デススト | ナノ
 Distortion _ 11 /

 翌日から一週間、多忙な日々が続いた。セオのいるラボは全員が7連勤を強いられ、それに従った。誰もが今のこの状況にとって自分は必要不可欠であるという意識があったから、「疲れた」は連発されたものの「休みたい」は聞こえてこなかった。仕方ないという諦めよりも、やらなければいけないという使命感が強かった。カイラル通信が不調をきたした3日間分の復旧は大変だったし、それに伴って他の業務も滞った。ポーターの活動にも支障があったため、自動配送システムの使用依頼は激増した。

 そんな中飛び込んできたのは、二人の女性の訃報だった。アメリカ大統領ブリジットと、その娘アメリだ。レイク・ノットシティのブリッジズ全体が7連勤を迎えた朝に届いたその知らせで、職場内は誰もが心を沈ませた。セオはアメリの事ならなんとなく知っていたものの、大統領については寝耳に水だった。
 アメリカ再建の象徴は去ったが、キャピタル・ノットシティはすぐに立ち直り、新しい大統領をたてて遺志を継いでいこうという動きが始まり、もう一ヶ月後には、大統領就任式の予定が決まっているそうだ。その大統領が誰になるかは、今から一週間の間に決定されるなどと、なんだか順番が逆になっている気がする。
 カイラル通信の復活から8日目、今日と明日はレイク・ノットシティのブリッジズ全体が休業となった。流石に疲れを癒し、喪に服する時間が必要だ。
 セオは8日目、たっぷり朝の10時まで睡眠をとり、起きてぼんやりしたのち、やっと12時頃から活動を始めた。と言っても、洗濯機を回しながら風呂に入ってぼんやりするだけだから、ベッドに入っているのとなんら変わりない。洗濯機が仕事を終えるまでの時間を浴槽で過ごして、出て洗濯物を干して、復活した通信を駆使してインターネットサーフィンに興じて。夕飯の頃になってやっとこのままではいかんと気付く。セオは直ぐにヒッグス宛のメールを打った。
 明日会いに行きます。本文にそれだけ書いて送る。時候の挨拶やご機嫌を伺う文章でメールを長くする必要はない。




 ヒッグスから「楽しみだ」という返事をもらったので、セオは連休2日目、ヒッグスのシェルターに向かった。彼女の愛車にはいつも通り沢山の資源が積まれていて、単に遊びに行くだけでないことが見てとれた。セオはヒッグスを捕まえて、マウンテン・ノットシティにつながる国道作りをしに行くつもりなのだ。
 やってきた「ピーター・アングレール」のシェルターは、セオが敷地内に入ると自動で地下につながるドアの鍵が開いた。セオは躊躇することなく地下に足を踏み入れ、ヒッグスがいるであろう右側の部屋の扉を叩く。

「ヒッグス、いますか?」
「開いてる!」

 中でヒッグスがどうなっているか恐くて、セオはゆっくりと扉を開ける。ヒッグスは正面の壁についたテーブルの前でキャスター付き椅子に座っていていた。思いの外普通である。
 テーブルの上にあるパソコンの画面はアメリカ大陸の地図になっている。ヒッグスは一目散にセオに向かい、そして抱きしめる。頭皮の匂いを嗅がれている気がして、セオは身体を小さくしてみるが効果はない。

「待ってた……。」

 まるで久しぶりの再会のような喜び方だが、せいぜい一週間ちょっとだ。セオには何の感慨もないが、ヒッグスにはこんなにもなことらしい。
 ヒッグスは空いているキャスター椅子を引っ張って自分の隣に寄せ、セオに座るよう促した。セオはありがとうございますと礼を述べて腰を下す。アメリカ大陸の地図が表示されたパソコンが目の高さに来たのでそれを覗いてみた。カイラル通信網が表示されていて、じっくり見るとUCAに加盟した施設が記されているのが分かった。ピーター・アングレールのシェルターも加盟している、お蔭でここでもカイラル通信が使える。
 壁は相変わらずサム・ポーターの写真だらけである。――いや、よく見ると、サムの写真だけではない。

