Fate | ナノ



liebhaber / 05


 その後。
 セオはロンドンに来たついでに、時計塔によってアベルの入学案内を貰って行くことにした。弟の入学……来年の9月まであと1年を切っている。まだ10ヶ月ほど余裕はあるのだが、なんせここは世界中から入学希望者がやってくる。時計塔の入学は年によっては大変狭い門になるのだ。よって入学案内はさっさと貰っておいて、あれこれ対策をしておいた方が良い。特に時計塔に用事がほとんどないフェレ家なので、こうしてロンドンに仕事以外の用事があるついでに貰っておかないと機会を逃してしまう。

「せっかくのお休みの日だったのに……わたし1人で大丈夫でしたよ?」
「い、い、一緒に居たいとか、思っても、いいだろっ!」
「……そうですね!」

 今日は1日休みで、時計塔に用事のないウェイバーも付き合わせてしまった。休みの日に職場に行くなどセオだったら絶対に嫌なのだが、多分自分もウェイバーと一緒なら職場まで行っただろうなと思う。
 人事部のような組織の部屋前の什器に大量に置かれている入学案内から、一応ということで冊子を3部いただく。休日なんて魔術師に関係はなく、学内でたくさんの人とすれ違ったが、講義が無い分、平日よりは生徒数が少なく静かな方なのだと思う。朝はすっきり快晴だったはずの空が、いつの間にかどんよりの曇り空になっていた。昨日、セオが職場で見た週間天気予報によると、今日と明日もロンドンは晴れ予報だったはずなのだが。

「ロンドンはお天気が不安定ですねえ……。」
「それ、お前が言うか?」
「えへへ。」
「降り出す前に駅に行こう。」

 傘を持っていないから降られる前に電車に乗りたい。と、2人は少しはや歩きになる。

 ……が、セオはピタリと立ち止まった。不穏な空気……なにか、自分に近しいが怪しい雰囲気の魔力を感じる。セオが止まったことに気付いたウェイバーは、どうした?と問いかけた。セオは返事をせず、辺りをきょろきょろと見回した。ここは、教室がずらっと並ぶ2つの棟の間で、石造の屋根つきの渡り廊下である。セオは空気を感じるまま、2本の渡り廊下と2つの棟に囲まれた、芝生の中庭に出た。背の低い木々にリラックススペースらしい椅子とテーブルがある。魔術協会の施設なのだから、あちらこちらから魔術の気配がするのは当たり前だし、着いた時からそれは感じているのだが、今まさに読み取ったこれは、毛色が違うものだった。

「良くない気配がする……。」
「良くない?」

 雨は降ってこないが、雷の気配がする。ごろごろと空が鳴った。ウェイバーは屋根付きの渡り廊下にいるまま、中庭できょろきょろしているセオを見ていた。

「明らかに人為的な雷です。誰かがわたしか……ウェイバーを狙っています。」
「ボク達を?」
「この感じは……多分、わたしの親戚の誰か……知らない人だと思いますが、フェレの分家です。わたしだと分かって雷を向けているのか、それともウェイバーが狙いなのか……。」

 ピシャッ!とまばゆい光と音が同時に落ちる。中庭中央付近の木に落雷。木は幹の真ん中くらいで折れて、ドスンと音を立てて倒れた。

「……やっとフェレの人間が来た……!」

 ウェイバーの立つ渡り廊下で、第三者の声がした。ウェイバーはそれに気づき、声のする方を向く。そこにいたのは、40歳手前くらいの男だった。黒い頭髪はボサボサで、顔色が悪く、目の下には濃い隈が見える。白衣を着ていて、手には薄い青色をした液体の入った試験管がある。その姿だけ見ると、サイエンティストという言葉が似合いそうだ。男は中庭に走った。狙いは真っ直ぐセオだった。

「セオ!後ろ!!」

 セオはウェイバーの声に反応して振り向いた。白衣の男が走っている。セオはその鬼気迫った顔に、自分の敵であることを察して後退した。彼女はカバンを投げ捨て、両手を前にいる男に向ける。

「"風よ"」

 セオの呼び声に反応して、風が巻き起こった。男に対して向かい風になる強風。男は一度足を止め、身を小さくした。
 ウェイバーと反対側の渡り廊下から、「プロウマン先生だ」という声がした。聞き覚えのある苗字だ。プロウマンというらしいこの男は、セオの風を自分の起こした風でかき消すと、手に持っていた試験管の蓋を開け、芝の上に投げて落とした。薄い青の液体が地面に染みている。

「誰ですか?」

 素直に問うてみる。分家のことはよく知らない。苗字はなんとなく聞いたことがあっても、本人らに会うなんてことはほとんどないのだ。

「本家様は俺たちのことなんてどうでも良いんだもんな。」

 勝手な解釈で自虐する男だった。彼はニヒルに笑っている。

「先日……敷地周辺に張り巡らせた『フェレ感知陣』に反応があって……その時は俺もコッツウォルズに行っていたから、何も出来なかったけど……今日またお前が来てくれて……。」

 プロウマンは口角を片方だけ上げて、ニヤニヤと笑っている。彼は、セオ達本家の誰かがここに来るのをずっと待っていたということか。この間というのは、魔霧事件の時だろう。その時くらいしか、ここ1年では家族の誰もここに来ていない。そして彼が言った言葉が気になる。あの時自分もコッツウォルズにいたと言うことは、あの事件の関係者でもあると言うことだ。

「……あの魔霧を起こした人の共犯者ですか?」
「ああ……上手く処理されたんで無駄骨だったが……。……まさか、刻印移植済みのお嬢様がわざわざ来てくれるとはよ……。」
「魔術刻印が狙いなんですか?」
「それがあれば俺は惨めな生活を終えることができるし、大嫌いな本家様は悲しく衰退するしかないからな。」

 なるほど、とセオは1人で納得した。とても分かりやすかった。本家が憎いし魔術刻印が欲しいからこうやって自分を襲ったのだと。ここに来たのがヴァントーズでもアベルでも彼には良かったのだろうが、セオが来たのは幸運だったようで。ただ、もちろんセオには彼が自分を恨んでくる理由など全くわからないし、分かったところで自分に謝るべきことは無いのだろうし、面倒臭いのは撃退するのが一番良い。

「お前らが時計塔と揉めなければまだマシな人生だったのに!」

 ちょっと前言撤回しておこう。それはどうもご先祖様が失礼しました、と。
 魔術協会とフェレが仲違いを始めたのは、300年前のことだと聞いている。当時、時計塔で講師をしていたご先祖様が、他の講師と仲違いをして、雷を落として研究棟の一部を半壊させたのがきっかけだったらしい。そんな事件を起こして、謝罪することなく仕事を辞めて、ずっと暮らしていた今のセオの住まいに引きこもったご先祖様。当時学生として時計塔に通っていたその人の息子は腫れ物扱い、敬遠されるようになり、その後自主退学をした。それ以来魔術協会との仲はよろしくないとのことだ。
 フェレ家の持つ風属性と電気に特化した魔術回路は、神の御技のごとく大量の人を殺すことができるし、やる気になればクロックタワーを潰すこともできる。空を黒雲で満たし、人身を雷で貫いて殺す。敵に回すと、「人為的な自然災害」で殺されることもあり得る。力のある魔術師なら、そんなことは簡単なのだろうが、なにせ「魔術協会と対立しているフェレ家」だから敬遠されているのだ。魔術協会としては、大きく対立したくないらしい……とは聞いているが。
 さて、プロウマンがその事を指しているとすると、彼はそのご先祖様よりも前に分かれた分家ということになる。もしそのご先祖様より後に枝分かれした分家なら、こうして今のフェレを恨む理由はなかったろう。未だにそんなよく分からない大昔のことを引きずるのはさぞ生きづらかっただろうに。

「300年も前のことを、よくもまあ今になって引っ張り出しますよね。」
「うるさい!俺が本家に成り代わって、もっと効率よく地位を手に入れてやる……!!」

 地面がぐぐぐっと隆起した。全体的にというよりは、スキー競技の地形に見られるコブのように、凸がいくつも盛り上がっている。セオは後退しようとするが、コブは背後にも出来上がっていて下手に動けない。ぐるっとセオの周囲に広がるコブは、ざっと見て100個ほどだろうか。ウェイバーの逃げろという叫びや、異変に気付いて集まってきた学生や職員のざわめきが耳に入ってくる。教職員が誰も止めに入ってこないのは、セオがどこの誰か知っているからというよりも、プロウマンがどこの誰でどういう人か知っているからだとセオは考える。これから始まることが、300年前にご先祖様が起こした失態と同じにならなければいいのだが。

「殺さずに生け捕りだ……お前たち、へたに傷つけすぎるなよ……。」

 隆起した地面がひび割れる。ひび割れた部分から、ツタがごちゃごちゃに絡まった人形のようなものが飛び出した。頭と四肢があるのがわかる。背丈は大体100cmほどだろうか。目は無いが、それらの目標がセオに向いていることはよくわかった。きっと先ほど地面に落とした試験管の中身なのだろう。先生、と呼ばれていたし、植物学の講師なのかもしれない。

「セオ!」

 ウェイバーが飛び出した。しかし彼にどうこう出来る簡単なレベルの敵ではなさそうだ。セオは彼に対して申し訳なく思う。尊敬している、とは言ったが、彼の力量がまだ十分に発揮されているものでもない事は分かっている。だからセオは再び風を起こし、ウェイバーがこちらに来られないように壁を作った。

「すみません!」
「このっ……!後で覚えてろよ!!」

 プロウマンよりウェイバーの方がよっぽど恐ろしい。彼に拗ねられると当分もとには戻ってくれなさそうである。
 ツタの人形がズルズルと足を引きずって、ゆっくりと迫ってくる。足の裏と這い出てきた地面はツタで繋がっている。養分……魔力を地面から吸って動いているのかもしれない。
助けに飛び出してくる人はいない。周りで見ているのは30人ほどだろうか。セオにとっては出てこない方が有り難くもある。時計塔に干渉されて、恩でも売られたらたまったものではない。

「先天的に、血筋的に炎属性の魔術が使えない事は俺たちみんな同じだからな。それに誰も俺なんかにかまおうとしない……焼き尽くされる心配はなくお前を捕まえられるわけだ……。」
「ちょっと!簡単にわたしたちの弱点を暴露しないでください!!」

 そうなのだ。セオ達は風と雷に特化しすぎているあまりなのか、何故か生まれつき炎を生み出す力がない。子供向けの教科書通りに炎を起こしてみようとしても、体の中で反作用が起こってうまくいかないのだ。これは魔術師として大きなハンデであるから、絶対に口外しないのが家の決まりなのに。
 しかしセオは間接的に炎を起こすことならできる。今まで何度もそうやって物を燃やしてきた。

「"心して見よ"」

 セオのワンカウントである。
 風の流れ、大気の動きが変わる。それは自然に、自然だが早急に。感覚としては、天気予報で雲の動きを1日分追ったタイムラプス映像のようなものだった。実際の雲も急速に動いている。セオにとっては追い風。セオを中心に雲が集まっているように見えた。
 ツタの人形がなにか感じ取ったのか、スピードを上げて迫っている。セオはたじろがない。彼女は服の袖をまくり、胸の前で両方の前腕部をくっ付けた。複雑ではない模様だが大きく目立つ黒い刺青が、前腕部から、多分二の腕までびっしりと刻まれている。魔術刻印とも違う、肌に刺された墨に詰まった魔力と、模様自体が意味を持つ刺青だ。なんて厳ついのだろう。おおよそあんな大人しく理知的な女性が意味もなしにしているものではないはず。
 プロウマンをはじめ、そこにいた人々は、セオから発せられるオドと、それに引き寄せられるように濃くなるマナに目を見開く。300年前のことを知っているらしい教職員が、まずいことになるかもしれない、と傍らの生徒に言った言葉は、セオの耳には届かなかった。

 ドカアアン!
 激しい落雷。人々は落雷の直前に衝撃を恐れてギュッと目を閉じていたが、その瞼を突き抜けるほどの激しい光だった。音も、キーンと耳鳴りがして、そのあと周りの音が聞こえなくなるくらいの轟音だ。震動と振動もかなりのもので、各々が張っていた魔術障壁が震えていた。

「くそ……そういうやり方かよ……!」

 他の人々と同じように衝撃に耐えていたプロウマンが嘆く。セオを中心に落ちた落雷によって芝生が燃え、地面はでこぼこで下層の土が見えている。ツタ人形も燃焼を始めてしまっていた。

「炎を起こせない時代はとっくに終わっているんです、西暦何年だと思っているんですか。」

 簡単に言えば雷火事、セオはこうしていつも色んなものを燃やしていた。そんなセオは頬やら服やら腕やら、ところどころに煤がくっついていて、本人も雷で焼け焦げたように見える。雷の中心地になっても問題なく生きているのは、腕の刺青がセオの身体にアースの作用をもたらす術式になっているからなのである。とても便利で、だからセオは自分の体の負担を考えずに、基本的にはいつでもどこでも発電をすることができている。

「すみません、どなたか消火をお願いできますか!?」

 セオは野次馬に投げかけた。轟雷のせいで人が増えている。セオの呼びかけで、水を操るのが得意らしい生徒や教職員が数名出てきて、それぞれのやり方で芝生の炎を消してくれた。
 プロウマンは呆然と立ち尽くしている。燃え尽きようとしているツタ人形に対して何もできず、炎が上がる様子を見つめているだけだ。……渾身の策だったのだろう、自信があったのだろう。こんなにあっけなく終わると思っていなかったのだろう。大嫌いなフェレに対して、調べが甘かったのだろう。自分を襲った相手にも関わらず、セオには同情に近い気持ちが生まれていた。一生懸命やったのに、成功しなかった時の悲しさはよく分かる、それ程度の同情ならできる。誰かへの恨みからくる行動と言うのはまだ理解できないが。

「カドル!」

 彼女は追い討ちをかける。手を叩いて電気を散らし、プロウマンを狙う。知らない顔と言えども、血縁者ならばちゃんと相手をしなければ。プロウマンは電撃を手でかき消した。まあ対策はしてるだろうな、と、セオは1人納得する。

「トルネーロ!」

 他の魔術は使わず、雷でカタをつけたい。こちらの正攻法で倒してやりたいのは、身内に対するひとつのけじめのつもりだ。鞭で打つように、フェンシングの突きのように電撃を放ち続ける。プロウマンは電気耐性を強めた手で攻撃を払い避けながら後退している。

「諦めなさいっ、わたしにっ、敵うとっ、思ってるんっ、ですかっ!」
「こんなっ、はずじゃ……!」

 プロウマンはひどく歪んだ表情でセオをに 睨んでいる。こんな小娘に、教師たる自分が負けるなど……と、心から予想外に思っているのだろう。

「こんなことでは、わたしのご先祖様と同じですね。」
「なんだと……!!」
「無闇に他人を攻撃して……いえ、わたしのご先祖様にはちゃんとした理由があったのかもしれませんが……、土地を傷つけて……。」

 いや、地面をでこぼこにしたのはお前だろ、とウェイバーが心の中で思っていたのは誰も知らない。

「あんな奴と……一緒にするな……あいつのせいで……俺はこの時計塔で異常者扱いだ……。」

 ならばこんなところで働かなければ良いのでは、とセオは口にしたかったが、彼なりにここに居なければならない理由があるはず。その辺はセオには関係ない話だ、特に訊く必要はない。

「くそっ……!」

 プロウマンは蹴つまずいて尻餅をついた。セオはすかさず彼の首をつかみ、ぎゅうと握った。

「お、おい、セオ!」
「大丈夫です、さすがに命までは。……今後一切わたしたちに関わらないでください。強制証明でも書かせましょうか。もしまたこんな事があったら……今度は、本気で、直接、痛めつけます。働けない身体にするか、生活すら困難な身体にするか、それはこれからの貴方の行動次第です。……『貴方はわたしを知りません』今までもこれからも。いいですね?」

 首を掴む手のひらに力を込める。プロウマンは、けほっ、と、声のない咳き込みをした。セオは彼が抵抗しないことを確認して、彼の身体を地面に叩きつけるようにして手を離した。
 あとは全部魔術協会に任せよう。もう関わらなくていい。セオは投げた荷物を拾い上げて、そそくさとウェイバーの元に……は戻らず、彼を無視してその場を離れた。追いかけてくる人はウェイバー以外に居ない。しかし敷地内ならどこに居ても誰かに察知されるはず。早くここを出なければ。

「まっ……ちょっと待って、セオー!」

 当たり前だがウェイバーが追いかけてくる。セオは心苦しく思いながらも振り返らず、時計塔の門をくぐってからやっと足を止めた。息をまともにしない状態でのはや歩きは肺にくる。すーはーと深く深呼吸をした。ウェイバーも息を切らせている。

「す、すみません……見苦しいところ。」
「や……お前がそれでいいなら……良いんだけど……。親戚…… だよな?置いてきていいのか?」
「ええ、問題ないことにします!」
「ことにするって!」
「面倒ですもん!面倒だから……あれはもう、わたしのことを覚えていません。洗脳しました、わたしたち家族に対する怒りを消し去るように。」
「……そりゃあまた……けったいなことを……。」

 あの男がまた我々を追いかけてこないよう、対策をしなければならなかった。何かのきっかけで記憶が戻るかも知れないとしても、当分はこれで安全なはず。

「ウェイバーのことを無視して出てきてすみません……。あんまり一緒にいるところを見られると、周りの人に良く思われないかもって……。」
「ぼ、ボクのことはいいんだ。いや、ちょっと悲しかったけど……それより!身体中火傷だらけじゃないのか!?そんなに焦げて!」

 ウェイバーはセオを花壇の植え込みのレンガ柵に座らせる。頬に付着しているススに触れると、黒いものが彼の指に移った。

「平気です、わたしに電気は効きません。」
「……はぁーっ。」
「心配してもらえるって嬉しいですね。」
「何言ってんだ!ボクの心臓が持たないだろ!」
「ふふ。」

 セオは満足そうに微笑む。ウェイバーはその笑顔を向けられると、今以上に強くは言えなかった。セオはウェイバーに心配されて素直に嬉しかった。大事に思って貰えているのがよく伝わる。ウェイバーを困らせて悪いと思っても、セオは今ただウェイバーを見て癒されたかった。





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