてしまう。

「あの時……認めたくははいが、俺はかなり打ちのめされていた。いい気分ではなかったんだ。」

 彼は自分の太ももに膝を置いて頬杖をついている。目は真っ直ぐ前を向いていて、あの日を見ているようだった。

「俺は俺の能力を劣ったものだとは思わない、しかし惨めな気分だった。」
「アングレールさんの能力?」

 セオの問いにアングレールは答えない。目線が少し足元をうろつき、なにか悩んだようだったが、直ぐに前を向き直してしまった。
 ポーターとして配送をする力だろうか。雨具を身につけていても、彼が鍛えられた筋肉を持っているであろうことは伝わってくる。肩のガッチリした感じであるとか、服の上からでもわかる腕の太さであるとか。人として恵まれた体格をしているように見えるから、その辺なのだろうか、と、セオは単純に考えた。彼は、荷物を良い状態で届けられなかったことを悔いているのかもしれない。あの日の配送のことだとしたら、あの時雨の中、配送がうまくいかなかったとしても仕方がないのではなかろうか。――いや、そこをやり遂げてこそのポーターだとアングレールは考えていたのだろう。

「失敗しても、次に取り返せば良いだけです。」

 実際にアングレールがなにが失敗したのかなんて知らない。配送に関するミスなどではないかもしれない。セオはただ、アングレールの気持ちを自分なりに汲み取った時、そう思ったので口に出してみた。

「ああ、そうだな。次……次うまくいけばいい。」

 アングレールの浮かべる笑顔は、あまり気持ちの良いものではない。それはどちらかと言うと、フィクション作品の中のヒールが笑う時のようなものだった。
 多分、彼は信用してよい人ではないのだろう。ブリッジズにとって薬になるか毒になるか考えると、彼は毒寄りだと思う。これも確信があるわけではない、彼についてセオが考えることは全て憶測でしかない。しかしそれでも、アングレールは我々と敵対する者なのではという疑いが生まれてしまって消えない。あの日、丁度良く出会った自分を利用して、このレイク・ノットシティに何かを仕掛けようとしているのでは、などと。何か確信があるしぐさがあったわけではない。完全なるセオの偏見だ。
 セオはミドル・ノットシティがあった方向を見た。無意識だった。あっちはいつでも曇っている。カイラル雲が風で流されることはない。――いや、実際は流されているはずだ。だからあの周辺は時雨が多い。流されても、雲はあの場所で生成されているのかと思うほど、常に中心地となるミドル・ノットシティには雨が降っている。

「何を見ている?」

 声に意識を呼び戻されて、セオはアングレールを見上げた。フードから覗く片目は、今日も黒い縁取りがされている。
 もしも彼がディメンスやミュールなら、ブリッジズで共有されている敵対者の顔情報に彼の顔があるかもしれない。とはいっても、ディメンスやミュールはいつも顔を隠しているし、仮に顔を晒していたとしても写真に収められる機会は少ないから、本当に稀に、ドライブレコーダーに移ったり、カメラで写真を撮ったりできたものが、僅かに情報としてあるだけで、照会したところで「情報なし」と言われるのが関の山だと思う。

「なにも……。」

 実際に活動している敵対者の何十分の1にも満たないような資料で、何かがわかるだろうか。しかし念の為、彼の顔写真を撮っておきたい――しかしアングレールの目を覗き込んだセオのその気は、しゅん、と、しぼんでしまった。雨の中徘徊していたアングレールを思うと、彼に疑いの目を向けることが憚られる。あなたを疑っている、という気持ちが伝わったら、彼はどう思うだろうか。今のアングレールはそんなことどうこう思うような性格に見えないが、あの日の打ちのめされた姿は間違いなく彼の負の感情でできていたから、その時のような気分を生ませる刺激になりそうなことはしたくない。

「なにも、なんてわけないだろう。横に俺がいて、それでそっぽを向くならそれなりの理由があるはずだ。」

 前言撤回したい。彼の胆力なら写真の1枚くらいなんとも思わない、きっと。

「俺のシェルターか?ミドル・ノットシティか?」
「うう、ミドル・ノットシティです。」

 圧から逃げられなくて怖い。萎縮してしまう。この態度からどうしてあのメールの文面やあの日の悲しい背中が生まれるのか不思議でならない。

「まぁ、あの方角ならそうだろうな。同じブリッジズの施設があった場所だ。お前は『あれ』を見たか?」
「1年前の爆発は……見ました。地面が震えて、みんなでモニターから地上を見て……。本物なんて見たことありませんでしたが、あのキノコ雲が核兵器でできたものだと言うのは、第二次世界大戦のデータを見ていたから知っていました。」
「ミドル・ノットシティには何も残らなかった。」
「そしてわたしたちは更に外を恐れるようになった。」

 アングレールは返事をしなかった。セオは1年前のことを思い出し、気分を沈ませた。息をゆっくり吐きながら背中を丸め、自分のお腹を抱えるように両腕を交差させてコンクリートの地面を見る。

「ミドル・ノットシティのが全滅したであろうことは、皆すぐに理解しました。わたしもそうです。」

 少し話し始めたところで、自分の口が意に反してよく動いていることに気づいた。吸い込んだ息をそのまま止めておけないように、一度開いた口はそのまま言葉を垂れ流す。

「あの爆発が……テロがこっちにきませんようにと、真っ先に祈ったのを今でも覚えています。祈ってそして後悔しました。」
「なぜあの街の人たちのために祈らなかったのだろう?」
「その通りです。」

 わたしはあの街の人のために祈るべきだった、仲間の無事を祈れなかった。セオは今でもあの時の自分本位が胸につっかかっている。

「どうして悩む必要がある?脅威を目の前にした人間には当たり前の感情だろ。」
「人のために祈れるほど理性的でありたかった。」
「脅威を目の前にして本能が出るのはヒトとして衰えていない証拠だ。」

 アングレールの肯定的な言葉がセオの胸に優しく刺さる。ずっと罪悪感を覚えていたはずなのに、今の彼の言葉だけで楽になったような気がした。ブリッジズの誰にも言えないから約1年だまり続けてきたけれど、やはり思っていることを口にするのは精神衛生上良いらしい。――言うだけで昇華されるような安い気持ちだったのかもしれない。
 実際にあの時、レイク・ノットシティの仲間たちは、皆「あれがこっちに来ることはないよな」と、そればかりを恐れていた。気持ちはセオと同じだったのだ。ただセオにはどうしても自分の気持ちが許し難くて。

「立場が逆だったとして、ミドル・ノットの奴らも自分のために祈ったに違いない。」

 セオはうんと頷いた。そんなことない筈です、とは言えなかった。

「時雨を恐れず俺を助けに来たお前は1年前とは別人だ。」

 顔を上げてアングレールを見る。彼は笑っていたが、いじわるな笑顔ではなかった。

「あれはつい足が向いてしまっただけで。」
「無意識の行動が他人のためにできている。なりたかった姿じゃないのか?」

 アングレールの慰めの言葉が嬉しいような照れるような気がして、セオは口元をグニャグニャとうねらせた。にやけたい気持ちをなんとか抑えて、ごほんと咳払いをする。
 比べるものが違うから、納得してはよくない気がしないでもない。しかしそのマイナス思考には今だけ蓋をしておこう。

「アングレールさんは、シェルターの近くが座礁地帯になりましたけど、移動はしないんですか?」

 照れ隠しに疑問をひとつ投げてみた。訊きたいことはいくつもあるが、今はこれが一番無難だと思う。アングレールは背中を反らせながらウーンと鼻を鳴らした。セオとは逆の、明後日の方向を見ている。

「今更シェルターを移動する気にはなれなくてなぁ。この先に破滅しかないなら、あの場所から移動する必要もない。」
「破滅なんて、そんな。」

 突拍子もないことを、と言おうとして、セオは言葉を飲み込んだ。喋っている途中で、アングレールがぐっと顔を近づけてきたからだ。彼は鼻をスンスンと鳴らして、セオの喉当たりを嗅いでいる。セオは上体を反らしてアングレールから離れた。

「お前も夢に見るんだろ?」

 アングレールの言葉に、セオは喉を詰まらせる。何するんですかと反発するつもりの言葉は胃の奥に飲み込まれた。

「絶滅夢。DOOMSなら。」
「……気づいていたんですか。」
「能力者でもないのにあの時雨に飛び込む程の能無しに思えないからな。」
「レベル1でBTの気配が肌に刺さる程度ですから、結局は能無しです。」
「それは悪かった。」

 絶滅夢――ビーチと思われる場所に立ち、アメリカ大陸が大波に飲まれてる様子を見、多くの人の断末魔を聞く夢。セオはそんな絶滅夢を頻繁に見る。毎晩ではないのは、能力がほとんど無いに等しいからだと思っている。
 セオはその夢の光景から、『創世記』に書かれた大洪水はこのようなものではないかと想像している。そして、いつやってくるかわからない絶滅に対し、DOOMSは神から予知夢を与えられ、現代のノアとなることを望まれているのではないかと。
 とらえ方は人それぞれ。同じブリッジズのメンバーでも解釈は違ってくる。セオせめてポジティブな解釈をつけている。絶滅はしかるべき時やってくるが、絶滅夢――予知のお蔭で人間はそれに備えることが出来る、と。その備えの一歩が大陸横断であり、現在はサム・"ポーター"・ブリッジズに課せられていることなのだ。

「アングレールさんもDOOMSですよね。そうでなければ、あの雨の中をうろつく事なんてできない。」
「ああ。」

 しかしアングレールはその絶滅夢に、ネガティブな未来を思い描いているようすだった。

「あれが避けられない未来だとしたら……わたし達が生き残る術を模索しなければいけません。」
「どうあがいても絶滅するんだ、俺たちは。」
「そんなことは……。」

 言いかけて、セオは口を噤む。解釈は人それぞれ。こんなフワフワしたものの所為で言い合いになりたくない。

「なんだ?言ってみろ。」
「言わないでおきます。誰も分からないことについて議論して、アングレールさんと険悪になりたくない。」
「ああ、お前は本当に道徳心のある人間だ。滅ぼすのには勿体ない。」

 またアングレールがセオの頬を撫でた。セオはそれを甘んじて受け入れる。飼い猫か何かの相手をするような扱いを受けた。

「そんな出来た人間じゃないです。」
「出来た人間は大体そう言う。」
「わたしは違います。」
「なんだ、議論したくないんじゃなかったのか?」
「わたしが出来た人間でないのは、自分が一番分かっていますからね!」

 アングレールはまた肘を太ももに乗せ、頬杖をついてセオを見上げる。彼は今日で一番楽しそうに笑った。その表情を見て、セオはなんとなくホッとした。少し心を開いてもらえた気がした。

 1時間ほど話し込んだあと、セオはアングレールから借りたバイクを配送センターの車庫から取り出し、改めてお礼を述べた。バイクは車両エンジニアが新品と見間違うくらい綺麗に仕上げてくれた。しかもカイラルコーティングまで施してくれたから感謝しかない。アングレールも返ってきたバイクに満足のようでセオは安心した。

「また会おう。連絡する。」

 別れ際のアングレールはご機嫌だった。セオは選択肢を間違えなくてよかったという安堵した。今日は「疲れた」という、その一言に尽きる。その疲れは、初めて話をする緊張感ではなく、道を間違えたら後がないのではという危機感からきていた。

「見送りします。」
「いや、いい。お前が地下に降りたら俺も出る。」
「わかりました……?」

 別れ際まで謎の人だ。来てもらったんだから見送りくらいと思ったが、アングレールが片手を前に出して制止させてくるものだから、セオはおとなしく立ち止まってここで別れることにした。

「また今度、いつでも連絡ください。」
「わかった。それじゃあな。」

 アングレールはバイクのシートに腰をおろしてひらひらと片手を振っている。セオもそれに振り返すと、言われた通り配送センターから地下に降り、そのまま部屋に戻った。







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