「ヒッグス、これどこで撮ったんですか。」

 割と自分に近いところに、自分の写真が貼られているのだ。2Lサイズの光沢紙に、寝ている自分の顔が印刷されている。横に赤い太字で『New Shine』と書かれている。ヒッグスはセオが指差すその写真を、何も答えずに白々しく剥がして懐にしまった。目線は明後日を向いている。まるで何も無かったかのように振る舞うヒッグスだが、セオは引き下がらない。

「一緒に出掛けた時ですよね。プライベートルームの折り畳みベッドでした。」
「会えない時に見ている。」
「寝てる顔なんて間抜けだからいやですよ!それください、恥ずかしい!」
「いやだ!」

 セオはヒッグスの懐に手を突っ込んで写真を探す。写真は大きいのですぐ見つかった。ヒッグスは「ドメスティック・ヴァイオレンスだ!」と叫んでいた。

「もっとまともな写真あげますから!」

 見つかった写真を手のひらでぐしゃりと潰してポケットに突っ込むセオ。ヒッグスは眉をハの字にして情けなく嘆いている。しかしセオは分かっている、どうせ元データがハードディスクのどこかに入っているんだ。
 ヒッグスから奪ってばかりでは夢見が悪くなりそうだ。セオはテーブルの上にあったデジタルカメラ――機種は新しいが、とてもボロボロで、多分、今までの写真は全てこれで撮られたんだと思う――を起動させ、カメラのレンズを自分に向ける。セオには何がどう写っているか分からないが、とりあえず「いいね!」のサムズアップポーズをして、シャッターを下ろした。怒っているので顔は笑っていないが、カメラ目線のちゃんとした写真が撮れているはず。液晶モニターで確認すると、思った通りきちんと枠内におさまった自分の顔が見えた。

「セオ!」

 ヒッグスは写真データを確認し、カメラをぎゅっと両手で握る。彼がカメラをカチカチといじると、テーブルの上にあるプリンターがうなり始めた。がしゃんがしゃんと用紙にインクが印刷されていく音がして、さっきと同じ2Lサイズの用紙が排出される。ヒッグスはさっそくそれをセオに見せた、彼は良い笑顔をしていた。
 写真には無表情でサムズアップをするセオの姿。写真に写っている本人はそれを見せられ、ウンウンと頷く。自分のこの顔が整っているかどうかは別として、きちんとピントが合って枠内に収まっているので十分。
 その写真はさっそく、さっきまで寝顔の写真が貼ってあった場所に貼られた。ヒッグスも満足そうに頷いている。

「ところでなんですけど。」

 セオは椅子に座り直してヒッグスを向く。ヒッグスも写真の中のセオから本物のセオに向き直った。彼はテーブルの上にあった炭酸飲料を1本セオに寄越した。

「わたし、このシェルターに住めないかなと思って。」
「……え?」

 ヒッグスが固まった。手に炭酸飲料の入った缶を握ったまま、目を皿のように丸くしてセオを見つめている。セオは何も言わずヒッグスの返答を待つ。真正面から彼の目を見ていたら、3秒ほどで逸らされてしまった。

「どうして、急に。」
「お互いに一番安全なのはそれかと思って。ヒッグスはわたしに居て欲しくて、わたしはヒッグスがちゃんと生活しているか確認できます。」
「好きだから、とは言ってくれないのか。」
「好きだと言うには違うんですよね。」
「俺はお前を愛してるのに。」

