稲妻11 | ナノ


※帝国戦開始直後に書いた
※龍崎のキャラがズレてるけど許して




 本当にいつから、いつからこんなに好きになってしまったのだろう。あのひとは好きになってはいけないひとだ。好きになってはもらえないひとだ。けれどこの想いをあきらめられない。
 あのひとの目は俺を見ないと分かっているのに、知っているのに、俺は自ら傷付こうとしている。



 ディフェンスの練習中に、御門と龍崎が激しい接触をした。同じ勢いでぶつかっても体格差があると、小柄な方がより大きな衝撃を受ける。必然、吹き飛ばされたのは龍崎だった。ガタイの良い御門に撥ねられて、ちょっと驚くくらい派手に龍崎は飛んでいった。
 ディフェンダーというポジション柄、衝突や転倒は日常茶飯事で慣れっこなのだが、この時は受け身の取り方が良くなかった。着地に失敗した龍崎は地面に何回か転がって、顔面をしたたかに打ち付けてしまった。
 帝国学園のグラウンドが全面人工芝であるのが救いだったが、それでも痛いものは痛い。一足先に体勢を立て直した御門が、蹲る龍崎を心配して慌てて駆け寄る。
「悪い龍崎!大丈夫か?」
「ああ、平気…だと思う」
 地面で打った顔はずきずきと痛いが、身体を変に捻っていないことを確認して、龍崎はホッと息をついた。例えば脚を捻挫したりしてサッカーの禁止を言い渡されたら、弱肉強食の帝国学園では、レギュラー剥奪の危機に陥り兼ねない。だからこそ安堵した龍崎は、差し延べられた御門の手を借りて、少しふらつきながらも身を起こした。
「身体は何ともないから大丈夫だ」
 無事を告げるために龍崎が顔を上げると、御門が目を見開いてあっと驚きの声を上げた。
「どうかしたのか?」
「龍崎、鼻血出てる」
「えっ」
 御門に指摘された龍崎が自身の顔に触れてみると、べちゃりと濡れた感触がした。手のひらには真っ赤な血液がべったりと付着している。運動中で心拍数の上がっているところだったから、出血量が多くて大変な有り様になった。グラウンドで練習していた他のレギュラーも、何だ何だと様子を見に来ては、龍崎の血塗れの顔にぎょっとしている。
「こういうとき、どうするればいいんだ…?」
「えーと…鼻を摘んで上を向く?」
 御門に言われたようにしようとする龍崎を、阿呆と一喝する声があった。
「それだと呼吸ができなくなって窒息するぞ」
 その場に居合わせた部員の視線が一様に、深緑の仕立ての良いスーツに身を包んだ年若い男に注がれる。渦中の龍崎も耳慣れた声の方向を見た。そこに居たのはサッカー部のコーチを務める佐久間次郎だった。
「佐久間コーチ」
 佐久間の登場に動揺したのは龍崎だった。実は佐久間に恋心らしき慕情を抱いている。佐久間の整った美貌に凝視されると、龍崎はこそばゆくて逃げ出したい思いに駆られる。このときも思わず身体が後ずさったが、退ける距離は僅かと限られている。佐久間にはすぐに歩み寄られてしまった。
「…また派手に吹いたものだな…」
 鼻を押さえて座り込む龍崎の傍らに、佐久間は膝を付いた。指の間からも垂れる鼻血を見兼ねた佐久間は、スーツの胸ポケットから取り出したものを、龍崎の前に差し出した。
「これで押さえておくといい」
 佐久間が龍崎に差し出したのは、真四角に折り畳まれた純白のハンカチだった。丁寧にプレスまでされたそれは如何にも清潔そうで、龍崎は血だらけの手に取ることを躊躇った。
「ほら、早くしろ」
「あっ」
 そんな躊躇と遠慮など歯牙にも掛けず、佐久間は龍崎の顔にハンカチを押し付けた。血液が布地に染み込むじわりとした感じがした。布越しに感じる佐久間の指の感触に、まるで喜ぶように心臓が高鳴った。龍崎の面倒を見ながら佐久間は、二人を取り巻いて傍観している部員たちに、てきぱきと次なる指示を飛ばす。
「後は俺が手当する。お前たちは練習に戻れ。気を抜くなよ」
「はい!」
 指示に従って御門や他の選手が散開していく。
「龍崎は俺とベンチに来い。歩けるな?」
「はい、歩けます」
 ハンカチを自分で持つように促された。佐久間に差し出された手を、龍崎は汚れていない方の手で掴んで立ち上がった。踵を返した佐久間の背中で、水色の髪の毛がさらさらと揺れた。思ったよりも広くはない肩幅に、この人は割に小柄なのだと気づく。抱き締めたら腕に収められそうだと、佐久間の背を追いながら、龍崎は場違いなことを思っていた。

 直後は大丈夫だと思ったが、転倒の際に腕を打ったらしく痛んできた。自分で鼻血を抑えながら、冷却スプレーをしてもらう。佐久間の手当ては手際が良かった。
「この腕は結構痛いだろ。痣になるだろうな」
 実際に同じような怪我を経験したことのある人間の口ぶりだった。手当をしながら佐久間がぽつぽつと語ることが、コーチである佐久間しか知らない龍崎にとっては、新鮮だった。
「俺も昔、ディフェンスの奴によく吹っ飛ばされた」
 今でこそコーチの位置に落ち着いているが、佐久間は帝国学園サッカー部のOBだ。実際に十年前、このグラウンドを駆けていた選手の一人で、ポジションはフォワードだったという。御門の新しい必殺技の指導を、佐久間がしているのを見たことがある。
 十四歳のときのこの人はどんなプレイヤーだったのかと、手当てをする佐久間の伏し目を見詰めて龍崎は思う。三つ揃いのスーツの下には、往年の一流プレイヤーの肉体が息づいているはずだった。十年前、今の龍崎と同い年だった頃の、佐久間の姿。
(知りたい)
 と、強く思った瞬間に、夕焼け色の瞳と目が合って龍崎は狼狽えた。
「鼻血は止まったか?」
「はっ…はい、もう止まりました」
「それならいい。大事な身体なんだ、転び方にも気をつけろよ」
 怜悧な美貌が少しだけ綻ぶ。その美しい微笑みに龍崎は見惚れてしまう。厳しくて無駄がなく、有能な指揮官だと思っていた佐久間の知らない一面を間近で見た気がして、龍崎は不思議な気持ちに捕われた。年上の指導者に対して失礼かも知れないが、かわいいと、そう思ってしまって…。
「あと十分で練習も終わる。お前は休んでいろ」 そう言い残してグラウンドに戻る佐久間を、龍崎は咄嗟に呼び止めた。
「あの、佐久間コーチ…」
「何だ?」
 振り返った佐久間に、ハンカチを翳して見せながら龍崎は尋ねる。
「このハンカチはどうしたら…」
「こういうのは、洗って返すのが礼儀だろう?」
「は、はい!そうですね。申し訳ありません」
 下げた頭を上げたとき、佐久間はもう背中を向けていた。ハンカチを握り締めて龍崎は呟く。
「有り難うございました…佐久間コーチ」



 自宅に持ち帰った借り物のハンカチを、洗濯物の中に放り込んでしまうことはできなかった。龍崎は自室でハンカチを広げた。純白の布地には、赤褐色に変色した血痕が、斑模様に付着してしまっている。手洗いの仕方は後で母親に尋ねようと考えて、龍崎は元の正方形の形に折り畳んだ。このハンカチはこの形で、佐久間のスーツの胸元に入っていたのだ。
 佐久間がいつも持ち歩いていたものが手元にあることに、龍崎は無性にドキドキした。いずれ返さねばならないものだが、今は龍崎の手の中にある。
(やってはいけないことだと、わかっているのに…)
 好奇心が罪悪感を上回った。龍崎はハンカチを顔に押し付けて息を吸い込んだ。埃っぽい血液の匂いに混じって、仄かに紫煙の香りがしたのが意外だった。話を聞いたり見たりしたことはないが、もしかしたら佐久間は煙草を嗜むのかも知れない。或いは身近に喫煙者がいるのかも知れない。
 いずれにせよ堪らなくなって、龍崎はベッドに寝転がった。佐久間のハンカチを握り締めながら龍崎は想像する。聞くところによると、髪の毛は匂いを溜め込みやすいのだという。あの美しく長い髪の毛を掻き上げたら、もっと深くて濃厚な煙草の匂いがするのかも知れない。それは佐久間自身が吸ったものなのか、或いは別の誰かが付けた匂いなのか…。
「…っ、すみません…佐久間コーチ…」
 龍崎はハンカチに染み込んだ匂いを嗅ぎながら、疼く下肢に手を伸ばした。下着の中に手を差し入れると、そこはもう硬くなって立ち上がっていた。欲求のままに握って扱けば、すぐに気持ち良くなる。
「はぁ…っ…、んっ…あ…っ」
 伏し目を縁取る睫毛の長さや、握った手のひらの低い体温を思い出す度に、龍崎の劣情は燃え上がった。畏敬する恩師を性的な目で見て、自慰の道具にする浅ましさに呆れてしまう。
「…っく、はぁっ…あっ…んん…っ」
 握り締めたハンカチから仄かに香る煙の匂いが、龍崎と佐久間を隔てる距離感を明白に浮かび上がらせた。そこには龍崎の知らない大人の顔が立ちはだかっている。
 大人は誰しも、子供には踏み込めない領域を持っていることを、龍崎は知っていた。それは普段、表に出さないようにしている私生活であったり、とうに過ぎ去った昔であったりする。
「っあ…コーチ…っ、佐久間、コーチ…」
 だから龍崎がどんなに求めようと、おそらく佐久間は振り向かない。知りたくてもきっと教えてもらえない。龍崎が子供だから。
 縮まらない十年間が恨めしかった。この月日のために、この恋は叶わないのだと知る。切ない想いは独り言にして吐き出した。そうしないといつか溢れ出してしまいそうだったから。
「…すきです、さくまコーチ……あぁっ、はあ…っ!」
 自らの手で絶頂に上り詰めた龍崎は、迸る飛沫を手のひらで受け止めた。



 目を閉じれば端正な佇まいが瞼の裏に鮮やかに浮かぶ。触れたくて触れられない初恋の虚影は、劣情に踏み荒らされることもなく美しいままだった。




 おわり

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -