Fate | ナノ



 ウェイバー・ベルベット――ロード・エルメロイU世は相変わらず多忙な毎日を送っている。

 恋人のセオ・ブリクスト・フェレとは変わらずに愛し合う仲なのだが、ウェイバーは(普通ならばロードと呼ぶのがふさわしいであろうが、セオにとってはウェイバーはいつまでもウェイバーなのでこう呼び続けることにする)付き合い始めにセオに言った通り、満足にセオに会うことができない日々を繰り返させ、彼女との関係を未だに公にしていない。――ウェイバーが特別口にしないだけで、彼に近しい周囲の人々はセオ・フェレの存在がウェイバーにとって大切なものであると察しているのだが。

 セオ・ブリクスト・フェレも相変わらず俗世に溶けた毎日を送っている。
 コッツウォルズの家と、ロンドンの職場と、時々ロンドンの恋人の家を行き来する日々。同じ年頃の女性魔術師たちが次々と結婚していくのを尻目に、セオは特別焦った様子もなく、ウェイバーと過ごす日を糧に生きている34歳である。
 魔術刻印は弟に譲渡し、今はしがらみが少なく、自由に自分の研究と仕事に没頭できている。やはり刻印がなくなったことで自分の力の弱まりは感じたが、ひどく弱体化したわけではないので支障は少ない。元々貧弱な魔術回路だ、それなりに付き合っていける。それに、セオの力は自然――大気から分けてもらっているものがほとんどだから、攻撃系の魔術に限って言えば、苦労していないでいる。

「帰ってくるときは連絡をくれると嬉しいです。駅まで会いに行きますから。」

『そうだな、余裕があったら電話する。』

「待ってます。ちゃんと脚は休ませるようにしてください、次の日に筋肉痛が残ってしまうと、困るのはウェイバーですよ。」

『……分かってるって。』

 平日の昼12時35分。セオは職場の休憩スペースでウェイバーに電話をかけていた。ウェイバーとおそろいで買った携帯電話には、ストラップに赤と黄色のリボンを垂らしている。
 ウェイバーは明日から出かけるらしい。なんでもウェールズの奥地に探しているものがあるとか。仕事で行くわけでないと言っていた。詳しく何の用事かは聞かなかったが、仕事以外で彼を突き動かすものと言ったら、彼が慕った王様に関係するものくらいしか思いつかないので、それ関係と思って間違いないだろう。

「帰ってきたらまたゲームに誘ってください。この間一緒に遊んだSRPG、とても楽しかったです。」

『炎の紋章か?わかった。……次の講義があるから、また。』

「はい、また。」

 挨拶を済ませると、ウェイバーはすぐに通話を切った。セオは、ツーツー、という電話の音を数回聞いてから通話を切る。時間が無い中、ちょっとでも電話をくれて嬉しい。休憩スペースの窓の外を見ながらセオはにやける口元を隠さずに携帯電話を握った。電話は便利だ、使い魔や特別な術を使わなくても、相手がすぐ横に居るような気持ちになれる。
 休憩スペースには数人の同僚も居て、彼ら彼女らは、セオがいつもここで恋人と電話しているのを微笑ましく見ていた。今日も暖かい笑顔がいくつかセオに向けられていた。

 それから数日後。今回の滞在はあまり長くなかったらしい。帰りの列車の中にいるウェイバーから電話があった。平日の午前中で、セオは仕事の最中だった。外部とのやりとりの多い部署に居るので、個人で所有している携帯電話への着信にも自由に出ることができる部署で助かっている。セオはマナーモードでぶるぶる震えている携帯を手に、デスクを飛び出した。いつもの休憩スペースの窓際で電話を取る。ディスプレイには恋人の名前が出ていた。

「もしもし?」
『仕事中にすまない。』
「いえ、平気です。」

 ザーと継続した雑音と、がたんがたんとリズミカルにガタつく音がする。列車に乗っているのが音で伝わってきた。

「帰りの列車ですか?」
『ああ。17時ちょうどに駅に着く予定だ。』
「では仕事を早く切り上げてお迎えに行きますね!」
『……。』
「……ウェイバー?」
『驚かせるかもしれない。』
「……はい?」
『悪い知らせではない。……またあとで。』
「はい、あ、ウェイバー?」

 ブツンと電話が切られる。雑音から解放された耳元が急に静かになった。事務的な連絡だけの電話だった。列車の中らしいし、はやく電話を切りたかったのだと思うが、ウェイバーにしては珍しい。(周囲の人はウェイバーをこういうタイプの人だと見ているらしいが、セオにはいつも、もうちょっと人の心のある電話の仕方をするのだ。)しかし、疲れているであろう帰りの電車の中で、ちょっとだけでも声を聴かせてくれたのが嬉しい。帰りに会ってくれる約束もしてくれた。セオは夕方にちょっとだけ年次休暇をもらい、17時前には駅に着くよう計画を頭の中で考えた。

 17時頃の駅は混雑している。学校帰りの若者、セオの就業時間よりも早い時間に仕事が終わる大人、など。セオはウェイバーが通るであろう改札の前に立ち、遠くで列車がホームに滑り込んできたのを見て、そわそわとしている。電話でどこの改札から出るか聞けばよかった。いつもの通りならここを通るので間違いないと思うのだが。
 列車から降りてきた人で、改札の向こうがさらに混雑していくのが見える。人の波はゆっくりと改札へ寄り、改札で細切れになって、こっち側でバラバラに散っていく。ウェイバーはすぐに見つかった。痩せている長身の、長髪の男性が、あちらもセオに気付いて近づいてくる。セオは10年前の自分に言いたい、あのウェイバーがこうなるとは、誰も予想していなかっただろう、と。

「ウェイバー!」
「……ただいま。」
「おかえりなさい、お疲れさまです。トランク預かりますよ。」
「いや、今日はいい。」

 セオはふと疑問に思う。いつもウェイバーが持っているトランクが、彼の手元にない。彼は手ぶらだった。まさか何も持たずに行ったわけではないだろう。そしてセオは気づく。ウェイバーの後ろに、よく見たトランク――ウェイバーのそれがあることに。そして、そのトランクに手を添える、灰色のフードを被った女の子に。

「この子は?」
「弟子だ。」
「わあ!ついに弟子を取ったんですね!もしかして今回のお出かけは、彼女のスカウトでしたか?」
「まあ……そういうことになるかね。話は追々しよう。」
「はじめまして!わたしはセオ・フェレと言います。」

 女の子の顔はフードで隠れているが、その目がセオを向いているのは分かる。セオはフードの内側の目と合うように体を傾け、そしてペコと頭を下げた。

「せ……拙は、グレイ……です。」
「グレイさんですね、わたしのことはセオと呼んでください!」
「セオ……さん……。」

 グレイと名乗った少女はセオに怖気づいたのか、ウェイバーの後ろに、セオの視線から外れるようにして隠れてしまった。人見知りな性格なのかもしれない。セオはグレイの顔を追うことなく、彼女から意識をそらした。
 駅からウェイバーの家――アパートメントまでの距離は長くない。15分も歩いていれば到着する。帰り道、ウェイバーはずっと無言であったし、グレイも特に口を開かなかった。セオも2人に合わせて口を閉じっぱなしにして、さりげなく2人の様子をうかがい続けた。グレイはロンドンの出身ではないのだろうか、目に入るものすべてが珍しいというように、首は動かさずに目だけでしきりに周りを見ていた。――いや、興味というよりは恐怖の方が強いように思われる。人混みや、背の高い建物に対してびくびくしていた。
 煉瓦造りの古いアパートメント。ウェイバーとセオはいつも通りに建物に入り、階段を上り、部屋に入った。グレイはためらいがちに玄関をくぐり、これから師となる人の住まいへと足を踏み込んだ。彼女は上半身をぐるぐる動かしながら、本、段ボール、ゴミ、食器、なにかよく分からない物などのあふれる部屋を見渡している。

「お茶淹れますか?」
「いや、荷物を置いたらすぐに研究室に行く。」
「残念です。」
「……あ、明日頼む……。」

 セオがわざとらしくがっかりしてみせると、それまでてきぱきと作業をしていたウェイバーは手を止めて、慌ててセオに駆け寄った。

「グレイには飲ませてやれ。」
「あ……拙は結構で……。」
「分かりました!」

 大事な恋人をしょげさせてはいけない、と、ウェイバーは代わりに弟子に紅茶を振舞うように頼む。セオは意地悪く笑い機嫌を取り戻したようにニコッと笑い、台所に向かって行った。

「ぬるめにしてやってくれ、直ぐグレイも連れて行くからな。」
「はいっ!」

 ウェイバーは安堵のため息をつき、再び作業に戻る。トランクの中身をただでさえ散らかってる大きなソファの上に広げて、散らかった部屋の代表みたいな状況にさせてしまっている。大体、ソファの上は物を並べる場所ではないのだが。セオは後で片付けてあげないとなぁ、と思いながらウェイバーを眺め、ティーカップ1杯分とちょっとの量のお湯をケトルに入れて火にかけた。
 グレイは師匠に言われて小さな木製のスツールに腰を掛けている。慣れない場所で緊張がほぐれないらしく、背筋はピンと伸びていて、どこか助けを求めるように師匠をじっと見ていた。セオの方もときどき覗き、そしてセオがそれに気づくと慌てて目を逸らす。年齢や出身地、なぜスカウトされたかなど、気になる事が沢山だ。しかし、全部教えて欲しいとここで言う気にはならない。ウェイバーは忙しそうだし、あまり積極的に話したくなさそうに感じる。グレイの方はまず話しかけられる雰囲気ではないし。

「ウェイバー、終わったら戻りますか?」
「戻る予定だ。グレイもいるから遅くはならない。」
「じゃあ夕飯作って待ってます。グレイさんの分も?」
「そうだな、何から何まですまない。」
「ついでに使ってない部屋を片付けて、グレイさんの部屋にしても良いですか?」
「拙は部屋など……寝る場所さえあれば。」
「寝る場所を部屋と呼ぶと良いですよ。ウェイバー、彼女もここで暮らすんですよね?」
「そのつもりだ。しかし重ねて手間をかける。宜しく頼んだ。」
「はい!」
「グレイ、飲み終わったのなら出かけるぞ。」
「はいっ師匠。」

 グレイはティーカップの中身を空にして、セオに「ごちそうさまでした」と深く頭を下げた。セオはその頭を撫でたい衝動に駆られながらも、それを我慢して、お粗末様でした、とだけ応える。
 ウェイバーはブリーフケースを持って、グレイと共に出て行った。部屋が一気に静まり返る。アパートメントのすぐ前にあるストリートを抜ける車の音だけが聞こえていた。

 グレイ――普通の女の子でない事は確かだ。それは魔術師かどうかという点だけではなく、育った環境についても。あんなにビクビクされると、今まで良好な人間関係というものを経験してこなかったのではないかなどと思ってしまう。
 ウェイバーは年々見た目だけは厳つくなっていくけれど、中身は変わらないウェイバー・ベルベットなので、グレイにきつく当たることなどは無いだろう。彼がグレイの何を認めて弟子にしたかは分からないが、あのウェイバーが選んだのだから、この先また楽しいことが起きるに違いない。





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