これは夢か幻かと、エスカバは狐に化かされたような気持ちでいる。
特徴的な三白眼を見開いたエスカバの前には、色白と褐色の対照的な肌を曝け出す、ミストレとバダップの姿があった。しかもどちらの身体もエスカバに向かって開かれている。生唾を飲み込まずにはいられない絶景である。
女顔で可憐な同級生と端正で秀麗な学年首席。王牙学園に所属する誰もが焦がれてやまない高嶺の花を二人、同時に相手にする僥倖に、エスカバは眩暈がしそうになった。
――俺は今、一生分の幸運を使い果たしているのかも知れない。
密やかに降り注ぐ月の光を浴びて、しなやかな肢体が宵闇にぼんやりと浮かび上がる。濡れ羽根色とも言うべき艶やかな髪の毛が、律動の度にきめの細かな肌の上で、踊るように軽やかに跳ねた。情欲に蕩けた双眸は妖しい光を宿して熱っぽくエスカバを見詰める。あまりに官能的な眼差しに魅せられたエスカバが息を詰めて喉を鳴らすと、上手く煽れたと言わんばかりにミストレは花の顔容に嘲笑を浮かべた。
「君は実に単純な男だな、エスカバ」
「うるせぇミストレ、いいから動けよ」
「ふん、言われなくても…っ!」
色めいた吐息と共にエスカバの名前が紡ぎぎ出される。変声期前の高めの声は愛らしく、下肢を疼かせるような色気を孕んでいた。
異性から絶大な人気を誇るミストレであるが、少女めいた可憐な容貌といい鈴を転がしたような細い声といい、実に魅力的な外見をしており、同期の少年たちの口頭に上ることも多々ある。一癖も二癖もある性格はともかくとして、姿形だけは文句の付けようがない美童であると。是非一度お相手願いたいものであると。
とは言えミストレは自分の安売りはしない。それなのにエスカバには身を委ねてくるようになった。偶然にも巡り合わせに恵まれて、類い稀な存在を独り占めできるこの至福。己に与えられた幸運をエスカバはよく理解していたし、上手く手元に繋ぎ留めていた。
ただ一つだけ難を言わせてもらうとしたら、エスカバがそれを下から見上げている今の状況であろうか。受け身でいるのはエスカバの本意ではない。男としてはこの華奢な肢体を組み敷いて、好き勝手に蹂躙してみたいものである。
「…なんだエスカバ?不満そうな顔をして」
腰の動きを止めたミストレが、不信を露わにエスカバを睨んだ。何を隠そう今の二人は、ミストレ上位の騎乗位で繋がり合っている真っ最中である。エスカバの腰に跨がって反り立つ肉棒を貪っているミストレは、エスカバのちょっとした感情の変化も見逃さない。見下ろすエスカバの表情に不平不満の色を見つけるや否や、ミストレは声のトーンを一オクターブ低くして、尋問に近い剣幕で詰め寄った。長い睫毛に縁取られた大きな瞳はもう笑ってはいない。
「君、何か他のことを考えているだろう」
「…別に、」
「…集中しなよね…オレのことだけ見て、オレのことだけ考えていればいい…!」
ミストレは上体を屈めて、エスカバの唇を無理矢理に奪った。唇に噛み付くような乱暴なキスから、プライドの高いミストレの嫉妬深さをエスカバはひしひしと感じ取る。
ミストレの独占欲は存外に強い。自身は関心の薄い風を装う一方で、相手に目移りされることを極端に嫌っている。強烈なナルシズムの一環として、ミストレは色恋においても常に相手の一番でいたがる。相手に一心に愛されることを実感して、自身の価値を肯定して揺るぎないものにしたいのだ。そんな我が儘な願望を抱えるミストレの扱いも、エスカバは手慣れたものである。
「馬鹿、こんな状況でお前以外見られるもんか」
