稲妻11 | ナノ


 いつもの個別練習の後に、やたら畏まった雪村が吹雪のところへやって来た。
「吹雪先輩、サッカーには関係ないんですけど、教えて欲しいことがあるんです」
 日が傾いて冷え込んできたせいか、雪村の鼻の頭と頬が赤くなっている。寒さに強い雪村にしては珍しいなと思いながら、吹雪は愛想良く頷いた。
「何だい?僕に分かることなら、何だって教えるよ」
 了承の返事をもらった雪村は、満面に安堵の表情を浮かべながらも、警戒するように辺りをさっと見回す仕草を見せた。粉雪の降りしきる夕暮れ時のグラウンドには、当然ながら二人の他に人影はない。
「此処ではちょっと話しづらいので…部室に行きませんか?」
「うん、いいよ?」
 こんな寒空の下で立ち話をするには、長くなる話なのかも知れない。吹雪は気前よく提案に頷いた。雪村のために割く時間ならば、幾らでも惜しいということはなかった。



「近頃は一層寒さが厳しくなってきたね」
「そうですね」
 慣れた手順でストーブに火を入れる雪村の手つきを見ていると、この子は本当に雪国育ちの子供だなぁと、吹雪はしみじみと思い積まされる。
 空気も凍て付くような深い夜に産声を上げて、一面の銀世界を朝から晩まで駆け回って育った。こういう子は、寒い場所での呼吸の仕方を心得ているから、氷や雪だって味方に付けることが出来る。
 北国の冬将軍に愛された子供――雪村ならば体得できると確信して、吹雪は雪村に、自身が弟と編み出した大切な必殺技を授けようとしていた。
 お陰で今日のように居残り練習の毎日なのだが、雪村は文句や弱音一つ零さずに、吹雪の指導に付いて来てくれている。将来有望な後輩の目覚ましい成長ぶりを見守ることが、今の吹雪の何よりの喜びであった。

 暖房の支度を終えた雪村は、相向かいのベンチではなく、吹雪の前にやって来た。どうしたのだろうと思って、吹雪は首を傾げて雪村を見た。
「雪村?」
「顔を合わせながらだと話しにくいので…」
「そうなの?」
「…隣、失礼します」
 ベンチに座る吹雪の隣に、断りを入れた雪村が腰掛ける。袖が触れ合うか触れ合わないかという微妙な距離を保って、吹雪と雪村はストーブに向かって並んで座った。

 年齢にして十歳分の開きがある二人は、座った状態でもなお、頭二つ分ほどの身長差がある。吹雪の顔の位置からは、雪村の頭の天辺にあるつむじがよく見えた。
(僕に教えて欲しいことって何だろう?)
 サッカーには関係ないことだと雪村は言う。場所を変えなければ出来ないような相談とは、一体どんなことなのだろう。吹雪は雪村の発言を待ったが、長い沈黙は暫く続いた。

 ストーブの上に乗っている薬罐が、しゅんしゅんと音を立てて沸騰を始めた頃に、ようやく雪村は口を開いた。
「吹雪先輩、あのですね…」
「うんっ?」
 来たっ!と思った吹雪は、話し始めた雪村を緊張させないように、満面の笑みを浮かべて返事をした。雪村は吹雪の方を見ずに言った。
「…朝、夢精しなくなる方法を教えて欲しいんです」
 雪村に向けた吹雪の笑顔が、凍ったように硬直した。



 男同士でも恥ずかしさを覚える話題だと分かっているのだろう。白皙の顔を赤面させた雪村は、耳の方まで赤く染めていた。
 吹雪も気まずさを感じていたが、決死の覚悟で尋ねた雪村の横顔を見ると、曖昧に誤魔化すわけにもいかなくなる。せめて、これ以上雪村に気を使わせないために、吹雪は努めて平静を装って、何でもないことのようにあっさりと答えた
「そんなの簡単だよ。夢精しないように、溜まっているものを、予め自分で抜いておくんだ」
「でも、どうやって…?」
「オナニーすればいいんだよ」
「おなにぃ?」
 不安定な発音で単語を返して、小首を傾げた雪村に、吹雪は不穏な予感を覚えた。
「もしかして雪村…自慰って言葉、知らないの?」
「…すみません、わからないです」
 無知を素直に謝る雪村に、吹雪は頭が痛み出した。白恋中の性教育はどうなってるんだ!と八つ当たりのように思ったが、自分が生徒だった頃を思い出しても、まるでその手の教育を受けた記憶がない。地方の小規模校故の弊害であった。

