稲妻11 | ナノ


 中学の時分の先輩である南沢篤志から、倉間典人の元にメールが届いた。実に一年ぶりの音信である。下らない話題で盛り上がれた中学時代ならまだしも、お互いに社会人となった今では、メールでやり取りすることも少なくなってしまった。
 たとえば一年前に交わしたメールは、第一志望の会社から内定をもらったことを知らせるために、倉間から南沢に連絡したものである。余程のことがない限り、南沢からメールが来ることはない。何か重大な用件があるのだろうかと勘繰りながら、倉間は届いたメールを開いた。

『FROM:南沢篤志』
『件名:結婚しました』

 内容はこれだけである。本文はない。
「誰とだよ!!?」
 メール画面に対して反射的に突っ込んだ倉間は、瞬間的に脳裏を過ぎった某男前の存在に、言いようのない虚しさと悔しさを噛み締めた。
 南沢には中学生のときから、付き合い続けている恋人がいる。彼氏である。高校卒業に際して一度別れたのだが、何年かして再び縒りを戻した。南沢に呼び出されては、愚痴を聞かされていた倉間は、その辺の詳しい経緯を承知している。――兵頭司は、恋多き南沢の、実質最後のひとである。
 男同士、だから、結婚はおかしい。しかし男女の結婚に相当する大きな心境の変化が、南沢と兵頭の間にあったに違いない。交際十年目にして、男夫婦としてやっていく決心を固めたものと思われる。
 倉間はメール画面をもう一度見た。いっそ適当と思える程に素っ気なくて、悔しいくらいに南沢からのメールである。件名に用件を書くのはやめて下さいと、中学生の時から倉間は頼んでいるのに、この怠惰な癖を南沢は一向に改めてくれない。十年経っても続いている、南沢の妙なこだわりに呆れると同時に、変わらない文面に深い懐かしさを覚えた。
 過ぎ去りし遠い日々に思いを馳せながら、倉間はメールの返事を作った。

『DEAR:倉間典人』
『件名:おめでとうございます』
『本文:今度遊びに行ってもいいですか?』


 ◆ ◆ ◆

 駅から近いと教えられた南沢(とその彼氏)の住まいは、社会人二年目の男が住むところにしては、かなり上等な雰囲気のマンションだった。倉間の住む格安アパートとは、外観も設備も家賃も比べ物にならない。
 共働きだから良い家に住めるのだろうか。そういえば何気に二人とも、大手企業に勤めていると聞く。倉間はエントランスの機器に、教えられた部屋番号を打ち込んで、インターホンを鳴らした。
「はい」
 間もなくして応答したのは、懐かしい南沢の声だった。カメラに向かって会釈する。
「倉間です。こんにちは」
「おお、今開ける」
 オートロックの入り口が開く音がする。こういう仕組みにあまり縁がない倉間は、ぎくしゃくしながらマンションの中に入り、エレベーターに乗って南沢の部屋を目指した。


「お久しぶりです、南沢さん」
「よく来たな。まぁ入れよ」
「はい。お邪魔します」
 久しぶりに顔を見た南沢は、記憶にある面影よりも少し痩せたように思えるが、概ね健康そうなので倉間は安堵した。自宅用のラフな格好ではあるが、きちんとした服を身に付けている。それから倉間は室内を見渡した。広い部屋は整理整頓が行き渡り、仄かに漂う生活感は落ち着くものだった。
 南沢には不摂生を厭わないところがあったので、衣食住満ち足りた生活を送っていることは、それだけで良い傾向だと思った。

「何のおもてなしも出来ませんが」
 棒読みでそう言った南沢は、水の入ったグラスを倉間に差し出した。ミネラルウォーターではない。蛇口を捻って注いだだけの水道水である。
「南沢さんって本当に変わらないですね」
 倉間は困ったように苦笑した。お茶やコーヒーを淹れてくれと贅沢は言わないから、せめて水に氷くらいは浮かべて欲しかった。あらゆる細かな不満を「変わらない」の一言で包んで飲み込んだ倉間は、常温の水を有り難くいただいた。同じものを南沢も飲んでいる。
「あっそうだ。これ、手土産です。」
「何?」
「ケーキです。甘いもの好きですよね?」
「よく覚えてたな。ありがとう」
 素直に礼を述べた南沢は、倉間から受け取った箱を冷蔵庫にしまった。
「司が帰って来たら食べよう」
 兵頭司。何だかんだで南沢と、十年間付き合っている彼氏の名前である。
 倉間は兵頭とは殆ど面識がないが、南沢から聞く情報によって、兵頭のことはよく知っていた。いつか南沢に自嘲気味に惚気られた「俺には勿体ないくらいのイイ男」という表現が、兵頭の全てを物語っているような気がする。南沢は兵頭に非常に大切にされているようだった。
「…兵頭さんは仕事ですか?」
「そう。もうすぐ帰ってくると思うけど」
 兵頭は会社に呼び出されて休日出勤中らしい。来てすぐに鉢合わせる事態にならなかったのは幸運だった。倉間が兵頭と顔を合わせるために、覚悟を固める時間の余裕がある。同性同士の恋愛に偏見がないとはいえ、先輩の彼氏と会うのだから緊張するものだ。


 ◆ ◆ ◆

 中学生の頃のようにテレビゲームに興じて、年甲斐もなく盛り上がって遊んだ。然程やり込んでいる風もないのに、倉間よりも南沢の方が、いつも少しだけ強かった。そういえば単発では勝っても、一ステージを通して南沢を負かしたことはない。倉間はコントローラーを投げ出してしみじみと呟いた。
「南沢さんは相変わらず強いなぁ」
「そうか?司はもっと強いんだぜ」
 ことわざに曰く、噂をすれば影という。南沢が得意げに語ったその矢先に、この家のもう一人の住人が帰ってきた。
「ただいま」
「おかえり、司」
 ネクタイを緩めながら入ってきた男前が、南沢の彼氏の兵頭である。南沢もそれなりに背が高いが、兵頭はさらに上背があり、体格もがっしりとしていて男らしい。スタイルが良いのでスーツがよく似合っている。倉間は軽く会釈をした。
「お邪魔してます」
「倉間…くん、だったか?いらっしゃい」
 見るものを圧倒させる美丈夫ぶりだが、それでいて性格は意外にも優しい。にこっと笑ったその顔は、如何にも快活な男性という感じがして好感が持てる。これだけ格好良ければ、多方面にさぞかしモテることだろう。南沢と兵頭が並ぶとそれは絵になった。

「二人とも夕飯は食べたのか」
「まだ食べてない。腹減った」
「わかった。すぐ作る」
 南沢の口ぶりから察するに、料理は兵頭の仕事らしい。上着を脱いでワイシャツ姿になった兵頭は、腕まくりをしてキッチンに立った。それを見て倉間は腰を浮かせる。
「手伝いましょうか?」
「有り難いが大丈夫だ。篤志と遊んでやってくれ」
「わかりました」
「おい、俺を子供扱いするな」
 南沢の抗議に苦笑しながら、倉間は兵頭の好意に甘えることにした。


 間もなく兵頭の手料理が出来た。大盛りで三皿分もあったのに、瞬く間に完成してしまった。
「有り合わせのもので悪いな」
 兵頭が作ってくれたのは炒飯だった。有り合わせと兵頭は言うものの、細切れの野菜や肉らしきものも入っていて、卵を纏って炒められた米は、一粒一粒パラパラとしている。出来立ての湯気が含む美味しそうな匂いに、倉間の空腹の胃袋がきゅっと震えた。
「いただきます」
 手を合わせた南沢に倣って、倉間も食事前の挨拶をした。レンゲに掬い上げた熱々のご飯を口一杯に頬張る。
「美味しい!」
 真っ先にその言葉が口から出た。味付けも火加減も言うことがない。シンプルな料理だからこそ、腕の確かさが光る。倉間は夢中になって山盛りの炒飯を食べた。
「口に合ったなら良かった」
「司は料理が上手いんだ。和洋中何でもいける。色気のない男飯だけどな」
「男飯で悪かったな」
「悪いとは言ってない」
 先程から続く二人のやり取りがおかしくて、倉間は思わず笑ってしまった。南沢と兵頭が普段から、仲良くやっていることがよく分かった。


 ◆ ◆ ◆

 倉間が手土産として持ってきたケーキは四個あった。二個だけだと寂しい気がしたので、南沢と兵頭が二個ずつ食べられるようにと考えての、四個という数だった。自分が帰った後にでも、二人で分けて食べてくれたらいいと思っていたのだが、食後のデザートとして食べたいと南沢が言い始めた。
「俺はいいですよ」
 倉間は遠慮した。元より数の内に自分の分は入っていない。
「お前が持ってきたものなんだから食っていけよ。ほら、倉間から選んでいいぞ」
 しかし南沢は引き下がらない。兵頭も同調して頷いている。
「でも、お二人から選んで下さい」
 二人への手土産なのだから、客である自分は一歩遠慮しなければならない。倉間にも譲れない一線があった。
「相変わらず謙虚だな…俺はザッハトルテといちごタルト。司はショートケーキでいいか?」
「どれでも構わない」
「じゃあ決まり。倉間はレアチーズケーキな」
「あ、ありがとうございます…」
 南沢が選んで差し出したケーキの種類に、倉間は少し驚いていた。実は倉間はケーキの中では、レアチーズが一番好きなのだ。味の好みを南沢に教えたことがあっただろうか。知っていてこれを選んでくれたなら嬉しい。しかし兵頭がいる手前、そこのところの事情を尋ねることはできなかった。
「このケーキ、うまいな」
 機嫌のよい南沢は、二個のケーキをぺろりと平らげた。


 満腹になったことで睡魔が襲ってきたのか、南沢が船を漕ぎ始めた。ふらふらする南沢の肩を、兵頭が自然な所作で支える。
「眠いのか?」
「ん…眠い……ちょっと寝る」
「おい。こら、寝るな篤志」
 ふにゃふにゃと呟いてソファに横になった南沢は、兵頭の制止を受け流してすぐに眠ってしまった。まるで子供のような南沢の振る舞いに、兵頭が呆れて溜め息をつく。
「倉間くんがいるのに、全くこいつは…」
「寝かせてあげましょう。俺もそろそろ帰ろうと思ってたんで、大丈夫です」
 南沢は貴重な休日の時間を割いて、倉間を家に招いてくれた。疲れているのに付き合ってもらって有り難いくらいだ。明日は仕事があるだろうし、倉間もそうだったから、夜遅くまで長居をするつもりはなかった。
「今日は本当に有り難う御座いました」
 南沢はソファに寝かせたままにして、兵頭は帰る倉間を見送りに立った。
「後輩の見送りもしないとは。後で篤志によく言っておく」
「いいんですよ」
 倉間は笑って断った。南沢は眠ってしまったけれど、確かめたいことは全部確かめられたから満足だった。
 ――大学時代に一人暮らしをしていた頃の南沢は、食べるものを食べているのかも怪しい有様で、睡眠時間の定まらない不健康な生活を送っていた。身体の上だけで付き合っている男女も沢山いたようだ。ちょうど南沢が兵頭と別れていた期間のことだ。自棄になって自虐を繰り返す南沢の姿は、痛ましくて見ていられなかった。
 あの時の破滅的なイメージが強く残っているから、倉間には南沢を気に掛けて、必要以上に心配する癖が付いた。しかしそれも今となっては、杞憂に過ぎないのだと分かった。

「あの、兵頭、さん」
 姿勢を正した倉間は、兵頭の目を見てお願いした。
「南沢さんのこと、大切にしてあげて下さいね」
 あなたにしかこのひとは守れないからと、倉間は真摯に頭を下げた。誰も信じないという荒んだ目をして、破れかぶれに生きている南沢の姿を、もう二度と倉間は見たくなかった。南沢には兵頭が必要なのだ。そして兵頭ならば南沢を、この先も支えて続けてくれる。そう思ったから頼み込んだ。
「ああ。幸せにする。約束する」
 それだけの短い遣り取りであったが、倉間の切実なる思いを汲み取った兵頭は、力強く頷いた。


 ◆ ◆ ◆

 秋の夜風を少し涼しく感じる帰り道、倉間のポケットの中で携帯電話が震えた。短めのバイブレーションでメールが届いたのだとわかる。ディスプレイの表示を見てみると、出てくるときは寝ていた南沢からだった。南沢らしくない、珍しい件名にどきりとした倉間は、緊張しつつ受信メールを開いた。

『件名:くらまへ』
『本文:来てくれてありがと』

 たったそれだけの言葉だったが、倉間は思わず目頭を熱くさせられた。無責任に与えられた優しさに、抑えていた感情が込み上げる。自分なりの踏ん切りを付けて、あの家を出て来たのに、このひとはどれだけ俺を揺さぶれば気が済むのだろう。倉間は本当に参ってしまった。
「もう勘弁して下さいよ…」
 倉間は中学生の頃から、ずっと南沢が好きだった。だから南沢を笑顔にさせているのが、自分ではないことを口惜しく思っている。この恋を伝えることは諦めたけれど、忘れることはできそうにない。しかしこれまで見守り続けてきた、南沢の複雑な胸中を思えばこそ、倉間は自分の気持ちを押し殺して、二人を祝福することができる。
 思えば南沢は昔から、内申書の内容を気にするような、少しませた子供だった。あれだけ拘っていた体裁をかなぐり捨てて、同性と添い遂げる決意をするのは、大変なことだったに違いない。それでも南沢が選んだ道ならば、倉間は口出しするつもりはなかった。今はただ、あの二人が歩んでいく未来が、明るくて幸せなものであれと願うだけである。
 南沢の穏やかな笑顔を思えば、この胸の切なさなど、痛みではないと思えた。




 おわり

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