稲妻11 | ナノ


 円堂守は雷門中のグラウンドで、監督を務めているチームの指導をしていたはずだった。しかし死角から飛んできたサッカーボールを避け損ねて、頭部にしたたかな衝撃を受けてからの記憶が全く飛んでいる。大方当たり所が悪くて気絶をしたものと思われたが、気が付いたときには土ではなく床に寝転がって倒れていたから、どうにもこうにも不可思議なのだ。

「…っ、痛…っ…ここは、一体何処なんだ?」
 頭部に残った鈍痛よりも、置かれている状況が円堂を戸惑わせる。グラウンドとは似ても似つかない、見知らぬ建物の中に円堂は一人でいた。凹凸の少ない無機質な通路は、少し前のSF映画に出てくるような、宇宙船の内装を彷彿とさせる。空調が適温を保っていても、眩しすぎる真っ白な照明のせいで、何処か冷たい印象を受けてしまう。近未来的な内装は現実味に乏しかった。
 事の経過が全く読み取れない。格好はいつものジャージ姿のままだから、グラウンドでボールを受けてから、そう長い時間は経っていないことがわかる。だが外で気絶した円堂を誰かが室内に運んだものだとしても、雷門中の敷地にこのような場所はなかったはずだ。では此処は一体何処だというのか。

 周りの様子を見渡していたら、何処かに人の気配を感じた。向こうもまた円堂の存在に気付いたらしく、硬質な靴音を響かせてこちらに近付いて来る。一本道の通路に逃げ場はない。ともすれば不法侵入と思われ兼ねない状況の下、自分を見付けるのが話の分かる奴なら良いと祈った円堂は、光の中から現れた人物を見て言葉を失くした。

「そこにいるのは誰だ」
 毅然とした響きを持った、聞き覚えのある声音だった。上背のある精悍な肉体を濃緑色の軍服に隙無く包んだ、美しく凛々しい佇まいの青年が、白い光を背にして立っている。
 未知との遭遇に備えて身構えていた円堂から、肩の力が一気に抜けた。円堂はこの男を知っていた。今から十年前に掛け替えのないひと時を過ごした、あの少年――。確信があるのに問い掛けたのは、本人の口から紡がれる確証が欲しかったからに違いない。
「…お前、バダップか?」
「…、君は…」
 切れ長の深い緋色の眼差しに射抜かれて、円堂の肌が一斉に粟立った。この男と対峙するときはいつも、痺れるような緊張が伴っていたのを思い出す。歳を重ねたことに因るのか、その威圧はかつてより増したような気がする。

 見違えるほどに成長しているが、円堂の前に現れた青年は、バダップ・スリードで間違いなかった。バダップは至る所に少年の時分の面影を残しながらも、堂々たる体躯を持った美丈夫に変わっていた。
 もともと恵まれていた身長は今や、円堂を見下ろす程に高く伸び、上背に比例した体つきは均整の取れた男らしいものである。筋肉のしなやかさはそのままに、長く伸びた手足は軍人らしい屈強さも帯びている。今まさに盛りを迎えんとしている肉体の生気漲る躍動を、着衣越しにも悉に感じ取ることができた。
 かつての知己と十年ぶりの再会をした円堂と、同じだけの時間が彼の身を過ぎたとすれば、二十四歳を数えるバダップは同性から見ても惚れ惚れするような男前である。
 そのバダップもまた、思いもよらぬ突然の再会に、端正な容貌に戸惑いの色を浮かべていた。
「円堂、守…?」
「覚えてるのか?」
「…忘れるはずがない、」
 噛み締めるような呟きと共に、精悍な顔立ちが幼く綻んだ。左胸の上を右の拳で軽く叩く仕種と、不意に見せられた少年のような無垢な微笑みに、円堂の胸の奥は千々に掻き乱された。
 こんなとき、身体は心よりもずっと素直に反応する。心臓が一瞬で熱く高鳴り出して、目の前の男を強く欲しているのだと気付かされる。十年の空白を経てもなお、円堂は認めざるを得なかった。