「いや、でも…学校で教えなくても…お父さんとかが…」
「俺の父さん、海外に単身赴任してて、たまにしか家に帰ってこないんです」
「そうなんだ…」
 かく言う吹雪自身も父親を含め、幼い頃に家族を事故で失くしている。年老いた祖父母の手で育てられた自分は、性的な事柄を誰から学んだのだったか。
(イナズマジャパンに居た頃は、皆で下ネタの話をしたりしたけど…)
 全てではないが、そこで得る知識もあったように思う。親しい男友達と話していれば、そういう話題になることもあるだろうに…。
 吹雪はそこまで考えて、雪村が妥協を許さない正直な性格故に、同年代の子供たちの間で孤立しがちであることを思い出した。ただでさえ堅物扱いされている雪村に、性的な話題を振るような、怖い物知らずはいないだろう。

(いい子だけど、難儀な子だよね)
 吹雪は雪村という子供の生きにくさを改めて憂えた。真っ直ぐであることは最上の美徳といえる反面、時には人一倍の苦労や悲哀を生み出す原因にもなる。いつか諭さねばならないと思いながらも、先延ばしにしてきた付けかも知れない。

 それはともかくこの件に関して、雪村は本当に困っているようだ。藁にも縋る思いで教えを乞う雪村の姿は、吹雪の目には健気に映る。人目を気にしながら、恥を忍んで尋ねてきた懸命さは、きちんと汲み取ってやるべきだろう。
「吹雪先輩しかいないんです」
 それに可愛い後輩に、こんな風に熱心に頼られたら、先輩として応えてやらないわけにはいかない。
「そこまで言うなら…仕方ないな」
 吹雪はふぅと溜め息をつくと、腹を据えて雪村の方に居直った。
「教えてあげてもいいけど…実践になるよ?それでもいい?」
「はい。お願いします」
 雪村に丁寧に頭を下げられるのが、吹雪は面映ゆくて仕方が無かった。



 こっちにおいでと手招きされた雪村は、吹雪の膝の上に座らされた。尊敬する先輩を椅子にするという畏れ多さに加えて、後ろから抱き竦められる慣れない体勢に、雪村は緊張して身体を強張らせた。
 雪村の戸惑いを敢えて無視して、吹雪は頼まれた自慰のレクチャーを始めた。
「オナニー、自慰っていうのは、自分の性器を自分で刺激して、性欲を満たす行為のこと。他にはマスターベーションとも呼ぶかな」
 吹雪は淡々と語彙の説明をしながら、雪村のハーフパンツを脱がせていく。
「つまり自分でペニスを触って射精させることだよ。男なら誰でもしてることだから、恥ずかしいとか、いけないことだとか、思わなくていいからね」
「は、はい…」
 身じろぐ肢体をそれとなく押さえ込みながら、吹雪は暴いた下着の中から雪村の性器を取り出した。吹雪の手に丁度収まるくらいのそれは、当然ながら今の時点では萎えている。
 後ろから手を出している吹雪は、おどおどと狼狽する雪村に囁き掛けた。
「ちょっと触ってみるけど、痛かったり嫌だったりしたら、すぐにやめるから言ってね」
「はい、吹雪先輩…」
 柔らかい肉を潰してしまわないように、吹雪は握った陰茎を優しく揉みしだく。余計な感情は込めずに、ただ勃起させるために手を動かし始めた。

 膝に抱えた雪村の身体が、時折びくりと痙攣する。雪村が吹雪の手淫に感じていることは、手の中で硬度と質量を増してきた性器の具合からも察することが出来た。
 雪村は年若いだけあって、少し触っただけで完全に勃起した。年の割には立派な大きさをしているが、亀頭に包皮が残る様子は、まだ未発達で子供らしいと思える。
(まだ無理に剥かない方がいいかな…)
 包茎については追い追い教えるとして、吹雪は勃起と射精の関係について説明する。
「…ペニスが硬くなって立ち上がってきただろう?この状態を勃起っていうんだよ。射精するためには、勃起することが必要なんだ」
「…は、い…っ」
「逆に勃起しちゃったときは、射精したいときだから…出来れば我慢しないで、早めに自慰をした方がいいかもね」
「…っあ、は…っ、はい…」
 吹雪は輪の形にした右手で幹を扱きながら、左手で敏感な雁首の方を弄ってやった。同じ男だから、吹雪には雪村の良いところが手に取るように分かる。
 たとえ皮を被っていようと、亀頭を揉まれたら気持ちが良いし、裏筋を擦られたら堪らない。子供だろうが大人だろうが変わらない、男の肉体は単純に出来ているのだ。
「…っ…ん、はぁ…う…っ…」
「…声も出していいよ。此処には僕しかいないから」
「…はぁ、い…っ、せん…ぱい…っ」
 吹雪に許された雪村は、与えられる快楽にぎこちなく喘ぎ始めた。


