Fate | ナノ



liebhaber / 03


 セオはウェイバーに連れられて、彼の研究室へやってきた。研究室はセオが通っていた大学の教授の研究室とあまり変わらない様子だ。壁面にはめ込まれた本棚には古びたものから新しいものまで様々な本がびっしりと詰められており、机の上にはレポートらしい紙の束が大量に積まれている。使いかけの筆記用具が適当に散らばっていたり、何かの通達のような書類が乱雑に置かれていたりする風景からは、この部屋にウェイバーが居ついてから結構な日数が経ったことがうかがえる。

「ごめん、散らかってて。」

 唯一なにも散らかっていない応接セットのソファにセオは深く座る。フカフカだがひび割れの多い革張りのソファは、これも大分使い古された感じがする。先代が使ったものをそのまま置いているのだろう。
 ウェイバーは自分のデスクについて、机上のプリントを慌てて整え始めた。今から少しでも片付けようとしているらしいが、もう遅いのではと思う。ただ、机の上を片付ける彼を見ていると、ああ、本当に教授なんだなぁ、と、ひしひしと感じた。

「……亡くなったロード・エルエメロイの後に……ですか。」

 この部屋の物の中には、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトと、現代魔術論教授前任者の持ち物だったものも多いのだろう。

「教授業って大変だよ、権力争いとか、教授間の諍いとか。」
「それって教授の仕事にカウントされるんですか。」
「まあね。……セオのお父上が協会から距離を置いているのは賢明だと思った。」

 ウェイバーは研究室奥の私室から、品のいいティーセットを持ち出した。応接テーブルにそのセットを置き、そそくさともてなしの準備をする。ここに着いてから湯の準備ができるのが早いのは、水を沸騰させる技を使ってお湯を用意したのではなく、単に、保温中の電気ケトルからお湯を引っ張り出しただけなのだと思う。

「ありがとうございます。」

 慣れた手つきで用意された紅茶をいただき、セオは軽く会釈する。ミルクと砂糖を入れて、純銀製のティースプーンでかき混ぜる。持ち手の銀色が少しくすんだスプーンだ。

「……はぁ。」
「なんですか、人の顔を見てため息など。」
「本物のセオがいる……。」

 向かいのソファに座って背中を丸めるウェイバー。彼は頬杖をついて、目の前にいるセオをじっと見ていた。目を合わせてくれなかった廊下の時とは、えらい違いだ。

「ずっとそういう風に思っていてくださったのかと思うと、とても照れます。」
「ボクも目の前にセオがいるから照れてる。」

 セオは恥ずかしくて目をそらす。小さな窓の外に太陽が見えた。授業が始まるころなのか、外は賑やかだった。
 ウェイバーは本当にセオが好きだ。本人には疑われていても、その気持ちは本当だ。確かに初対面の時は鬱陶しかったし、やり辛くもあった。彼の心境に変化があったのは、聖杯戦争が終結してからの2週間だった。魔術師として未熟なだけではなく、人間としても高慢で自分勝手で、あの頃の自分はなんて子どもだったのだろうと、いつ思い出しても体中かゆくなる。なのにセオは一貫して『貴方を尊敬している』と言うばかり。行動力・向上心、どれをとってもわたしは貴方がうらやましい、というセオに、むしろウェイバーの方が惹かれていた。最初はただ、自分を認めてくれる人がいて嬉しかっただけだと思う。だからセオの言う通り、自分を認めてくれる人なら誰でも良かったのかもしれない。それでもウェイバーの目の前に現れたのはセオであって他の誰でもない。むしろセオこそ、彼女にとって尊敬できる人はこの世に五万といるだろう。こんな未熟者より、世の中には優れた人ばかりなのだから。
 ウェイバーはこれでも浮かれている。本当は、もっと自分に自信がついてからセオの家を訪ねる算段だった。彼女の父親が、自分をただの成り上がり魔術師ではないと思ってくれるだろう時まで。それに……一生忘れられない『主』のこともあったし。


「ウェイバー、授業は?」
「今日の午前中は入ってないんだ。一度引退した講師たちに、再雇用で授業をいくつか持ってもらっているから暇は少なく無いよ。」
「世渡り上手ですね。」
「ラッキーだったんだって、本当に。」
「ふふ。」

 微笑むセオは大人びていた。もともと大人だったが、もっと落ち着いた。よくよく考えれば彼女は29歳。ウェイバーよりもずっと成熟した大人だ。本人は気にしている風でないし素直に言ってしまえば、まだ結婚していなくて本当に良かった。もしかして自分を待っていてくれたのかも?なんていう淡い期待をウェイバーは抱いたが、さっきの様子だとそれはなさそうだ。

「そういえば、今日はどうして時計塔に?」

 この5年間、セオは一度も時計塔を訪れていなかった。それがどうして今日はここに来たのか。ウェイバーは気になっていたことを問う。すると途端にセオの表情が曇った。良い理由ではないのだろう、ウェイバーは質問をしたことを後悔する。

「端的に言えば、人質です。」

 セオは自棄気味に笑う。

「人質?なんでそんな、物騒な。」

 剣呑な様子も見せず、特に監視されていることもなく自由に歩き回っている彼女に、いったいなぜ。ウェイバーは頭の上にハテナをたくさん浮かべた。

「昨晩、わたしの村で魔霧騒ぎが起きたんです。……死者は3人出ました。それで今魔術協会の調査が入っていて……。通報したわたしの父がもし犯人で、調査団を殲滅させる狙いがあった時、わたしがこっちに居れば父は何もできませんから。」
「ヴァントーズ氏がそんなことを考えているって?」
「まさかですよね?まあ、これはわたしの適当な想像ですけれど……。わたしにもっと有用な使い方があるのかもしれません。」

 セオはへへへと笑う。

「一昨日の夜に使い魔が退治されてなければ……その様子、ボクも見られたのに。」
「まーた物騒なことを言う……。使い魔探しと使い魔潰しは、わたしの弟の大事な仕事なんですから。……そうだ、その弟……アベル・フェレって言うんですけれど……もう調べてご存知ですかね!あの子来年の9月から時計塔に入学するんです。」
「そんな歳なのか。そうか……。」
「ウェイバーも知ってのとおり、フェレ家は時計塔と仲良しではありませんから、アベルは自分を受け入れてくれる教授がいるかどうか、とても心配しています。」
「……。」

 ウェイバーはセオの言いたいことを大体察した。アベルが時計塔に来たときには、よくよく面倒を見てやってほしい、ということであろう。

「アベル自身が何を学びたいかは知りません。ただ、彼が困っているときには、ぜひ手を貸してやってほしいんです。」
「……ボクに出来ることなら。」
「ウェイバーも忙しいことは重々承知ですから、もしできれば……ということで。将来あれはウェイバーの弟にもなるでしょうし。」

 話が飛躍した。ウェイバーは再度赤面する。アベルがウェイバーの弟になるということは、つまり、「そういうこと」なのだろう。長いこと恋焦がれていた相手の方から「そういうこと」に触れられたのは嬉しいことだ。しかしなんせ恋愛経験のない男である。ウェイバーは顔を赤くしたまま黙って俯いてしまった。ここで勿論とでも言えれば格好良かったのだが。

「嫌でしたか?」

 それが面白くて、セオは意地悪く問うた。ウェイバーはバツが悪そうに口をヘの字にしてセオを睨んだ。

「そうだなっ、いつかそうなるなっ!セオからそんなこと言われると思ってなかった!」
「そんなことも考えずに付き合おうなどと言ったんです?」

 これは単にセオの意地悪な問いである。彼女がマジになって「将来のことも考えず付き合てくれとのたまったのか」と言ったわけではない。

「そんなわけないだろ!で、でも、け、結婚を前提に……なんて言ったら引くだろ、普通……。」
「わたしは嬉しいですよ。」
「ギュウ……。」

 大好きなセオが結婚を申し込まれたら嬉しいと言っているのだ、ウェイバーが轟沈しないわけもない。彼はソファの肘掛に目を当てて自分の顔がにやけるのを両腕で隠している。セオにはそれも面白くて可愛くて、声を出さずに笑った。




 しばらく2人でこの5年間のことをあれこれ話していると、ふいに研究室の扉をゴンゴンと叩く音がした。ウェイバーはびっくりしてソファから5cmは浮き上がった。

「セオ・フェレ様。」

 ウェイバーの返事を待って扉を開けたのは、昨晩からよく見ている調査団の制服を着た女性だった。やはり、セオがこの土地のどこにいるのかは、彼女たちには手に取るように分かるのであろう。

「魔霧に事件が解決したようです。ご自宅まで送りますので、ご用意ください。」

 とても丁寧な業務的報告だった。

「そうですか!それは良かった、調査が速くて重畳です。準備出来次第朝の場所まで戻ります。」
「かしこまりました。」

 女性はそれだけ言って、扉を閉めて去っていった。

「だそうです!」

 セオは笑顔でウェイバーに言う。良かった、何日ここに拘束されることになるだろうかとやきもきしたものだ。しかしウェイバーの方は、セオが帰ると分かってションボリしている。

「そんなにしょんぼりしないでください。今度はウェイバーに会いに来ますから。」
「……そんなに分かりやすかった?」
「ええ、とても。」

 太ももの間に両手を挟んで背中を丸めているウェイバー。急に彼が子供っぽくなっていて、それがなんとも懐かしくてセオは微笑む。彼女は空になったティーカップの中を覗き、自分も名残惜しく思いながら立ち上がった。

「あとで鳩を飛ばしますね。」

 自分より低いところにあるウェイバーの頭をなでる。女性もうらやむサラサラのさわり心地だった。

「こっ……子ども扱いするなって……。」
「してませんよ。ウェイバー、お見送りに来てくださらないんですか?」
「行くよっ!」

 ウェイバーはスッと立ち上がると、さっさと研究室を出て行ってしまった。方向わかるんですか?とセオがその背中に問いかけると、素直に、分からない!!と返事が返ってきた。



 朝車から降ろされた場所、時計塔敷地の隅、である。
 バンには朝一緒に来た面々、マイナス羊飼いの3人が揃っていて、あとはセオの到着を待っているだけのようった。

「遅れました。」

 集合時間が決まっていたわけではないので、特に遅れたわけではないのだが。一応そう述べておく。
 調査団の面々は、ウェイバーが付いてきていることに少し驚いているようだった。それもそうだろう。ちょっと異色とはいえ、12人のロードのうちの1人が来ているのだから。ウェイバーを見つけてから、調査団の姿勢が何となくよくなった気がする。

「それではウェイバー。また……ええと、今度。今度は音信不通にならないでくださいね。」
「なるか!馬鹿!……じゃなくて……ボ……いや、私も連絡する。」

 時計塔の職員がいる手前、ちゃんと取り繕わなければいけない部分もあるらしい。今ので素が漏れてしまった可能性は否定できないが、ウェイバーがこれでいいのならいいのだろう。

「わたしもウェイバーのこと好きになれると思います。」
「なってもらわなきゃ困るんだ。」
「えへへ。」

 それだけ言葉を交わして、セオはバンに乗る。ウェイバーに再会できたことも、彼が向けてくれた気持ちも、全部温かくて胸の中が熱い。しかし自分の村のことも忘れてはいけない。セオは一度目を閉じてじっくりヴァントーズの顔を思い浮かべてから、遠ざかって行く時計塔を見つめた。



 さて、戻ってきたのは故郷の村、である。
 1日のうち6時間近くも車に乗りっぱなしだったセオはぐったりしていた。村に戻ってきたのは、7時近くで、ここはまるでなにもなかったかのような風景だった。家の明かりはいつも通り、家々から香ってくる夕飯の気配もいつも通りだ。

「ただいま帰りました。」
「……セオ!」
「お姉様ー!!」

 玄関をくぐると、直ぐにエリシャとアベルが駆け寄ってきた。2人はしきりに何もなかったか、嫌なことはされなかったか、と、小声で問いただしてくる。セオは、玄関から見えるリビングのソファに調査団長が居るのを横目で確認してから、何もありませんでしたよと答えた。
 団長はヴァントーズと何やら話し込んでいたようだが、セオが帰ってくるのを見ると、じゃあこれで、と、素っ気なく言った。ヴァントーズも特段引き止めて話をする相手ではないようで、分かった、としか返していない。彼はセオには何も言わず出て行った。せめて苦労をかけたくらいは言って欲しかったのだが。

「向こうでは何を?」
「調書を書かされました。こちらに記入セットを持ってこなかったそうで。」
「……また適当な嘘を。」

 家族4人でテーブルを囲む。セオとヴァントーズはグッタリだったし、エリシャもアベルも気疲れがひどくて姿勢を正していられなかった。

「……結局、魔霧は隣の村から発生させられたものだったんだ。西にあるあの……。それで、こっちが一晩風下になるのを確認して、風に魔術を練りこんで霧を送り込んだらしい。だからあの牧場が一番に被害にあったんだ。」
「犯人はどんな人だったんですか?」
「ただの、取るに足らない遠い血族さ。男で……40くらいだな、僕も知らない奴だった。全て持っている癖に俗に落ちてた僕が憎いって。で、実験ついでに嫌がらせしたらしい。」
「迷惑ですね。」

 顔を知らない親戚も遠い血筋もたくさんいる。向こうから接触してくることは、お金のことだったり刻印のことだったりと時々あるのだが、セオが知っている限りでは恨みで来られるのは初めてだ。どこのどんな奴が、どうしてやったのだろう。今まで何も絡んでくることがなかったのに今やったというのは気になる。単に実験したいものが完成したからなのか、それとも今恨みをぶつけたい何かがあったのか。

「……結局、あの家族は『なかったこと』にされて、村は元どおりだ。ひとつ変わったことがあるとすれば、羊たちが野に帰されて村の周りが賑やかなことくらいだ。次の休みには家系図を引っ張り出してあれがどこの誰か調べておこう。協会も調べるはずだが、その情報がこっちにくるとは思えないしな。」
「手伝います。」
「ありがとう。ま、また今度な。今日は疲れた、僕は先に寝る。」

 ヴァントーズはソファの背もたれに後頭部を乗せると、ものの1分でいびきをかきはじめた。相当の疲労だったようだ。エリシャが夕飯を勧めてくれたが、セオは若干車酔い気味だったため、申し訳ないけどと断る。自分も疲れた。明日も休みだから夜更かしをしたかったが、今日はさっさと寝てしまおう。






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