稲妻11 | ナノ


 眠る源田の顔を間近で見つめながら、このまま夜が明けなければ良いのにと、柄にもなく感傷的なことを照美は思った。腰回りに残る甘ったるい微かな倦怠感が、昨夜の情事の激しさを物語っている。
 昨夜は照美の方から誘って、源田をベッドに引き入れた。奪われるように源田に抱かれて、照美も飽くことなく求める。二人きりの夜は年甲斐もなく燃え上がった。
 十年間も寄り添って惜しみなく愛されているのに、まだ足りない、まだ欲しいと思ってしまう。源田という掛け替えのない存在を得て、照美は初めて自分の欲深なことを知った。
 子供のように規則正しい寝息を誰よりも近くで聞きながら、果たして幾つの夜を共に過ごしたことだろう。寝ている間の源田のことならば、本人よりも自分の方がよく知っていると、照美は密かに自負している。似たような寝息の男を大勢集めて隣で寝かせたとしても、照美は源田のものだけは、間違いなく聞き分けられる自信があった。
 ――それ程までに知った仲の男から離れなければならないことは、不本意ではあったが、避けられない照美の運命でもあった。

 夜が明けてしまう前にと、温かな人肌の名残惜しさを振り切って、照美は愛しい男の腕の中から抜け出した。音を立てないようにベッドから慎重に降り立って、ソファーの上に散らかる衣服を拾っては手早く身に着けていく。
 最低限の身形を整えた照美は、最後の仕上げにと、綺麗な金髪を赤い髪紐で緩く結わえた。――いつか好きだと言ってくれたから伸ばしている髪の毛は、この際切ってしまおうかと思ったが、結局どうにも出来なかった。照美の未練は此処にある。
 予め支度をしていた僅かな手荷物だけを携えて、これから照美は新天地へ旅立つ。
 照美は家を出ていく前に、慣れ親しんだ生活感が漂う、二人の部屋を振り返った。暫くは此処へ帰って来ることはないと思うと、胸の奥から込み上げるものがある。照美は唇を噛み締めて嗚咽の予感を堪えた。
 喚いてどうなる問題でもない。泣いても叫んでもいけないと、努めて自分に言い聞かせる。行き着くところまで流されていくしかないのだ。止められない運命の渦の中に、照美はもう身を投じてしまったのだから。
 後ろ髪を引かれる思いを振り切って、ドアノブに手を掛ける。その時――照美の背後に人の立つ気配がした。

「照美」
「…っ!」
「何処へ行くつもりだ」
 弾かれるように照美が振り返った先には、薄暗闇の中に腕を組んで立つ源田の姿があった。源田の表情ははっきりとしていて、寝惚けて呼び止めているわけではないことが分かる。
 しくじったなと照美は思い、溜め息をついた。最初から源田は照美の意図に気付いていて、現行犯の場面を取り押さえようとしていたのだろう。普段は鈍いくらいなのに、こんなときばかり嫌になるくらい勘が働く。照美はやれやれと肩を竦めた。
「狸寝入りだなんて趣味が悪いよ」
「…すまない。だが、こうでもしないと、お前に聞けないと思ったんだ」
「何を聞きたいの?答えられる範囲で答えてあげるよ」
「…木戸川清修の監督に着任するというのは、本当なのか?」
「……っ…」
 もうそこまで知っているのかと、照美は軽い衝撃を受けた。かつての帝国学園に連なる人々の情報網には、驚かされることが多い。尋ねる源田の表情は厳しくて、この問い掛けが当てずっぽうの推量ではなく、既に確信のある質問であることが分かる。この期に及んで誤魔化せそうにはない。照美は有りの儘に頷いた。
「…本当だよ。今日から僕が、木戸川清修の指揮を取る」
 源田の顔に悲痛な焦燥の色が浮かぶ。
「まさか…お前も知っているだろう?木戸川清修はフィフスセクターの…いや、イシドシュウジの直轄下に置かれている学校だ。奴らのサッカーは間違っている。お前が監督を勤めるような学校では…」
「少し黙ってくれないか」
 糾弾を言い連ねる源田の口を、照美はキスで強引に塞ぎ込んだ。冴え冴えと煌めく真紅の瞳の中に、明朗な意志の炎が燃えている。口付けられたことよりも、その強い眼光の方に気圧されて、源田は何も言えなくなる。照美の決意は固いものだった。
「そんなことは、全て承知した上で引き受けたんだ。僕は、フィフスセクター…聖帝、イシドシュウジの下に付く。これはもう、決めたことなんだ」
 源田は引き留めるように、照美の手首を捕まえた。
「どうして」
「…何も聞かないでくれ、今は…」
 震える源田の手を、照美は振り払うことが出来なかった。
「…頼む。どうか僕を引き留めずに、行かせてくれ…」
 照美に懇願されて、源田は手を離した。二十四の立派な男なのに、母親に見放された子供のような顔をしている。照美もまた目頭が熱くなるのを感じていた。このまま源田と見つめ合っていたら、いつまでも此処を出て行けないと思った。迷いは心を弱くする。後ろ髪を引かれる想いを押し殺して、照美は毅然と踵を返した。金の結い髪が翻る。
「――さよなら幸次郎」
 閉じていくドアの向こう側で、懐かしい呼び名で呼ばれた気がしたが、照美はもう振り返ることはしなかった。


 明け白む朝焼けの冷たい空気の中、両脚に絡み付く郷愁を振り切って照美は歩き出す。たとえこの身がどうなろうとも――大義を成すためならば惜しくはないと、悲壮な覚悟をその双眸に映し出して。




 おわり



※青プ6の無料配布ペーパーに載せたフライング24歳源照妄想SS。照美イナGOに再登場おめでとう。本当におめでとう。

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