 ――俺は、今も、この男を愛しているのかと。


 十年前、円堂は一度だけバダップに抱かれている。互いが好きで愛わしくてどうしようもなくなって、サッカーだけでは伝え切れない激しい想いをどうにかするべく、練習後の部室で苦し紛れに身体を繋げたのだった。
 どちらも少年と呼べるくらい若かったから、円堂もバダップも、セックスをするのは初めてだった。二乗の初体験が上手くいく訳もなく、何度も止まったりやり直したりしながら、やっとのことで結ばれた。息も絶え絶え、汗だくで成した交合は快楽とは程遠いものだったが、この上なく満ち足りていて幸福だった。
 円堂の中で先にバダップが果てて、結局円堂は射精できなかったが、達した瞬間のバダップの切なげな表情の記憶は、その後も時々円堂の自慰の材料になったりした。
 慣れない行為の後の気怠い身体を、ベッド代わりに敷いた埃っぽいマットに、二人して無造作に投げ出した。荒く湿った呼吸音だけが、随分と長いこと聞こえていたような気がする。
 古いままの部室の天井に浮かんだ染みを、手持ち無沙汰に数えながら、円堂はバダップと共にいられる時間の長さを推し量った。どうしたって、そんなに長いようには思えなかったから。


 あれから程なくして二人の世界は分かたれたから、円堂の予感は奇しくも的中したことになる。だから円堂には、今この時も何と無くわかるのだ。自分たちに気紛れに与えられた再会の時間が、会えない日々を語るには余りにも短すぎるということが。
 十年という月日は決して短いものではない。一言で語り尽くせるものでもない。この十年間に互いの身の上に何が起きて、何を思い、どう変わったのかを伝える簡潔な言葉を二人は持たないが、変わらない想いの伝え方は知っていた。なにせ今回は初めてではないのだ。二回目ならばもっと、上手く教えられるはずだった。

「久しぶりだな、バダップ」
 あの頃よりも高い位置にある瞳を、円堂は真っ直ぐに見詰めて言った。
「元気そうで良かったぜ。お前らがいなくなってから、皆ずっと心配してたんだ」
「あの時は、すまなかった…」
「…此処はお前たちの時代みたいだな…俺にも事情が分からないんだが、ボールが頭にぶつかって、気絶して…気が付いたら此処に居たんだ。不思議なことがあるもんだな、」
「そう、なのか…」
「…でも、こうしてバダップに会えたから、良かった」
「円堂、守…」
 長身がふらりと揺らいだと思った次の瞬間には、円堂は強い力で抱き締められていた。バダップの逞しい身体は円堂をすっぽりと包み込んでしまう。消え入りそうな声で会いたかったと囁かれる。苦しい程に掻き抱く腕が小さく震えていたから、バダップが泣いているのかと円堂は思った。聞き分けのない子供のように、無遠慮にしがみつく身体に腕を回して、男の広い背中を撫でてやる。
「大の男がみっともないぜ…優秀なお前のことだ、もう一軍を任されるくらいの将軍になってるんだろ?こんな姿を見られたら、部下に示しが付かないぞ」
「…ああ、」
 それでもバダップは円堂を放そうとしない。誇り高い男が見せる分別のなさに苦笑しながら、円堂はバダップに頼んだ。
「だからちゃんと、二人きりになれる場所に案内してくれよ?」


 二人はバダップの部屋に向かうことにした。歩きながら幾らかの会話をした。バダップによると、此処は八十年後、軍の共同宿舎の内部であるらしい。国家機密に関わるとんでもない場所に飛ばされたものだが、それはバダップに再会するためだったのかもしれないと円堂は思った。現に円堂を見付けたのはバダップで、こうして移動している間も二人の手は固く繋がれたままだ。

 人目を忍ぶように移動して、バダップの自室に通された直後、自動ロックが掛かったばかりの扉に円堂は背中から押し付けられた。何か言おうとした口も、バダップにキスで強引に塞がれてしまう。こんなに性急な男だったかと意外に思ってしまうくらい、円堂を前にしたバダップの態度には余裕がなかった。貪り尽くす勢いの接吻に応えるべく、円堂も自ら唇を開いてバダップの舌を受け入れる。
「…ふっ、…ん…ぅ…」
 バダップの蹂躙を口腔に受けながら、円堂は薄く目を開けて目前にある男の顔を盗み見た。キスをするときは目を瞑るものとバダップに教えたのは円堂で、彼が今もその教えを律儀に守っているのが愛しかった。瞼をきつく閉じる所作は処女のようなのに、キスの仕方はかなり巧みになっている。舌先に歯列を撫でられて咥内を優しく掬われる度に、吸われた舌の根がじんじんと甘く痺れた。
「…はぁっ、バダップ…もっと…」
「…円堂…っ、ん……」
 濡れた舌が絡み合ってはしたない音を立てたり、息継ぎの合間に吹き掛かる熱い吐息が唇を擽ったりするのが堪らない。ともすれば冷酷にすら映る端正な美貌を情欲に火照らせて、発情したバダップは円堂を猛烈に欲している。この克己心の塊のような男に、我を忘れるほどに求められていると思うと、悪い気分はしない。まるで女の悪い優越感のようだと呆れながら、自分は本質的に淫乱なのかも知れないと円堂は思っていた。

 場所を寝室に変えて、互いに一糸纏わぬ姿になる。指導者に徹し始めた円堂の身体は、男として恥ずかしくない程に逞しいものだったが、現役のサッカー選手だった頃に比べると若干薄くなっている。故に生粋の軍人であるバダップの鋼の肉体とは比ぶべくもない。力強い腕に抱かれて厚い胸板に顔を押し付けられたとき、十年という月日の長さを、円堂はありありと思い知らされた。
 伸し掛かるバダップの鍛え上げられた身体に、少年期特有の危うさは既にない。円堂の肉体もまた同じであった。幼い柔らかさは男の無骨さに変わっている。それでも構わないとバダップが言うから、大人しく押し倒されたのだ。
 引き締まった逞しい首に腕を絡めた円堂は、豊かな白銀の髪を掻き分けた耳元に、自嘲と皮肉とを込めて囁いた。
「どうせ長くは一緒にいられないんだ」
 十年前のように、と言外に忍ばせた台詞に、二人を取り囲む空気が切なく揺らいだ。今更口にしても詮無きことと黙っていたが、過去に起きた別れの言葉も言えないままの突然の別離は、少年だった二人の心に尽きない後悔を焼き付けた。一度だけ交わした身体の熱を忘れた頃に思い出しては、どうしようもない焦燥に襲われていた。それはきっと、お互いに。
「だから、さ…忘れられないくらい、目茶苦茶にしてくれよ」
 あれから十年の歳月が経過している。円堂もバダップも、もう何も知らない子供ではなかった。激情の赴くままに抱き合っても、成長した肉体は簡単に壊れたりはしない。心と身体に一生残るような想い出が欲しかった。


 再会して以来の性急さの割に、ベッドに移ってからのバダップの愛撫は、非常に丁寧で慎重なものだった。あんまりに真剣な表情で前戯を施してくれるものだから、円堂もただ、受け入れることしか出来なくなる。
「…はっ、ぁ…ん…うっ…」
 唾液の滑りを纏ったバダップの人差し指が、円堂の後孔を丹念に慣らして拡げていた。先程濡らすために口腔を浚っていった、節くれ立った長い指の感触を思い出すと、何だかこそばゆくなって下腹部に力が入ってしまう。
 拡張のために差し挿れた指を突然くっと締め付けられて、バダップは不思議そうに首を傾げた。何故いきなり円堂が反応したのか解せないといった様子だが、そういう可愛らしい顔をされると我慢が出来なくなる。まだ挿入には辛いことは明らかなのに、無茶を許したくなるからやめて欲しい。

 そうこうしながら慣らされた後孔は、バダップの指を三本も銜えられるようになっていた。曲げた指先に内壁を引っ掻かれると、ぞくぞくするような快感が内腑の奥から込み上げる。しなやかな指による愛撫は痛みもなくて気持ちが良いが、更に激しい快感を知っている身体には、どうにも物足りない。
「…っバダップ、もう…っ」
 円堂は脚を使ってバダップの身体を引き寄せた。その拍子に指が抜けたので、喪失感を強く感じることになった。体内に意識させられた空洞を埋める質量と熱が、欲しくて堪らなくなる。
「なぁ…もう、大丈夫だから、さ…」
 円堂はバダップの指が抜けた後孔を、人差し指と中指を使って拡げて見せた。我ながら淫らな誘い方ができるようになったものだと呆れてしまうが、とことん前戯で焦らされてもう我慢がならない。バダップの視線がそこに釘付けになったのを見て、円堂はとびきり悩ましく懇願した。
「早く挿れてくれ…お前が欲しい」




 →

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -