Fate | ナノ



liebhaber / 02


 3時間後。
 魔術協会から調査団がやってきた。皆お揃いの制服を着てしっかりとローブのフードをかぶっている。団長らしい男だけは、フードをかぶっておらず、そのいぶし銀のようなたくましい顔を見せていた。
 さっそく調査団は村中を見て回り、空に浮いていた魔霧の成分を解析し、犯人の行方を捜している。

「君たちが言う通り、犯人の手がかりがこの村には無い。そして君たちが犯人ということでもないことが分かった。もっと遠くから風を起こして……もしくは自然の風向きを利用してここに魔霧を送り込んだのかもしれないな。事件の起きた時間の風向きを調べて……調査範囲は拡大するだろう。1,2日では解決しないかもしれない。」

 自分たちが犯人かと疑われたことはセオにとって「なにを言ってるんだこのやろう」とでも言いたくなるような謂れのないことだったが、この村に魔術師はフェレ家の4人だけだ、無理もない。
 1,2日では解決しない、と言われ、ヴァントーズは肩を落とした。つまり彼は、2日以上は満足に睡眠を取れないということだ。村人を眠らせているのはヴァントーズの術式なので、それを切らせるわけにはいかない。深く眠れば術式は解けてしまうだろうから。そこで、調査団が村人の眠りを肩代わりしよう、と、この団長が言い出さないのは、大方フェレ家への嫌がらせなのだろうと思う。

「セオ、あとで『魔剤』を頼む。」
「……はい。」

 ここで言う魔剤、とは、所謂エナジードリンクの俗称である。

 結局、死徒……厳密に言うと死徒ではなく、脳の思考を司る部分を魔霧の成分を吸うことで萎縮させ、自分でものを考えることができなくしてしまった、簡単に言うと自分で歩ける人形……にされたあの家族3人は、元の人間には戻れないらしい。萎縮した脳は戻そうとすれば破裂する可能性が高く、もし元に戻せてもたくさんの障害が残ってしまうそうで、調査団の考えとしてはこのまま葬るのが1番であるとのことだ。
 他の村人も少なからずこの魔霧を吸ったはずだが、まだ、脳が刺激されるほどの量ではなかったようだ。村の外れで当時風上である牧場に暮らしていた3人の家族は魔霧を吸った時間が相当長かったらしい。ということは、魔霧が村に到着するまでには、わりと時間がかかったのではなかろうか。

「……気の毒ですね。」

 それはセオの素直な感想だった。

「ああ……まさか、この村で魔術による死者を出すことになるとは。……あの世でご先祖様に顔向けができない。」
「わたしもです。」

 初代からずっとこの土地に住んでいたフェレ家。今までにこの村でこんな事件は起こったことがない。それはフェレ家がこの土地の平和を保ってきたからでもある。名家が幅を利かせているこの村には、他の魔術師は寄り付かなかった。魔術協会的には、この村の領土は全てフェレ家のものと認定してくれているから。だからこそヴァントーズは頭を抱える。この土地にちょっかいを出してくる愚か者が生まれてしまったのか、と。それほど我々は舐められてしまっているのかと。
 「自分で歩ける人形」になってしまった家族3人は、時計塔に連れて行き検査にかけられることになった。まだ息のある彼らは、調査団が乗ってきた現代的なバンに、死体袋に入れて乗せられた。まだ生きているのにとセオは顔を歪めるが、それを口に出すことは得策ではないと分かっているので口は閉じたままにしておく。
 セオはそのバンで一緒に時計塔に行くことになってしまった。状況説明のために、との説明を受けたが、どうも人質に取られたような気がして仕方ない。






 そしてすぐさまやってきたのは夜明けのロンドン、時計塔、である。まだ学生たちの活動が始まる時間前なので、敷地内はとても静かだった。朝もやに包まれる時計塔の建造物たちは美しかった。父親についてきて何度か足を踏み入れたことはあるが、1人で入るのは初めてだ。セオは緊張のままに一本の塔に連れてこられる。とても重々しい空気の塔だ。入り口の扉を開けてるすぐ目の前に扉。開けると地下につながる階段。上に行く出入り口とは別の入り口から入ったようだ。
 螺旋階段を降りてまっすぐの廊下に出る。両側に並ぶ扉たちには検死室と書いてあった。セオは1番手前にある、一箇所だけ控え室と書かれた扉の中に促される。その中で顛末書を書かされた。全てインクを使った手書きである。当人が魔力を込めて書いた文字が1番顛末書として「効果」があるらしい。なぜ村で書かせてくれなかったのだろうという呟きを漏らすと、向こうに持って行くのを忘れたからだと返された。まさか調査団がそんな失態をするはずがない。セオはやはり、ヴァントーズに対するていのいい人質なのだろう。
 なぜ人質が必要なのか。セオの足りない頭で考えた結果、調査団が村でなにかを「手違いで」しでかしてしまっても、ヴァントーズがそれを時計塔に漏らさないようにするため……なんてことでまとまった。団長とヴァントーズは元々面識があったように見えた。久しぶり、なんて言葉は交わし合っていなかったが、お互いを見る目には因縁がこもっていた。

 顛末書を書き終えたから帰りましょう、とセオが言った。車の用意ができるのは夕方になるから、それまで時計塔内部でお待ちください、と返事をされた。では電車に乗って帰りますのでお構いなく、とセオが返した。身を預かっている立場ですから、ちゃんと村までお送りしなければいけません、と返事をされた。貴女がどこにいらっしゃるかは分かるようになっておりますので、どうぞご自由に、と、釈放と見せかけた監視宣言をされた。
 やっぱり人質だった。

 やることが無いとはいえ好き勝手やっては立場を悪くする。なら図書館で本でも読んでいよう。セオはそう決めて、時計塔内の図書館へ向かった。幼少期、ヴァントーズが時計塔に行く用事に付いて行った時は、よく図書館で本を読んでいたものだ。家にもご先祖様たちが集めた本が大量に、分類しきれていないくらいあるが、ここの図書館はそれどころの話では無い。広く高い空間に所狭しと並べられた本棚に、本同士が狭いと言い合う声が聞こえそうなくらいギュウギュウに詰められた本たち。勉強机はいつも生徒たちや教授で埋まっている。

「…………、…………あ…………。」

 そんな図書館を思い出しながら、廊下を歩いていた時だった。

「…………あ!」

 反対側から歩いて来る人を見て、セオは息を飲み、口をあんぐりと開けた。相手も同じ顔をしていたと思う。相手は声を上げると、踵を返して一目散に駆けて行ってしまった。

「まっ……ちょっと!待ってください!!ウェイバー!!!」

 相対したのは、5年ぶりに顔を見た男の子……男の人。
 他でも無い、ウェイバー・ベルベットだった。

「わーっ!!」
「なんで逃げるんですか!!」

 イギリスに帰って来たら連絡をして貰う約束だったので、ここで直接会えたのはむしろ幸運だったというのに、あろうことかウェイバーはセオを見るなり逃げ出したのである。なにかまずいことをした覚えはないセオは、悲しく思いながら追いかけるばかりだ。

「"風よ"」

 セオの人差し指がウェイバーを向く。するとセオの指先からウェイバーの足元までを、スルッと風が吹き抜けた。風はウェイバーの脛を攫い、彼の体勢を崩して前のめりにさせる。風がクッションとなってふわりと落とされ、ウェイバーは床との抱擁を避けられたが、ジタバタしても上からの押さえつけるような風圧で身動きが取れない。

「なんで逃げるんですか!!ウェイバー!お会いできて嬉しいです!おかえりなさい!!」

 セオは知らない、ウェイバーが昨日今日イギリスに帰って来ていたわけではないのだと。

「セオっ……!」
「ウェイバー!」
「お、降ろしてくれるか……。」
「逃げませんね?」
「逃げません……。」

 ウェイバーは諦めましたというように四肢の力を抜いた。セオは風を止め、ウェイバーをそっと床に降ろした。ウェイバーは宣言した通り逃げず、その場にジャパニーズセイザをしている。

「おかえりなさいっ!」
「た、ただいま……。」

 彼はセオと目を合わせない。セオはウェイバーの正面に彼と同じように正座をし、ニコニコと笑っている。

「やっと会えました!5年経ってずいぶん成長したのですね、前よりずっと大人びていて、頼りになる雰囲気があふれています。背がずいぶん伸びましたね!伸ばされた髪にも年月を感じます。その黒いベストも赤いネクタイも似合っています!」
「無条件にボクのこと褒める癖、治ってないんだな。」
「ええ!治す必要がありませんからね!いつ戻っていたんですか?ずっと日本にいらっしゃったんです?まだ学生さんですか?」

 ずいずいと来るセオに対して、ウェイバーはムニャムニャと口をもたつかせている。目はセオを避けて右往左往している。

「じ、実は何年も前に帰って来てて……今は……エルメロイ教室を、継いでるんだ……ロード・エルメロイII世として……。」
「は……………………?」

 さすがのセオも絶句していた。彼女はハの口のまま固まり、目の前にいる青年を穴が空くほど見ていた。ウェイバーは変わらずセオと目を合わせようとしなかった。

「え………………。」
「そ、そのままの意味だよ……。現代魔術科の…………。」
「どうして教えて下さらなかったんですか!!!イギリスに戻ったら、連絡するって、約束、したじゃないですか!!連絡するから、忘れないでって、仰ったのは、ウェイバー!!!貴方ですよ!!!?どうして、黙って、しかも、いつの間にか、ロードに、なってるんです!!!」

 セオは言葉の切れ目ごとにウェイバーの膝を叩いていた。

「いや……その……。」
「ひどいです!!」

 セオは真面目だったが、ウェイバーは困惑していた。もっと色々罵倒される気でいたのだ。まだ20代前半でロードになるなど、しかも、血も家もないぽっと出の魔術師が。魔術回路が貧弱で、人並みで、まともな魔術刻印もないただの魔術師の男が。ウェイバーは、自分がその名に相応しくない理由をたくさん持っていたし、それを自覚していた。時計塔に通っていなかったとはいえ名家の出であるセオにも、ウェイバーがロードに相応しくない理由はたくさん思い当たったろう。だというのに彼女は、ロードになったことがどうとかよりも、連絡をよこさなかったことの方に怒りを覚えているようなのだ。ウェイバーにはまずそこが吃驚だった。
 それに、いくらセオであれ、時計塔にこんなロードがいることくらい知っていたと思ったのに。

「なのに、その間に、いつの間にかロードだなんて……!凄すぎますよウェイバー!!わたしは貴方を尊敬していますし、いつか大成するとは思ってましたけど、まさかそんな、こんな早くにですかっ!!どこの誰が貴方をロードに指名したのです!?ああっ、会ってお礼を言いたい!」
「そんなに感動するほどのことじゃない。それは……。」

 いつか大成すると思っていた。5年前の彼なら、その言葉にはきっと「するに決まってるだろ!」と返したはずだ。しかし今のウェイバーは違った。
 彼は語った……大陸を見て回って帰って来た後、三級講師として時計塔でものを教えたこと。ライネス・エルメロイ・アーチゾルデというケイネス・アーチボルト教授の血族に沢山の負債を負わされ、ロードになったことなど。聞いている最中のセオは、感動やら感激やらでほとんど涙目だった。

「……そういうわけでボクはロードの名を受け継いだけど、それはボクの実力じゃない。たまたまツキが回って来ただけなんだ。だから褒められるようなことじゃない。」
「ツキが回って来るためには、そのツキに相応しい状態になっていなければならないんです。ロードの名を冠することができたウェイバーには、それ相応の、ラッキーが来るための前提が揃っていたんです。貴方が講師になっていなければ、教室を運営して継続させていなければ、この話は無かったでしょう。それはウェイバー、貴方の努力です。運などと言ってられません。」

 説教じみたセオの御言葉がウェイバーには懐かしい。彼はシュンと小さくなって反論できないでいた。セオの言っていることが正しいかどうかではない。本当に何もかもタイミングが良かっただけなんだとは、今の頑な彼女には何も言えないでいるのだ。

「大体、いくら勉強や研究で忙しかったとはいえ、わたしを訪ねる暇もなかったのですか!?それが最も重要です!」
「た、たしかに暇は無いわけじゃなかった……本当に毎日忙しかったけど……コッツウォルズに行くことはいつも考えていた、でも……。」
「でも?」

 ウェイバーは赤面している。相変わらずセオのことは見ていない。

「……ボクはまだ、全く、君に相応しい人間じゃないから……研鑽を積んで、もっと……君に相応しい人間に……隣に立っていて良いような男になってから、迎えに行きたかったんだ。」

 セオはウェイバーの赤面の理由が分かってしまった気がする。それは、紛れもなく愛の告白の類だった。と、思う。

「ま……。」

 待ってください、と言おうとして、セオは息を飲んだ。ウェイバーと目があった、彼は本気だった……ように見えた。セオにとって都合のいい解釈かもしれない。しかし彼は本当に本気だったと思う。

「フェレ家は由緒正しい歴史ある家系だ。新参者のボクがヒョイと行って君をもらうことなど不可能だろう。まして君はすでに魔術刻印を受け継いでいる跡継ぎだ。ボクはもっと魔術師として認められるようにならなければ。」
「……それは……どういう意味で……。」
「……もうっ!!」

 セオは世界一無粋な質問のうちの1つをしてしまったことを自覚した。ウェイバーは首まで赤くなっている。

「解ってるクセになんでボクに言わせようとするんだ!そういうのは性格悪いと思うぞ!」
「だ、だ、だってそんな、突拍子もない……!大体、ウェイバーって、その、わたしのこと、す、す、す……すき…………だったんですか……。」

 こっちまで茹デビルフィッシュになってしまいそうだった。
 もし仮にウェイバーがセオのことを好いているとしてだ。いつ、どの時点で、何があって、そう思うようになってくれたのか、セオにはさっぱり見当がつかない。ウェイバーは強引にくっついてきたセオが鬱陶しかったはずだし、才ある彼女をあまりよく思ってなかったはずだ。

「でも、わたしたちはお互いのことを深くは知らないはずです。」
「君がイギリスに帰ってから、もっと引き止めておけばよかったと後悔した。もっとセオのことを知っておけばよかったと。……知っても今と同じ気持ちだったろうし、そうでない今も、そう、だ。」
「つまりわたしが好きであると。」
「……ハイ。」
「わたしはウェイバーに好かれるような長所のある人間ではありません。」
「ボクは一緒にいてくれた1ヶ月で君を好きになった。ボクは君を知っている、それだけで十分だ。」
「誰か他の女性と1ヶ月一緒にいても、そう思われたのではありませんか?」

 セオは冷静になっていた。ウェイバーの気持ちを否定したいわけではないのだが、あまりにも突拍子のない告白に、疑わざるを得ないことが多いのである。

「もしかしたらそうだったかもしれない、でも今のボクはセオが好きだ。だから……ボクとお付き合いしてください……。」

 ウェイバーは右手を出して、セオに握手を求めた。セオは再び赤面する。納得する答えは貰えていない。しかしセオだってウェイバーを尊敬の意味では好いている。5年間帰って来るのを待ち望んでいたぐらいだ。ただしセオ自身の気持ちはウェイバーと同じ好きではない、しかしそれは拒否する理由にはならいような気がしたし、拒否する気持ちにもならなかった。

「…………分かりました……。」

 なのでセオは差し出された手を取った。その手は熱があるんじゃないかと思うくらい熱かった。

「ほ……ほんとに…………。」

 顔を上げたウェイバーは泣いていた。でろでろと涙を流していて、なんだか情けなくて、これが時計塔のロードの1人とは思えないレベルだった。

「ただし、わたしのウェイバーを好きだと思う気持ちは貴方と同じベクトルでは無いと覚えておいてください。それに、改めて一緒にいることで、貴方はわたしをそんなに好きじゃ無かったと思うかもしれません。」
「そんなことないっ!ボクはセオが好きだっ!!」

 廊下に人がいなかったことを心から良かったと思う。とはいえここは魔術の学校だ、どこで誰がどうやって聴いているかは分からない、結局は安心できない、恥ずかしい。

「で、では……大丈夫……大丈夫?ですね……?」
「ああ!!」

 ウェイバーは立ち上がってセオの腕を引っ張った。セオはつられて立ち上がる。握手している手がウェイバーの両手で包まれた。とても熱い、汗でちょっとしっとりしている。それをいやだとは思わなかった。

「良かったですね、わたしがまだ未婚で。お見合いとか結婚の話とか、これでもたくさん頂いてたんですよ。なんせ名家の娘ですからね。」
「それは大丈夫、ちゃんと見張って、」

 なにか不吉なことを言いかけて、ウェイバーは自分の口を押えた。なんともわざとらしい態度だが、これか彼のデフォルトだった。セオはそんなウェイバーを睨む。

「見張って……?」
「あ……えっと……時々使い魔を送ってました……。ごめんなさい。」

 セオの目が笑っていなかったので、ウェイバーは本気で謝った。
 家や村にやってくる使い魔の退治はアベルの仕事になっている。彼の退治した中に、ウェイバーのやったものも混ざっていたということか。

「一方的に見ていたのに、こちらにはまったく音沙汰なしとはどういうことですか!」
「ごめんなさいってば!」
「わたしだって早くウェイバーに会いたかったのに!!」
「……嬉しいです、はい。」

 実はこの人危ないんじゃないか、そんな考えがセオの頭に浮かんで消えた、若干犬っぽさの残る笑顔には怒りを向けられなかった。





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