「あっ…あぁ…っ、はぁっ…ん…っ!」
 雪村の陰茎の先端に、透明な先走りが滲んできた。どうやら絶頂が近いようだ。少し早すぎるような気もするが、他人に手伝ってもらいながら行う初めての自慰だから、早漏がちになるのも仕方がないのかも知れない。
「そろそろ射精できそうかな」
 機械的に性器を扱いていた吹雪の腕を、縋り付くように雪村が掴んだ。おやと思った吹雪が観察していると、不意に雪村が振り向いた。
「…あ、あの…せんぱい…っ」
 生理的な涙に潤む大きな目が、吹雪の顔を必死に見上げている。吹雪は雪村に優しく微笑み掛けた。
「なんだい?雪村」
「せんぱいも、こうなるときが、あるんですか…?」
 雪村の目線がちらりと自身の股間に向いた。吹雪も勃起することがあるのかと疑問に思って、こうして雪村は尋ねたらしい。
「…まぁね。我慢できるけどね」
 吹雪はいい大人なので、一通りの性体験は済ませている。自分の身体の仕組みについては、自分が一番よく理解しているし、ある程度言うことを利かせることも出来る。
「お、おれも…がまん、できるようになり、たぁ、あッ…」
「雪村にはまだ難しいかな?」
「…や、っ…あ…ん、あぁ…ッ…」
 包皮から少しだけ頭を出した先端を擦られただけで、雪村はまともに話せなくなってしまう。これでは我慢だなんて到底出来そうにないなと、感じ易い雪村を抱き締める吹雪はほくそ笑んだ。


「最後はちゃんと、自分で触ってイくんだよ」
 限界が近いことを見定めた吹雪は、雪村の手を捕えると、そのまま熱り立つ勃起を握らせた。
「…っ、せ、せんぱ…ッ?」
 いきなり自身を掴まされた雪村が、戸惑いの悲鳴を上げた。手の中にある熱くて硬い肉の塊が、自分の身体の一部だとは、どうにも信じられないらしい。
「ほら、こうして…雪村の気持ちのいいところを擦るんだ」
「ぅん、ッあ…や…ぁあ…ッ!」
 躊躇う雪村の手に自身の手を添えて、吹雪は猛る肉棒を扱かせた。愛撫によって得られる性感が自分のものだと理解できれば、勃起に対する雪村の戸惑いも無くなるはずだ。
 少し強引かも知れないと思ったが、一人でも出来るようにならないと、雪村も吹雪も困ることになる。後々の憂いを除くためにも、吹雪はこの場で雪村に、自慰の方法と悦楽を覚えてもらわねばならなかった。

「我慢しないでイっていいんだよ、雪村…」
 びくびくと震える身体を支えながら、吹雪は雪村に語り掛ける。雪村は白い喉を仰け反らせて、感極まった嬌声を上げた。
「…あ、っふ、ぁあ…せんぱい…ッ、ふぶきせんぱぁい…ッ、ああっ…!!!」
 吹雪の手に介添えされながら、雪村は自慰で初めての絶頂を迎えた。



 自らの手で迎えた射精の後、ぼんやりと惚けてしまった雪村の代わりに、吹雪は汚れた手を拭って、乱れた着衣を整えてやった。
 初めての自慰としては刺激が強すぎたかも知れない。だがこれで雪村は自発的に性欲を発散できるようになった。今までのように夢精に悩まされることも無くなるだろう。
「雪村ー大丈夫?起きてる?」
「ッ、はい…っ!起きてます、先輩!」
 吹雪にぺちぺちと頬を叩かれて、雪村は漸く正気に戻った。身支度が整えられていることに気付いて恐縮していたが、吹雪に対する態度は以前と変わらず、先輩後輩のそれを保っている。
 変に怖がられたり恥ずかしがられたりしたら嫌だなと思っていたので、雪村の切り替えの上手さが吹雪には有り難かった。

 二人が部室に篭っていた時間は小一時間に満たないが、小窓から見える空はすっかり夜の色彩をしていた。粉のように細かな雪がちらちらと無造作に舞っている。
 そろそろ雪村を帰さないと、吹雪が怒られてしまいそうだ。いい加減帰らねばならないことは、雪村も分かっていた。
「すっかり暗くなってしまったね。家まで送ろうか?」
「俺の家、すぐ近くだから大丈夫です」
 吹雪の申し出を丁寧に断った雪村は、ウインドブレーカーをさっと着込んで、スポーツバッグを肩に掛けた。部室から出ていく前に居直った雪村は、吹雪に向かって深々と頭を下げた。
「あの、吹雪先輩…本当に、ありがとうございましたっ」
 顔を上げた雪村の表情は明るいもので、抱えていた悩みが解消されたという開放感に満ちていた。




 粉雪の中を駆けていく雪村の後ろ姿をしっかりと見送った吹雪は、部室の小屋に素早く戻ると入り口に鍵をかけた。
「あああ――――ッ!!!!???」
 絶叫した吹雪は、堪らず壁を殴り付けた。小屋の屋根に積もった雪が、ドサドサと滑り落ちる音がしたが、気にする余裕も無い。吹雪は非常に動揺していた。
 更に何事か叫びたがる口元を手で押さえて、吹雪は部屋の真ん中に立ち竦んだ。全身がぶるぶると震えているのは、込み上げる衝動と闘っているからだ。
 最初に扉に施錠をしたのも、奇行を未然に防ぐためである。今の自分を放っておいたら何をしでかすか、実のところ吹雪自身にも分からない。
 意味のない言葉を大声で喚き散らしながら、雪の降る夜のグラウンドを走り回るくらいのことは、しそうである。

(雪村、可愛すぎでしょ…!!?)

 顔が見る間に熱くなっていくのを、吹雪はありありと感じていた。
 中学生の少年に乞われて、自慰のやり方を教えただけのこと。その程度の出来事にこんなにも動揺するだなんて、吹雪は自身の舞い上がりぶりが信じられなかった。
 吹雪に抱き竦められて、膝の上で初めての快感に震える雪村は可愛かった。普段は白すぎる程に透き通っている雪の肌が、熱に浮かされたように上気しているのが艶めかしい。快楽に喘ぐ雪村の身体をを後ろから抱き抱えながら、赤く染まった耳朶や首筋に噛み付きたくなるのを、吹雪はずっと我慢していた。
 抱き締めている内に雪村の汗や体臭に気付いてしまい、吹雪の焦燥は余計に募った。

(あれで自覚がなかったら最悪だよ)
 特に絶頂の瞬間に、名前を呼ばれたのが堪らなかった。あんなに切なげな声で名前を連呼されて、何とも思わない男がいるだろうか。吹雪は見事に煽られた。
 このまま雪村を部室の床に押し倒して、天井の染みを数えさせている間に抱いてしまおうかと、不埒な考えが吹雪の脳裏を過ぎったことを、雪村は知らないのだろう。
 あの時は指導者としての理性が欲望の暴走を抑えたが、吹雪は元より貞操に関して観念がしっかりしている方ではない。隙あらば手を付けてしまっても…と、心の中に邪な誘惑が生まれている事実も否めない。

 雪村の自慰指南を引き受けたのは確かに役得だったが、大きな間違いだったかも知れない。夢精に悩む雪村以上に、不謹慎な悩み事を吹雪は抱えることになってしまった。
 今日はもう雪村を家に帰してしまったから、吹雪に出来ることは何もない。手出しはできないが、手を出してしまうこともない。それは安堵であり辛抱でもあった。
 教え子の雪村豹牙を巡る、吹雪の理性と本能の真っ向勝負は、今まさに始まったばかりなのである。
(何となく結果は見えてる気がするけど…)
 そう自分で見込みを立てて、吹雪は虚しい気持ちになった。


「…雪村、いい匂いがしたな…」
 一時間前のことを思い出しながら、吹雪はベンチに横になった。焚いているストーブの熱気と薬罐から吹き出す蒸気によって、室内は程好い暖かさと湿度を保っている。外の氷点下の寒さを思うと、帰りたくなくなってしまう。
 寝転がった吹雪は少し考え込んでから、誘惑に負けて、ズボンのベルトを外し始めた。
「先輩もまだ、我慢が足りないなぁ…」
 雪村に言った言葉を揶揄して、吹雪は自嘲した。
 心身共に妙に興奮してしまって、一発抜いてからでないと帰れそうにない。雪村に手ずから自慰のやり方を教えた、この場所で…。




 おわり

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