稲妻11 | ナノ


「神童のうちのベッドは寝心地がいい」と蘭丸が呟く。風呂上がりの気怠い身体を寝台に投げ出して、手足を丸めてシーツに包まる姿は猫のようだ。
 しどけなく散らばる濡れ髪が、枕に疎らな染みを作る。髪を乾かさなくても寝冷えの心配がない、暑い季節はもう終わった。ベッドサイドに腰掛けた拓人は、今にも寝そうになっている蘭丸の肩を揺さ振った。
「霧野起きろ。そのままだと風邪を引くし、髪が傷むぞ」
「だって、もう眠い。神童が何回もするから、疲れた」
 子供のような我が儘を言う蘭丸の横顔には、先程までしていた行為の余韻が微かに残っている。
「それとこれとは別だろう」
 責任を転嫁された拓人は、幾らかの恥じらいを顔に浮かべながら、ばつが悪そうに言い返した。蘭丸を部屋に連れてきてすぐに押し倒したことについては、雰囲気も何もなくがっついて悪かったと思っている。しかし蘭丸も盛り上がっていたのだから、結局はお互い様だ。
 明日がまだ予定のない休日ということに託けて、ベッドで二回セックスをして、その後バスルームでもう一回した。久しぶりのゆっくりとした逢瀬に、二人とも余裕がなかったとも言える。

 ――雷門中を卒業して、別々の高校に進学してからというもの、二人で過ごす時間はめっきり減ってしまった。家が幾ら近所にあると言っても、朝から晩まで一緒にいた小中学生の頃のようにはいかない。
 その上、思春期の真っ只中だからなのか、相手に対する欲求は日増しに強くなっている。だから時間が取れたときには、とことん貪り尽くさねば気が済まない。これでもまだ拓人が手加減していることを、蘭丸は気付いているのだろうか。

「ほら…乾かしてやるから、取り敢えず起きろ」
「…ああ…」
 拓人に再三促された蘭丸は、のろのろとベッドに身を起こした。枕には頭の形に染みが出来てしまっている。ピンク色の毛先から滴る雫は透明で、拭う拓人は少し意外な気持ちになった。蘭丸の髪の毛は水に溶け出しそうなくらい、鮮やかで美しい色をしている。
 タオルで粗方の水気を吸い取った後に、ドライヤーの温風を当てて、根元から髪の毛を乾かしていく。今まで何度もしてきた作業なので、拓人の手際はとても良い。ぼんやりと眠そうな目をして、大人しく世話を焼かれていた蘭丸が、不意にぽつりと呟いた。
「…髪の毛、切ろうかな」
「何だ、いきなり」
「この頃身長も伸びてきたし、二つ結びも似合わなくなったかなって」
 確かに高校に入学して以来、この半年の間に、蘭丸の背丈はぐんと伸びた。顔立ちは相変わらず華やかで可憐なのだが、すっかり成長した体格のお陰で、女の子と見間違うような…とは言われなくなった。
 拓人は髪を短くした蘭丸の姿を想像する。今時のアイドルのようで、可愛いかも知れないと思った。
「…霧野なら短いのも似合うと思うぞ」
「そうかな」
「まぁ、ちょっと勿体ない気もするけど…」
 すっかり乾いた蘭丸の髪の毛を、拓人は指で梳いてみた。傷んで引っ掛かったりすることもなく、指の隙間からさらりと零れ落ちる絹の手触りは、拓人のお気に入りだった。
 蘭丸にはショートカットも似合うと思ったが、如何せんツインテールは蘭丸の長年のトレードマークである。バッサリ切ってしまうとなると、寂しさを覚えるに違いない。

「神童に迷われたら、決められないじゃないか」
 感慨に耽る拓人の方を、蘭丸が髪を靡かせながら振り向いた。明るい水色の瞳を煌めかせて、じっと拓人を見つめている。
「…神童も、背が大きくなったよな。体つきもがっしりして男らしくなった」
「…き、霧野…っ」
 そう言った蘭丸がいきなり抱き着いてきたので、受け止めながらも拓人は動揺した。自分が使っているのと同じシャンプーの甘い匂いが、胸元に顔を擦り付ける蘭丸の頭髪から香り立つ。たったそれだけのことなのに、心臓が大きく高鳴った。

「神童は学校でモテるだろ」
「えっ?」
「シン様とか呼ばれて、ちやほやされてるんじゃないのか?」
「…ええっ、と…」
 実のところ蘭丸の言うとおりなのだが、この話と見た目の話題が、並立する意味が分からない。拓人は首を傾げた。
「幼なじみとかいう義理立ては要らないから、たまにしか会えない俺じゃなくて、もっと手近な彼女を作ったっていいんだぞ」
 …拓人は今度こそ、蘭丸の言うことの意味が分からなかった。義理立て?手近?蘭丸に関して、そのように考えたことはない。
「霧野、何を言ってるんだ?…俺を嫌いになったのか?」
「そんなわけないだろ…っ、俺が神童を嫌いになるはずがない」
 抱き締めた腕の中で、蘭丸が声を張り上げる。拓人を見上げる目元が、少し赤く染まっていた。
「俺だってそうだよ。…どうして、そんなことを言うんだ」
 拓人に静かに諭されて、自らの発言の矛盾に気がついた蘭丸は、熱を冷まそうと頭を振った。拓人に関することになると、冷静さを欠いてしまうのが、蘭丸の昔からの性分だった。

「…女々しい嫉妬だったな。すまない、忘れてくれ」
 居た堪れなさから伏し目で謝罪した蘭丸は、拓人から離れてベッドに横になってしまった。頑なに向けられる背中に漂う哀愁が切なくて、拓人は堪らず身を寄せた。いつの間にかすっぽりと抱けるようになった蘭丸の身体を、拓人は腕に収めて言い聞かせる。
「何を心配してるのか分からないけど…俺が好きなのは霧野だよ」
 物心が付く前から一緒にいて、恋心を自覚してからは、もっと愛しくなった。年を重ねて成長しても、生活する場所が異なっても、その想いが変わることはない。蘭丸は拓人のたった一人の大切な恋人なのだ。思うように会えないからといって揺らぐような、安易な想いは持ち合わせていない。
「霧野は違うのか?」
「…違わない。俺も神童が好きだ」
「だったらそれでいいじゃないか。俺はお前を裏切らない。お前もそうだと、信じてるよ」
 拓人の告白を聞いた蘭丸が、腕の中で振り返る。花の顔容に、はにかんだような笑みが浮かんでいた。釣られて拓人も笑顔になる。
「うん、ありがとう…神童」
 寝具に包まって抱き合って、軽い口づけを繰り返す。上気した互いの頬に照れ臭さを覚えながらも、青臭い戯れが楽しかった。

「今日は疲れさせて悪かった。今夜はゆっくり眠るとして、起きたら何処かへ出掛けないか?映画でも、買い物でも…霧野のしたいことに付き合うよ」
「…それは明日になったら考えようかな。取り敢えず今は、こうして神童と抱き合っているのが、幸せだからさ…」




 おわり

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