Fate | ナノ



assistencia / 05



 翌日と思われる日の夜、である。
 セオはジェルに沈んだ気泡が上を目指すようにゆっくりと目を覚ました。寝続けたせいで体中が痛い。関節を曲げ、背中を丸め、時間をかけて起き上がる。寝る前のことをあれこれ思い出し、セオは自分の体調に意識をやった。適当に流し込んだ増血剤はしっかり役目を果たしたらしい。立ち上がっても貧血の症状はなかったし、魔力も元通りだ。
 カーテンを開けて外を見る。とっぷり夜だ。今は何時だろう、ウェイバーに会いに行きたい。セオはそう思ってベッドサイドのデジタル時計を見た。

「……うわ!!!」

 そして絶句。日付を見て彼女は硬直した。翌日ではない、今日は翌々日だ。海の魔物の事件から2日経過している。つまり自分は丸々2日間寝ていたのだ。うわああああ、と、セオは頭を抱えてうなだれた。いくら弱っていたとはいえ寝すぎだ。よく見てみると、ベッドの上には真新しいバスローブとタオルセットが置いてあったし、自分に掛かっていたのはウェイバーが使ってくれたバスローブではなくタオルケットだった。昨日と今日と、部屋掃除の人が来て替えていってくれたのか。だとしたら、セオは自分の間抜けな寝顔を見られていたことになる。
 しかしそれどころではない。セオはあわててユニットバスを覗いた……よかった、血まみれの服は一昨日セオが投げたときそのままになっている。もしあれを見られていたら、また厄介なことになっただろう。よくよく部屋を見渡してみる、タオル類が新しく替えられている以外は、物は出したままそのままにされていた。整理整頓の類はしないでおいてくれたようだ。
 セオはのそのそと着替えをして部屋を出た。フロントの男性には2日も寝続けていたので心配したと言われた。適当に返事を返し、部屋の鍵を閉めておくよう頼んでホテルを出る。
 ウェイバーの気配はすぐに分かった。橋の方向に1人でいるようだ。セオはホテルの自転車を走らせ、冬木大橋に向かった。

 橋の周辺は違和感があるほどに静かだった。車が全く通っていない。誰かが人除けの結界をかけたのだろうが、橋にその様子はない。橋の先にはいやな魔力を感じるので、橋のたもとには何かかけられているのかもしれない。
 そんな冬木大橋に、ウェイバーは1人で立っていた。彼は手すりに体を預け、じっと海を眺めている。

「ウェイバーさん。」
「……セオ。」

 彼は穏やかに見えた。良いも悪いもなく、ただ、何かを深く考えているようである。セオはウェイバーの隣に並んで海を見た。街の明かりに照らされた海岸部は明るいが、海面の殆どは暗く、何も見えない。

「イスカンダルさんは?」

 そういえば、というようにセオは問う。

「消えた。」

 ウェイバーは海を見たままだった。
 セオは息をのんだ。消えたとは、つまり、イスカンダルは消滅したのか。ということはウェイバーとイスカンダルは、この聖杯戦争に敗れたというわけだろうか。

「……そうでしたか。」

 残念でしたね、とか、よく頑張りましたね、とか、掛けるのに良い言葉を探すが、思いつくものはどれも今のウェイバーには合わなかった。彼は悔しそうには見えなかった。後悔はしているかもしれないが、どうも清々しい印象を覚える。

「あの……お疲れさまでした。」

 それでも何か声はかけたくて、セオはそれだけ言った。

「ありがと。」

 ウェイバーは橋の欄干に両肘をつき、こまねいた腕に鼻から下を埋めた。目からはツーと涙が流れていて、彼の深緑のセーターに染みを作っていた。セオも彼と同じように、肘を欄干にかけて海を見おろした。

「……やっぱり悔しいな。」

 沈黙のあと、ウェイバーが小さな声で言った。

「……あまり悔しそうには見えませんね。」
「最後の最後に自分の実力に向き合えたから。……これが自分の限界だってわかったよ。」
「重畳です。」
「ボク、もうちょっとここにいる。寒いし風邪ひくから帰ってなよ。」
「わたしもお付き合いします。どうせさっき起きたばっかりで目が冴えてますから。」
「そっか。」
「聞いてください、わたし、2日間丸々寝てたんです。」
「キャスターのあれの時から!?」
「ええ!」

 ウェイバーは流れた涙はそのままで、目を丸く見開いてセオを見た。よほど驚いているらしい。

「いくらなんでも寝すぎだろ……。」

 彼は、呆れた、と言ってまた顔を腕に埋めた。
 さらさらの長髪が海風になびいている。
 背後、橋の真ん中には強い魔力の気配が残っていた。ここでイスカンダルと誰かが戦ったのだと思う。どんなサーヴァントがいたのかは分からない。一昨日出会ったセイバーや、精悍な男性ではないのは分かる。ここでどんな戦いが繰り広げられたのだろう。イスカンダルとウェイバーはどういう風に戦ったのだろう。セオには知りたいことがたくさんある。しかし今はそれを問う時ではない。ウェイバーが落ち着いたら、その時に聞かせてもらおう。
 ちらっと横目でウェイバーを見る。彼は変わらない態勢のまま寝ているようだった。橋を吹き抜ける風の音にまぎれて、小さな寝息が聞こえる。泣いて、寝て、まるで子どもみたいだなと思う。本人に言ったら絶対に怒られるだろうなと思って、セオはちょっとだけ笑った。

 日本での滞在期間はあと2週間ちょっとある。その間、どこで何をしようか。ウェイバーは変わらずあの民家にいるのだろうか。それとも、やるべきことは終わったから時計塔に帰るのだろうか。どちらにせよ、イギリスに帰っても変わらず仲良くしてほしい。そこでセオはふと気づく。セオはウェイバーと仲がいいつもりでいる。しかしウェイバーはどう思っているのだろうか。友人とは思われていないと思う。ていの良い小間使いとか、ちゃちゃを入れてくる面倒な奴だとか、そういう程度だと思われていそうだ。まあ、どう思われていても、セオはイギリスに帰っても仲良くしてもらうつもりだから関係ない。時計塔に行けば彼に会えるだろうし。

 当初の目的をすっかり忘れたセオは、ウェイバーが聖杯戦争に敗れた時点で、聖杯戦争への興味が削がれていた。だから、どこのだれが聖杯を勝ち取り、どんな願いをかけるのかなど、全く興味を抱かなかったのだ。誰か邪悪な人が邪悪な願いをかけるかもしれないという憂いもなかった。
 セオはもともと、聖杯で願いがかなうなんて思っていなかったのだと思う。聖杯戦争を見に来た理由だって、強い魔術師やサーヴァントを見てみたいとか、聖杯があるならどんなものだろうかとか、そんな程度でしかなかった。
 そして彼女は今夜聖杯戦争が終結するなど知りもしない。それらしい兆候に気付いたのは、高く燃え上がる火の手を見てからだった。

「……ウェイバーさん!!」

 セオは隣で寝ていたウェイバーを、文字通り叩き起こす。

「いったあ!!なんだよぉ……。」
「み、み、見てください。あれ……。」
「……火事か?」
「とても嫌な魔力を感じます。あんなに大きな悪は見たことがありません。」

 次々と燃え広がる火災が目に入る。あれは悪魔の炎だろうか。

「あれは……多分聖杯だ。サーヴァントの持つ魔力に似ている。」
「では、現れた聖杯が、あの火災を起こしていると……?」
「……多分。」
「何を願って起きた願いなんでしょうか……。」
「あれ、何人死んでるか分からないな。そんな碌でもないことを願うヤツの気持ちなんて、分かりたくもないね。」
「その通りです。」

 生憎セオは、水を操る方法は基礎しか知らない。風を起こせば火事は広がるだろうし、雷なんて何に使えるか分からない。ウェイバーの方も火事に有効な手段は持ち合わせていないし、なによりサーヴァント戦のあとで魔力の消耗が激しかった。2人は何もできず、ただ火事を眺めるしかできなかった。

「直に消防が来ると思う。それか、ほかのマスターに任せるしかないな。」
「ええ。」
「万が一家まで来た時のために、ボクは帰る。お前もホテルの荷物を一応まとめて置いた方がいいんじゃないか?」
「ですね。では今晩はこれで……落ち着いたら連絡します。」
「また会って話をしてくれるのか?」
「もちろんです。」
「……そうか。」

 デレた!と、セオは心の中で叫んだ。どうやら仲良くしたいと思っていたのは、セオだけではなかったようだ。ウェイバーのツンデレのデレ部分、これは何物にも代えがたい宝であった。





 ホテルに戻り、取り急ぎ引き出し工房の中身をトランクに詰め込む。血まみれになってしまった洋服類は破棄することにしよう。セオは落下防止のために少ししか開かない窓を開け、血まみれになった服を持った手をそこから外に出した。手のひらに力を込め、発電。服に火がつく。セオは手を離し、燃えた服が地面に着く前に灰に成り切ったことを確認して窓を閉めた。
 遠くに見える火事は、先ほどよりも大きくなっていた。街中からサイレンの音がする。ホテルの放送では、こちらに届く可能性は極めて低いが、念のため避難の準備をしておくようにと指示があった。
 荷物はきっちり詰め終えたので、これで何があっても大丈夫。窓際のソファに腰かけ、セオは明るい夜の街を見つめた。






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