強く詰め寄るミストレを力ずくで抱き寄せて、弱いと言っていた耳元に低い声で睦言を押し込める。ついでとばかりに下から勘所を突いてやれば、誰にも聞かせたくないような愛らしい嬌声が溢れ出す。
「っあ…あぁ…エスカ、バ……はぁあっ…」
洞と幹とが隙間無く当て嵌まる身体の相性は最高で、至上の快楽に溺れる二人は互いを貪ることに夢中になった。恋人同士では生憎ないが、ミストレ程に熱くなれる相手をエスカバは未だに知らない。顔も身体も好みすぎてそう簡単には手放せない。
「ミストレ…っ…」
一度情を交わした相手を愛おしく思うのは、子孫を残そうとする雄の本能だと聞いた。しかしそれだけでは片付けられない庇護の感情も、ミストレと幾度となく通じたエスカバの心には芽生えている。気位が高くて面倒臭く、意外と一途な美貌の同級生のことを、エスカバはそれなりに深く愛していた。
「ん、あぁ…いく…エスカバッ…んあああっ!」
背中を盛大にのけ反らせて、先にミストレが極まった。何とも言えない淫らな表情でミストレは射精する。下肢から突き抜ける絶頂に全身を切なく痙攣させて、濃い桃色に染まった勃起の先端から断続的に白濁を飛ばす。達した瞬間の後孔の締め付けは絶品で、埋め込んだ肉棒を容赦なく引き絞られたエスカバも、耐え切れずミストレの奥深くにありったけの精をぶち撒けた。
温かな体内に名残惜しさを感じながら、熱を放った性器を引き抜くと、ぽっかりと開いた後孔から白い残滓がとろりと溢れ出した。自分が中出ししたものながら、新雪を積もらせたような真っ白な双丘を濡らす精液を見ると、エスカバは何とも申し訳ない気持ちになる。きちんと後始末までしてやりたいものだが、エスカバの気遣いを意に介さないミストレが、しきりに身体に引っ付くものだから身動きが取れない。
「おい、ちゃんと処理しないと…」
「まだ平気だよ…もう少しこうやって…」
気まぐれな猫のように懐に潜り込むミストレに、エスカバはもう何も言えなくなる。手放しに甘えられることに弱いのだ。行為の熱の冷めやらぬミストレの背中を、エスカバもまた抱き締めた。こんな冷え切った時代でも変わらない人肌の温もりがそこにはあった。
さてそのまま二人は事後の倦怠感に負けて、うとうとと微睡んでしまったらしい。ドアの向こうに近付く足音を聞き付けて目を覚ましたのは、二人ともほぼ同時だった。しかし気付いただけではどうにもならない。間を置かずして開かれた扉の方へ、二人は弾かれたように振り返った。場の空気が一瞬にして凍り付いた。
――開いた戸口に立っていたのはバダップであった。何故こんなところにいるのかと、無粋を尋ねても仕方がない。バダップは必要なことしか行わない男である。此処に来たということは部屋の主であるエスカバに何か用事があって、直接部屋を訪ったというだけに他ならない。
バダップは切れ長の鋭い目を瞬かせもしないで室内の様子を一瞥した。無造作に乱れた寝台の上に、一糸纏わぬ姿のエスカバとミストレが、淫らに脚を絡ませ合いながら寝転がっている。
「………」
気まずい沈黙が流れる。無防備すぎるほどに全裸の二人と、軍服を模した制服を隙なく着込むバダップの視線が、ぶつかり合うのは滑稽ですらある。前者の二人にとってはどうしたって言い訳の効かない状況だ。
ノックをしないで踏み込んだバダップがいけないのか、部屋に鍵をかけ忘れた自分たちがいけないのか。答えは明らかである。手落ちは事前の準備を怠ったエスカバたちの方にある。エスカバよりもミストレの方がショックを受けている様子だった。信じられないという風に唇を戦慄かせて、佇むバダップを凝視している。
