稲妻11-Thanks! | ナノ


 選抜の練習も休みで貴重なオフの一日があった。フィリップは自室のベッドに寝転がり、趣味の料理の雑誌などをパラパラと捲っていた。今夜は自分が食堂の設備を借りて、チームメイトにイギリス料理を振る舞おうか…などと考えを巡らせていた矢先、フィリップはドアの向こう側に迫る不躾な足音を耳にした。
「聞け!フィリップ!」
「何ですエドガー」
 ノックもなく開けられたドアから入って来た足音の主は、我らがナイツオブクィーンのキャプテン、エドガー・バルチナスである。エドガーはドアの前に仁王立ちすると、視線を雑誌に落としたままのフィリップに向かって、高々とした声で宣言した。
「好きなひとができた!」
「おめでとうございます」
「一目惚れなんだ、これが恋というのだな」
「そうですか、良かったですね」
「…おいこらフィリップ、冷たくないか?」
「生憎その台詞は聞き飽きてしまったもので」
 フィリップはようやく雑誌を閉じて、ベッドサイドでふんぞり返るエドガーを見た。フィリップは幼なじみの天性の博愛主義ぶりをよく知っていた。女性がいたらエスコートするものと信じているエドガーは、要するに非常に惚れっぽい。「恋をした」と騒ぎながら部屋に押し掛けられるのも、一度や二度の話ではなかった。
「で、今回は何ていうレディなんです?」
「マーク・クルーガーという名で…」
「…ちょっと待ってください」
 嬉々とするエドガーの言葉を遮ったフィリップは早速頭を抱えた。この男は一体何を言っているのか。聞き覚えのある名前は、良くないジョークだと思いたかった。
「それ、男の名前ですよね」
「ああ、そうだな」
「しかも確か、アメリカ代表の…」
「ユニコーンのキャプテンのマークだが?」
「…あんた馬鹿でしょう」
 フィリップは今度こそエドガーを心底愚か者だと思った。

 エドガー曰く、自主練習から帰ってきたところ、衛星中継で南アメリカ地区予選の様子を放送していて、そのときちょうどゴールを決めたマークの微笑みの麗しさに、心臓を撃ち抜かれたとのこと。

「まるで天使のように美しかった…」
 恋する乙女のような表情でエドガーは思い出に惚けている。フィリップはどうにも納得がいかない。マークの容姿は確かに際立って整っているが、しかしそれは女性的というより、ハンサムと称した方が相応しい凛々しさである。
「エドガーが女好きなのは知ってましたけど、美形なら男もありなんですね」
 なんだかガッカリしました、とフィリップが肩を竦めると、真顔に戻ったエドガーは心外だと言わんばかりに唇を尖らせた。
「失礼な。マークだから好きなんだ」
「おのろけありがとうございます」
「愛しのマーク…早く世界大会で会いたいものだ…」
「その前に地区予選を勝ち抜かないとですけどね」
「無論、わたしは負けるつもりはない。母国イギリスの誇りにかけて、次の試合も必ず勝つ」
「言ってることは格好良いんですけどね」
 如何せん動機が不純だ、とフィリップは言い掛けて、今のエドガーに何を言っても不毛だと思い、口を噤んだ。
 恋は盲目という言葉がある。エドガーはそれを地で行く男なのだ。


 ――というようなことがあったのが、ちょうどひと月前のこと。エドガーの恋慕はまた続いている。ナイツオブクィーンは地区予選大会を難なく勝ち上がり、ライオコット島で行われるFFIの本戦に至った。

 盛大な開会式が終わり、各チームの選手たちはぞろぞろと会場を後にする。その中で、数十メートル先にアメリカ代表の一団を捉えたエドガーとフィリップは、耳打ちをして作戦を確認し合っていた。
「いいですかエドガー、最初が肝心ですからね。紳士らしく礼儀正しく挨拶するんですよ」
「わかっている…よし、行ってこよう」
 ぎくしゃくと緊張気味に歩き出す、幼なじみのエースの背中を、フィリップはハラハラしながら送り出した。

「こんにちは、ユニコーンの皆さん」
「君は…」
「お初にお目に掛かります。わたしの名前は…」
 エドガーが恭しく名乗ろうとしたところで、先にマークが口を開いた。
「イギリスのエドガー・バルチナスだろ?有名人だからな。知ってるさ」
「…マーク・クルーガー…!」
「オレの名前も知っていたのか?嬉しいな」
 想い人に認知されていたことを知り、頬を染めて動揺するエドガーに、マークが無邪気に微笑みかける。予想外の友好的な態度に、エドガーはもう辛抱堪らず、マークの両肩に手を置いて叫んでしまった。

「…好きです!!!」

 その様子を離れたところで見ていたフィリップは「コイツ、やってしまった」と絶望した。初対面の同性にいきなり告白する馬鹿が何処にいるのか。まさか自分の幼なじみとは思わなかった。合コンで女の子にいきなりメアドを聞き出すくらいのタブーである。
 周囲のユニコーンメンバーの表情が凍り付いている。当事者のマークにも同様にドン引かれてエドガーの恋は終わった…そう覚悟した矢先のこと。
「ああ、オレもサッカーが好きだぞ」
 何をどう勘違いしてくれたのか、マークは笑顔でエドガーの手を取り、握手をしたではないか。
「わ、わたしもサッカーが好きです」
「お互いにいい試合をしような!」
「はいっ」
 マークのぶっ飛んだ解釈にエドガーが同意したことで、少し前の微妙な空気は霧散して「なーんだサッカーのことかぁ」という和やかな雰囲気にすらなっている。エドガーも流されて照れ笑いを浮かべている始末だ。「英国紳士って意外と熱いんだね」と暢気に笑っているのはディラン・キースだ。イギリスの国民性までおかしな方向に解釈されている。
 アクションを完全に殺す究極のボケ。あれが自由の国・アメリカのクオリティなのか。とてもついて行けそうにない――大会はまだ始まったばかりなのに、早くもフィリップはイギリスに帰りたくなった。


 ――その後も大会期間中、エドガーはありとあらゆる方法でマークにアピールしたのだが、マークは筋金どころか鉄筋入りの天然らしく、打てども全く響かなかった。エドガーの度を越したアタックに引かないのもすごいが、あんまりに徹底的にスルーされるので、これは意図的に無視されているのではとフィリップが穿ってしまうほどである。

「どうしたらいいのだろう…」
 ポジティブで自信家のエドガーも根負けして嘆き始めた。イギリスもアメリカも予選リーグで敗退した。大会が終わるまではライオコット島に滞在する予定だが、決勝トーナメントも大詰めで互いの帰国まで日がない。
 お互いの国に帰ってしまっては、この恋は破れたも同然である。あまり時間がないエドガーは焦っていた。他人の恋路に足を突っ込んでしまったフィリップもまた、無駄に親身になってしまいエドガー同様に焦っていた。
「…これはもう直球でいくしかないかと」
 この数週間の動向を窺って、マークの性格は大体掴めた。ボケ殺しのタイプには趣向を凝らしても意味がない。落とすなら分かりやすく攻めないと駄目だ、とフィリップは提案した。
「直球というと?」
「決まってるでしょう」
 フィリップはエドガーに耳打ちをした。


「こんなところに呼び出して何の用だ?」
 フィリップの助言を受けたエドガーは、アメリカエリアのスクラップ広場にマークを呼び出していた。
 マークは呼び出された趣旨を理解していないらしかった。故に服装もユニコーンお揃いのジャージ上下である。ちなみにエドガーは勝負服である白のタキシード姿だが、マークはそこにも突っ込まない。
 その様子を物陰から見ていたフィリップは「この天然が…!」と思わず歯軋りをした。気づいてもらえないお膳立ては滑稽なだけである。何故か部外者である自分の方が居たたまれない気持ちになるから悔しい。

「あなたに、大切なお話がありまして」
 告白といったら、校舎裏の木の下に呼び出して行うものだ。場所はマークの方の都合を考慮して此処になった。些か色気には欠ける場所だが致し方ない。エドガーはマークに向き合って、真剣な表情で思いを告げた。
「わたしと付き合って欲しい」
「構わないが」
「…ほ、本当ですかっ」
 エドガーの顔がぱっと高揚する。しかしフィリップは冷静に「まだだ」と思った。マークは気のいい顔で首を傾げた。
「で、エドガーはどこに行きたいんだ?」
 マークからは案の定、お約束のボケが返ってくる。付き合うの意味を勘違いしている。こんなにも愛しいマークを目の前にして、思うように好意が伝わらなくてエドガーは嘆いた。
「…そうではない!そうではないんです…」
「違うのか?」
「わたしは男女のようにあなたと交際したい!あなたが好きだ、マーク!」
 今度こそハッキリと言い切ったエドガーは、マークの身体を堪らず抱き締めた。
「…エドガー、苦しい…」
「…っあ…、すまない…!つい…」
 胸を叩かれたエドガーは慌ててマークを解放した。名残惜しさが腕に残っている。紳士らしくない振る舞いをしてしまったという反省はあるが、触れてみるとやはり愛おしくて諦められない。
 抱き締められたことでマークもようやくエドガーの気持ちを悟ったらしい。マークは俯いてしばらく何かを考え込んでいたが、エドガーを真摯に見据えるとこう言った。
「お前の気持ちはわかった。ただし条件がある」
「条件?」
 簡単な話だ、とマークは頷いた。エドガーは勿論、フィリップもまた耳をそばだてた。
「明日のこの時間までに百本の薔薇の花束を用意できたら、付き合ってもいい」


「百本の薔薇とは、また可愛いことを言いますね」
 まるで一昔前のロマンス映画のような話だ。物品に心動かされるタイプではなさそうなのに、意外なものを強請るものだ…とフィリップは嘆息した。しかし薔薇ならば用意するのもやぶさかではない。エドガーの告白はマークに受け入れてもらえたようなものだ。
 エドガーもさぞかし嬉しいことだろうと思ってフィリップは見てみるが、意外なことにエドガーの表情は浮かない。
「…まずい、どうすればいい」
「薔薇ならあるじゃないですか。ロンドンパレスの薔薇を、キャプテン権限で摘ませてもらって…」
 夜会を催す際に利用した庭園には白薔薇の庭木が美しく植わっている。花の見頃は些か過ぎてしまったけれど、見た目の良さそうなものを百本集めるのは容易いことに思えた。しかしエドガーは納得してくれない。
「…違う、あれでは駄目だ」
「えっ?どうしてです?」
「赤いのがいい」
「ばっ…!この期に及んで我が儘を言わないでくださいっ!」
「赤薔薇でなくては駄目だ。マークの美しいブロンドの髪には、真紅の薔薇が一番似合う」
「そんなこと言ったって…此処には白い薔薇しか…」
 本来、薔薇の季節は初夏である。ライオコット島は常夏の島だから、あの薔薇だって気候に合わせて栽培し、無理やり咲かせたものなのだ。だからこの島で探そうと思っても、他に薔薇が自然に咲いているはずがない。
 フィリップはほとほと困り果てた。子供のように駄々をこねるエドガーを、ないものねだりはするなと叱ってやりたいくらいだ。
「ないなら作ればいい」
「馬鹿な、今からどうやって…」
「赤く塗るんだ、わたしとお前で」
 自信満々に言うエドガーに、フィリップは反論する気力を失った。
「お伽話の読み過ぎですよ…」
「そうか?ロマンチックだろう?」
「ええ、まぁ、少女趣味ではありますが」
 そういえば、幼き日のエドガーは絵本を好み、中でも不思議の国のアリスは大のお気に入りだった。そんなことを懐かしく思い出しながら、フィリップは幼なじみの無茶ぶりに付き合う腹を括った。


