稲妻11 | ナノ


 アフロディは恋人としては、まさに理想のひとだった。

 天使と褒めそやされる容姿は誰の目から見ても美しく、風のように奔放な性格でありながら、実に聡明で冷静でもある。カリスマ性と幼さ、強さと優しさといった要素が、こんなにも巧みに交じり合った魅力的なひとを、源田はアフロディの他に知らない。
 試合の時に見せるような、絶対的な実力に裏打ちされた誇り高さを掲げながらも、二人きりになればアフロディは従順で、源田の腕の中で飛び切り愛らしく乱れるのである。

 構成要素を並べ立てるに、非の打ち所のない完璧な恋人。だからこそ源田は不安になる。自分はアフロディの期待に応えられているだろうか、アフロディに無理をさせてはいないかと。
 そして源田はいつしか、アフロディの本音を包み隠さず聞いてみたいと、そう思うようになっていた。



 今でこそ周知の事実になっているが、敢えて打ち明けるまでもない源田とアフロディの一線を越えた仲に、真っ先に気がついたのは佐久間だった。
 和解して以来アフロディにべったりと懐いた佐久間は、優れた観察眼により二人の関係の変化をいち早く察して、暴力的な粛正を源田に仕掛けたりもした。何だかんだで交際を認めてはもらえたが、それ以来佐久間は二人の目付役のような立場になっている。
 だから源田は、アフロディとの間に悩むことや困ったことがあると、まず佐久間に相談を持ち掛けることにしている。呆れた佐久間は刺々しい悪態を吐きながらも、源田の話を最後まできちんと聞いてくれる。助言は些か辛口であるが的を射ていて、要するに佐久間は友達思いのいい奴なのである。

 アフロディとの関係に不安があると源田が告白すると、佐久間はずいと身を乗り出した。いよいよ別れるかと期待したらしいが、生憎末永く一緒に居るための悩み事である。破局はないと知り明らかに落胆した佐久間は、横柄そうに頬杖をついて目の前の源田をじろじろと見た。
「まぁ確かに、最近のお前たちを見てると、完璧すぎて逆に気持ち悪いな」
「き、気持ちわる…?!」
 お似合いだねとはよく言われるが、気持ち悪いとは初めて言われた。自分自身についてもあまり言われたことがない言葉なので、源田が受けたショックは割と大きかった。しかし参考になる。佐久間の言葉は容赦がない分、自分では気づけない客観的事実を知ることができる。気を取り直して源田は尋ねた。
「具体的にどういうところが気持ち悪いんだ?」
「仲が良くて、お互いに愛し合ってるのはよくわかるんだけど、態度がよそよそしい。本当の自分は偽って、理想の恋人同士を演じてるって感じがする」
 佐久間の率直な指摘が源田の胸に突き刺さる。それは源田の感じている漠然とした不安そのものを顕著に表していた。
「お前さ、アフロディの前で素でいるか?」
 佐久間の問い掛けに、源田の心臓はドキリと跳ねた。アフロディの望むままの出来た男でいたくて、背伸びをしている部分は確かにある。素とは言い難い付き合いをしてきた。
「お前がいいとこ見せようと努力するように、アフロディも無理してんのかもしれねーぞ」
 いつでも綺麗で朗らかで優しいアフロディが源田は大好きだった。でもあれはもしかすると、俺のために無理して笑っていたというのか…。俺の前では自分を作らないで欲しい。そう思うのは我が儘なことであろうか。

「…どうしたらいい」
「はぁ?知るかよ」
「俺はこういうことに不慣れで…どうしたらいいのか全くわからないんだ」
 源田は所謂、奥手というやつだった。アフロディと付き合うまで、色恋沙汰に足を突っ込んだことがない。アフロディは正真正銘、源田の初めての恋人だった。眩いほどの幸せでアフロディを満たしてやりたいのに、その方法が源田にはわからない。
「お前とアフロディの問題なんだから、お前たちで考えて解決しないと駄目だろ。できないなら別れろ。アフロディが可哀想だ」
 はっきりとした口調で別れろと言われて、殴られたような衝撃を源田は受けていた。もしかしたら自分は、知らず知らずの内にアフロディを圧迫して、不幸にしているのかも知れない。一度自分を疑ってしまうともう駄目だった。源田は後悔と反省の坩堝に飲み込まれてしまう。
 佐久間は橙色の隻眼を鋭く細めて源田を睨みつけた。友人ながら何て面倒臭い男なのかと忌ま忌ましく思う。しかし源田がアフロディに傾ける愛の深さも、アフロディが源田に寄せる思慕の優しさも知っているから、佐久間は二人を引き離せない。その代わり、どうしてもお節介を焼いてしまう。
 佐久間は大きな呆れの溜め息をつきながら、思い当たる一つの提案を源田に授けた。
「五条に頼んだらどうだ?」
「…五条?」
 源田は首を傾げた。五条勝、帝国イレブンの一角を担うディフェンダーである。サッカーの実力は確かだが、そのプライベートは謎に包まれている。コミュニケーションは普通に取るが、特別に仲が良いとは言い難い。五条と源田は、そんな中途半端な間柄にある。
 何故いきなり五条の名前が出てくるのだろう。源田が納得いき兼ねる表情をすると、佐久間は何かを悟った顔でこう諭した。
「お綺麗な人生を送ってきたお前は知らないのかも知れないけどな、世の中には簡単に望みを叶えてくれる、不思議で便利なものが沢山あるんだ」


 佐久間に教えられて源田がやって来たのは、校舎の地下に作られた倉庫の並びの奥まったところにある、何やら怪しげな雰囲気を醸し出す小部屋だった。帝国学園は規模の大きな学校だが、こんな場所が存在していただなんて初めて知った。
 佐久間に言われた場所に違いない。居住まいを正した源田は、意を決して謎の小部屋の扉を叩いた。どうぞ、と中から声が返ってくる。源田はドアノブに手をかけた。
「失礼する」
 踏み入った室内は薄暗く、目が慣れるまでに時間がかかった。占いの儀式でも行う場所のような、不思議な内装が施されている。中央に置かれた猫足のテーブルのところに、シュールな笑みを浮かべた五条が腰掛けていた。
 五条は蝋燭の明かりを頼りに、古めかしい書物を読んでいる。顔を上げた五条の特徴的な丸眼鏡が、源田の背負う廊下の照明を跳ね返して不気味に光った。
「おや源田くん、こんにちは。…あなたが此処にいらっしゃるとは、意外ですね」
 こちらへどうぞと手招きをされた源田は、五条の向かいの椅子へと腰掛けた。不安定に揺らめく蝋燭の炎が、二人の顔を明るく照らし出す。
「この場所を何処でご存知になられましたか?」
「佐久間に紹介されたんだ」
「成る程、佐久間くんに…確かに彼はうちの常連客です」
 承知したとでも言うように、五条は指先で眼鏡をくいと持ち上げる。やたらと板に付いているその仕種に、源田は疑問を口にせずにはいられなかった。
「常連…?五条、お前…一体何者なんだ…?」
「わたしが何者かだなんて、些細なことですよ…それよりも用件をお聞かせ願いますか?」
 五条はすっかり仕事モードである。源田は少し躊躇いながらも、此処へ来た目的を五条に打ち明けた。
「…薬が欲しいんだが」
 佐久間が言った「簡単に望みを叶えてくれる、不思議で便利なもの」――それは五条特製の薬のことだった。生憎源田は知らなかったが、帝国学園の生徒たちの間では有名な話だったりする。都市伝説のような形でまことしやかに囁かれている、魔法の薬である。
「薬ですか…具体的には、どんな効能をご所望で?」
 一介のサッカー部員が何故そんな商売を行っているのか、聞いてはいけない約束である。それに薬を買い求める源田の方も必死だった。
「恋人の本心が知りたいんだ」
「ああ、アフロディさんですね。ふむ…それならこれですね」
 ずらりと棚に並んだ沢山の瓶の中から五条が選び出したのは、薄桃色の液体が少量入ったガラスの小瓶だった。如何にも眉唾物であるが、五条曰く『素直になる薬』らしい。自白剤の効果のある媚薬だという。
 前者はともかく何故催淫効果の方がメインなのかと問えば、つまりそういう状況下での本音を望んでいるんでしょう?と、真顔で五条に返されてしまった。
 そういうつもりで求めた訳ではないのだが、確かに自白剤の効果だけだと、世宇子時代の過ちについて延々と語られて終わり…になるかも知れない。それもアフロディが抱える本音には違いないのだが、源田は恋人である自分に対する、アフロディの本音が聞きたいのだった。
 本来の目的を鑑みると、五条の差し出した薬は適切といえた。下心が前提ではないと自分自身に言い訳を施しながら、源田は五条から薬を買い取った。中学生の財布には割と響く値段だった。



 その週末に源田は、アフロディが見たがっていた映画の完全版ブルーレイを口実に、アフロディを自宅に呼んだ。家族が皆出払っていて、家にいないことが前提にある。
「お邪魔します」
 勝手知ったる他人の家とばかりに、当然のように彼氏の部屋へと向かうアフロディの無邪気な背中に、割り切ったはずの罪悪感が源田の心に込み上げる。
(アフロディ…すまない…)
 不甲斐ない自分のエゴで、こんなに純粋な恋人を騙すことを申し訳ないと思いながら、源田は五条から買い取った件の薬を、アフロディ用の飲み物に混ぜて持っていったのだった。

 無味無臭で即効性だという薬の効果はたちどころに現れた。薬入りのミルクティーを半分ほど口にしたアフロディは、そわそわと落ち着かない様子で脚と脚を擦り合わせ始めた。明らかに興奮した様子で身体をくねらすアフロディに、源田は薬の効果を確信しながら何食わぬ顔で気遣った。
「アフロディ?どうかしたのか?」
「うん…なんだか…身体が、あつくて…」
「熱でもあるのか?」
「…わからない…」
 気怠げに首を傾げるアフロディは、自分の身に起きた変化を本当に理解し切れていないようだ。だが薬を盛った源田には、アフロディの変化がはっきりとわかった。呼吸は浅く速くなり、瞼はとろりと落ちてきて、頬が薔薇色に上気し始めている。比喩ではなく実際に体温が上がっているのだろう。源田は母親が風邪の子どもにそうするように、アフロディの額へ手を伸ばした。
「っ、あぁ…ん!」
 額に少し触れただけだというのに、実に色めいた切ない声が上がった。これにはアフロディ自身も驚いたようで、熱に潤んだ瞳を見開いて身体を強張らせている。
「え…なに…?」
 皮膚の感覚が過敏になって、触れられただけで感じてしまったらしい。今までにない身体の異常に戸惑うアフロディを、源田はとても可愛いと思った。熱を気遣うふりをして華奢な身体を腕に収めると、アフロディは情けない声を上げた。
「すごい熱じゃないか」
「やぁ、源田くん、うぅん…だめぇ…」
「何が駄目なんだ?抱き上げただけなのに」
「わからない、あぁん…やだぁ…あっ…」
 手のひらを頬に滑らすと、抱き締めた身体がびくりと震えた。着衣越しにアフロディに触れても、体温がかなり高くなっていることがわかる。熱を出した子どもは泣き虫になるというが、アフロディもそんな感じなのだろうか。
「怖くない…アフロディ…」
「ん、ふうぅ…んっ…」
 らしくない泣き言ばかりを漏らす口を、キスですっかり塞いでしまう。身体と同じように熱い口内を控えめに愛撫すると、源田の服を握り締める手に力がこもった。今までに見たことのないアフロディの必死な様子に、源田は感動すら覚えていた。
「ふぁ…だめ、源田くん…だめだよぉ…」
 息継ぎの合間にアフロディが呟いた。駄目と言いながらも服を掴む手の必死さはそのままで、その矛盾に笑みが零れる。
「何が駄目なんだ?」
 頭を撫でながら努めて優しく問いかけると、アフロディは泣きそうな顔になった。その顔を真っ赤にして源田の胸に縋り付く。
「ぼ、僕は…おかしい…!」
「…どんな風に?」
「今、ものすごく、えっちな気分なんだ…」
 えっち。耳に飛び込んできた台詞に、源田は目を丸くした。清廉な人格を持つアフロディの口から、そんな卑俗な単語が出てくるだなんて。源田の受けた衝撃は計り知れない。物欲しそうな眼差しをこちらに向けながら、はぁはぁと荒い呼吸を繰り返す恋人の姿を前にして、自白剤と媚薬の効果は凄いなと、源田は心底感心した。飲み物に薬を盛ったときの申し訳なさは、アフロディの痴態を前に霧散していた。
「いやらしい気分になってるのか?」
「うん…うん、ごめんねぇ…」
「謝らなくていい。その、なんだ…アフロディはえっちな事がしたいのか…?」
「うん、したい。えっちなことしたい」
 即答だった。抱いた腰が源田を誘うように、いやらしく揺れていた。



→続く

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