男同士というのはやはり醜聞だろうと、二人の関係は秘密にしていたというのに、よりによってバダップに事後を目撃されてしまうとは。ミストレほど焦ってはいないものの、エスカバは内心舌打ちをした。
縁あって親交を持つことになったこの神童との距離を、エスカバは未だに計り兼ねている。こちらを見詰めるバダップの深い緋色の瞳からは、何の感情の起伏も窺えない。反応もないのがかえって恐ろしくもある。
炎のように逆立った銀色の髪がふわりと揺れ、軍靴の踵がカツリと無機質に鳴った。何もしないまま無言で立ち去ろうとするバダップの背中に、すかさず飛び付いたのはミストレである。エスカバが制止する間もなかった。ミストレがバダップを羽交い締めにする。
「待てよ!」
「……っ…」
乱暴に引き止められたバダップが身を躱すのよりも早く、ミストレはその背後を取ることに成功した。華奢な見た目からは想像できない腕力を有するミストレに、先に関節を決められたなら逃れることは難しい。抵抗を全力で抑えながらミストレはバダップに詰め寄った。
「人様の濡れ場に踏み込みながら、何事もなかったかのように立ち去るとは…面白くないな」
ミストレは自尊心が非常に高い。一目置く一方で猛烈に敵対視しているバダップに、弱みともなる場面をまじまじと見られては、プライドが我慢ならなかったのだろう。バダップが無視をしたことが却ってミストレの癇に触ったらしい。嘲笑や侮蔑の感情を向けられた方がまだましだと思えるくらいだ。ミストレは照れ隠しがてら、バダップに突っ掛かっているのだった。
すっかり頭に血が上っているミストレにはわからないだろうが、エスカバは何となく状況を掴んでいた。普段のバダップから考えれば、たとえ不意を突かれたとしても、ミストレ如きの相手に背後を取られるような失態は絶対に見せない。油断とも取れる隙を見せてしまうほど、この状況にバダップは動揺しているということだ。間違いない。あからさまな事後の風景を目撃して、表情に出さないまでもバダップは戸惑っている。
そういえばバダップに纏わる浮ついた話を一度も聞いたことがない。もしかしたらバダップは色恋沙汰に極端に疎いのかもしれない。そうすればこの常になく鈍い反応の理由も頷ける。
「離せ」
「嫌だね!その澄まし顔が気に入らない」
ミストレとバダップは相変わらず押し問答である。二人ともいつになく子供っぽい。
「おいミストレ、やめろ」
見兼ねたエスカバが注意を促しても取り付く島もない。押して押されてどうしようもない状態が続いた末に、とうとうその悲劇は起こった。
「バダップ!?」
ガツンという鈍い音が室内に響いた。取っ組み合いの中で足を滑らせたバダップが、机の端に頭を打ち付けて倒れたのだ。すぐに起き上がろうとしないバダップの姿を認めた瞬間に、最悪のケースが二人の脳裏を過ぎった。
「おい、しっかりしろ」
エスカバはすかさずバダップの傍らに膝をつき、手際よく容態を確認した。手首を取り血管に指を宛てる一方で、口元に顔を寄せて耳を澄ます。呼吸も安定しているし脈拍も正常だ。一先ず問題はないようだとエスカバはホッと息をついて、傍らで酷い顔をしているミストレにバダップの無事を伝えた。
「気を失っているだけみてぇだ」
「そうか……良かった」
力無く俯くミストレの頭をエスカバはぐりぐりと撫で回した。大丈夫だと言い聞かせるように。
「…だから取り敢えず何か着ようぜ」
「ああ、そうだな…」
バダップに部屋に踏み込まれたときから、ミストレもエスカバも全裸なのであった。気付いてしまうと途端に滑稽になって恥ずかしい。気絶したバダップの処遇に関して、あれこれと考えを巡らせながら、一先ず二人はいそいそと着替え始めた。
→続く