 約束の日時にエドガーは、赤い薔薇の花束を持ってマークの前に現れた。
「あなたに似合うと思った赤薔薇を百本用意しました…受け取ってくれますね?」
 両手で抱え切れるかといった量の、真っ赤な花束を差し出されたマークは慄いた。あまりにも真面目な顔で好意を告げられたので、付き合っても良いかという気持ちになった。エドガーの態度に絆されたのは本当で、薔薇の話は体裁を保つための我が儘だったのだが、本当にやってのけるとは。
 驚きの次に湧いてきたのは喜びだった。エドガーから手渡された花束を抱えてマークは笑い始めた。愚直なほどの好意が嬉しい。
「あはは…馬鹿だろう、お前…」
「愛しいひとのためなら愚かにもなれます」
「…そんなにオレが好きか…?」
「ええ…あなたに思いを伝えるための花ならば、百本でも千本でも足りないくらいだ」
「おかしな奴だ」
 そのときマークは気づいてしまった。目に痛いほど鮮やかな赤薔薇の花びらが、元からの赤ではないことに。違和感がないよう美しく取り繕ってあるが、どれも塗料か何かで着色してある。恐らくは百本全部が。それに気づいたマークは息を飲んだ。
「エドガー、これは…」
 自分は薔薇を持ってこいと言っただけで、色の指定まではしていなかった。何故わざわざこんな手間の掛かることをしたのだろう。マークの疑問の視線を受けて、エドガーは困ったように微笑んだ。
「赤い薔薇の花言葉をご存知ですか?」
「いや、知らないが…」
「あなたを愛します、と言うんですよ」
「…っ…!」
 エドガーに間近で囁かれて耳まで熱くなるのがわかった。エドガーの柔らかな微笑みも、不自然な色彩に込められた意味も、エドガーに与えられた全てが反則的に心を揺さぶる。
「お気に召してくれましたか?」
 わざわざ確認など取られなくても、マークの答えはひとつしかない。
「わかった。約束だ…お前の好きにしたらいい」
「マーク…!」
 マークは花束こそ気遣う素振りを見せたが、エドガーの包容を拒まなかった。それどころか肩口に頭を擦り寄せすらしてエドガーを感激させる。ただその後の発言はエドガーを凍り付かせるのに十分だった。
「…今夜はお前の部屋に泊まる」
「えっ…?」
「付き合うって、最終的にはそういうことじゃないのか?」
 帰国したらしばらく会えないんだぞ?とマークは首を傾げる。エメラルドグリーンの瞳に覗き込まれたエドガーは、消え入りそうな小さな声で「そういうことです」と呟いた。


「どうしよう、フィリップ」
「童貞でもないのに何動揺してるんですか」
「だって、まさかいきなり…今夜…」
「…確かにオレも驚きましたけど」
 真面目そうに見えてマークは意外と手慣れているのかも知れない。しかしこれを言ったらエドガーが落ち込むのでフィリップは口を閉ざした。
「据え膳食わぬは武士の恥」
「スエゼン?」
「日本の方に教えてもらった諺です。ここぞというときに甲斐性を見せてこその男、という教訓だそうで。ここで逃げたら紳士失格ですよ」
「……」
「…今夜、オレはデービッドの部屋にでも泊まりますから」
 エドガーの部屋は角部屋で、隣室はフィリップに割り当てられている。マークを連れ込むなら邪魔になるだろうと考えての申し出だった。
「監督にもみんなにも、上手く言って誤魔化しますから」
「…すまない、フィリップ」
「どういたしまして」
 その先はフィリップの知るところではない。



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -