稲妻11 | ナノ


 試験期間などで週末に部活がない金曜日には、僕と源田くん、どちらかの家に泊まるのが習慣になっている。とはいえ心配性な源田くんは僕を電車に乗せるのを良しとしないので、彼が僕のアパートを訪れることが殆んどであるのだが。


 金曜の夕方、僕はいつものように最寄り駅の改札前で源田くんを待った。あと一駅で到着するというメールが届いてから、既に五分ほど経っている。時計と改札口とを交互に眺めているこの時間が、僕にとって一番待ち遠しくて愛おしい。
 早く彼に会いたい。源田くんは駅前の人混みの中から、真っ先に僕を見つけ出してくれる。軽く手を振りながら駆け寄ってくる長身の制服姿を想像する。会えて嬉しいと顔に書いてあるような、眩しい笑顔を見る度に、僕は彼に愛されていると実感するのだ。

 背伸びをしながら改札を凝視していると、人波の中に見慣れたヘアスタイルを見つけた。改札から出てきた源田くんも、僕の姿を認めた瞬間に破顔して、小走りでこちらに向かってくる。
「アフロディ、待たせてすまん」
「源田くん」
 そのまま駆け寄って抱き締め合う…のが、いつもの僕らのお約束なのだが、腕を広げて抱擁を待つ僕を一目見るなり、源田くんの顔から笑顔が消え失せた。あまりにも不自然なその変化に、僕も表情を曇らさずにはいられない。
「どうしたの?」
「…それはこっちの台詞だ!」
 この世の終わりみたいな顔をした源田くんは、つかつかと僕に歩み寄り手首を掴んだ。
「お前!どうしたんだ!この両手…!」
「手?…ああ、これは…」
 物凄い剣幕で指摘されて思い出したこと。源田くんが驚くのも無理はない。今、僕の両手は包帯でぐるぐる巻きになっている。彼は怒ったような態度をしているが、心配して焦っているだけなのだと僕にはわかる。だからこそ申し訳ない。青い顔をした源田くんから目を逸らして、僕は気まずい気持ちで呟いた。
「…転んだんだよ」
 やっぱり情けないことであるが、それが全てで本当のことだった。


 ――体育の時間のことである。今日の授業では短距離走を行った。数人が一列となってスタートを切るのだが、僕が走る番になると、僕の両脇は空いてしまった。クラスメイトは僕を変に誤解しているらしく、畏縮し切って一緒に走ろうとしてくれないのだ。
 そんな中、僕との競争を名乗り出たのはデメテルだった。
「ダッシュストームで鍛えた脚力を見るがいい」
「ヘブンズタイムの速さを侮らないで欲しいな」
 クラスも同じ、部活も同じ。ポジションも同じで、体格だって似たようなものだ。気の置けないデメテルとなら、僕も遠慮なく本気で走れるというもの。僕たちは二人でスタート位置についた。手足の緊張を軽く解してから、クラウチングスタートの姿勢でスタートの合図を待つ。
「よーい…スタート!」
 切れのあるホイッスルの音と同時に、我ながら素晴らしいスタートが切れた…と感心したのも束の間だった。勢い良く走り出した僕の身に、予期せぬハプニングが起きた。
「…うわっ…!」
 僕たちの真剣勝負を観戦するクラスメイトの集団の中には、あのヘルメスがいたのだが、彼のつややかな頭に日光が反射して、不運なことに僕の目を刺したのだった。
 あまりの輝きに目が眩んだ僕は、足が縺れて身体のバランスを崩した。走っている勢いのまま前のめりに倒れてしまい、その結果、手のひらを派手に擦りむいてしまったというわけだ。僕の両手は真っ赤な血まみれで、熱を持ってじんじんと痛んでいた。
 一緒に走っていたデメテルにはたるんどると怒られるし、クラスメイトには泣いて心配されるし、原因のヘルメスには何とも言えないしで、本当に大変だった。


 僕の口から事の顛末を聞いた源田くんは、口元を引き攣らせて苦笑している。それ以外にできる顔がないのだろう。確かに、我ながらなんとも不甲斐ない話である。こんな体たらくで神を名乗っていた時期があると思うと、それこそ消えてしまいたくなる。
「…脚は大丈夫なのか?」
「うん。先に手を付いたから、膝とかは無傷だったんだ」
 だから手だけボロボロになったわけでもあるのだが。
「それは良かった…のか?」
「まぁ、サッカーに影響はない場所だし」
 僕はフィールドプレイヤーなので、手のひらを擦りむいたくらいの怪我なら、サッカーをするのに問題はない。そもそもサッカーをしているからには、激しいぶつかり合いも転倒も日常茶飯事なのだ。擦り傷程度の怪我なんて、今更大袈裟に騒ぐようなものでもない。
「鉛筆も持てるし、お箸も持てるよ」
「でも料理はできないよな」
「うん、だから、君がいてくれて良かったよ」
「お役に立てて光栄だ」
 食後の休憩をする僕は、家事をする源田くんを見ていた。 普段は料理も分担して行うのだが、今日は下拵えから調理まで、水仕事ができない僕の代わりに源田くんが全てやってくれた。
 洗い物を手際よく片付けていく立ち姿に、僕はこっそり見惚れてしまう。源田くんは見れば見るほどいい男だ。きっと彼は素敵な主夫になるだろう。もっともこんなによくできた恋人を、人に譲る気はさらさらないのだが。
 尽くされる幸せに浸る僕のところへ、片付けを終えた源田くんが戻ってくる。
「ところで風呂はどうするんだ?」
「あ、そうだね…どうしようかな」
 炊事の他にもう一つ不都合があった。入浴である。怪我をしたばかりの両手では髪を洗うことはおろか、満足にシャワーも浴びることもできないだろう。
「良ければ手伝うぞ?」
「えっ、でも…」
 入浴の世話だなんて、源田くんに迷惑ではないかと思って僕は言い淀む。些か不格好ではあるが、両手をビニール袋で覆えば、一人でも入浴には事足りる。わざわざ源田くんの手を煩わせることはない、と僕は遠慮したのだが。
「俺がアフロディの髪を洗いたいんだ…駄目か?」
 じっと目を覗き込まれて、そんな風に聞かれてしまっては、駄目だと言えるはずもない。気遣ってくれることも本当は嬉しい。大切にされているのだと実感したから、僕は彼の優しさに素直に甘えることにした。


 こしょこしょと耳に心地好い音がする。マッサージするような優しい手つきで、源田くんが僕の頭を洗ってくれている。タオルを腰に巻いただけの格好で、浴室に二人。僕には兄弟がいなかったから、こういう経験は初めてだ。
「どこか痒いとこあるか?」
「ううん、ないよ」
 源田くんの大きな手で頭を洗ってもらうのは気持ちが良かった。僕の髪が絡みやすいのを気遣って、とても丁寧に泡立ててくれる。癖になりそうな心地よさだった。
 今は僕が両手を怪我しているから、仕方なく洗ってくれているだけなのに、毎日こうしてもらいたいと思ってしまう。
「流すぞ。目を瞑っていてくれ」
「うん」
 調度良い温度のシャワーが頭にかけられる。お湯と一緒にシャンプーの泡が流れていく。
「アフロディの髪は、やっぱり綺麗だな」
 水気を絞った髪の毛を器用に纏めながら、源田くんが称賛する。
「ありがとう。助かったよ」
 彼に褒めてもらえるように髪には気を使っているので、しっかりと洗ってもらえて良かった。お礼を言って湯舟に浸かろうとする僕を、源田くんが引き止めた。まだ終わっていないぞとでも言いたげな顔をしている。何だか嫌な予感がした。
「さ、次は身体だな」
「えっ!ま…待って!」
 肩に触れられて僕は動揺した。人に頭を洗われるのと、身体を洗われるのでは事情が違う。
「遠慮するな。俺たちの仲じゃないか」 
「う…っ」
 確かにお互いに一糸纏わぬ姿なんて、幾度となく見せ合っているけれど。セックスのときは大丈夫でお風呂でそれは駄目だというのもおかしな話なのだが。それでも恥ずかしいと思う僕は自意識過剰なんだろうか。
「ほら、タオルを取ってくれないと、洗えないぞ?」
 揶揄うような軽い口調で、彼は僕のタオルを剥ぎ取ろうとする。もしかしたら僕が羞恥を感じているほど、源田くんは大層な行為だと思っていないのかも知れない。そうすると何だか、自分ばかりがいやらしい考えの持ち主のようで恥ずかしくなる。源田くんは本当に純粋な厚意から、僕の身体を洗うことを提案しているのかも知れないのに。
 どちらにしろ恥ずかしくなり、僕はとうとう観念した。
「…じゃあ、お願いするよ」
 小さな声でそう頼めば、源田くんは嬉々としてボディソープを泡立て始めた。


 僕は彼に頼んだことを早くも後悔していた。身体を洗う源田くんの手つきには、明らかな他意が感じられる。何故そんなに際どいところばかり、絶妙な動きで洗うのだろう。
「…ねぇ、源田くん…そこばっかり、ヤダよ…」
「ん?聞こえないな」
 源田くんの持つボディタオルは、先ほどから僕の胸の近くばかりを擦っている。普通のタオルよりも固い繊維が、胸の先端を掠める度に甘い刺激が生まれる。布地で触れるだけの微弱な快感だといっても、こう何度も繰り返されると自然と息が上がってしまう。
「だから、なんでそんな場所ばっかり…んっ!やあ…っ」
 いきなり尖りを摘まれたせいで、僕は変な声を上げてしまった。その反応に気を良くした源田くんは、芯を持って硬くなるそこを、指の腹でくにくにと揉み始めた。
「…やぁ、あん…んぁっ…」
「嫌なのか?こんな風に感じるから?」
「あん…もうっ、馬鹿っ…!」
 こうなると本当に手に負えない。源田くんは僕の身体で遊んでいる。僕が抵抗できないのをいいことに、助平な悪戯を楽しんでいる。
「うん、上半身はあらかた綺麗になったな」
 耳たぶを嵌まれながら囁かれて、背筋がぞくぞくと震えた。泡だらけの僕の身体を手のひらでするすると撫でながら、源田くんはボディソープのボトルを手に取った。耳元で彼が笑うのがわかって、僕は反射的に身構える。
「…次は下の方を洗わないとな」
「やっ…待って…あっ、ん、ぁあ!」
 上半身への愛撫によって半ば反応を見せているそこに、ボディソープがとろとろと垂らされる。先端に触れた冷たい液体が幹を伝い、根元の方へと流れていく。すかさず伸びてきた手が、泡立てるように股間を揉み込んだ。
「ひゃっ!あぁっ…!ふあっ…!」
 ぐちゅぐちゅという音が浴室に響き、腰が砕けるような大きな快感が僕を襲う。ボディソープのぬるぬるした感触と共に、濡れた手に局部を扱かれて、僕の性器はあっという間に勃起した。股間をぬるつかせているものが、ボディソープだけだとはもう言い切れない。急激に高まる射精感に僕は震えるしかなかった。
「このまま洗い流そうか?それとも…」
 如何にも楽しそうに微笑う源田くんは、意地悪く僕に尋ねた。そんなことわざわざ訊かなくても、僕の切羽詰まった反応を見ればわかるはずなのに。彼は僕の口から出てくる、恥ずかしいおねだりを期待しているのだ。
「いいから、そのまま洗って…」
「どんな風に?」
 源田くんは聞き分けがいいようで頑固なひとだから、答えない限りはいかせてもらえない。僕は恥じらいを押し殺して彼に強請った。
「…僕の…おちんちん…扱きながら洗ってよ」
「…よく言えたな」
 ぬるぬるの股間を揉みしだかれる。
「ひ、ぁあっ…ぁあ…っ!」
 そのまま僕は彼の手と泡に包まれる中で、呆気なく達してしまった。


 浴槽の中で向かい合うように抱き合って、怪我のある両手は源田くんの背中に回す。
「手、濡れないように、しっかり掴まってるんだぞ」
「うん…」
 僕は源田くんに支えられながら、彼の膝に座るように、ゆっくりと腰を落としていった。
「んん…あぁ…あっ…!」
 閉ざされた入り口を割り開いて、熱の塊が侵入してくる。久しぶりだから少しきついが、僕の身体は彼の形を覚えている。だから苦しくはない。馴染むようにできている。
「…はぁ、あぁん…中、はいってる…」
 狭い内壁を擦りながら突き進む硬さと熱に、腹の奥がじんじんと痺れた。まだ前立腺も突いてもらっていないのに、彼自身を受け入れただけで僕は感じていた。
「…んっ…あぁ、はぁっ…あ…」
「動くぞ?平気か?」
 僕はこくこくと頷いた。腰が抜けてしまってもう自分で動けそうにない。力のまるで入らない僕の状態を察した源田くんは、下から僕を突き上げた。良いところを狙って、何度も何度も。
「やっ、あんっ…源田くん…そこ、いいよぉ…」
 源田くんが僕を揺さ振る度に、湯舟が大きく波打った。激しい水音に僕の嬌声も掻き消される。無造作に飛び散る水飛沫が、僕たちの顔まで濡らす。
「ああっ…ん…もっと、ぉ…あぁんっ!」
 あまりの熱さに上手く呼吸も出来なくて、このまま溺れてしまいそうだと思った。…源田くんに抱かれたままなら、溺れてしまってもいい気がした。
「アフロディ、俺もイくから…一緒にイこう?」
「うん、イく…一緒にイきたい…」
 不自由な両手を庇いながら、僕は源田くんの身体にしがみついた。逞しくて温かくて安心する。彼にならば僕は全てを委ねることができた。
「…かわいいな」
 全身で愛しいと伝えるような、優しい声が胸に染み渡る。彼の熱に包まれる、絶頂はすぐそこまで来ていた。



 湯中たりこそしなかったが、半端なく疲労した。酷使した腰が怠くて仕方ない。
「折角お湯を張ったのに、半分になったじゃないか」
 八つ当たりに近い小言を言うと、源田くんは気の良い顔で苦笑した。
「すまん、俺のせいだな」
「そうだよ、源田くんのせいだよ」
 一方的に責任を押し付けたのに、源田くんは嬉しそうな顔をする。それが腹が立つくらいに男前で、言おうと思っていた文句すら口にできなくなる。
「明日も俺に洗わせてくれよ?」
 僕の濡れた毛先を弄びながら源田くんが尋ねる。僕は口を尖らせた。
「…エッチなことしないならいいよ」
「善処しよう」
 その言葉にどれだけの誠意が篭っていることか。呆れてしまうけれど、流された僕も僕なので、それ以上強く言うことはできなかった。両手の怪我を言い訳にするのは憚られるけれど、たまにはこういうのもありなのかも知れない。
 二人の週末は始まったばかりなのだから。

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