稲妻11 | ナノ


 江戸時代の話。隠れたキリスト教徒を見分けるために、キリスト像なんかを彫った板を、町の人々に踏ませたという。歴史の教科書に必ず載っている、いわゆる踏み絵というやつだ。
 そんな単純な方法で、本当に信者を見つけられるのかと、オレはいつも疑問に思っていた。敬愛する主キリストを象ったものだといっても、所詮は単なる板切れである。踏まなければ異端者として殺されてしまう状況下で、命と信仰とを天秤にかけたなら、偶像を踏むことくらいできるだろう。キリストもそのくらい許してくれるだろう。
 オレはそんな風に思っていた。そう、このときまでは。


「いやいやいや絶対無理ですていうか駄目です無理です無理です無理無理無理」
「無理などと言っていられる場合ではないだろう!さぁ早く!」
 よく通る声で檄を飛ばして、アフロディはオレの前に素早く膝を付いた。同時に差し出された手のひらは、降り注ぐ太陽の光を受け止めて眩しく光って見える。
 アフロディの手は白くて細くて指が長い。その気になれば手のモデルにもなれるんじゃないだろうか。そんな手がオレに向かって一心に差し出されている。同い年の男のものとは思えないような美しい手のひらに眩暈を覚えた。このまま貧血でも起こして倒れた方が楽になれるのにとすら思う。心臓は早鐘のように胸を打ち続けている。
「さぁ急いで半田くん!」
 跪いたままのアフロディが決断を急かす。アフロディのいうとおりだ。オレは急がなければならない。それでも、これだけは譲れない。これだけはできない。いくらなんでも無理だと思った。

「いくらシューティングスターには土台が必要でも、アフロディの手は踏めないっ…!」

 押し迫る葛藤に耐えかねたオレが絶叫する真横を、ボールを持った吹雪が華麗なドリブルで抜けていった。ディフェンス失敗だった。
「何やってるんだお前たち!」
 円堂の厳しい声がフィールドにピシャリと響く。アフロディは悪くない。オレは何をやってるんだ。こんなオレはディフェンダー失格だ。ゴール前では宮坂のシューティングスターが見事に決まっていて、吹雪からボールを奪っていた。
 鬼道を踏み台にしているというのに、宮坂の身のこなしに躊躇いなんてない。宮坂はすごいな。あの鬼道に対して恐れ多いとか少しも思わないのか。オレだったら怖い。
 恐れ多くて怖いが鬼道がパートナーならオレもまだできる。でも、アフロディは駄目だ。絶対に無理だ。アフロディはサッカーをやっていることが信じられないくらい綺麗な奴なのだ。
 人とは違う神聖な雰囲気に満ちたアフロディを、オレみたいな凡人の中の凡人が足蹴にするなんて許されないことだ。あの美しい手に傷など負わせた日には、オレは自己嫌悪で死ねる自信がある。
 やっぱり無理だ。アフロディだけは踏み台にできない。そんな罪深いことをするくらいなら死んだ方がマシだ。


 そして俺は踏み絵の話を思い出す。キリスト教を隠れて信仰していた人々の気持ちが今ならわかる気がした。
 我が身が厳しく処罰されると知っていても、彼らは敬愛するキリストを蔑ろにすることはできなかったに違いない。キリストに背くくらいなら、彼らは断ぜられる道を選んだに違いない。信仰の心は天秤にかけられるようなものではなく、畏怖は何によりも増して先んじるものなのだ。


 もうシューティングスターはパートナー指定しよう。いつも必ずフィールドにいるから源田に頼もう。ゴールキーパーの源田はグローブをしているから、スパイクで怪我をさせる心配もない。そして取り敢えずアフロディには頭を下げて謝ろうと思う。

「アフロディが綺麗すぎて踏めなかった」…これは言い訳になるのかな。



おわり

青春カップ2でペーパー無料配布したものです。オレブン風味!

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