 それは多分愛ではない。執着を勘違いしている。
 セオに「恋心」はなく、愛情の種類はフィリアに近い。ヒッグスはヒッグスでフィリアでもエロースでもなく、単なる執着だから、一緒に暮らすとしても旧世界的な恋愛でも結婚でもない。――介護、という言葉が浮かんで、セオはすぐ頭を振った。しかしセオはヒッグスのことが大切なのは真実だ。不安定な彼を支えたい一心での決定に、セオは後悔をしないだろう。
 レイク・ノットシティで働き続けるのにも問題はない。国道を通った道のりだと通勤に2時間近くかかるが、距離は短い。険しい場所や川を越える橋や道をカイラル・プリンターで作成すれば、1時間かからずに通えるはずだ。通勤時間は60倍になるが、逆に今までが楽過ぎたのだ。ブリッジズの職員の中でも、移住してきた当初と比べると今はレイク・ノットシティに居住を構える人の方が圧倒的に多く、セオのように施設内で暮らす人は少ない。もちろん、現在レイク・ノットシティの施設で働く人が、セントラル・ノットシティからやってきたブリッジズ職員よりも、元々ここに住んでいた人の方が人数的に多くなっていることが起因しているのだが。それに、レイク・ノットシティ内に住んでいる人でも、端っこの端っこに住んでいる人は通勤に結構な時間をかけているはず。
 周りの人には「たまたま知り合って、意気投合をして」と言っておけば、ピーター・アングレールというただの男に対して不信感は抱かれないと思う。実際、上にはアングレールとは直近のカイラル通信不調の時一緒に居たと伝えてあるし。
 様々、今日ヒッグスに会うまで考えてきたことを反芻し、セオはヒッグスの顔を見る。彼は真剣な目をしていた。自分が本気だと「思い込んで」いるのだからそれもそうだ。――いや、セオには本当のことなど何一つとして分からない。正直なところ、ヒッグスかそうだったらこっちも気が楽なのになと希望を持っているだけなのだから。

「もしお部屋が空いているなら、そこに。」
「空いている部屋。」

 ヒッグスはドアの隙間から見える、隣の部屋の扉に視線を移した。

「あるには、ある。」
「その部屋はわたしが使っても?」
「問題ないが、できれば入りたくない。」

 彼の目には悲しみの感情がこもっている。自分が住んでいるシェルターなのに入るのが嫌な部屋があるのだろうか。彼の様子から見て、見られてまずい物があるのではなさそうだが。

「俺は両親を亡くして、このシェルターの持ち主の……養父に引き取られた。」
「廊下の反対側の部屋はその方の?」

 このシェルターの住人は1人と登録されているから、その養父はここにいないはず。シェルターを出て行ったか――考えられるのは、すでに亡くなっているパターンだ。

「俺が殺したから、もういないけどな。」

 疑問の答えはすぐに出た。しかし疑問はもっと湧き出てくる。ヒッグスが殺した?何のために?ヒッグスは色々破綻しているから、言い合いになって激昂して、その勢いで、とやってしまったのだろうか。単に邪魔だから殺したというのも無きにしも非ず。しかし、その部屋に入りたくない、と、トラウマの片鱗を感じさせたから、積極的な殺人ではない、と思う。

「虐待を受けてきて、殺されると思った時に。」
「……ごめんなさい。」

 想像以上の過去を垣間見て、セオはとっさに謝罪の言葉を口にした。辛いことを思い出させてしまったことと、勝手な想像でヒッグスの評価を下げかけてしまったことについて。
 ヒッグスはすっと立ち上がると、セオの手首を掴んで立ち上がらせた。2人で部屋を出て、隣の部屋の扉の前に立つ。ヒッグスはその扉を開けるのに躊躇しなかった。この短時間で、開かずの扉を開ける勇気が振り絞れたとでも言うのか。気持ちの切り替えがはやすぎる。
 隣の部屋はなんてことのない、ヒッグスの部屋よりずっと綺麗な空間だった。誰も使っていないプライベートルームのように整っている。こっちの部屋はリビングらしく、台所や大きなテーブルが置かれていた。部屋の片隅にはシーツが綺麗なままのシングルベッドがある。ヒッグスのキャンプ用長椅子とは大違いだ。所々に年季の入った汚れが見えるものの、ハウスクリーニングが入った後のような清潔さがあるから、養父を殺した後、ヒッグスが丁寧に掃除をしたのだろう。

「本当にずっと使っていないんだ。」

 綺麗なのだが、確かに言われてみると、至る所うっすらとした埃が溜まっているのが見える。この程度で済んでいるのは、このシェルター自体が清潔な造りになっているからか。――ヒッグスの部屋はゴミだらけで散らかされっぱなしでひどいものだけれど。

「わたしが使ってもいいんですか?」
「一緒にいてくれるなら、いくらでも。それに……セオが使ってくれたら、嫌な思い出が消えるかもしれない。」

 ヒッグスはセオを横から抱きしめる。腕ごとぎゅっと包まれたセオは、ヒッグスの鎖骨あたりに頭を預けた。

 彼が立ち直れるならなんでもしよう。
 自分は大したことのない凡庸の人だけど、誰か一人助けられるなら重畳だ。

「引っ越しはいつになる?」

 セオはヒッグスのベッドのシーツを剥がし、埃の溜まっていないそこに腰を下ろした。もちろんヒッグスもそれについてくる。硬めのスプリングがギーと音を立てた。


「大統領就任式から帰ってきてからになるので、一ヶ月は後になります。」
「大統領就任式?誰かブリジットの代わりが居るのか。」
「……まだ発表されてませんけど、ダイハードマン長官じゃないかと噂されてます。実際彼しかいないんじゃないでしょうか。」
「へえ、あの男が。」
「ただの噂です。」
「しかしそうだな、あれしか相応しい奴はいないだろう。」
「詳しく知ってるんですね?」
「まあな。」
 
 ヒッグスはにやりと笑う。そうだった、彼にはブリッジズの内情が筒抜けだった。情報源としてアメリがいたのか、それとも彼自身が能力を使ってその足で情報集めたのかは分からない。多分どちらもだろう。

「……一ヶ月の間は、レイク・ノットシティとここの最短距離のコースを作るように道路を作ってみる予定です。ヒッグスも手伝ってくださいね。」
「俺が?何を?」
「荷物運びとか。」
「まあ、それくらいだよな。」

 大統領就任式はキャピタル・ノットシティで行われる。式への参加はホログラムでの擬似参加が許可されており、会場までの道のりを考えると皆ホログラム参加なのだが、レイク・ノットシティの代表者ニヴォーズ・ブラウンという初老の男性――元々この地に住み、ブリッジズがやってきた時友好的に受け入れてくれた人物――が、カイラル・プリンターを駆使して完成させた船を使ってみたいというので、レイク・ノットシティは直接参加となった。
 メンバーはニヴォーズとブリッジズの代表ケビン・マクレガー、数人の護衛と運転手に抜擢されたセオだ。名指しされた時セオは心底驚いたし、「はい喜んで」と言う前に自分には無理だと一度断ってしまった。ケビン代表曰く選ばれた理由は、セオはブリッジズのメンバーの中で一番大型車の運転に慣れ、長距離を走っているから。国道復旧の趣味のことはブリッジズの人々のほとんどが知っているから、ケビン代表の耳に届いていてもおかしくない。しかし護衛隊のメンバーも大型車の運転はいつもしているはずだ。セオがそんな反論をすると、ケビン代表は「女性も居た方が良い」とさらに答えた。セオにはこれ以上断る材料を持ち合わせていなかったので、依頼を受けることにした。
 断りはしたが、嫌なわけではない。むしろ故郷のキャピタル・ノットシティに帰れるのは嬉しい。ただ、他にもキャピタル・ノットシティが故郷で帰りたいと思っている人がいる中、平職員の自分だけが行くのは憚られたのだ。

 ヒッグスはセオを抱きしめてベッドに倒れ込んだ。カビやホコリの匂いはしない、無臭のベッドだった。ヒッグスはセオの頭を抱え込む。まるでぬいぐるみを抱きしめる子どものようだ。

「明日は仕事か?今日はいつまで居られる?」
「仕事です。夕食を一緒に食べたら帰ろうかなと。」
「なら夕飯までこうしていてくれないか。寝不足なんだ。」

 セオは顔をあげてヒッグスの顔を覗き込んだ。ヒッグスは目を閉じていて、もう入眠に向かっているようだった。

「セオと一緒なら眠れる気がする。」

 不安そうにつぶやくヒッグスに、セオはたまらなくなって抱きついた。背中に回した手で、彼の背を優しく叩く。鼓動よりもゆっくりと、赤ん坊を寝かせるように。
 しばらくして寝息が聞こえるようになると、セオも目を閉じた。ここに住んで、こんな日々が始まるのが自分も待ち遠しい。






シェルターの構造、ニヴォーズ、ケビン全て創作です






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