番外小ネタ | ナノ




 寝ることは、嫌いだ。
 寝てしまうと、目を閉じた途端に闇の中へ放り出されてしまう。
 暗闇の中に取り残されて、四方八方から私を攻撃してくる声に、私は踞って耳を塞ぐ。
 だけど、私を蔑むその声は、私の手をすり抜けて私を責め続けるんだ。


『また、平城さんのお宅にいる娘さん、喧嘩をしたそうよ』
『相手は意識がない状態らしいわ』
『何で捕まらないのかしら……』
『怖いわねぇ』

『お前……なんなんだよ!! 寄るな!! ちかよるなぁあああ!!』
『すんません!! ちょーしこきました! だから、命だけは!!』

『何でアイツ生きてんの?』
『自殺を繰り返してるって噂なのに』


『アイツに生きてる価値なんてないのに』


 私だって、分からないよ。
 何で、私は生きているんだろう。
 生まれたことすら間違ってて、生きていることを否定される。
 私自身だって、自分を否定する。
 私は、誰にも許されやしない。これからも、ずっと。

 こんなに必要とされないのに。
 何で、私は生きてるんだろう。







 ポチャン。
 暗闇に、滴が水面に落ちた音がした。その波紋が暗闇を揺らし始める。

 ポチャン。
 最初の一滴から、続いて数多に滴が何処からか落ちてゆく。慌てて立ち上がって周りを見渡しても、暗闇のせいで、何も見えない。耳だけが、ナニモノかに支配されていた。
 洞窟の中で響く、水と水が触れ合う優しい音が声を掻き消し、暗闇を揺らし、黒を切り裂いて無に変えた。

 いつの間にか真っ白になった世界は、次第に透き通った水色の浅瀬になり、白い砂浜の向こう側には古めかしくも、どこか懐かしさを感じさせる神社の広場が現れる。

 その神社の手洗い場所あたりに、誰かが居た。

 浅瀬のような色をした空から照らされる日で、溶けてしまいそうな銀の髪は緩やかに首元で一つ団子にして、余った髪が首筋に流れている。
 砂浜のように白く、空に浮かぶ雲の様になだらかな肌をした女が、桜色の唇や、空や浅瀬の様な色をした瞳を弧に描き、ゆったりとした動きで手招きをしてきた。


「夜美ちゃん。こちらにおいで」


 スッ、と耳に、心地よく溶けるような優しい声が耳にはいった。
 聞いているだけで、どこか安心する。もっと、聞いてみたい。
 一歩だけ、白い和服を着た女性に歩み寄ったが、ビリビリと足が痺れた。
 私の足は、黒い影か何かに掴まれていたんだ。小さな悲鳴をあげてしまい、それを振り払おうと足をあげても、それはねっとりと私を離さない。

 いやだ! こわい!
 これはなに!? はなして!!
 たすけて!! ゆるして!
 やだ、いやだこわいよこわいこわいこわい!!


「ウチの神域に土足で入るなんて、えらい身分ですなぁ」


 いつの間に近づいたのだろうか。銀髪の女はペシン、と子供の頭を叩くように扇子でその影を払う。
 その影はガラガラとした声で、おぞましい悲鳴を小さくあげて消えていった。それが恐ろしく、思わず女の袖を握ってしまう。

 シン、と静まった空間に、女はカラコロと笑い始めた。


「今のは、“のーかん”とやらですなぁ。うんうん」
「え、え……?」
「間借りにも神が、穢れを領域に入れたなんて知られたら、上のひとが鬼になりますでぇ。だから、しー…ですよぉ?」


 大人びた綺麗な人なのに、子どものように無邪気に歯を見せて指を唇にそえる。
 アンバランスな空間に、意味がわからないアクシデント。そして、謎の女性。
 私の脳内で処理できるわけがなくて、目をパチクリとさせていたら、その女性が私の腕を掴んで手洗い場の向こう側にある池へ引っ張っていく。


「な、なに。やっ」
「怖くない怖くない。ほらぁ、見てくださいな」


 池の底が見えてしまいそうな池の前に立たされると、その女はあろうことか私をその池に突き落とした。
 池は見た目以上に深く、私の体なんてすっぽり沈んだ。
 だけど、それだけじゃない。私の体から、黒い影が抜けていっているんだ。それは、さっきの影みたいもので、私に縋るように手を伸ばすけれど、光に溶けて消えようとしていた。それが痛いのか、またその影は、叫びをあげる。


『憎たらしい』
『死ねばいい』
『生きている価値なんて』


 黒い影がそう、私に語りかける。
 まただ。また、私は責められる。
 耳を塞ごうとすれば、その手は何かに掴まれていた。それに顔を向けたら、さっきの女が背後で私の手首を掴んでいる。


「穢れた言葉に目を向けてばかりやと、損ばっかですよぉ? ほら、ご覧。こんなにも綺麗な言葉が、お前さんに向けられてますでぇ」


 手首から、肩に移動した女の手。そして、その女が見た先には、池の中なのに綺麗な虹の色をした泡が、空に漂うシャボン玉みたいに浮かんでいた。それは意思があるのか私に近づき、破裂して、池に線香花火のような輝きをきらびかせる。


『夜美さんは悪い人じゃないよ。すっごい、純粋過ぎる人だ』


 これは、沙弥ちゃんの声?
 その輝きに、チカチカした目を細くさせてしまう。視界が狭くなったからか、私の周りにはたくさんの泡があることに気がつけなかった。そして、それは一瞬で小さな花火大会のように弾け、池を美しく描き始める。


『うざったいけどさ!! 俺のねーちゃんはそんなしょーもない姑息な手は使わないんだよね!! お前がねぇちゃんを悪くいう資格はない!』
 真也……?
 ははは……本当に、優しい弟だなぁ。

『憶測だけであのバケモノを測るなんて馬鹿馬鹿しい。アレほど、人を愛してる者は居ないというのに』
 伊織……? お前は本当に、私を見てるよなぁ……。

『夜美ちゃんは私のために筋通しているだけだよ! 迷惑なんか思ったことないもん!!』
 飛鳥ちゃん……私の筋は曲がってるけど、迷惑じゃ……ないのかな……。

『彼女は、誰よりも優しい女性です。それは、誰よりも俺が知っています』
 ……風来さん。ちがうよ、私は……。


「この言葉を否定したらいけませんわぁ。純度百パーセント。美しい言霊ですよぅ。……言葉の神という名に誓って、嘘偽りはないよぅ」


 言葉の神と名乗った女の口から、綺麗な泡が生まれる。

 まだまだ花火が終わる気配はなく、たくさんの知り合いが、綺麗な泡を産み出して、それが弾きとび、池を白く染め上げる。
 言葉の神も、池もすべてが白に染まったのち、最後に見えた滴は、シャボン玉の形にしては、すぐに割れてしまいそうなほど形を変えた歪な形をしていたけれど、綺麗な桃色で、それを見てなのか、凄く胸が熱くなったんだ。


▽△


「……もうすぐ日付変わりそうだね」
「だから殴って起こそうよ」
「いやいやいや! 平和的にいこ……って、あっ!」


 いつの間に、私は眠っていたんだろう。
 何時もはぐったりしている筈の体が、少しだけ軽い。
 意識を取り戻したのち、声の気配に怯え、恐る恐る瞼を開けば、真也と沙弥ちゃんと春樹くんが、私の顔を覗き込んでいた。その向こう側には、白衣を着た伊織が胡座をかきながら何かを書いていたり、それをスーツの上を脱いで、腕捲りをした風来さんが注意している。


「……ここ、は……?」
「夜美さんが部屋で寝ていたから、申し訳ないけど運ばせてもらったよ」
「(沙弥ちゃんにお姫様だっこされるなんて許されないよね)」
「(……今日くらい見逃せば?)」
「な、なんで?」


 真也が嫌がるのに、何でわざわざ。 その言葉は、風来さんの言葉に遮られた。


「今日は、夜美の誕生日でしょう?皆でお祝いしようという話になりまして」


 誕生日? お祝い? 
 いまいち、ピンとこない単語に辺りを見渡せば、折り紙の輪で繋いだ飾りが、居間のあちらこちらに飾られていて、ちゃぶ台には白いケーキとか、お肉とかお寿司がたくさんあった。
 呆然とする私に、真也が語りかける。


「……自分の誕生日も忘れたの? 今日、六月六日だよ」
「え……真也、覚えて……?」
「はやくしちゃおうよ。もう、明日が日曜だからって、こんな夜更かししちゃいけないんだからね……って風来さんが」
「……今日は許しましょう」
「夜美さんには甘いねー」
「田村沙弥はちょっとお話しましょう」
「げっ」
「ちょっと! 田村さんカンケーないじゃないですか!!」
「あああ!! 暴れないでくれる!? ケーキにほこりが飛ぶ! ちょっとは考えなよ!」


 何時ものバタバタした様子に、ケーキにのった私の名前。


 少しだけ、生まれたことを許されたような――そんな気がしたんだ。































「クロちゃん。クロちゃんが言う夜美さんって人に会ってきましたよぅ」
「は? どうや……」
「過去にとんでみましたぁ。えへっ」
「……消されたいのか」
「大丈夫ですよぅ! 記憶は消えているだろうしぃ。これがホントの夢落ちってねぇ」
「……笑えない」
「まぁまぁ。でもいいんじゃないですかねぇ。邪気が晴れてるから、今は素直に喜べるはずだよぅ」 




「あの子、穢れに好かれてるから、またまとわり憑かれそうですけどねぇ。宿命ってやつ?」



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